あまいみつをひとさじ
…静かだ。風も虫も鳴かない沈黙の夜。
月のない星だけの空が、彼の白い白い手を照らした。
「…ねェ、起きて。起きてッテバ。」
白い手は無造作に何かを掴んでゆさぶっていた。暗さに目が慣れてくると、それがぐっすりと眠り込んだ青年だとわかる。
そして白い手の彼もまた、背格好の似た青年だった。似たというより、同一、な。
「ねーェ。ヒカトは、起きナイの?」
青年はくるっと後ろを振り返る。そこにはもう一人誰かがいた。黒いゴシック調ドレスは闇に溶け込み、白煙をくゆらせて佇んでいる。
「…今のまんまじゃ、とても起きそうにないねぇ。」
ふぅ、と吐いた白煙はどこか翳っていて白さがない。今にも黒と同化しそうなそれに彼女は目を細めた。闇が、ここまできたか。
眠り続けるリザードンの青年。ラグラージ、ライボルト、キレイハナ。そして異なる次元で同様に眠る、ジュプトル、ヨノワール、異色のセレビィ。
彼ら7人が招かれた悪夢が、彼らを越えて広がりつつある。
耳をすませば、道化の高笑いが聞こえてくるようだ。より華やかなショーには、より多くの客が吸い寄せられ、そして魅せられていく。
悪夢とは元来そういうもの。けれど彼女は…クライアは、気に入らない。
(…ちょいとルール違反ではないかね、"叔父上"。)
敬意と畏れを込めて彼女は同族をそう呼んだ。こいつはどうも自分より大分大物だ。会ったこともないが、力を感じればわかる。
生半可なちょっかいでは効きやしない。かえって今以上に守りが固くなるのがオチだ。道化が笑顔を張り付けたら最後、その奥底は決して見えない。
けれどやるなら今。道化が高く笑い狂っている、今しかない。
そしてこちらには、ちょっとした切り札がある。
「…のう、アノニマス。」
呼ばれた青年がぴょこんと顔をあげた。ヒカトを鏡で映したような、紫色の青年。
「ヒカトに起きてほしいかい?」
「うん。だって、タイクツ。ヒカトが起きなきゃ、ゼンゼン遊べナイ。」
ヒマなのヒマなのと繰り返す声は少年のよう。クライアは笑みを浮かべて続けた。
「そうかい…じゃあいいことを教えてやろうか。起きないならね、起こしに行ってやればいいのさ。」
「起コシに行ク?ヒカト、ココにいるよぉ?」
「身体はね。しかし魂は此処にはいない。ヒカトがいるのは、この奥の、ずぅっと奥。」
すぅと、青白い指でヒカトの額を指した。その奥、その奥、ずぅっと奥。赤くて赤い夢の中。
「…行っておいで、アノニマス。お前は"悪夢"に、成れるかい?」
アノニマスはぽかんとしたが、すぐに笑顔を浮かべた。ぐにゃりとした、とろりとした、粘性の笑顔を浮かべた。
月のない星だけの空が、彼の白い白い手を照らした。
「…ねェ、起きて。起きてッテバ。」
白い手は無造作に何かを掴んでゆさぶっていた。暗さに目が慣れてくると、それがぐっすりと眠り込んだ青年だとわかる。
そして白い手の彼もまた、背格好の似た青年だった。似たというより、同一、な。
「ねーェ。ヒカトは、起きナイの?」
青年はくるっと後ろを振り返る。そこにはもう一人誰かがいた。黒いゴシック調ドレスは闇に溶け込み、白煙をくゆらせて佇んでいる。
「…今のまんまじゃ、とても起きそうにないねぇ。」
ふぅ、と吐いた白煙はどこか翳っていて白さがない。今にも黒と同化しそうなそれに彼女は目を細めた。闇が、ここまできたか。
眠り続けるリザードンの青年。ラグラージ、ライボルト、キレイハナ。そして異なる次元で同様に眠る、ジュプトル、ヨノワール、異色のセレビィ。
彼ら7人が招かれた悪夢が、彼らを越えて広がりつつある。
耳をすませば、道化の高笑いが聞こえてくるようだ。より華やかなショーには、より多くの客が吸い寄せられ、そして魅せられていく。
悪夢とは元来そういうもの。けれど彼女は…クライアは、気に入らない。
(…ちょいとルール違反ではないかね、"叔父上"。)
敬意と畏れを込めて彼女は同族をそう呼んだ。こいつはどうも自分より大分大物だ。会ったこともないが、力を感じればわかる。
生半可なちょっかいでは効きやしない。かえって今以上に守りが固くなるのがオチだ。道化が笑顔を張り付けたら最後、その奥底は決して見えない。
けれどやるなら今。道化が高く笑い狂っている、今しかない。
そしてこちらには、ちょっとした切り札がある。
「…のう、アノニマス。」
呼ばれた青年がぴょこんと顔をあげた。ヒカトを鏡で映したような、紫色の青年。
「ヒカトに起きてほしいかい?」
「うん。だって、タイクツ。ヒカトが起きなきゃ、ゼンゼン遊べナイ。」
ヒマなのヒマなのと繰り返す声は少年のよう。クライアは笑みを浮かべて続けた。
「そうかい…じゃあいいことを教えてやろうか。起きないならね、起こしに行ってやればいいのさ。」
「起コシに行ク?ヒカト、ココにいるよぉ?」
「身体はね。しかし魂は此処にはいない。ヒカトがいるのは、この奥の、ずぅっと奥。」
すぅと、青白い指でヒカトの額を指した。その奥、その奥、ずぅっと奥。赤くて赤い夢の中。
「…行っておいで、アノニマス。お前は"悪夢"に、成れるかい?」
アノニマスはぽかんとしたが、すぐに笑顔を浮かべた。ぐにゃりとした、とろりとした、粘性の笑顔を浮かべた。
「―――モチロン。ダッテ僕は名のナイ、"アノニマス"。」
どろり。
アノニマスの指先が一瞬にして滴り落ちた。みるまに手首、腕、二の腕…それは下肢も同様に。溶け崩れていったアノニマスはごぼりと一つ音をたてると、床に染み込んで消えていった。その瞬間だけ、ヒカトを包む闇が、わずかに揺らいだような気がする。
クライアは、じっと見ていた。
「…坊や、ゆめゆめ"名前"を奪られるんじゃないよ。」
その口元には、微笑ひとつ浮いていなかった。
アノニマスの指先が一瞬にして滴り落ちた。みるまに手首、腕、二の腕…それは下肢も同様に。溶け崩れていったアノニマスはごぼりと一つ音をたてると、床に染み込んで消えていった。その瞬間だけ、ヒカトを包む闇が、わずかに揺らいだような気がする。
クライアは、じっと見ていた。
「…坊や、ゆめゆめ"名前"を奪られるんじゃないよ。」
その口元には、微笑ひとつ浮いていなかった。