第20話
目覚めると何故かリオが居た。
「おはようディス」
「あ、ああ、おはよう」
記憶がいまいちはっきりしない。どこか違和感。そもそもここはどこだったか。辺りを見回して、記憶が呼び覚まされる。
妹のリオと散歩していたのだ。そして何気にコロシアムへ寄って、そこに居た可愛いリボンの騎士…確かシィルとか言ったか。そのシィルに「可愛いね」なんて言ったもんだからリオが切れてハンマーでしばかれたのだ。
そして気を失った、と。確かそうだったはずだ。確かにそのように記憶している。記憶が、間違いでなければ。記憶が、操作されていなければ。
しかし覚え間違いなどそうそうするわけもないし。記憶を操作なんてミラクルやエースでもできやしない。つまり、間違いない、ということ。
多少の違和感を、拭い切れないけれど。
「あれあれですよぉ。私ここで何してたですかぁ?」
シィルが突然声をあげた。そんなことはこっちが聞きたい。
「よくわからないけど、とにかく脱出するですよプライン! とぉ!」
シィルはプラインに飛び乗り、コロシアムから去った。本人いわくは、脱出した。何からだ、という突っ込みは今更無意味なので、あえて飲み込む。
「ディス、明日ブネ肉料理食わせてやる」
ブネ肉と言えば、高級食材だ。それはもうアグス王国三大美味に数えられるほどに美味い。煮てよし、焼いてよし、なんだったら生でもよし。そんな食材。
しかしディスレイファンは忘れていた。リオの料理がとんでもない、という事実を。
「なんだ突然? 嬉しいが、ブネ肉なんていつ買ったんだ?」
「まだない」
ないのかよ。という突っ込みは不要。いつものことだ。
「エースに取りに行かせる」
リオはうふふふ、と笑いながら違う世界へ飛んで逝った。
「エース、南無」
なぜエースなのか分からないが、ブネハンティングはそれなりに危険だ。しかしリオのことだ、いかなる手段を用いてでもエースに行かせるだろう。
例えばサバイバルナイフで脅したりして。
教会のあった丘は、気持ちの良い風が吹いていた。
「本気で行くよ、シャナン」
「俺もだ、くそったれの兄貴」
兄弟が、殺し合う。そんな日には最高の、風が吹いていた。
シャナンが真っ黒の、そうまるで闇の様な、深い深い闇の様な剣を構える。暗黒の剣…そんな形容がぴったりな、どす黒い剣。心の闇を反映しているかのような、そんな闇によく似た剣。
ミラクルが両手に魔力を集中する。詠唱は、不要。究極奥義、詠唱省略魔法アルテママジック。
「猛毒霧《デッドリーポイズンミスト》!」
猛毒を帯びた霧が、シャナンを襲う。
「ふん」左に飛びのき、回避。そのまま一気に踏み込み。「居合い斬り!」高速で剣を振るう。横一文字に。
ミラクルは後ろに下がり、回避する。暗黒の剣の切っ先が、ミラクルの服を裂く。
剣を振り終えたシャナンの、一瞬の隙。見逃すほど愚かではない。
「弾け飛べ!」
右手に水球。左手に水球。デュアルアクア。至近距離でシャナンに投げつける。
防御もままならない状態で、シャナンはデュアルアクアをまともにくらった。水が弾け、シャナンを切り刻む。それなりに、切り刻む。手足がぶっ飛ぶほどの威力はない。が、十分なダメージを負ったはず。
「さすが…くそったれの兄貴だ…」
顔の傷を右手でぬぐい、笑う。
「相手が人間であるなら、正面からの一対一なら、うちは誰にも負けない」
それは傲慢ではなく、自信過剰ではなく、正真正銘の、事実。
「そうかい、それじゃあ、人間、やめるか」
シャナンが笑う。笑う。笑う笑う。笑う笑う笑う。
暗黒の剣から、真っ黒のエネルギーが湯気の様にゆらゆら、ゆらゆら、昇り、渦巻き、シャナンを取り巻き、やがて闇の壁となり、シャナンの姿を確認することさえできなくなる。
何が何が何が…起こっているというのだろう。邪悪な、極悪な、魔力だけが、増大していく。
不意に、闇の壁が弾けて消えた。
そこに居たのは。
シャナン。ミラクルの弟。間違うことなく、シャナン。
しかし。
人間とは、違っていた。
黒き、悪魔の翼は、人間には無い。
顔中に紋章の様な刺青の様な、その黒いアートの様な、それは、悪魔の、印。
人間。魔物。龍。血啜り一族。それから。悪魔。この世界の、住人。
悪魔の数など、龍より少ない。そして龍よりも弱い。しかし、人間より、魔物より、純血の血啜り一族より、強い。その悪魔を見つけ出し、あるいは偶然に見つけ、取引したのだろう。
代償は、何だ。代償に、何を捧げた。いや、誰を、捧げた。
「ふーん。本当に、本当に、人間やめたんだね、シャナン」
「俺の望みは、自分だけが綺麗なまま、人間のまま、安全な位置にいながら、達成させられるほど、優しくはない」
「悪魔との取引には生贄がいるはずだよね、誰を、捧げたのかな?」
なるべく冷静に。なるべく沈着に。なるべく不安を、悟られない様に。なるべく恐怖を、悟られない様に。
「あぁ、ソラだ」
微塵の躊躇も無く。一切の慈悲も無く。
「といっても、ソラが悪魔に食われるわけがない。ふん。生贄でありながら、その悪魔を、ぶち殺した。覇王たる者の、覇王たる力で、ぶち殺したんだよ。そして俺は代償を支払うことなく、この暗黒の剣を手にした。悪魔へと変わる鍵を手にした」
事実なら、もしもそれが事実ならば、ソラは、本物の、覇王だ。
悪魔となった人間、魔人シャナン。
絶対者であり超越者、覇王ソラ。
そんな者に、そんな者達に、勝てる者が在るとすれば、心当たりは、たったの一人。
魔王にして災厄。災厄にして魔王。あの嫌味な頭脳明晰。完璧すぎるほどに最狂の凶龍。
血啜りの龍リュカ。
問題は、有る。問題が、有る。例えば上手くリュカを呼び出せたとしても、自分の肉体ではないリュカに、封印されている状態のリュカに、果たして、果たして、覇王を倒すことが、本当にできるのか?
願うことがあるとすれば、祈ることがあるとすれば。
覇王がこのまま現れないようにと。ただ、それだけだ。
to be continued