凶器はスコップ
生真面目な人間がいちばん陥りやすい罠とは何か?
それは快楽。
ことに君のような場合においては、なおさらだ。
奪われつくされ、無条件に愛され慈しまれていることに慣れている。
ことに君のような場合においては、なおさらだ。
奪われつくされ、無条件に愛され慈しまれていることに慣れている。
その名をいとおしいものとして呼ばれることを、
君はもう苦痛だなどと思っていないだろう?
君はもう苦痛だなどと思っていないだろう?
すべて壊してでも、遭いたいだろう、遭いたいだろう、遭いたいだろう!!?
甲高い悲鳴が夜気を震わせ、生暖かい返り血は、彼をほんとうに真っ赤に染め上げた。
彼は懇願の声には怯まなかった。鈍い音が繰り返し繰り返し、路地に響く。
やがて倒れ伏した男がぴくりとも動かなくなっても、それは何度も振り下ろされた。
彼の目には、男など映っていない。
ただ、脳裏に浮かぶ、愛しい、うつくしい青だけ。
彼は懇願の声には怯まなかった。鈍い音が繰り返し繰り返し、路地に響く。
やがて倒れ伏した男がぴくりとも動かなくなっても、それは何度も振り下ろされた。
彼の目には、男など映っていない。
ただ、脳裏に浮かぶ、愛しい、うつくしい青だけ。
跳ねた体液で手がぬめり、凶器を取り落として漸く、彼は気付く。
その時にはもう、眼下の肉塊はおぞましいほどに破壊しつくされていた。
その時にはもう、眼下の肉塊はおぞましいほどに破壊しつくされていた。
*
<まほろ>を探して彷徨い歩いて、はや何日過ぎ去ったことやら。
ため息をついて赤い空を見上げる。空はちっとも変わらない。雲ひとつ無い所謂快晴。
その空には小さな、そして妙に不細工な月がぶら下がっている。もう夜もかなり遅い。
寝床を確保しなければ、今晩は眠れない夜を過ごすハメになってしまう。
路地にもぐり、適当に安全そうな、身を隠せそうな瓦礫の隙間を探した。
ここも…だめだ。ここも、ここも。徹夜を覚悟したほうがいいだろうか。
ため息をついて赤い空を見上げる。空はちっとも変わらない。雲ひとつ無い所謂快晴。
その空には小さな、そして妙に不細工な月がぶら下がっている。もう夜もかなり遅い。
寝床を確保しなければ、今晩は眠れない夜を過ごすハメになってしまう。
路地にもぐり、適当に安全そうな、身を隠せそうな瓦礫の隙間を探した。
ここも…だめだ。ここも、ここも。徹夜を覚悟したほうがいいだろうか。
すこし幅の広い通りに出て、諦めたように道端に座り込んだ男と目が合った。
直ぐに目をそらしたけれど、男はいつまでも睨むようにこちらを見ている。
その目が、見つけた。
「…おい、ちょっと待てよ」
足早に立ち去ろうとする冬を阻んで、男は道の前に立ち塞がった。
「それ…金だよな?」
男が指しているのは、冬の胸元に踊る、シンプルな意匠の首飾り。
手が伸ばされ、危険を感じて身を引いたけれど、それは簡単に引きちぎられた。
「堂々と見せびらかしてるから悪いんだぜ」
「…それは、わたしの大切な、」
まほろのものだ。言葉は最後まで言い切らないまま、男の拳が頬桁を捕えている。
冬は二、三歩よろめくように後ずさり、男を睨みつける。
「返せ、まほろのッ…」
「るせぇな、そんなに大事なモンなら取り返してみやがれッ!」
まだ足元のふらついていた冬の腹を思い切り蹴り飛ばし、男は唾を吐く。
擦れた呻き声が小さく男の耳に届いて、男は満足して歩き出した。
気に入らないヤツを殴り飛ばすというストレス解消のおまけが金。素晴らしいじゃないか。
一方冬は、男の背中をきつく睨んで、しかし、立ち上がることは身体が許さない。
直ぐに目をそらしたけれど、男はいつまでも睨むようにこちらを見ている。
その目が、見つけた。
「…おい、ちょっと待てよ」
足早に立ち去ろうとする冬を阻んで、男は道の前に立ち塞がった。
「それ…金だよな?」
男が指しているのは、冬の胸元に踊る、シンプルな意匠の首飾り。
手が伸ばされ、危険を感じて身を引いたけれど、それは簡単に引きちぎられた。
「堂々と見せびらかしてるから悪いんだぜ」
「…それは、わたしの大切な、」
まほろのものだ。言葉は最後まで言い切らないまま、男の拳が頬桁を捕えている。
冬は二、三歩よろめくように後ずさり、男を睨みつける。
「返せ、まほろのッ…」
「るせぇな、そんなに大事なモンなら取り返してみやがれッ!」
まだ足元のふらついていた冬の腹を思い切り蹴り飛ばし、男は唾を吐く。
擦れた呻き声が小さく男の耳に届いて、男は満足して歩き出した。
気に入らないヤツを殴り飛ばすというストレス解消のおまけが金。素晴らしいじゃないか。
一方冬は、男の背中をきつく睨んで、しかし、立ち上がることは身体が許さない。
「…まほろ」
また彼を失ってしまう。
記憶の中の彼の涙が、心臓をきつく締め上げて、離さない。
わたしにもっと、力があれば。彼を、泣かせることなんて、ないのに。
力が足りない。彼を守るだけの力が足りない。力が欲しい。
「君に問おう、君が望む力とは何か?」
奈落の声。
「…まほろを……愛せる力がほしい」
答えは契約。
「たとえ君がすべて失ったとしても?」
冬の頬を、一筋、涙が跡を引く。
記憶の中の彼の涙が、心臓をきつく締め上げて、離さない。
わたしにもっと、力があれば。彼を、泣かせることなんて、ないのに。
力が足りない。彼を守るだけの力が足りない。力が欲しい。
「君に問おう、君が望む力とは何か?」
奈落の声。
「…まほろを……愛せる力がほしい」
答えは契約。
「たとえ君がすべて失ったとしても?」
冬の頬を、一筋、涙が跡を引く。
「 遭 い た い 」
突然自分の身体を襲った衝撃が何であったか、男は気付いただろうか。
訳がわからないまま地面に叩きつけられ、痛む頭に手をやり、また衝撃に襲われる。
ちらりと見えた目に映ったのは、先ほど殴り飛ばした男。
「お前ッ…!?」
冬は無言で、握ったスコップを振り下ろした。男の悲鳴が上がる。
「たすッ…助けてくれ…! こんな、こんなもん返して…ぅがっ…!」
冬が男を見下ろす瞳は、虚ろで冷ややかだった。そこに人間らしい感情は読み取れない。
無慈悲に何度も、何度も、男が動かなくなっても、"執行"は続けられた。
男の指から金の首飾りが滑り落ちたが、冬はそれをも黙殺した。
訳がわからないまま地面に叩きつけられ、痛む頭に手をやり、また衝撃に襲われる。
ちらりと見えた目に映ったのは、先ほど殴り飛ばした男。
「お前ッ…!?」
冬は無言で、握ったスコップを振り下ろした。男の悲鳴が上がる。
「たすッ…助けてくれ…! こんな、こんなもん返して…ぅがっ…!」
冬が男を見下ろす瞳は、虚ろで冷ややかだった。そこに人間らしい感情は読み取れない。
無慈悲に何度も、何度も、男が動かなくなっても、"執行"は続けられた。
男の指から金の首飾りが滑り落ちたが、冬はそれをも黙殺した。
…振り下ろすたびに。
肉を断ち割り骨を砕くたびに。
身体の奥が、熱くなるのがわかる。
もっと。もっとだ。潰れる音。引き裂かれる音、砕け散って、無に帰す音!
もう何度目になるかわからない。スコップを振り上げたとき。
がらん、と音を立てて、スコップが血だまりの中に落っこちた。
がらん、と音を立てて、スコップが血だまりの中に落っこちた。
「…?」
なぜこんなに、地面まで赤いのだろう。
なぜ自分は血に濡れているのだろう。
なぜ、なぜ…この手は、何をした!?
目の前に転がる死体。
取り落としたスコップ。答えは明白すぎた。鉄錆びたような血の匂いが、一気に全身を巡る。
狂いそうな頭を叱咤して、記憶を辿って行く。
もう一度、震えて仕方がない手を見た。赤く赤く染まった、きたない手。
途端に湧き上がった拒絶は、胃の腑が代弁してくれた。
なぜこんなに、地面まで赤いのだろう。
なぜ自分は血に濡れているのだろう。
なぜ、なぜ…この手は、何をした!?
目の前に転がる死体。
取り落としたスコップ。答えは明白すぎた。鉄錆びたような血の匂いが、一気に全身を巡る。
狂いそうな頭を叱咤して、記憶を辿って行く。
もう一度、震えて仕方がない手を見た。赤く赤く染まった、きたない手。
途端に湧き上がった拒絶は、胃の腑が代弁してくれた。
死に物狂いで、這うようにして男の指から、首飾りを引っ手繰る。
不思議とその金だけがまだ美しく、血に汚れていない。
「…まほろ」
目を閉じればうつくしい青が眼前に広がる。ああ、彼はまだ、そこに居てくれた。
身体の奥にはまだ、あの時感じた快感が、刻印のように穿たれたままだ。
震えながら、何度も何度も、まほろを抱いたまま目を閉じる。
それでも、あれが拭えない。真っ赤に噴出して行く、おぞましい感情が消せない。
「……まほろ…」
瞳の奥の彼は、頑として笑おうとしなかった。
不思議とその金だけがまだ美しく、血に汚れていない。
「…まほろ」
目を閉じればうつくしい青が眼前に広がる。ああ、彼はまだ、そこに居てくれた。
身体の奥にはまだ、あの時感じた快感が、刻印のように穿たれたままだ。
震えながら、何度も何度も、まほろを抱いたまま目を閉じる。
それでも、あれが拭えない。真っ赤に噴出して行く、おぞましい感情が消せない。
「……まほろ…」
瞳の奥の彼は、頑として笑おうとしなかった。
「快楽に一度堕ちてしまえば、あとは底なし沼にハマっていくだけさ」
あたらしいお人形の出来は、まあまあ満足できる、といったところか?
何より、あの目だ! 後悔に荒みきった、自分に絶望しきったあの目!
何より、あの目だ! 後悔に荒みきった、自分に絶望しきったあの目!
「それでこそ…私の操り人形だ」