第9話
飛び出してきた黒い影は、止まることなく葉奏に襲い掛かった。
「ちっ」
軽い舌打ちと共に、葉奏が突き出されたナイフをかわす。ナイフはそのまま速度を変えずに方向を変え、葉奏の顔を薙(な)ぐように走る。
一瞬驚き、同時に対応。葉奏は身を反らせてナイフをかわした。
「・・・どこの刺客?」
葉奏の問いかけ。刺客は答えることもなく、再びナイフをかざした。
刺客が的確にナイフを振るう。葉奏はその攻撃全てを、瞬時の判断力で対処する。刺客のナイフは刃先すらかすることもなかった。
ひゅん、と葉奏の鼻から数ミリ先で、ナイフが空を切る。
見逃さず葉奏は刺客に詰め寄り、あらわになった鳩尾(みぞおち)へ肘を入れた。
「くはっ!」
刺客が、初めて声を出す。少し甲高い声から、女だと分かった。
刺客の姿勢がふらつくのを見、葉奏は一歩退いて体勢を整える。左手と左足を前に、顔が真横を向く戦闘姿勢。刺客はそれだけで、葉奏を只者でないと読んだ。
「・・・正中線を隠した横半身の構えか」
初めての、言葉らしい呟き。今度は逆に葉奏が答えず、隙のない姿勢で刺客を見据える。
「腱(けん)を出さないように内側に畳んだ拳といい、素人ではないな。ならばこちらも相応に相手させてもらおう!」
刺客が地を蹴り、一瞬で間合いを詰める。驚きもなく葉奏はカウンター気味に右足を繰り出し、刺客の脇腹をえぐる。同時に腰を下げ、振り上げるように顎へと肘撃(ちゅうげき)。
「ぐっ・・・」
刺客がうめき、再び間合いを開く。
「無駄だよ」
いつの間に起きたのか、ティンカーベルが溜息混じりに呟いた。
刺客は一瞬気を取られると共に、葉奏の接近を許す。同時に太腿へと衝撃。葉奏の蹴りと気づくのに数瞬。
「まあ物腰も柔らかいし、いっつもやる気ないし、けっこーおっとりしてるから、皆勘違いするんだよねぇ。姫が弱いって」
ティンカーベルがそう呟く間にも、刺客の両足を刈って宙へ浮かせ、腰の入った拳撃を刺客の腹へと刺す。刺客はよろめきながらも着地。それを待たずに詰め寄る葉奏。
「姫は、生まれながらの『格闘の天才』だよ」
葉奏の回し蹴り。刺客は両腕でその攻撃を防ぎ、一瞬ひるむ。その間に再び両足は刈られ、耐えられず刺客は地に倒れた。
鼻先に拳を突きつけ、両者の動きが止まる。
「・・・どこの刺客?」
息一つ乱さずに、葉奏が問いかけた。
「化物め・・・」
刺客が震えた声でそれだけ、言った。
ボン、と軽い爆発音。同時に視界が白い煙に染まる。
「煙幕・・・か」
葉奏が舌打ちし、咳込んだ。
「ここは退いておこう! さらばだ!」
刺客のその声と共に、窓ガラスの割れる音。煙の向こうで、黒い影が消えた。
煙が晴れて、ふうっ、と葉奏が息をつく。
「逃がしちゃったかぁ」
ティンカーベルが皮肉とも取れる声音(こわね)で言った。
「ま、あれだけやったらもう襲ってこないでしょ。それよりティン、起きてたんなら手伝いなさいよ」
「ボクが手伝える余地がどこにあんのさ〜」
ティンカーベルが笑いながら言う。葉奏もまた笑った。
「ご苦労様」
黒い顔布を取った女に対して、ソレンセンが言った。
「で、どうだった?」
「やばすぎ。強すぎ。バケモン。次やったらマジ殺される。モウヤメテ」
女が震えながら早口で答える。ソレンセンは溜息を一つつき、女を見やった。
「ミズカ、あなたほどの腕でも、倒すのには苦労する?」
「いや、倒せるとかじゃなく絶対死ぬから」
女――ミズカは頭を抱えてうなだれた。
「めちゃめちゃ速いわ力は強いわ攻撃の流れが凄まじいわ・・・わたしじゃムリ」
「ふむ・・・」
ソレンセンが顎に手をやって考える。
「あー、でもでも、ソレン姐さんなら勝てるかもですよ。何せ・・・」
「それはいいから」
ミズカの言葉を遮(さえぎ)る。
「ちゃんと素性がばれないようにしてきた? ミラクル様には無許可なんだから」
「というか何でわざわざ狙うのかすっごい知りたいんですけどぉ」
「・・・別に、意味なんてないわ。私なりに彼女のことを知りたかっただけ」
ソレンセンのその言葉に、ミズカが大袈裟にうなだれる。
「意味ないことでわたし死にそうになったんですかぁ・・・」
「それよりも」
ソレンセンの強い言葉。
「ちゃんと『七魔団』の仕業になるように、工作してきたんでしょうね」
「あ、それはもちろんバッチリですよぉ☆」
ミズカがえへん、と胸を張る。
「ちゃんと大きく『七魔団』って書いた紙を置いてきましたぁ♪」
「・・・あなたバカでしょ・・・」
今度は大きく、ソレンセンがうなだれた。
「姫! これ・・・」
大きな紙に、大きく『七魔団』と書いたそれを、ティンカーベルが指差す。葉奏が大きく目を見開き、その紙をじっと見つめた。
「まさか『七魔団』の仕業とはね・・・上等じゃないの・・・」
どちらもバカだった。