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ヤンマとアカネ 2

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ヤンマとアカネ 2 859 ◆93FwBoL6s.様

 体を包む空気が次第に生温くなり、朝になったのだと知った。
 突っ伏して眠っていたフローリングに、複眼の間に並ぶ三つの単眼が擦れ、間に入った砂粒が硬い音を立てた。だが、すぐには意識は戻らない。フローリングに接している腹部が冷え切り、その中の心臓もまた冷えているからだ。体温が戻らなければ、血流も戻らず、人間に比べれば矮小な脳に送られる血中酸素も乏しく、意識も戻らない。折り曲げていた両前足を伸ばして身を起こすと、今まできつく縮こまっていた外骨格が動き出し、ぎぢ、と鈍く擦れ合う。複眼が大部分を占めた顔を上げ、破れたカーテンの隙間から差し込む強烈な光に、複眼が眩みそうになってしまう。だが、すぐに補正された。ヤンマは関節が固まってしまった下両足を伸ばし、立ち上がってから、彼女に気付いた。
 破れたソファーの上では、毛布を被った茜が身を丸めていた。安心しきった顔で熟睡し、浅い呼吸を繰り返している。毛布の端を両手で握り締め、唇の端が緩んでいる。ヤンマは彼女の傍に歩み寄ると、肩から零れた髪を一束掬った。

「呑気なもんだ」

 茜の髪を持ち上げて口に含み、ぶつりと噛み切った。

「いつ俺に喰われるとも解らないってのに」

 ヤンマの口の中には、茜の髪の切れ端が残った。喉の奥で丸めていた舌を伸ばし、髪を絡めて嚥下する。

「甘ったるい」

 意識的な味か、或いは実際の味かは解りかねた。ヤンマは、彼女の頬に落ちた髪の束を鋭利な爪先で薄く撫でた。

「おい」

 声を掛けてみても、茜の反応はない。爪先ではなく、爪の腹の部分で頬を叩いてみるも、目を覚ます気配はなかった。無防備すぎて、逆に不安になる。ヤンマは口を開閉し、がちがちと噛み合わせた。人間で言うところの、舌打ちと同じだ。起きている時は煩わしいほどまとわりついてくるからだろう、いざ眠って大人しくしていると歯応えがなくてつまらない。

「さっさと起きろ。他の連中が起きて動き出しちまったら、狩りがやりづらくなる」

 ヤンマは茜の肩を押して仰向けに転がしたが、茜は小さく唸っただけだった。

「うぅん…」

 やはり、起きようともしない。ヤンマは辟易し、茜の体から毛布を剥ぎ取った。

「いい加減にしろっての!」

 茜の体温が色濃く残る毛布を薄汚れた床に放り投げたヤンマは、直後、理由を悟った。

「ああ…そうだったな…」

 ソファーに横たわる茜は、パンツしか身に付けていなかった。昨夜、汗を掻いたから、とそれ以外を全て脱いだのだ。生憎、洗濯を終えている服は見当たらず、かといって夜中に洗濯を行えるような場所でもないので何も着なかった。そして、そのまま今に至るというわけだ。ヤンマは投げ捨てた毛布を拾おうかと迷ったが、前足は彼女へと伸びていた。
 朝日を浴びた薄い肌は白く光り、静脈が透けている。柔らかく盛り上がった女の膨らみを、三本の爪で掴んでみる。だが、爪は立てずに寝かせ、腹で握り締めた。ヤンマの手に合わせて茜の乳房は歪み、刺激を受けて先端が尖った。すると、茜が僅かに眉根を動かした。覚醒してはいないが意識はあるのだ、と知ったヤンマは、もう一つの乳房も握った。

「あふ」

 条件反射で声を漏らした茜は、悩ましげに腰を捩った。

「何やってんだ、俺…」

 頼りない手応えの乳房をひとしきり揉みしだいた後、ヤンマはふと我に返った。

「ふぇ」

 すると、茜は瞼を上げた。目の焦点を合わせ、ヤンマの手元と自分の状況を確認した途端、しなやかな足が跳ねた。

「いーやあー!」

「おぐうっ!?」

 茜がでたらめに放った蹴りがもろに顎に入り、ヤンマは仰け反ってしまった。

「馬鹿、馬鹿、馬鹿ぁ!」

 茜は胸を隠して身を縮めると、涙を溜めながら喚き散らした。

「いじるんだったら、もうちょっと綺麗な時にしてよぉ! 汗と埃でべたべただし、髪も洗えてないから脂でてかてかなんだもん!」

「そんなの、どうでもいいじゃねぇか」

 首関節の無事を確かめながら顔の位置を戻したヤンマに、茜は膨れた。

「嫌なものは嫌なの!」

 うー、と眉を吊り上げる茜に、ヤンマは困惑して触覚を下げた。

「ああもう解ったよ、うるせぇな」

「解ったんなら、あっち向いて! 服着なきゃならないんだから!」

「今更、見られて困る部分があるか?」

「気分の問題よ!」

「あーうぜぇうぜぇ」

 かぶりを振りながら背を向けたヤンマに、茜は舌を出した。

「女心を理解しなさい!」

 羽を震わすほどの金切り声に、ヤンマはまたがちがちと口を鳴らした。オンナゴコロとやらは、未だに解らないことだ。大体、肌など見られて困るものなのだろうか。体を繋げたのは一度や二度ではないのだから、ヤンマは全てを見ている。揉みしだいてしまった乳房もさることながら、性器と排泄器官すら見ているのだ。いい加減、開き直って欲しいと思う。ごそごそと物音が繰り返された後、ようやく許されたので振り返ると、茜は昨日脱ぎ捨てたTシャツとジーンズを着ていた。

「じゃ、朝ご飯が終わったら洗濯するから、ヤンマも手伝ってよね」

「水場まで服の山を運べばいいんだろ。それで帳消しだ」

「そんなんじゃ足りないよ。食糧も大分減ってきたから、適当な店から発掘しなきゃならないんだもん」

「虫食えよ。ぶりぶりに太った幼虫でも捕ってやるから」

「あんなもん食えるわけないでしょ」

 不意に真顔になった茜に、ヤンマはぎりぎりと口の端を擦り合わせた。

「お前の食糧探しは面倒なんだぞ。それでなくても、そういう場所は他の連中の餌場にされちまってんだから」

「いいじゃない、それは全部ヤンマが食べられるんだから」

「ま、そりゃそうだがな。んで、まずは朝飯か?」

「ううん、ヤンマ」

 茜はかかとを上げて背伸びをすると、ヤンマの首に腕を回して引き寄せた。ヤンマも背を曲げ、身長を合わせた。茜の唇が口に迫ってきたので、ヤンマはぎざぎざの刃を噛み合わせたような形状の口を開き、彼女を受け入れた。外骨格に触れたのでは、何の意味もない。喉の奥で丸めていた体液が少し絡んだ舌を伸ばし、薄い唇に当てた。そして、有無を言わさずに滑り込ませる。ん、と茜は小さく声を漏らし、口中を這い回るヤンマの舌に己の舌を絡めた。息苦しくなった茜が唇を開くと、茜の舌を締め付けていたヤンマの黄色い舌が解け、粘液の糸を引きながら離れた。

「んふふ」

 口元を押さえて頬を染めた茜に、舌を喉の奥に戻したヤンマは言った。

「じゃ、とっとと支度しろよ。俺も腹が減った」

「今日は何にしよっかなぁーん」

 茜は足取りも軽く、キッチンに向かった。ガスも水道も電気もとっくの昔に切れているので、正確には倉庫なのだが。キッチンに入った茜は、段ボール箱を探り始めた。その中には、廃墟から集めた缶詰めやレトルト食品が詰まっている。人間が姿を消して数年が経過してしまった都市では、茜がまともに食べられるものといったら、それぐらいしかないからだ。茜はテーブルに置いたランタンに火を付け、その上に水を張った鍋を載せると、レトルト食品のパックを入れて暖め始めた。鍋の下で揺れる青い炎を見つめる茜の横顔を見つつ、ヤンマは舌に張り付いている茜の唾液を嚥下し、胃に流し込んだ。無意識に、また口を鳴らしていた。だが、今度は不満や苛立ちを示す鈍い軋みではなく、歓喜を示す高い摩擦音だった。
 付き合えば付き合うほど、喰うのが惜しくなる。







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