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くちづけをかわそう

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nightmareofmio

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契約を交わそう




悲鳴を上げて逃げる獲物は、青には酷く緩慢な動作に見えている。
あの時獲り逃した"ジュプトル"に比べれば、こんなの、歩いたって捕まえられる。
「遅いよ」
神速を使うまでも無い。というか、技を出すまでも無い、相手はほんのちっぽけな人間だ。
「逃げるならもっと真剣にやってよね」
獲物は脚をもたつかせて、倒れそうになりながらも走って行く。
獲物の前に、人間が見えた。獲物はその人間を突き飛ばしてなお逃げた。
「ど、退けっ!」
仲間同士でやりあうなんて、これだから人間は…。
青があきれ返ってその獲物を捕まえようとしたときだ。制裁は彼ではなく、別のものの手で与えられた。

真っ赤な血をびたびたと飛ばして、獲物は地面に叩きつけられた。
突き飛ばされたほうの人間が、ゆらりと影のように、その横に立っている。
「…これだから人間は」
ぼくの獲物だったのに。研いだ爪が所在無く垂れ下がる。
人間は面倒くさそうに血糊を払って、青を見た。
血に汚れた琥珀の瞳は、奇妙そうに、それから驚いたように、最後には、絶望した。
「……まほろじゃ、ない」
懐かしい声だったのだけれど、青はその声を思い出せなかった。ただ、引っかかったのはその言葉のほう。
「『まほろ』?」

忘れてはいけない名前だったような気がした。
心の片隅に刻み付けられていたのに、いつの間にか風化してしまった、そんなような…。

人間は恐る恐る、汚れた赤い指で、青の頬に触れてくる。
暖かい指だ。以前にもこうして、撫でられたことがあったのだろうか、感触が懐かしい。
「違う」
「ぼくは青、『まほろ』じゃないよ」
人間もそれはきっとわかっていただろうけれど、あえてトドメを刺しておく。
突き放さなければ、溺れてしまいそうだ。
「まほろ」
「違うんだってば」
一生懸命引き剥がした。獲物は横取りされてしまったし、目の前のも、空気は違うけど、人間には違いない。
ならば、青は任務を全うする義務がある。赤い爪を振り上げた。
「…死んでもらうからね」
琥珀の目はぼんやりと爪を見上げていた。
逃げすらしないが、甘受しようとしているわけでもない。ただ、底の見えない琥珀の硝子に、爪を映しているにすぎない。
その、自らの死を他人事のように(という喩えすら成立するか怪しい)、眺める様子があまりにも奇妙で、爪をなかなか振り下ろせなかった。
青が躊躇っている間に、人間は青の爪を掴んで、沢山の人間の血と脂に濡れた指に唇を落とした。
慌てて腕を引き戻す時に頬を引っ掻いてしまったが、人間はすこし見ただけで、血が筋をつくる頬から、興味なさそうに視線をそらす。
「なに、するの」
「…綺麗な指だ、幻も同じくらい、綺麗な、白い指をしていた…でも、目が違う」
「はぁ」
「幻の目は空みたいに青くて、とても青かったから」
うっとりと目を閉じた。夢でも見るような仕草だった。
「空は赤でしょ? 何言ってるの?」

何かの事情で、この人間は、『幻』と離れ離れになったのだろう。
それできっと、幻を探して歩いているのだろうが、青には人間の都合は関係ない。
ライオンは狩りをするとき、ガゼルが子育て中だろうが、生き別れの兄弟を探していようが、ガゼルを食べるものなのだ。
…なのだけれど。
「……だれか探してるの」
何の気まぐれか、そう尋ねてしまった。
人間の琥珀の目が、悪戯っぽく微笑む。唇は三日月型に釣り上がり、白い歯がかすかに覗く。
「…同情してくれるの?」
「んー…同情っていうか」
「どんなに酷くしたって構わない、慰めてよ」
そっと近寄って、頬についた傷を舐める。珍しいくらいに甘い血だった。
挑戦的に笑っている琥珀の眼と、自分の真紅の瞳を真正面に合わせて。
「…いいよ、そのかわりだけど、ぼくを手伝ってよ」
なんせ呆れるくらい沢山殺さなくてはならないのだから。
一人くらい、手駒を持ったっていい、んじゃないかな。機能性ってもんがあるし、ね。






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