Two Minutes to Midnight
戦場を離れた幻は、崩れ落ちた教会の場所まで走り抜けていた。今や見る影もなく破壊しつくされた教会には、墓標のように、屋根に掲げられていた十字架が突き刺さっている。かつてそこでは翠が微笑を浮かべていた。そして、鏡はここで死のうとしていた。
その意味するところは何だろうか。幻は十字架の前に立つ。煤の積もった豪奢な細工を指で辿って、ため息を吐いた。幻は一度目を閉じて、きっと虚空を睨み付けた。
その意味するところは何だろうか。幻は十字架の前に立つ。煤の積もった豪奢な細工を指で辿って、ため息を吐いた。幻は一度目を閉じて、きっと虚空を睨み付けた。
「……居るんだろう。早く出てこい」
「ふふ、そう急かすものじゃないよ、王子。――私は逃げも隠れもしないさ」
「ふふ、そう急かすものじゃないよ、王子。――私は逃げも隠れもしないさ」
ごうと唸って厭な風が吹き付ける。どこからともなく、声の主は姿を見せた。黒衣をずるずると引きずって、皺の寄った唇でにんまりと笑う。
「一番乗りおめでとう。本当の一番乗りは、君の本体だったけどね。そう殺気立つもんじゃない。ゆっくり話でもしようじゃないか、"幻"」
「そんな時間は「時間ならたっぷりあるさ、そうだろう?」
「そんな時間は「時間ならたっぷりあるさ、そうだろう?」
嗄れた声でくっくっと笑って、夢の神は両腕を広げる。
「君の女王が、君を生かすために必死で戦っているよ。それにしてもどうにも君たちは、哀れだね。この街に生まれた者でありながら、この街の存在の価値を欠片も理解していないのだから。だから私の話を聞いていくがいいだろう。君は幸い、賢明だ」
「……どういう意味だ」
「……どういう意味だ」
「なに、君や、あの戦乙女がそう気張らなくても、翠たちが尽力しても、この夢はじきに醒めるのさ。醒めない夢など存在しない、それは神である私自身が最も知っている」
幻は息を呑んだ。風が厭な音を立てている。毒気を含んだ、神の青い瞳が幻を見る。それは幻の澄んだ空と正反対の様相をしていた。水面に浮かんで、死んだ魚が映している濁った空は、おそらくそんな色だ。
「私が食事を終えれば総てが終わる。だからこそこの夢は、饗宴<カニバル>なのだ」
神は淡々と語りだす。長く伸びた爪で唇を撫でて、薄ら笑いを浮かべたまま。
「かつて戦争や争いが世界に満ちていたころは、私も満腹の食事をできたものだがね。やがてそれも終わってしまった。悪夢――多くは負の感情を糧とする私は疫病のようにこの領土中を彷徨ったものだが……悪夢を撒き散らす私は、人にも、人ならざるものにも、大変に恐れられたものだった。そして、やがて禍ツ神には生贄が贈られるようになったのさ。それが君たちが守ろうとしている街、ミオの起源になる。かの病に身を尽す者の街、だ。」
そこで一旦言葉を切って、神は遠くを懐かしむように見た。
「彼らによって祭事が行われていたころはよかった。定期的に私の腹は満たされる。誰しも餓えれば機嫌が悪くなって当然だろう、そして手段を選ばなくなる。なんのことはなかったさ、そのころには私の見せる悪夢はもっと落ち着いたものだったのだから。さらに言うならば、私は腹を満たしてくれた礼として、悪夢を見せた家に繁栄を齎したものだ。けれどもいつごろだったか、ミオの祭事は悪夢を畏れる"ダークライの祭"から悪夢を祓う"クレセリアの祭"へと変化していった……。我が領土を訪れる者は無くなり、社も少しずつ朽ちていき……私は、ひどく餓えた。」
神はそっと幻に近づくと、皺だらけの手で幻の頬を包み込む。淡い水色の目は、優しい色をしていた。
「やがて夢は果て――誰も彼も、もとの世界でゆるやかに目を覚ますだろう。ただしそれは、これが単なる"悪夢"であったと知る者だけだ。それを知らぬままの者は、夢に苛まれるだろう。この世界を現実だと信じている者にとって、この世界は真実に他ならない。」
「そんなことは……させるものか、」
「ならば我が晩餐を止めてみたまえよ、"悪夢祓い"の名を持つ者。気づいているのだろう? この"教会"こそ私であることに。もはや綻びはじめた夢を繕うほどの力も、わたしには残っていない。好機だろう?」
「そんなことは……させるものか、」
「ならば我が晩餐を止めてみたまえよ、"悪夢祓い"の名を持つ者。気づいているのだろう? この"教会"こそ私であることに。もはや綻びはじめた夢を繕うほどの力も、わたしには残っていない。好機だろう?」
幻は、首に提げていた銀十字を外す。それはずっしりと重く、幻に圧し掛かる。
「……それでも私は、ミオを守ると約束したんだ。"夢"、貴方は、街の護神でもあったのだろう、少なくとも私の知る限りでは、そうだ。その夢が朽ちることは……現実の街もまた、病んでいることになるのではないか? 貴方を喪うことは……、つまり」
「私はね、こればかりは本当に本当のことだが、愛しているんだ。君たちも、街もね。これが私なりに採った最良の方法だ。言ったろう? 君は賢明だ。私を殺さず、街を崩落もさせぬ――どうするつもりだ?」
「私はね、こればかりは本当に本当のことだが、愛しているんだ。君たちも、街もね。これが私なりに採った最良の方法だ。言ったろう? 君は賢明だ。私を殺さず、街を崩落もさせぬ――どうするつもりだ?」
泣き笑いの幻に、神が優しく触れる。
それを振り払うように、幻は十字架を投げ捨てた。
「私は冬の言葉数の少なさをこれほど喜んだこともなかったよ……おそらく私から存在の価値を奪おうとしたのだろうが、そうは行かない。冬は私に、この夢を明けさせ、街を守れとは言ったが、神を殺せとは言わなかった。私は必ず見つけ出す。それだけが私の存在価値だ。」
神は、笑った。それは、ひどく楽しげに。
「いいだろう、探し出して見せるがいい。ただし期限は短いがね。それに、黙っちゃいない者も居るだろう……君はすべて乗り越えなくてはならない。できないと言えば君の夢が終わるまでさ……それじゃあね、王子。また会おう」
「……私はかつて、うそを言ったな。真の意味での崩壊など、誰も望まないんだ。」
「……私はかつて、うそを言ったな。真の意味での崩壊など、誰も望まないんだ。」
瓦礫の隅々に解けていくように、神の姿は消えていった。幻は、天を仰いだ。
Two Minutes to Midnight / Iron Maiden