神判の日
そこにいた誰もが息をのみ、彼らを見守った。渇いた地面に、鉄の裸足の足音がぺたぺたと響く。ゆっくり冥の前にたどり着いて、鉄は弱々しく、冥を抱き寄せた。白く細く、崩れそうに透明な指先で。薄桃の爪には皹が入り、汚れていた。彼がそれまで支えてきたものはその細腕ではとても支えきれずに、今こうして冷たく骸を晒している。
「ごめんな、冥。俺、結局、なにもしてやれなかった。」
そんなことはない、と上げようとした声は、出なかった。
声を出せば泣き出してしまいそうで、唇をひらけない。冥はただ黙って、見えない目で遠くを見る。
声を出せば泣き出してしまいそうで、唇をひらけない。冥はただ黙って、見えない目で遠くを見る。
「俺は最初から間違えてたのかもしれない。冥を俺に付き合わせたのが間違いだったのかもしれない。
冥にこんな思いをさせるくらいなら、出会わなきゃよかったのかもしれない…でも。」
冥にこんな思いをさせるくらいなら、出会わなきゃよかったのかもしれない…でも。」
ふうわりと、やわらかく、鉄は笑う。微かに、世界に光が射したように感じるほど、まぶしくて愛らしい笑顔で。冥の髪をさらさらと撫でる指先の熱が、温かい。
「でも、俺、冥と会えてよかった。みんなとあの家で過ごせて幸せだった。これで終わるなら、悪くないや…。」
「終わる…?」
「終わる…?」
精一杯、それだけを問い返す。鉄まで、そんなことを。考えたくはない言葉の先を、なぜ、尋ねたのだろう。
無慈悲な言葉など聴きたくは無い。それが彼の唇からの言葉だとしても。耳を塞ぐための腕は、冥にはないのだから。
無慈悲な言葉など聴きたくは無い。それが彼の唇からの言葉だとしても。耳を塞ぐための腕は、冥にはないのだから。
「俺、冥にさよならを言いにここまで来たんだ。言わなきゃきっと、俺は後悔したまま…。
でも、ちゃんと会えた。」
「やめて…、」
でも、ちゃんと会えた。」
「やめて…、」
「冥をひとりになんかしない。俺がいっしょに逝ってやる。」
銃声が、冷たく響く。
ずる、と落ちかかる鉄を支えきれずに、冥もそのまま倒れた。硝煙燻る拳銃を構えたソラは、ほとんど真っ黒い影に覆われていた。しかし、はっきりと笑顔を浮かべて、どろどろと融け落ちる。
ソラの皮膚の下から顕れたのは、幻だった。
静葉が呼びかける暇もない。幻とともに顕れた両刃の大鎌が振り下ろされる。鋭い切っ先が鉄の背ごと、冥を貫いた。
とびかかるヤミラミたちは、幻の足元から伸びる影に縛られ動きを止める。
絶句した一同の中、暁がなんとか声を上げた。
とびかかるヤミラミたちは、幻の足元から伸びる影に縛られ動きを止める。
絶句した一同の中、暁がなんとか声を上げた。
「何故です、あなたはそちら側の人間の筈だ…。何故仲間を…、」
「…あいつは…平気で殺す。仲間なんて、思てへん。」
陸の呟きに、静葉も声を漏らす。
「幻さん…冥も裏切るの…?」
幻は、大笑した。いっそ狂気じみた笑い声は澄んだ声でも耳障りで、静葉の眉間に皺をつくる。
すぐに笑うのをやめた彼の青い瞳が、ぐるりと世界を見渡す。深く深く透明で美しい瞳は、あるいは氷のように、あるいは炎のように極端な温度でもって静葉を貫く。やがて彼は淡々と言葉を紡ぎだした。
すぐに笑うのをやめた彼の青い瞳が、ぐるりと世界を見渡す。深く深く透明で美しい瞳は、あるいは氷のように、あるいは炎のように極端な温度でもって静葉を貫く。やがて彼は淡々と言葉を紡ぎだした。
「裏切る、だと。そもそも私が誰かの味方に着いたか。使徒気取りの救えぬ馬鹿どもや、陶酔した何一つ成せぬ革命軍や、そんなものに、私が。馬鹿にするのも大概にしてもらいたいな。君達には裏切られる価値があったのか、甚だ疑問だ。冠された名前が何だろうが、君達は私にとって何にもならなかったさ…翠や冥は単純に君達を脅威と見なしていたがね…、魔女≪ジャンヌ・ダルク≫に率いられた神軍か、それとも戦鍋旗≪カザン≫を掲げた禁兵軍団≪イェニ=チェリ≫か、それとも熱狂的再征服≪レコンキスタ≫を求める十字軍≪クルセイダー≫か。そんなことはどうだっていいだろう。君達は私の何に成れると言うつもりだ。」
次第に、言葉に熱が篭り始める。そこで言葉を切った幻は、牙を零して咆えた。
「調子に乗るなよ何が革命軍だ何が親衛隊だ!! どうしても理解できない様なら教えて遣る!! 私を随わせる言葉は聡明で美しく、ただ一人から発せられるものだ! 私は他の誰にも随わない! 他の誰の従僕でも、他の誰の兵器でもない! だが私は従僕であり兵器でしかいられない、結構! 私は冬のただ一人の私兵だ!!!」
アノニマスが小さく笑ったが、あとは誰もすっかり黙ってしまった。
幻はふぅ、と一息ついて、目を細めて、どこか遠くへ思いを馳せる。
幻はふぅ、と一息ついて、目を細めて、どこか遠くへ思いを馳せる。
「…冬。あのひとが愛した街が崩されていく。私は身を切られる思いだった…。私は"幻"の意思だ。私は幻ではいられない。あのひとを愛して、慰めることは私には赦されない…。私に出来ることは、彼を守り、彼の傍で、彼に尽くし、彼のために戦うことだけだ。私はこの街を守らなくてはならない。そのために誰が死のうが誰が消えようがそんなことは実に、私にとってはどうでもいいんだ。私が何と呼ばれようと、そんなことに興味はないんだ。きっと君たちには何一つわからなかっただろう。私の計画には、正直言って君たちは邪魔だ。邪魔だから切り捨てた。それだけのことだ。」
「…それは、私たちのこと…?」
震える唇で問いかける静葉に、幻は笑いかけた。
「そうだ。言ったな、次は殺すって。そうさせてもらおうじゃないか。」
ヤミラミを縛り上げていた影が幻に集まりだす。解放されたヤミラミ達は力なく地面に落とされた。幻はゆらめき、咆える影の向こうから、静葉を呼ぶ。挑発するように、唇を三日月に釣り上げて。
「君たちが私の前に立ちはだかると言うなら、私は君たちを叩き潰す。私の唯一の望みを賭けて。あのひとと、彼の愛したこの街を、私は死んでも守り抜く。それでも尚君たちが私を止めると言うなら、容赦はしない。
さぁ――誰から相手をしようか?」
さぁ――誰から相手をしようか?」