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其れは癒える事無き

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mato4869

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其れは癒える事無き


細い路地の向こうから、何か聞こえた。
(……人の、声?)
不確かだが樹はそう判断した。その判断にも少しばかり時間がかかっている。
何故ならそれは、人の声と呼ぶにはあまりにも、歪んだ潰れた音だったからだ。
「具合の悪い人でも…いるのか?」
夢の世界に来てまだ日も浅い青年。生来のお人好しも相まって、その仮説を疑わないまま彼は路地の奥へと入っていく。
そう、彼はまだ
悪夢のほんの表面すらも、知らないのだ。

「…ふ、ははっ。あは、はっ。」
路地を進むと、さっきとは別の声が聞こえた。今度ははっきりと人の声とわかる。楽しそうな、笑い声だ。
楽しそうな、弾む笑い声。
こつ、こつ。樹は何一つ注意を払わず路地を進んでいく。
「すいません…誰かいるんです、か。」
路地の終わりが見えた。目的地は多分そこだろうと、声をかけながら足を踏み入れた。
ぴたりと足を止める。否、止まる。

そこには真っ赤な血と臓器をぶちまけたひとつの人間があった。

「みーちゃったァ?」
びくっと振り返ったその視界を、振り下ろされた拳が埋めた。
「ッ!!」
反射的に避けて、間合いを取る。自分にこんな機敏さがあったとは露にも思わなかったが、今は驚いている場合じゃない。
殴りかかってきた相手…青い獣耳の青年がへらりと笑ってこっちを見ていた。
「へぇ避けれたの?すごいねぇ、あんまりいないよそんな人間。」
にこにこと微笑む青年は無邪気そのもの。病院か研究者のような服を着ている以外は、さほど珍しくない普通の青年に見える。
けれど、頬にも服にも腕にもべっとりと付着している血液。
それでもにこにこと微笑む青年は、どう見ても異常、だ。
「…あ、そっか貴方人間じゃないんだね、納得。でも見ちゃったなら同じことだよね。」
「人間…じゃない?」
「…?ジュプトルでしょ?自分でわかんないの?」
貴方ってへんな人、とけらけら笑われた。笑い声は高く狂った調子で、張り詰めた神経を滅茶苦茶に震わせた。
どれもが衝撃的すぎて頭が混乱する。此処は何処だ。彼は何だ。彼は何を、して、いた?
「お前…誰、だ?」
絞り出した声は少し、音が外れていた。
青年はけらけら笑うのをやめ、にっこりと嗜虐的に微笑んだ。
「青<セイ>、だよ。よろしくね。さようなら。」
目視もできない速さで近づいてきた"ルカリオ"が、再び拳を振り降ろした。
「ッうわ!!」
逃げなきゃ、と思うと身体は勝手に動いた。青に負けないスピードで樹は瓦礫の山を逃げ回った。地面を、壁を、軽やかに蹴り宙を舞う。しかもそのスピードは徐々に上がっているようだ。
「みきり、でんこうせっか、こうそくいどう…ふぅん、貴方って面倒くさいね。」
しんそく使ってるのになぁと青は文句を言うが、文句の内容すら樹にはさっぱりだ。今の動きも全て条件反射。
本当に、自分はどんな人生歩んできたんだ。まさかこんな修羅場ばかりの人生だったんじゃないだろうな。
「…ふふっ。でもねぇ、いつまでもつかなぁ?」
青の手から不思議な色をした光の玉が生まれる。それは足場から足場へ飛んでる最中だった樹へと放たれた。直撃した樹は、文字通り撃ち落とされた。
「あはははっ、おちた!おちた!ごめんねぇ、痛かったぁ?」
まずい。捕まって、しまう。
衝撃でぐわんと視界は歪むが逃げなくてはいけない。痛む身体をなんとか動かして、手近な細い路地へと逃げ込んだ。
今のダメージでスピードは格段に落ちてしまった。青にでんこうせっかと呼ばれた動きはまだできているが、それでも足元がおぼつかない。
青の姿は見えないが、背中に嫌というほど気配が伝わってきた。追ってきている。正確に追ってきている。まして向こうは無傷。その距離はどんどん、詰められていた。
化け物、だ。あの狂いきった笑い声を思い出して背筋が凍る。
あれは化け物だ。殺すことを心から楽しんでいる目をしていた。そして今も彼の楽しい遊戯は続行中なのだ。ゲームセットするまで。俺を、殺すまで。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。がたがた震える足が焦るようにスピードを上げる。
死にたくない、死にたくない、死にたくない!!!
『……るのです。』
その時、脳裏に誰かの声がよぎった。
今のは、誰だ?それを考える前に、路地の出口に行き着いた。
開けた場所。瓦礫の山。しかし隠れられそうな場所は、どこにもなかった。
(………あ。)
化け物の餌は、一人ではなかったのだ。

散らばる瓦礫はひとつ残らず、おびただしい量の臓器と血液に染まっていた。

「うふふっ…もう逃げられないねぇ、ジュプトルさん?」
ゆらり、後ろから青が現れた。立ち尽くした樹が観念したと判断したのだろう、青の足取りは鼠を追い詰める猫に似ていた。
事実、青に向けられた樹の背はかたかたと震えている。
それを見た青は、にこりと笑う。
「怖いの?可哀想…大丈夫、痛くしないであげるから。」
一瞬で、楽に、してあげるね。
振り下ろされる拳。
でも本当は、樹が震えていたのは青の存在でも、差し迫った死でもなかった。

視界を埋め尽くす、アカイロと
脳裏に反響する、誰かのコエ。

『―――我々に一矢報いれるとでも』
『ほら、やっぱりそんな目を―――』
『―――さぁ…御覧なさい。』



『貴方が罪を犯したから、貴方の血族は滅びるのです。』



「ッッああああああああああああああああああああああああ!!!!」
凄絶に空を引き裂く、叫び。
次の瞬間青が目にしたものは、眼前1cmまで迫った白銀の刃だった。
「ッッ!」
すんでで避ける。青い髪がわずかに舞った。素早く間合いを取って"彼"を見据える。
追われる兎だったはずの青年は、何かに憑かれたような禍々しい"剣士"と化していた。
「…なに、コレ。」
呆然と呟けば、滅茶苦茶に振り回される刃が襲いかかった。おそらくリーフブレード。効果はいまひとつ。のはずなのに、腕も肩もずたずたと傷を負っていく。進化もしきれてない、力もなさそうなジュプトルなのに。
「…なさ…。」
刃を避けているうちに、青は何かを聞きとった。何か言っている?
そんな場合ではないのだが、つい耳を傾ける。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!」
それはかすれた声で繰り返される、虚ろな謝罪だった。
さすがの青も訳がわからなくなる。この人、何。中身がまるで見えてこない。
さっきまでは怯えて逃げる弱いジュプトル。
叫んでからは自分と似た空気を持つ殺戮者。
でも、今はまるで。
泣きそうな、子どもだ。
不意に刃が止まり、ひっこめられた。次は何かと身構えていると、意外にもどんっと突き飛ばされただけだった。
青は思わず尻もちをつく。樹はそんな青に追撃することなく、怯えた目で青を見下ろし震えて竦んで…
だっと、背を向けて逃げてしまった。
青は一瞬ぽかんとするが、逃げられた、というのは許せる事態じゃない。
「ちょっと、待ってよ…っ!」
慌てて追おうとしたが、ずきっと抉る痛みに止められる。見れば足も腕も、結構な量の傷を負っていた。

「…また今度、かなァ…。」
とさり、青はへたりこむように腰を降ろした。なんだか、疲れた。こんな感覚、久しぶりかも。
弱くて弱くて弱すぎるのに、変。とても変なジュプトル。
おかげでそこらの死体よりは、青の記憶に残ることとなりそうだ。
「…ふふっ。次会ったら、ちゃーんとお掃除しなくっちゃあ…。」
あんなのに暴れられて、植物が斬られちゃったら大変だから、ね。





どこまで走っただろう。どこかでふいに視界がクリアになって、樹は足を止めた。
「…あれ…?」
ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ。上がる息が肺を刺す。遠かったその感覚が近くリアルなものとなる。夢から醒めたように、我に返る。
「俺…今、何してた…?」
まるで、思いだせない。路地を逃げていた時から先のことが思い出せない。見回せばもう路地などなく、青の姿も気配も見当たらない。
無事に逃げられた、ようだ。
けれど安堵の息は、吐けなかった。

全身を冷気にあぶられているような、この感覚はなんだろう。



「…君の願いは、"罪悪感からの逃避"。」
だから記憶を消してやったさ。
だから君に記憶はない。何一つ頭に残ってはいない。残っているのは、身体だけ。
「…身体が失われていないなら、身体に染みついた"恐怖"も、然り。」


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