第11話
魔術師同士の交流手段として、秘密通信<ウィスパー>というものがある。
これは、相手方の魔力質に呼応した信号を発し、距離の中間点に生じた魔法領域でテレパシー会話ができるという、便利な代物だ。多少なりとも魔術に通じたことのある人間ならば、知らぬ者はいないと言えるほど浸透している。
また、この会話は魔力質に呼応していなければ聞かれることがないし、魔力質は各人それぞれ、指紋ほどの違いが存在する。それゆえに秘密会議や闇の商談などにおいては、えてしてこの通信を行う場合が多い。
例えるなら、片方が敵の前で死んだ振りなどしている場合には、これ以上ないほどに便利な代物である。
『まず確認する。生きてるな?』
唐突なエースの呼びかけに、葉奏はエースが<ウィスパー>を行ったのだと気付いた。
『……ええ。何で分かったの?』
『死んでる奴とは<ウィスパー>自体繋げないからだ』
端的に答えを返す。どうやら、仲良く会話しようなどとは微塵も思っていないらしい。
しかし、それは同時に、エースの『覇位』たる実力がよく分かる結論だった。大抵の人間は他人の魔力質など、感知するだけで相当な時間がかかる。本来<ウィスパー>は自分が相手を探す信号、相手が自分を探す信号が一定値に達して、初めて使用できるものなのだ。それをたったの数秒で行えるエースは、単なる魔力の強さだけでなく、そういった感知能力の優秀さで『覇位』まで登りつめたのだろう。葉奏は感心どころか敬服すら覚えた。<ウィスパー>を数秒など、あのミラクルでもできる所行ではない。
『死んだ振りをするのはいいが、何か作戦があってのことか?』
『……あたしが作戦を話せば、協力してもらえるのかしら?』
『内容による』
無愛想な答えだった。勿論、無条件の協力などを期待していたわけではないが。
『……倒れているエリタカさんを抱えて、逃げて。あたしが全員を相手にするわ』
常識では考えられない言葉だと、葉奏自身も思いながら伝える。
『死ぬ気か?』
予想に違わず、返ってくる厳しい言葉。
『今は、あたしを信じて、としか言えない。策はあるわ。でも、そのためには……』
『僕らが邪魔だ、と言うんだな』
『……邪魔だなんて言い方はしないわ。ただ……死にたいのなら、いてくれてもいいけれど』
単なる一冒険者とは思えない言葉に、エースは言葉を失う。
『面白くない冗談だ』
『……何と言ってくれてもいいわ』
『お前が死んだら、帰りに骨くらいは拾ってやる』
『……ありがと』
会話終了。あとは、安心して狩ることができる。
葉奏はマントの内ポケットにしまった『混沌の魔手』を、その右手に握り締めた。
エースは僅かな混乱を感じながら、肉壁一号の振り下ろした剣をかわす。
葉奏が何を考えているのか分からない。分からない――が、葉奏の提案は、乗るだけの価値があった。
このまま全員で逃げるのは、追撃の恐怖を考えるとできない行動だ。ただ、それに対して殿(しんがり)を務めてくれる人間がいるのならば、十分に可能であろう。特に最も危険性の高い殿を、『月河』とは無縁である葉奏がするというのであれば、何も心を痛めずにすむ。
それは信頼ではなく、ただの利用。
エースの憎むべき『血啜の血族』が、わざわざ死地に赴いてくれるというのだから。
改めて、現状を確認。肉壁一号は、常人の数倍はあろうかという大剣を振るい、また『肉壁』シリーズの兵隊たちも突撃を仕掛けてくる。志摩子は安全圏でそれを見守りながら、微笑んでいた。
肉壁一号の攻撃にさえ気をつければ、逃げることは容易い。
エースは肉壁一号が刀を振り下ろすと共に、古代魔法トラヴェラーズ・ゲートで移動する。目標点はエリタカ。曖昧な位置指定ではあるが、幸運なことに倒れているエリタカから数歩の距離に到達することができた。
即座にエリタカを片手に拾い上げ、再度トラヴェラーズ・ゲート。
「ケンゴ! 馬車を出せ!」
抱えたエリタカと共に馬車へと飛び乗り、即座にエースは叫んだ。
「は……はぁっ!? は、葉奏さんを見捨てて行くんですかっ!?」
「細かいコトは後で説明するから黙ってきりきり走れこの役立たずっ!」
いつになく本気のエースに、ケンゴは言葉を失う。それは同時に、事態の緊急性を示していた。
ケンゴは即座に馬車から飛び出て、馬の代わりに馬車を引く。馬だからこそ引ける重量の荷車は、ケンゴが引っ張ると共に動き始めた。こういう点、ケンゴは意外と凄い奴なのだ。
「……あとは」
誰にも聞かれないように、小声で呟く。
「あんたが、どう踊るかだぜ。『血啜の血族』」
馬車が動き始めると共に、肉壁一号がその後を追う。それにつられるように『肉壁』シリーズ、そして志摩子も動いた。今こそが、葉奏の求めていた絶妙のタイミング。
葉奏に一切の注意を示さなくなった志摩子の手から逃れ、その背に掌底を叩き込む。
「かっ……!」
志摩子の呻き声。それと共に倒れる。同時に、肉壁一号を筆頭とした『肉壁』シリーズも全員が振り返る。
「貴女には、幸運なことが二つある」
倒れた志摩子に、葉奏が告げる。その声のトーンは、それまでとは全く違う異質なトーンだった。
「一つは、ここで私を足止めすることができたこと。まあ、『雷鳴の龍』を相手にするのだから対して変わりないけれど、少なくとも主君に対してこの『血啜の姫』を向かわせないことには成功した」
葉奏の両手に、それまで存在しなかった手袋。それは葉奏にとって最後のジョーカー、『混沌の魔手』。
「もう一つは、所詮ベロに造られし偽者の吸血鬼が、純血の『吸血姫』にそのお相手をして頂けるという事実。嬉しいでしょう。私こそが、貴女の敬愛する『血啜の龍』リュカが娘にして『ブラッディプリンセス』、ハカナなのだから」
ブラッディプリンセス。
志摩子は驚きを隠しきれなかった。
「そして、残念なことに不幸なことが一つだけある」
くくっ、と残忍な笑みを浮かべ、『ブラッディプリンセス』ハカナは告げた。
「ここで死ね」
to be continued