Black and Noir.
「悪いな手伝ってもらっちまって。重くないのか?」
「平気ですよ。第一、こんな持ち方して重いも何もないでしょう。」
そう言って冥<クロ>は足取り軽く、大きめの瓦礫を持って外に出た。元々廃墟だった冥達の家はまだ片付けきれていない部屋もあり、今日は三日に一度のお掃除デーだ。
主に働くのは家主の鉄<テツ>。時折おそるおそる手伝うのは居候の紅<コウ>。冥は無理するなと言われていたが、同じ居候なのだからこのぐらいは手伝わないと。
両腕なし、両視力なし、触覚味覚嗅覚痛覚温感冷感すべて無い状態だったとしてもだ。
そもそも冥にとってはこれが普通なんだから、残された聴力だけで足を進めるには十分。腕がなくてもこの通り、『じゅうりょく』や『サイコキネシス』を応用すればどうにかなるものなのだ。
「そっか、ありがとうな。みんなのおかげで今日中に片付きそうだ。」
埃を掃いていた鉄は額の汗をぬぐった。使っている箒は拾った廃材で作ったお手製だ。
「この部屋は窓がでかいからな、きっと空がよく見えるぞー。」
「鉄は本当に空が好きですね。」
「そりゃあそうだ。」
嬉しそうな声。弾んだ語調のまま鉄は言った。
「毎日空を飛んでく俺様のマイ・スウィートダーリン。どうせならおっきな窓から思う存分眺めたいじゃないか!うわぁ何それ超幸せ!」
うきうき跳ねる鉄の声。それを聞くのが冥のひそかな楽しみだった。楽しそうな音。嬉しそうな音。音は色とりどりに瞬いて尽きることなく降り注ぐ。要するにのべつまもなく語られっぱなしということだが、冥はそれが気に入っていた。
冥の世界は聴覚の世界。音がなくなればそこで、ゼロ。
ゼロは恐れるものではない。ゼロはようやく手に入れた至上の安息だ。けれど…鉄と出会って以来、冥は少しだけ贅沢になってしまった。
"見る"ことができたらいいのに。
鉄を、そして鉄が愛おしいと思う物を見ることができたら、いいのにと。
(……なんて、我儘すぎますよね。)
ふっと微笑む冥。これ以上の幸福なんてきっとどこにもないのだろう。冥は物思いを捨てて、家の横の空き地に歩いていった。瓦礫は全部ここに積むことにしてあるのだ。
と、その時。ごつんと誰かにぶつかった。
「いたぁい…」
「わっ!?す、すみません。」
うっかりした。私としたことが気付かなかっただなんて。冥は目を閉じて相手の音を拾おうとした…しかし、何も聞こえてこない。心音すらもだ。
不審がった冥は、思わず目を開けた。
瞬間、冥の息が止まった。
「平気ですよ。第一、こんな持ち方して重いも何もないでしょう。」
そう言って冥<クロ>は足取り軽く、大きめの瓦礫を持って外に出た。元々廃墟だった冥達の家はまだ片付けきれていない部屋もあり、今日は三日に一度のお掃除デーだ。
主に働くのは家主の鉄<テツ>。時折おそるおそる手伝うのは居候の紅<コウ>。冥は無理するなと言われていたが、同じ居候なのだからこのぐらいは手伝わないと。
両腕なし、両視力なし、触覚味覚嗅覚痛覚温感冷感すべて無い状態だったとしてもだ。
そもそも冥にとってはこれが普通なんだから、残された聴力だけで足を進めるには十分。腕がなくてもこの通り、『じゅうりょく』や『サイコキネシス』を応用すればどうにかなるものなのだ。
「そっか、ありがとうな。みんなのおかげで今日中に片付きそうだ。」
埃を掃いていた鉄は額の汗をぬぐった。使っている箒は拾った廃材で作ったお手製だ。
「この部屋は窓がでかいからな、きっと空がよく見えるぞー。」
「鉄は本当に空が好きですね。」
「そりゃあそうだ。」
嬉しそうな声。弾んだ語調のまま鉄は言った。
「毎日空を飛んでく俺様のマイ・スウィートダーリン。どうせならおっきな窓から思う存分眺めたいじゃないか!うわぁ何それ超幸せ!」
うきうき跳ねる鉄の声。それを聞くのが冥のひそかな楽しみだった。楽しそうな音。嬉しそうな音。音は色とりどりに瞬いて尽きることなく降り注ぐ。要するにのべつまもなく語られっぱなしということだが、冥はそれが気に入っていた。
冥の世界は聴覚の世界。音がなくなればそこで、ゼロ。
ゼロは恐れるものではない。ゼロはようやく手に入れた至上の安息だ。けれど…鉄と出会って以来、冥は少しだけ贅沢になってしまった。
"見る"ことができたらいいのに。
鉄を、そして鉄が愛おしいと思う物を見ることができたら、いいのにと。
(……なんて、我儘すぎますよね。)
ふっと微笑む冥。これ以上の幸福なんてきっとどこにもないのだろう。冥は物思いを捨てて、家の横の空き地に歩いていった。瓦礫は全部ここに積むことにしてあるのだ。
と、その時。ごつんと誰かにぶつかった。
「いたぁい…」
「わっ!?す、すみません。」
うっかりした。私としたことが気付かなかっただなんて。冥は目を閉じて相手の音を拾おうとした…しかし、何も聞こえてこない。心音すらもだ。
不審がった冥は、思わず目を開けた。
瞬間、冥の息が止まった。
―――キミ、ボクが見えるの?
「…おーい、冥?どうした?」
呼ばれて冥は我に返った。少しぎこちない動きで鉄を振りむく。
「あ…すみません。ちょっと人にぶつかってしまいまして。」
「人?誰と?」
「さぁ…見えないのでなんとも。」
「でもそこ誰もいないぞ?紅はここにいるし。」
鉄の音の傍らに、紅の音が聴き取れた。確かに鉄は間違ってない。
「瓦礫にでもぶつかったんじゃないか?気をつけろよー?」
まっとうな鉄の気遣いも、冥にはもう届いていなかった。
見間違いじゃない。そもそも私に"見"間違いなど、ありえない。
呼ばれて冥は我に返った。少しぎこちない動きで鉄を振りむく。
「あ…すみません。ちょっと人にぶつかってしまいまして。」
「人?誰と?」
「さぁ…見えないのでなんとも。」
「でもそこ誰もいないぞ?紅はここにいるし。」
鉄の音の傍らに、紅の音が聴き取れた。確かに鉄は間違ってない。
「瓦礫にでもぶつかったんじゃないか?気をつけろよー?」
まっとうな鉄の気遣いも、冥にはもう届いていなかった。
見間違いじゃない。そもそも私に"見"間違いなど、ありえない。
真っ黒い背景を背にして、紫色の青年は佇んでいた。
*
「…なんだったんでしょうねアレは…。」
お掃除は無事終了。少し疲れた冥は自室のベッドに腰を降ろした。
体力的には疲れちゃいない。むしろ減ったのは気力の方だ。驚いた。死ぬほど驚いた。この目が何かを映すなんて。
しかも冥が見たものは、鉄と紅には見えていない。
私だけに見える、奇妙な青年。
「…誰ですか、あの人…。」
お掃除は無事終了。少し疲れた冥は自室のベッドに腰を降ろした。
体力的には疲れちゃいない。むしろ減ったのは気力の方だ。驚いた。死ぬほど驚いた。この目が何かを映すなんて。
しかも冥が見たものは、鉄と紅には見えていない。
私だけに見える、奇妙な青年。
「…誰ですか、あの人…。」
「呼んダ?」
「Σうわぁッ!?」
思わず奇声を上げてしまった。返事した青年はにこにこしながらちょこんとしゃがんで冥を見上げている。ちょっと、待って。何度も現れるなんて聞いてない。
「冥!?どうした!?」
「ななななんでもないですちょっと足ぶつけてしまいまして!!」
精一杯の言い訳をした後、冥は青年をにらみつける。
「…貴方のせいで心配かけてしまったじゃないですか。」
「けたたっ、ごめーんネ?」
「絶対悪いと思ってないでしょう。ったく…貴方、誰です?」
訊かれた青年はにんまりと口端をつりあげた。
「けたた…ヘンなの、ヘンなの。ボクに名前を訊くナンテ。ボクは名のない、アノニマス。名前がナイから、アノニマス。」
「…アノニマスって名前なんじゃないんですか?」
「違うよぉ?名前がナイから、アノニマス。誰でもナイし、誰にでもナレる。だからボクはアノニマス。」
わかったぁ?おばかさんなヨノワール。
冥は目を瞠った。おばかさん呼ばわりに怒った様子はない。むしろその目は真剣な色で、アノニマスを捉える。
「…メタモン、ですか。まさかお目にかかれるとはね。」
「あれぇ、知ってるの?」
「本で読んだだけですよ。…随分と昔ですけど。」
本のタイトルは確か『絶滅種図鑑』。…人生、何があるかわからないものですね。
さて、彼が誰なのかは大体わかった。問題なのは彼が"何者"であるかだ。
「…私の両目に視力はありません。本来、貴方の姿は見えないはずなんですけど。」
「けたた…それはボクが"悪夢"にナってるからじゃないカナぁ?」
「悪夢?」
「ソウ、悪夢。ユメを見るのに、目なんてイラナイデショ?」
アノニマスは指を伸ばして、冥の瞼をつつく。
夢は、脳が映すもの。視力は関係ない。
「ソウダヨ、ボクを見るのにダイジなのはココ。アタマのナカ。ボクが見えるキミは、ちょっとだけトクベツ。」
そうデショ?ヨノワール。彼の言葉は、悪戯に首を撫ぜる鎌に似ていた。
「Σうわぁッ!?」
思わず奇声を上げてしまった。返事した青年はにこにこしながらちょこんとしゃがんで冥を見上げている。ちょっと、待って。何度も現れるなんて聞いてない。
「冥!?どうした!?」
「ななななんでもないですちょっと足ぶつけてしまいまして!!」
精一杯の言い訳をした後、冥は青年をにらみつける。
「…貴方のせいで心配かけてしまったじゃないですか。」
「けたたっ、ごめーんネ?」
「絶対悪いと思ってないでしょう。ったく…貴方、誰です?」
訊かれた青年はにんまりと口端をつりあげた。
「けたた…ヘンなの、ヘンなの。ボクに名前を訊くナンテ。ボクは名のない、アノニマス。名前がナイから、アノニマス。」
「…アノニマスって名前なんじゃないんですか?」
「違うよぉ?名前がナイから、アノニマス。誰でもナイし、誰にでもナレる。だからボクはアノニマス。」
わかったぁ?おばかさんなヨノワール。
冥は目を瞠った。おばかさん呼ばわりに怒った様子はない。むしろその目は真剣な色で、アノニマスを捉える。
「…メタモン、ですか。まさかお目にかかれるとはね。」
「あれぇ、知ってるの?」
「本で読んだだけですよ。…随分と昔ですけど。」
本のタイトルは確か『絶滅種図鑑』。…人生、何があるかわからないものですね。
さて、彼が誰なのかは大体わかった。問題なのは彼が"何者"であるかだ。
「…私の両目に視力はありません。本来、貴方の姿は見えないはずなんですけど。」
「けたた…それはボクが"悪夢"にナってるからじゃないカナぁ?」
「悪夢?」
「ソウ、悪夢。ユメを見るのに、目なんてイラナイデショ?」
アノニマスは指を伸ばして、冥の瞼をつつく。
夢は、脳が映すもの。視力は関係ない。
「ソウダヨ、ボクを見るのにダイジなのはココ。アタマのナカ。ボクが見えるキミは、ちょっとだけトクベツ。」
そうデショ?ヨノワール。彼の言葉は、悪戯に首を撫ぜる鎌に似ていた。
夢は現、現は夢。
夢を見るものにとって夢とは現。実際に在る世界。そうとしか思えない世界。
だから両の目で物を見る。彼らにとっての現実を。
目を閉じても、世界を見れるなんて思いもしないだろう。
夢を見るものにとって夢とは現。実際に在る世界。そうとしか思えない世界。
だから両の目で物を見る。彼らにとっての現実を。
目を閉じても、世界を見れるなんて思いもしないだろう。
其処が 夢 であると気付かない限り。
…冥は、
ゆっくりと目を瞠って、一瞬、怯えたような泣き出しそうなそんな表情をして、それを隠すように、俯いて弱く笑った。
「…魔法を、解いてしまうおつもりですか?」
「けたたっ、別ニ?決めるのはキミ。キミが今まで通りフタしておけば、12時の鐘は鳴らないヨ?」
簡単なこと。信じこみ続ければいいのだ。皆と同様に。今まで通りに。
さすれば宴は終わらない。願いは叶い続ける。幸福は永遠に。
『…よろしい、解放してやろう。君を消滅の恐怖からね…。』
ダークライの言葉どおりに、冥の願いどおりに、永遠の安息が続いていく。
けれど冥は、首を振った。冥は知っているから。光のない世界を。時のない世界を。暗黒に包まれた、ぼろぼろの塔を。
床に崩れ伏す義手の男を、宙に浮く冥はじっと見降ろす。
冥は知っているから。
"私"が幸福を受け取っても、何も意味がないことを。
ゆっくりと目を瞠って、一瞬、怯えたような泣き出しそうなそんな表情をして、それを隠すように、俯いて弱く笑った。
「…魔法を、解いてしまうおつもりですか?」
「けたたっ、別ニ?決めるのはキミ。キミが今まで通りフタしておけば、12時の鐘は鳴らないヨ?」
簡単なこと。信じこみ続ければいいのだ。皆と同様に。今まで通りに。
さすれば宴は終わらない。願いは叶い続ける。幸福は永遠に。
『…よろしい、解放してやろう。君を消滅の恐怖からね…。』
ダークライの言葉どおりに、冥の願いどおりに、永遠の安息が続いていく。
けれど冥は、首を振った。冥は知っているから。光のない世界を。時のない世界を。暗黒に包まれた、ぼろぼろの塔を。
床に崩れ伏す義手の男を、宙に浮く冥はじっと見降ろす。
冥は知っているから。
"私"が幸福を受け取っても、何も意味がないことを。
彼が、私。
この狂おしいほどの願いは、彼の願い。
私は、彼?
いいえ違う。私は、
この狂おしいほどの願いは、彼の願い。
私は、彼?
いいえ違う。私は、
「彼の見ている…"夢"なんです。」
*
「冥…入っていいか?大丈夫か?」
さっきの奇声がどうしても気になった鉄は、冥の様子を見に行った。
ドアのない入口から中を覗き込むと、冥は一人でベッドに腰かけている。よかった、ぶつけたとか言うからケガしたかと思った。さっきまで誰かと話してるように聞こえたが、気のせいだったかな。
「お、よかった。元気そうだな。あんまり危なっかしいことすんなよ?」
「…鉄?」
冥はゆっくりと、鉄へ顔を向ける。赤い目はいっぱいに見開かれて、鉄の姿を映しだした。
「そうですか。貴方が…鉄。」
抑えきれない嬉しさが、口元から零れた。
さっきの奇声がどうしても気になった鉄は、冥の様子を見に行った。
ドアのない入口から中を覗き込むと、冥は一人でベッドに腰かけている。よかった、ぶつけたとか言うからケガしたかと思った。さっきまで誰かと話してるように聞こえたが、気のせいだったかな。
「お、よかった。元気そうだな。あんまり危なっかしいことすんなよ?」
「…鉄?」
冥はゆっくりと、鉄へ顔を向ける。赤い目はいっぱいに見開かれて、鉄の姿を映しだした。
「そうですか。貴方が…鉄。」
抑えきれない嬉しさが、口元から零れた。
「思った通り、美しい人ですね。」