第3話
「・・・ったく、またお前、ラーズに変なもん食わせやがったな」
倒れたラーズの横で、眉根を寄せて男が呟いた。似合わない白衣を羽織った、ひげ面の男である。耳につけている聴診器、白衣から医者だと理解できるが、それ以外はただのチンピラにしか見えないような男だった。
『月河』全員が頼りにしている医者、ベリルである。
「・・・変なものなんて食べさせてないよ・・・」
「ちゃんと目を見てほざけ」
ベリルはおっくうそうにソファに腰掛け、煙草に火を点けた。尚更、医者らしくない。~「まぁ、大したこたぁねぇよ。単なるショック性の呼吸困難だ。その辺転がしときゃそのうち治る」
ベリルのその言葉に、バールゼフォンが分かりやすいほど安堵の表情を浮かべる。倒れさせた張本人ではあるものの、それなりに心配していたらしい。
「まぁ、あんまり変なもんは食わさないようにしな」
ぽんぽん、とバールゼフォンの肩を叩き、笑顔でディスが言った。
「うん・・・」
珍しく素直に、バールゼフォンが頷く。
「いつもこんくらい素直だったらいいのになぁ・・・」
聞こえないように、小さく呟いた。
「何か言った?」
バールゼフォンが、ギロリと睨む。
「イイエ、ナンニモ」
ばぁん、と激しい音が響く。厨房が壊れたときほどではないものの、相当に大きな音だった。
ソファで夢見心地だったディスは顔を上げ、音の聞こえてきた方へ目を向ける。方向的には、入口あたりか。ディスは後ろ頭を掻きながら、面倒くさそうに立ち上がった。
「ディスさんっ!!」
ばんっ、と扉を開き、ピノモカが慌てながら叫んだ。
「たたたた大変ですっ!!」
「何があった?」
さすがにただ事ではないと察してか、真剣な顔でディスが尋ねる。
「ち、血だらけでえくさんを肩つぶれてて葉奏さんがでも片手で背負ってて!」
「・・・落ち着け」
ピノモカの支離滅裂な言葉を、自分の中で整理する。葉奏さん――『愛染』のギルドマスター、葉奏のことだろう。その葉奏が、血だらけで肩が潰れているにも関わらず、えくさん――『月河』の神官であるエクリプスを片手で背負ってここまで来た・・・。
「何があったんだよ・・・」
浮かない顔をして、ディスは歩いた。今日一日、どうやら無事にすみそうにないらしい。
「こんにちは、ディスさん」入口にいた葉奏は、意外なことに元気そうだった。「ごめん・・・本当に・・・ごめん・・・」
「一体、何が――」
言いかけて、かぶりを振る。
「えく、下ろしてくれていいぞ」
「ええ、そうさせてもらうわ・・・」
葉奏は右手だけで抱えていたエクリプスを下ろし、その場に座り込む。
「さすがに、血を流しすぎたみたい・・・」
「ピノモカ、ベリルにえくの手当てさせろ。姫はお前が診てやれ」
「は、はいっ!」
ピノモカがばたばたと走る。そしてディスは、葉奏に向き直った。
「・・・で、何があったんだ?」
「・・・ごめん・・・」
葉奏が自分の右手で、目元を隠す。
「・・・しょーちゃんが・・・さらわれた・・・」
葉奏の目の端から、頬へと涙が伝う。それが、嘘みたいなその言葉に信憑性を増していた。
「・・・しょーが・・・?」
信じられなかった。しかし葉奏が嘘を言っているとは思えない。ただ、ディスは呆然とする以外になかった。
「残りは、私が話しましょう」
葉奏に次いで、扉から現れる男。
「初めまして、名高き『流星矢』ディスレイファンさん。『愛染』の情報収集を担当しております、尚徳と申します」
尚徳は口調こそ涼しげだったが、その傷は葉奏に勝るとも劣らない。ディスが確認できる限りでも、十以上の切り傷がある。
「酒場でのことです」
ディスの返事を待たず、構わずに尚徳は続けた。
「姫とショーさん、そしてエクリプスさんの三名で、酒を飲んでいたときのことです。突然、赤い全身鎧の者と小柄な少女の二人が現れ、そのままショーさんをさらっていきました。抵抗はしましたが、あまりにも相手が強すぎ・・・」
「たった二人にやられたのか・・・? 姫としょーの二人が揃えば、まともに勝てる奴なんて少ないと思うが・・・」
「・・・お言葉ですが」
尚徳が嘆息し、続ける。
「少ない時間ではありましたが、出来る限りの調査を行いました。その結果・・・一名は『科学の妖怪』ベロの作った機械人形・アルバート。過去、私と姫、及びミラクル国王の三名で何とか倒した相手です。それに改良まで加えられているとなれば、我々ではかなう筈がありません」
「・・・もう一人は?」
「調査結果、『切り裂きリックス』と呼ばれる女です。『科学の妖怪』ベロの改造を受け、人知を超える力を持つと言われておりますが詳細は不明です」
視界の端で、ピノモカが葉奏を連れて浴場へと歩いていった。ディスは大きく嘆息して、前髪を握りつぶす。
「『科学の妖怪』ベロか・・・」苛立ち――止まらない。前髪が数本抜け落ちた。「あの変態野郎・・・」
「私の情報網では、ベロの居場所はわかりませんでした・・・力不足、申し訳ありません・・・」
「いや、十分だ。今から医者を呼ぶから、ここで待ってろ」
「いえ・・・構いません」
ベリルを呼びに行こうとしたディスを、尚徳が片手で制す。
「やせ我慢は得意なんですよ・・・。今から再び調査を行いますので、これにて・・・」
「いや、それは・・・」
振り向いたディスの目の前から、既に尚徳は消えていた。
ぽりぽりと頭を掻き、ディスは真剣な目で黙考する。「リオ」はるか遠くにいるベロを、見据えて。
「・・・行くぞ」
付き従うように、すぐ後ろへとリオが現れる。そして小さく――そして確実に、頷いた。そして全てを分かっていたかのように、ディスの愛用する、背丈ほどもある弓を手渡す。
「・・・殺してやるよ、ベロ」
『月河』の優しきギルドマスター、ディスレイファンは、もうそこにはいなかった。
ただそこにいるのは、弓を携えし最強の覇位、『流星矢』ディスレイファン。