王子様を騙る話
そっと指で傷口をなぞってみても、冬は微かに息を呑んだだけ。
いたたまれなくなって、幻はまだ血の滲む傷口に口付けた。
鋭利な刃物ですぱんと切り裂かれた傷は、塞がりながらも血を吐きだす。
いたたまれなくなって、幻はまだ血の滲む傷口に口付けた。
鋭利な刃物ですぱんと切り裂かれた傷は、塞がりながらも血を吐きだす。
「…ごめんね、守ってあげられなくって。」
衣類まで赤く染まるほどの大怪我だというのに、冬は痛がるようなそぶりも見せない。
当然といえば当然だった。そこに血は通っていても神経が繋がっていないのだから。
人形。それが今の冬に与えられた名前。
衣類まで赤く染まるほどの大怪我だというのに、冬は痛がるようなそぶりも見せない。
当然といえば当然だった。そこに血は通っていても神経が繋がっていないのだから。
人形。それが今の冬に与えられた名前。
「そう…あの家にも行ったんだ?」
"冬"の意思はもう、その中にはない。べっとりと張り付いた影が冬の意志になる。
けれども影を操る幻には、冬の意思も影の意思も同じだった。
"冬"の意思はもう、その中にはない。べっとりと張り付いた影が冬の意志になる。
けれども影を操る幻には、冬の意思も影の意思も同じだった。
影の記憶を辿りながら、幻はあくまで冬に語りかける。
「痛かったよね…。どうして僕はもっと早く…気付いてあげられなかったんだろう」
冬の手を取って、そのまま抱き寄せる。冬は抵抗も、受け入れもしない。
光の灯らない暗い目で、どこかを見ているまま。
「もう大丈夫。もう、あなたの傍から、離れない。」
「痛かったよね…。どうして僕はもっと早く…気付いてあげられなかったんだろう」
冬の手を取って、そのまま抱き寄せる。冬は抵抗も、受け入れもしない。
光の灯らない暗い目で、どこかを見ているまま。
「もう大丈夫。もう、あなたの傍から、離れない。」
そうして、唇を重ねようとした、まさしくその瞬間。
「幻さん、離れていただけませんか?」
「幻さん、離れていただけませんか?」
苛立った翠の声を無視して、幻は冬の唇を啄んだ。
翠はわざとらしく靴底を鳴らして幻に歩み寄り、右腕に力を込める。仄かな燐光は"ドラゴンクロー"を構えた証。
翠はわざとらしく靴底を鳴らして幻に歩み寄り、右腕に力を込める。仄かな燐光は"ドラゴンクロー"を構えた証。
「今すぐ離れなさい、それは御神の人形です。あなたの"冬"ではありません。」
こちらもわざとらしくリップノイズで翠を挑発。幻はにやりと笑って見せた。
「人形師として御神様のお人形を調整致したまでです。何か問題が?」
「…私はね、あなたのような人間が一番嫌いなんですよ。都合のいいほうへいいほうへひらひら飛んで。実に醜い。」
翠の凍てつく視線を真っ向に受け止めながら、幻は笑顔を崩さなかった。
しかし、冴え返るような青の双眸は、笑っていない。
こちらもわざとらしくリップノイズで翠を挑発。幻はにやりと笑って見せた。
「人形師として御神様のお人形を調整致したまでです。何か問題が?」
「…私はね、あなたのような人間が一番嫌いなんですよ。都合のいいほうへいいほうへひらひら飛んで。実に醜い。」
翠の凍てつく視線を真っ向に受け止めながら、幻は笑顔を崩さなかった。
しかし、冴え返るような青の双眸は、笑っていない。
「私が、醜い?」
言葉の代わりに視線で返事を寄越した翠に、幻は大笑した。
「同族嫌悪も甚だしいな! 本気で言っているのか?」
「何、ですって?」
「同族嫌悪だと言ったんだ。翠、君は愛する御神のために君を信じた細い腕を切り捨てた。私は、愛する冬のために私を信じた仲間を切り捨てた。何が違う? 愛という大義名分を瓦礫の上に打ち立てた。自分と、愛する者さえ満足すればそれでいい、自分の都合のいいように振舞ったのは君も私も大差ないだろう? それとも何か? 神への愛だけは無垢で穢れなく、自分だけは清らな場所に立っているつもりなのか? 私に言わせて貰えば、君の盲信のほうがよほど醜いね。」
翠は喉の奥で笑うと、溜息を吐いた。
「所詮は裏切り者、ですかね。神への愛は絶対だ。あなたの信じているものは、私のような民草の剣でさえ砕けるような儚い幻想。信仰と性愛とでは、比べ物にもなりませんね。」
「裏切り者、か。それが、私が君を醜いという理由なのだがね。」
「まだ何か言いたいことがあるのですか? 早く人形を置いて立ち去りなさい。あなたの顔はできるだけ見たくありません。」
言葉の代わりに視線で返事を寄越した翠に、幻は大笑した。
「同族嫌悪も甚だしいな! 本気で言っているのか?」
「何、ですって?」
「同族嫌悪だと言ったんだ。翠、君は愛する御神のために君を信じた細い腕を切り捨てた。私は、愛する冬のために私を信じた仲間を切り捨てた。何が違う? 愛という大義名分を瓦礫の上に打ち立てた。自分と、愛する者さえ満足すればそれでいい、自分の都合のいいように振舞ったのは君も私も大差ないだろう? それとも何か? 神への愛だけは無垢で穢れなく、自分だけは清らな場所に立っているつもりなのか? 私に言わせて貰えば、君の盲信のほうがよほど醜いね。」
翠は喉の奥で笑うと、溜息を吐いた。
「所詮は裏切り者、ですかね。神への愛は絶対だ。あなたの信じているものは、私のような民草の剣でさえ砕けるような儚い幻想。信仰と性愛とでは、比べ物にもなりませんね。」
「裏切り者、か。それが、私が君を醜いという理由なのだがね。」
「まだ何か言いたいことがあるのですか? 早く人形を置いて立ち去りなさい。あなたの顔はできるだけ見たくありません。」
背を向けた翠の脚を、幻が止める。
「翠。目を逸らすんじゃない。私は君の、君自身が最も見たくない姿を知っているんだ。」
「戯言を「"栞"。」
「翠。目を逸らすんじゃない。私は君の、君自身が最も見たくない姿を知っているんだ。」
「戯言を「"栞"。」
翠が、ゆっくり振り返った。
金の瞳が揺れる。蛇のように光る、幻の青に喰われそうなほどのおぼろげな炎。
金の瞳が揺れる。蛇のように光る、幻の青に喰われそうなほどのおぼろげな炎。
「それから、"紅"」
「…何が言いたいんです?」
「…何が言いたいんです?」
「裏切らなかった、と本気で言うのかい?」
駆け出して、闇の帳の向こうへ消えていった翠を見送る。幻は声を立てて笑った。
「カミサマに言いつけるわよこの謀反者。」
どこからともなく現れた桃は、からかうような口調で幻を呼んだ。
「失礼だな君まで。私はただ翠に教えてやっただけじゃないか。」
「そうかもしれないわね。」
「カミサマに言いつけるわよこの謀反者。」
どこからともなく現れた桃は、からかうような口調で幻を呼んだ。
「失礼だな君まで。私はただ翠に教えてやっただけじゃないか。」
「そうかもしれないわね。」
「…本当にそうかしら? 別にどっちでもいいのよ、私はね。」
「実は私にもわからないんだ。私は、果たして何を望むのか…。」
幻は笑顔を崩さずに答えて、冬をそっと抱きしめた。
「実は私にもわからないんだ。私は、果たして何を望むのか…。」
幻は笑顔を崩さずに答えて、冬をそっと抱きしめた。
冬の指先が微かに震える。
そして幻の黒い衣装に、確かに、しがみ付くように爪を立てた。
そして幻の黒い衣装に、確かに、しがみ付くように爪を立てた。