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願ったことは、
逃げること。
大嫌いな"今"から逃げること。
でもそれじゃあ駄目だった。
歩けば歩く程痛いんだ。
逃げれば逃げる程辛いんだ。
どうして?
いいえ、正解は知ってる。
歩けば歩く程痛いんだ。
逃げれば逃げる程辛いんだ。
どうして?
いいえ、正解は知ってる。
嫌いなものは"今"じゃなかった。
欲しいものは
本当に欲しかったものは、
『…やぁ、お帰り。』
音の死んだ空間で、ダークライが笑って迎えた。
傍らには樹が横たわり、眠っている。
傍らには樹が横たわり、眠っている。
『楽しんでくれているかね。』
『…いいえ。』
『そうかね、それは残念だ。』
『……<ダークライ>。』
『…いいえ。』
『そうかね、それは残念だ。』
『……<ダークライ>。』
『もう一度、お願いがあるの。』
ダークライが、嗤って迎えた。
『…お帰り、やはり帰ってきたんだね。君達の魂は双子のようだ。』
『達…?』
『彼も同じことを望んだよ。君達は望み続けてきた。未来<まえ>も、過去<いま>も、二人とも。』
そう、君達はずっと願い続けてきた。
魂は奥底でずっと叫びをあげていた。
眠りの中で理性などは邪魔なものだ。
解放してやろうじゃないか、君達の魂を。
ふわり。白く乾いた手が静葉の両目を覆った。
『…お帰り、やはり帰ってきたんだね。君達の魂は双子のようだ。』
『達…?』
『彼も同じことを望んだよ。君達は望み続けてきた。未来<まえ>も、過去<いま>も、二人とも。』
そう、君達はずっと願い続けてきた。
魂は奥底でずっと叫びをあげていた。
眠りの中で理性などは邪魔なものだ。
解放してやろうじゃないか、君達の魂を。
ふわり。白く乾いた手が静葉の両目を覆った。
『叶えてあげよう。今度こそ、楽しんでいってくれたまえ。』
*
だらりと下がった華奢な腕がぴくりと動く。
音もなく持ちあがり焔の目の前で、止まる。
音もなく持ちあがり焔の目の前で、止まる。
爆発的な量の水が、焔にぶちまけられた。
「―――ッ!?」
大きく飛ばされた焔が目を剥く。爪は静葉の身体から抜け落ちた。滴る血すらすくい取るように、彼女の身体を水が渦巻く。
水が弾け散ると、静葉の傷は癒えていた。
群青のコートに身を包み、凛と其処に立つ静葉がいた。
「…ありがとう、ダークライ。」
よく馴染むコートの重み、ブーツの質感を静葉は確かめる。
「――これなら、焔を止められる。」
だっと地を蹴って駆けだした。重力もトリックルームもとうに尽きたのに、静葉の速さは焔とほぼ同等。
紙一重で焔がかわす。静葉と焔の視線が交差した。一瞬、焔の瞳が不安げに揺らめいた。けれどすぐに狂暴な光をぎらつかす。
「ッガああああああ!!!」
咆哮が上がった。
焔の爪が火に包まれ、両手とも静葉へと振り下ろされた。静葉は『みずのはどう』を放つ左手で受け止める。空いた右手で『れいとうパンチ』。的確に焔の胴を捉えた。
二撃目を撃とうとした左手は焔に掴まれた。掴まれた左手は燃え上がる。
一瞬怯んだ隙に、『つばさでうつ』。下から上へ尖った翼で突き上げられる。
舞い上がってしまった静葉を焔が追った。その手には火の球が。
静葉は両腕をクロスしそれを受け止める。飛ばされつつもなんとか着地した。炎のダメージからは『まもり』きれたようだ。
「焔…。」
「…ッが…。」
血を吐きながらも低く吠える焔を見つめた。自分も口端から血が出ているのは知っているが。
ずっと、気になっていた。いつのまにか焔がしゃべれなくなっていることが。出てくるのは唸りとも吠えともつかない声ばかり。
そうまるで、痛みに呻いているような。
その答えは、先刻焔に触れた時に『視』えた。
「羽根…か。」
羽根に呑まれていく焔の映像。ぎり、と奥歯を噛んだ。知らなかった。そんなことも知らないで今まで私は。
もっと早く気付けていたら、もう少し早く気付けていれば何か変わったのかもしれない。
でも。ううん、だから。
「…ごめんね、焔。」
今、できることをしてあげるしかできないんだ。
血管がびくんと跳ねた。引っ張られるように焔が空へ飛び上がる。ばさっと羽根が大きく鳴る。それは焔への合図のようにも、聞こえた。
両腕が持ち上がる。両手の中で火の玉が渦巻く。渦巻いた火の玉が互いに融合し、巨大な赤い大蛇となる。
焔があとひと押し念じれば、その蛇は静葉へとびかかるだろう。
俯いていた焔が顔を上げる。睨む双眸。歪む眉根。
「っい、ゲ…」
静葉は目を瞠った。
『逃げて。』
確かに、そう聞こえたから。
大きく飛ばされた焔が目を剥く。爪は静葉の身体から抜け落ちた。滴る血すらすくい取るように、彼女の身体を水が渦巻く。
水が弾け散ると、静葉の傷は癒えていた。
群青のコートに身を包み、凛と其処に立つ静葉がいた。
「…ありがとう、ダークライ。」
よく馴染むコートの重み、ブーツの質感を静葉は確かめる。
「――これなら、焔を止められる。」
だっと地を蹴って駆けだした。重力もトリックルームもとうに尽きたのに、静葉の速さは焔とほぼ同等。
紙一重で焔がかわす。静葉と焔の視線が交差した。一瞬、焔の瞳が不安げに揺らめいた。けれどすぐに狂暴な光をぎらつかす。
「ッガああああああ!!!」
咆哮が上がった。
焔の爪が火に包まれ、両手とも静葉へと振り下ろされた。静葉は『みずのはどう』を放つ左手で受け止める。空いた右手で『れいとうパンチ』。的確に焔の胴を捉えた。
二撃目を撃とうとした左手は焔に掴まれた。掴まれた左手は燃え上がる。
一瞬怯んだ隙に、『つばさでうつ』。下から上へ尖った翼で突き上げられる。
舞い上がってしまった静葉を焔が追った。その手には火の球が。
静葉は両腕をクロスしそれを受け止める。飛ばされつつもなんとか着地した。炎のダメージからは『まもり』きれたようだ。
「焔…。」
「…ッが…。」
血を吐きながらも低く吠える焔を見つめた。自分も口端から血が出ているのは知っているが。
ずっと、気になっていた。いつのまにか焔がしゃべれなくなっていることが。出てくるのは唸りとも吠えともつかない声ばかり。
そうまるで、痛みに呻いているような。
その答えは、先刻焔に触れた時に『視』えた。
「羽根…か。」
羽根に呑まれていく焔の映像。ぎり、と奥歯を噛んだ。知らなかった。そんなことも知らないで今まで私は。
もっと早く気付けていたら、もう少し早く気付けていれば何か変わったのかもしれない。
でも。ううん、だから。
「…ごめんね、焔。」
今、できることをしてあげるしかできないんだ。
血管がびくんと跳ねた。引っ張られるように焔が空へ飛び上がる。ばさっと羽根が大きく鳴る。それは焔への合図のようにも、聞こえた。
両腕が持ち上がる。両手の中で火の玉が渦巻く。渦巻いた火の玉が互いに融合し、巨大な赤い大蛇となる。
焔があとひと押し念じれば、その蛇は静葉へとびかかるだろう。
俯いていた焔が顔を上げる。睨む双眸。歪む眉根。
「っい、ゲ…」
静葉は目を瞠った。
『逃げて。』
確かに、そう聞こえたから。
「…逃げないよ。」
静葉の髪が一瞬、緑色に輝いた。
両腕を左右に、ゆるやかに伸ばす。その手には白い雪が渦巻き、身体にも渦巻き、空は霞にも似た白い雲に覆われた。
逃げないよ、焔。
闇からは生まれえぬ力、
輝く空の下、君と共に得た力で。
静葉の髪が一瞬、緑色に輝いた。
両腕を左右に、ゆるやかに伸ばす。その手には白い雪が渦巻き、身体にも渦巻き、空は霞にも似た白い雲に覆われた。
逃げないよ、焔。
闇からは生まれえぬ力、
輝く空の下、君と共に得た力で。
「『ふぶき』。」
世界を、純白に染める。
*
こつ、こつ、こつ。
しんと静まった世界をブーツは進む。雪で作られた霞は、ふいに晴れた。
足を止めた先で、焔が倒れていた。
羽根は飛ばない、動かない。焔が、止まっていた。
「…焔。」
「……ッ」
がぎッ。嫌な音が響く。爪が地面をひっかいた音だった。
へし折れた爪が、尚も何か引き裂こうと震えている。指先まで絡みついた血管が、どくどくと蠢いていた。
呻く声も低く、漏れ聞こえている。
動かない身体を呪うように、憎悪に満ちた目が、こちらを睨んでいた。
「……。」
静葉は手を伸ばした。その腕は焔にひっかかれる。切り傷から血がにじんで滴った。
何度傷を受けてもひっこめず、そっと手を置いた。
柔らかい橙の髪の毛に。
「焔…。」
指先が震えた。唇も、震えた。言葉がひとつも出てこない。
怪我してないか、痛くないか、大丈夫か。
そんな言葉は気休めにすらならなかった。
静葉が言わなきゃいけない言葉は、ひとつだけ。
それはどんな言葉よりも…酷い、言葉だ。
しんと静まった世界をブーツは進む。雪で作られた霞は、ふいに晴れた。
足を止めた先で、焔が倒れていた。
羽根は飛ばない、動かない。焔が、止まっていた。
「…焔。」
「……ッ」
がぎッ。嫌な音が響く。爪が地面をひっかいた音だった。
へし折れた爪が、尚も何か引き裂こうと震えている。指先まで絡みついた血管が、どくどくと蠢いていた。
呻く声も低く、漏れ聞こえている。
動かない身体を呪うように、憎悪に満ちた目が、こちらを睨んでいた。
「……。」
静葉は手を伸ばした。その腕は焔にひっかかれる。切り傷から血がにじんで滴った。
何度傷を受けてもひっこめず、そっと手を置いた。
柔らかい橙の髪の毛に。
「焔…。」
指先が震えた。唇も、震えた。言葉がひとつも出てこない。
怪我してないか、痛くないか、大丈夫か。
そんな言葉は気休めにすらならなかった。
静葉が言わなきゃいけない言葉は、ひとつだけ。
それはどんな言葉よりも…酷い、言葉だ。
できればこのまま羽根が朽ちてくれれば。そうなってほしくて、羽根に氷タイプの技をかけたのに。
未だ脈打つ羽根の血管は、淡い望みを嘲り笑った。予想はしていた。けど、奥場がぎりと軋む。
本当にこれしか道はなかったのだろうか。
もう逃げたくないと願った。現実から。今から。
その代償は、
震える唇が紡ぐのは、
未だ脈打つ羽根の血管は、淡い望みを嘲り笑った。予想はしていた。けど、奥場がぎりと軋む。
本当にこれしか道はなかったのだろうか。
もう逃げたくないと願った。現実から。今から。
その代償は、
震える唇が紡ぐのは、
「…焔…もう、いいよ。」
軋む爪、蠢く血管。
全てがぴったりと時を止めた。
緑の瞳は何か抜け落ちたように
大きく、大きく大きく大きく、見開かれる。
「え……?」
呆然と、呟いた。
血の気が顔からも唇からも引いていった。今、なんて言ったの?思い違いを、聞き間違いを期待して静葉を見つめる。
静葉も焔を見つめていた。
「…もういいよ、焔。もう、」
全てがぴったりと時を止めた。
緑の瞳は何か抜け落ちたように
大きく、大きく大きく大きく、見開かれる。
「え……?」
呆然と、呟いた。
血の気が顔からも唇からも引いていった。今、なんて言ったの?思い違いを、聞き間違いを期待して静葉を見つめる。
静葉も焔を見つめていた。
「…もういいよ、焔。もう、」
守らなくて、いいんだよ。
…全てが
焔の表情から抜け落ちる。
静葉を、
守りたいと願って強くなった。
その静葉から、
守らなくていいと、言われた。
焔の表情から抜け落ちる。
静葉を、
守りたいと願って強くなった。
その静葉から、
守らなくていいと、言われた。
それは 存在意義の 喪失で
望む資格の 剥奪だった。
…無音の叫びが迸った。静葉と焔の中にだけ、嫌というほど響き渡る。
羽根が崩壊を始めた。
ぱきぱきと先端から崩れ、砂となって消えていく。羽根は望みの結果。望んだから在るもの。
望むことを許されないなら、在ることも許されない。
それはこの世界の焔も同じだった。焔の足も、腕も、同様に崩壊していった。
「いやっ…嫌だ、嫌だ…。」
砂となって消えていく身体。助けを乞うように手を伸ばした。
「お願い静葉…嫌だ、嫌だよッ…!」
羽根が崩壊を始めた。
ぱきぱきと先端から崩れ、砂となって消えていく。羽根は望みの結果。望んだから在るもの。
望むことを許されないなら、在ることも許されない。
それはこの世界の焔も同じだった。焔の足も、腕も、同様に崩壊していった。
「いやっ…嫌だ、嫌だ…。」
砂となって消えていく身体。助けを乞うように手を伸ばした。
「お願い静葉…嫌だ、嫌だよッ…!」
必要として、必要だと言って、必要な存在でいさせて。
要らないだなんて思わせないで。
要らないだなんて気づかせないで。
ひとりにしないで。
理由を持たせて。
傍にいていい、理由を持たせて。
要らないだなんて思わせないで。
要らないだなんて気づかせないで。
ひとりにしないで。
理由を持たせて。
傍にいていい、理由を持たせて。
「―――置いていかないで、ミズハ…!!」
伸ばされた指先までもが砂になるまで。
最後の最期まで静葉は焔を見つめていた。瞬きひとつせずに。
指だった砂は手の中にある。
痛いくらいの必死な叫びを、何度も胸の中で繰り返しながら。
「…違うよ、ヒカト。」
ぎゅっと、その砂を握りしめた。
「ただ傍にいてくれるだけで…よかったんだよ。」
最後の最期まで静葉は焔を見つめていた。瞬きひとつせずに。
指だった砂は手の中にある。
痛いくらいの必死な叫びを、何度も胸の中で繰り返しながら。
「…違うよ、ヒカト。」
ぎゅっと、その砂を握りしめた。
「ただ傍にいてくれるだけで…よかったんだよ。」