黒き福音
「待って…」
先頭を行く高溝八輔が珠瀬壬姫を制するように片手を広げ、
それから探知機のモニターを見るように彼女に促す。
「誰かいる…様子を見てくるからここで待っていてくれ」
「わかりましたぁ」
「へ」
引き止めてくれることを期待していた八輔は壬姫の素っ気無い態度に思わず仰け反ってしまう。
「あの…さ…その」
「様子見てきてくれるんですよね」
「いや…その…」
(普通ならここで貴方一人にそんなことはさせられないとか何とか言ってくれるんじゃないのか!
というか少しくらい心配してくれてもいいじゃないか!)
八輔のシナリオとしては引き止める壬姫を振り切って先へと進み、そして無事正解生還、
これでますます彼女は俺に夢中、という筈だった、だが…。
「どうしたんですか?行かないんですか」
「あ…はい、それじゃ…行きます」
(だめだ、天然には勝てないよ)
がっくりと肩を落として歩き出す八輔だった…それでも肝心な一言だけは忘れない。
「いいかい、戻るまでここを動かないでくれよ」
それが17時55分のことだった。
そして18時10分、案の定珠瀬壬姫は夕闇の中一人浜辺をとぼとぼと歩いていた。
級友の死を聞いていてもたってもいられなくなり、感情の赴くままに泣き叫び、そして走った、で。
「ううう…迷っちゃった…」
ああ…八輔が、彼が妙な色気を出さなければきっとこれからの惨劇は起こらずに、
済んでいたかもしれなかったのに。
「よかった…」
加藤乙女は放送を聞き終わり安堵の溜息をつく。
伊藤誠はまだ死んではいない、だが次の放送まで彼が生きている保障はどこにもないわけで、
とにかく急がねばならない、何としても早く彼を探し出すか、あるいは…
乙女は自分の足元に転がる小泉夏美の死体に目をやってから、
そして自分の傍らに控える黒騎士へと視線を移す。
「覚悟を決めたようですね、オトメ」
黄金の瞳を禍々しく輝かせ、ことさら慇懃な態度を取るアルトリア。
「うん、結局勝ち残るしか道はなさそうだしね…それにもう、戻れないしね」
その言葉に頷くアルトリア、これでいい…主が覚悟を定めねば騎士は動けない、とはいえ、
(背中を押したのは私自身なのですが…これでは騎士ではなく奸臣そのものですね)
喉を鳴らして含み笑うアルトリアをちらりと見る乙女、
その禍々しさには未だ馴染めないものを感じずにはいられない、だがもうそれについても考えない。
割り切ろう。彼女は自分にとっての「武器」に過ぎないのだと。
「これからどうしよう」
乙女は武器に意見を求める。
「やはり戦うしかありません、先手必勝ですよ…しかし私としては
あえて休息を取ることを進言したい…体力に自信があるとはいえどオトメはまだ戦になれてはいない
心の高揚が収まればその疲れはたちまち体を蝕む、だからここは今後のために
小休止です」
「え、でもそれじゃ」
「心配は無論理解できます、ですが聞くところによると殆どの者が戦を知らぬ者たちとのこと
ゆえに夜の動きはおそらく少なくなる筈、だからこそ今、休息を取るべきなのです」
アルトリアは乙女に地図を示す、このまま海岸沿いに出れば街につく。
「別に野営でもこちらは構いませんが」
「うーん、野宿は嫌ね…なら行きましょ」
「早くしなさい、日が暮れるわ」
小日向音羽は小日向すももの手を引いて街への帰りを急いでいた。
最初は新都で息を潜めて待っているつもりだったのだが、
「お母さん、やっぱり私たちだけ待ってることなんてできないよ」
ホテルの一室でその言葉を聞いたとき、音羽は正直迷った。
無論、娘を危険にさらすような真似はできない、だがこの状況においてなお人を案じる、
娘の優しさを無為にしたくないのもまた事実だった。
「だめですか、お母さん…」
すももの肩が小刻みに震えている、彼女とて怖いのだ…だがそれでも精一杯の優しさと勇気を持って、
立ち上がろうとしている、音羽は笑顔で俯き加減の娘の肩を抱えるとすももの震えは止まる。
「いい、すももちゃん…あなたが助けたいのは雄真くんや春姫ちゃんたちだけ?それとも…」
「違うよお母さん、私が助けたいのは…」
「もういいわ、今ので分かったから」
音羽の言葉に抗議しようとしたすももを笑顔で制する音羽、
もし娘が自分の知り合いだけを優先するようなことを言えば決して許さないつもりだった。
だが…結果は違った、それもうれしい方向に。
(喜んでください、私たちの娘はこんなに優しく、強く育ちましたよ)
音羽は遠い空の下にいるであろう自分の夫に心の中で語りかけ、
娘に悟られることなくそっと涙を流すのだった。
そして今2人は夕闇の仲を走っていた。
やはり放送を聴いてからのすももの落胆ぶりはかなりのものだ、まして死んだのは彼女の親友だ。
だがそれでも音羽はあえてすももを叱咤する。
「立ち止まる暇はないわ、泣くなら後で泣きなさい!」
強く強く娘の手を引き走る母、海岸が見える…このまま浜辺沿いに歩けば街に入れる。
「もう少しよさぁ、がんばって」
「まだ安心するのは早い」
「え!」
音羽が振り向く間もなく横なぎの何かが体を打ち、音羽はすももごと浜辺へとふっ飛ばされる。
口の中の砂を吐き出し視線を上げた先にいる者を見て音羽の全身が総毛立つ。
色褪せた髪、狂気に彩られた瞳、そして闇のごとき黒き鎧を纏った少女、
自分の娘と同じかもしかすると年下かもしれないにも関わらず、まるで死神に近い印象に思える。
「殺すのね…」
「ええ」
アルトリアの言葉を聞いた瞬間、音羽は即座に彼女の足元に跪いていた。
「私は死んでも構いません!でも娘は…すももだけはどうか何卒!」
「お母さん駄目!そんなこと言ったら!」
「いいのよすももちゃん!お願いします何でもいたします!だからどうか」
「何でもする…ですか、なるほどなるほど」
音羽の言葉を反芻し、楽し気に笑うアルトリア、
「何時の時に置いても肉親の情は変わらない、というわけですね…いいでしょう、ならば」
彼女の目にとぼとぼと浜辺を歩く少女が入る、ピンクの髪は夕闇の中でもよく目立った。
「見えますかあの娘が…」
頷く音羽。
「殺してきてください、さすれば娘共々解放しましょう」
「はにゃ?」
海風に気を取られている間だった、壬姫の目の前にいつの間か誰かが…小日向音羽が立っていた。
沈みかけの太陽に照らされたその姿はまるで幽鬼のように憔悴していた。
「ごめんね…ごめんね…ごめんね…」
音羽はまるで呪文のように謝罪の言葉を口ずさみながら壬姫へと襲い掛かった、その手には日本刀、
俗に古青江と分類される逸品が握られていた。
だがまかりなりにも武術の心得がある壬姫はそれを辛くも避ける。
「あああああっ、お願い逃げないでぇ!」
哀願の叫びを上げて刀を振り回す音羽、今の自分の行為が正しかろうが間違っていようがもはや関係ない。
子を守るのが親の定めだ、たとえ殺人という禁忌に手を染めたとしても。
「そんなこといってもあたったら殺されちゃいますぅ~」
口調こそのんびりとしているが壬姫の動きはかなり素早く、それが音羽の焦りを余計に誘う。
涙で曇った視界の中、必死で出鱈目に刀を振るうその姿はコントのようにも思えた。
それをまるで興味なさ気に見るアルトリア、
むしろ興味は音羽よりも自分の主である乙女の方に向いている。
「許さない…絶対に許しません!この悪魔!」
唐突にすももが叫ぶ、ちなみにその首筋にはアルトリアの魔剣が突きつけられている。
「ブリテンの守護者にして絶対かつ永遠の王たるこの私を悪魔呼ばわりとは…許しがたき所業ですね」
アルトリアのつま先がゆっくりとすももの腹に食い込んで行く。
「私に言わせれば弱さこそが悪ですよ…そして弱者を蹂躙することは強者の特権にして愉悦なのです
ね、オトメ」
主に同意を求める騎士、が主はガクガクと体を震わせただ事の成り行きを見守るだけだった。
(こんなの…こんなのって…)
この黒き鎧の少女はまさに悪魔以外の何者でもない、そして一時とは言えどそれに賛同した自分も…。
「うぷ」
不意にこみ上げる吐き気に口を押さえる乙女、少しだけ眉を潜めるアルトリア、その時だった。
わずかに剣の切っ先が緩んだのを見、そのまま駆け出すすもも、
無論それに対処できないアルトリアではない、薄ら笑いすら浮かべてすももの背中に手を伸ばしたとき、
顔に何かがかかった、それがすももの投げた砂と知った瞬間、
アルトリアの表情はまさに悪鬼のごとき形相へと変貌する。
「舐めるなぁ!小娘があぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「だめぇ!!」
叫びと共に乙女の左手の令呪が光を放ち、アルトリアの動きが止まる。
その間にすももは荷物をひったくると母親たちを止めるべく浜辺を駆けていった。
ちなみにまるでコントのような戦いも終焉に近づいていた。
逃げ回っていた壬姫だったが、ついにぬかるんだ浜辺に足を取られ転んでしまったのだ。
「これで…これで…」
はぁはぁと呼吸を荒くしながら汗だくで刀を振り上げる音羽、もう足元に注意を向ける余裕はない。
だから気がつかなかった、自分が壬姫のリュックを踏んでいたことも、そしてそのリュックの中から、
影のような何かが溢れ出していたことも…。
(あれは…そういえば)
ぼんやりとその光景を眺める壬姫。
「これヤバそうっス!知り合いの魔法使いに見てもらったほうがいいっスよ」
と八輔に言われて封を解かなかった支給品、黒い泥のようなものが入った杯…。
(そっかぁ…あれか…って!)
いち早く正気に戻った壬姫が音羽を捨て置いて一目散に逃げ出す。
追いかけようとした音羽だが、何かに背中を突き飛ばされて海中へと投げ出される。
水面に顔を出した彼女が見たものは、自分の代わりに影に飲み込まれる娘の姿と、
「クククク、アーッハッハッハッ、コトミネも味な真似を…さぁ祝いなさい、貴方の娘は私と同じく」
狂ったように笑う騎士の姿、そしてその声が止まぬ間に影の中からすももが…、
いや、かつて小日向すももであった少女が姿を現した。
その栗色の髪は色褪せた褐色に、緑の瞳は濁った鳶色に…そして肌は死者のごとく白く、
首筋から頬にかけ、まるでかの黒騎士のように赤い痣が走り…
「闇に己の心を捧げ、新たに生まれ変わったのです」
「うそ…うそよ…すももちゃん…」
身も心も変わり果てた己の娘に呼びかける音羽、ふりむいたすももの表情を見て息を呑む音羽。
嗚呼…何もかも変わり果てたはずなのに、笑顔だけは以前とまるで変わらず、
いや以前よりもはるかに愛らしく輝いているではないか。
だが、その笑顔こそまさに堕落の証なのだ。
笑顔を浮かべたまま銃を構えるすもも、万が一に備え強力な武器を娘に渡したことが災いした。
「あのねお母さん…私、兄さんが好きなの知ってるよね…でもみんな死んじゃうんだよね、
私わかったんです、もう兄さん以外私いらないから、だからお母さん…死んでください」
「やめて!やめて!すももちゃん…お願いだから…」
だが無常にも母の体を娘の放った銃弾が貫く、
「おねが…せめて…こんなのって…あんまり…」
「うるさいですお母さん、何でもしてくれるって言ったじゃないですか、だったら
私と兄さんのために早く死んでくださいよ」
何度も何度も音羽の体に、実の母の体に弾丸を撃ち込むすもも、それは音羽が動かなくなるまで続いた。
親殺しはいかなる時代、いかなる世界においても最低かつ最悪の禁忌である、
それをこうしてこの少女はためらうことなく笑顔で行ったのだった。
「ね、わたし兄さんのためにお母さん殺したんだからきっと兄さん喜んでくれますよね」
アルトリアへと色褪せた瞳を向けて笑うすもも、共に闇に魂を捧げた者同士、通じるものがあるのかもしれない。
「勿論ですよ、それが人の道ではありませんか、失った分だけ報いられるのは当然です」
聞くに絶えないような陰惨な会話はまだ続く。
「で、その衛宮士郎って人と伊藤誠って人は殺したらいけないんですね」
「ええ、そのかわりこちらも小日向雄真という男には手をだしませんよ」
勿論これは仮初の約束に過ぎない、ただ堕落した頭では互いがそう考えていることまでは理解できない。
ともかくすももはアルトリアらに頭を下げるとそのまま新都へと向かう、
その足取りはあくまでも軽かった。
(オトワとやら、貴女の気持ちはよく理解できますよ…ですがこれもあなたが弱いからいけない)
神妙な表情で音羽の死体を眺めるアルトリア、彼女自身も実の息子に裏切られ無残な最期を遂げているからだろうか?
だが感傷はそれほど長くは続かない、次の瞬間にはもう乙女へと向きなおっていた。
「さて、オトメ…せっかくですがやはり野宿をしていただく他はありませんね、これから夜にかけて
あの街は血の地獄と化すでしょうから…」
「お願い…お願いだから」
「何でしょう?」
大仰に耳を傾けるアルトリア。
「もう人を殺すの…やめようよ…」
「これは異な事を、ですがマスターの仰られることならば致し方ありませんね、さぁ令呪を」
左手を差し出そうとした乙女だったが…そこにはもう令呪はなかった。
「どうしたのですか?早く令呪をもって命じて下さい、さぁ!」
にやにやと乙女の顔を眺めてことさらに煽るアルトリア…ここにきてようやく乙女は悟った、
自分は嵌められたのだ、この狡猾な悪魔に。
「お願い!殺さないで!」
泣きながらアルトリアにすがりつく乙女、その脳裏には生きたまま干乾び塵と化した沙耶、頭を砕かれた夏美、
そして実の娘に鉛弾を撃ち込まれた音羽の姿が浮かぶ…そう、加藤乙女は死にたくなかったのだ。
生きるために悪魔の奴隷となる道を選ばざるを得なくとも。
「何を言ってるのですかオトメ、私が貴方を殺すなどと…例え令呪がなくとも今の主は貴方だ」
「ホントに…ホントだよね」
だらだらと汗を流しながらアルトリアに何度も確認を取る乙女、もう彼女には信じることしか許されない。
「勿論ですよ…騎士に二言はありませんから」
そして、もう何も刻まれていない乙女の左手を見て目を細めるアルトリア。
(ああ、もうすぐもうすぐです私のシロウ…貴方のアルトリアがそちらへたどり着くまでどうかどうかご無事で)
【時間:1日目・午後5時55分】
【場所:新都付近?】
高溝八輔
【装備:探知機】
【所持品:支給品一式】
【状態:健康】
【思考・行動】
1壬姫に一目惚れ。必ず俺がお護りいたします!…って待っててって言ったのに
2新都に行ってすももや知り合いを探す
【時間:1日目・午後6時30分】
【場所:新都付近の浜辺】
珠瀬壬姫
【装備:なし】
【所持品:なし(ランダムアイテムはアンリマユの残滓)】
【状態:健康】
【思考・行動】
1とにかく逃げる
2武たちと合流したい
加藤乙女
【装備:黒セイバー(アルトリア)】
【所持品:支給品一式】
【状態:磨耗(アルトリアに完全依存)。令呪なし】
【思考】
1:死にたくない
黒セイバー(アルトリア)
【装備:エクスカリバー】
【所持品:カップラーメン1ダース】
【状態:通常】
【思考】
1:表面上乙女に従う
2:間桐桜に復讐 、シロウに会いたい
小日向すもも
【装備:古青江(日本刀)、H&K MP7】
【所持品:支給品一式、】
【状態:黒化】
【思考】
1:新都へ行く、雄真以外全員を殺す
【小日向音羽:死亡 残り51人】
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最終更新:2010年06月27日 14:37