長野県飯波市前原町、マンション矢吹35号室にある花丸家の部屋の窓はいつも開けられている。
彼らの息子と娘たちが帰ってきても良いように。彼らはいつだって太陽がすっかり沈んだ夜、窓から帰ってくるのだ。
彼らの息子と娘たちが帰ってきても良いように。彼らはいつだって太陽がすっかり沈んだ夜、窓から帰ってくるのだ。
…だからこそ、花丸クラレンス(旧姓は長すぎるので略)は困惑を隠せなかった。
「久し振りね。トナとコニーの結婚式以来だから…2年ぶりってところかしら?」
太陽の輝く昼間に玄関から尋ねてきた、サファイアの姿に。
「久し振りね。トナとコニーの結婚式以来だから…2年ぶりってところかしら?」
太陽の輝く昼間に玄関から尋ねてきた、サファイアの姿に。
リビングで、サフィーはお子様用の椅子に腰かける。
「…花ちゃんは?」
辺りを見回して、花丸家の末娘がいないことに気づく。
「花は今は幼稚園よ。去年から通い出したの」
「そっか。そう言えばあの子ももう4歳だったわね。
最後に見たときはまだお母さんから離れられないちびっこだったのに」
人間の時間の流れの早さを改めて思い出し、サフィーが少し寂しげに言う。
「それにしても驚いたわ。いつ、太陽の光を克服したの?」
「…一昨日よ」
「ずいぶん急なのね」
冗談だと思ったらしい。クラレンスが苦笑しながら、コーヒーポットの電源を入れる。
クラレンスはサフィーよりも300年ばかり長い800年前、中世の世から長生きしている“元”吸血鬼である。
そんな彼女は、6年前、とある男性と運命的な出会いを経て結婚し、偶然と奇跡のタッグマッチで人間に戻ってからはこの飯波市で夫と愛する娘と共に平和に暮らしている。
吸血鬼は長生きすると、不快感と大幅に力が落ちるのを我慢すれば太陽の下を歩き回れるようになる。
その事を知っているクラレンスは、それなりに長生きしているサフィーが昼間、外を歩き回っても不思議には思わない。
「コーヒーを入れてるんだけど、お砂糖とミルクは…ごめんなさい、忘れて」
人間に戻ってから6年。クラレンスは、いつもの癖で戸棚からお客様用のカップを出してから気づいた。
吸血鬼は、血しか飲まないことに。
「砂糖もミルクもたっぷりでお願い。苦いのは、苦手なの」
「…え?」
だからこそ、サフィーの返答にクラレンスは驚いた。
その様子を見て、サフィーは溜息をつきながら、クラレンスに言う。
「色々あったのよ。今のアタシは吸血鬼兼ウィザードだって言われたわ」
そして、彼女は話し出す。2日前から始まった、じつに嘘くさい、魔法使いの物語を。
「…花ちゃんは?」
辺りを見回して、花丸家の末娘がいないことに気づく。
「花は今は幼稚園よ。去年から通い出したの」
「そっか。そう言えばあの子ももう4歳だったわね。
最後に見たときはまだお母さんから離れられないちびっこだったのに」
人間の時間の流れの早さを改めて思い出し、サフィーが少し寂しげに言う。
「それにしても驚いたわ。いつ、太陽の光を克服したの?」
「…一昨日よ」
「ずいぶん急なのね」
冗談だと思ったらしい。クラレンスが苦笑しながら、コーヒーポットの電源を入れる。
クラレンスはサフィーよりも300年ばかり長い800年前、中世の世から長生きしている“元”吸血鬼である。
そんな彼女は、6年前、とある男性と運命的な出会いを経て結婚し、偶然と奇跡のタッグマッチで人間に戻ってからはこの飯波市で夫と愛する娘と共に平和に暮らしている。
吸血鬼は長生きすると、不快感と大幅に力が落ちるのを我慢すれば太陽の下を歩き回れるようになる。
その事を知っているクラレンスは、それなりに長生きしているサフィーが昼間、外を歩き回っても不思議には思わない。
「コーヒーを入れてるんだけど、お砂糖とミルクは…ごめんなさい、忘れて」
人間に戻ってから6年。クラレンスは、いつもの癖で戸棚からお客様用のカップを出してから気づいた。
吸血鬼は、血しか飲まないことに。
「砂糖もミルクもたっぷりでお願い。苦いのは、苦手なの」
「…え?」
だからこそ、サフィーの返答にクラレンスは驚いた。
その様子を見て、サフィーは溜息をつきながら、クラレンスに言う。
「色々あったのよ。今のアタシは吸血鬼兼ウィザードだって言われたわ」
そして、彼女は話し出す。2日前から始まった、じつに嘘くさい、魔法使いの物語を。
話を聞き終えて、クラレンスは溜息をついて、サフィーの方を見る。
「普通だったら、出来の悪いジョークと思うか病院に行くのを勧めるところなんだけど」
「あいにく、マジだから困ってんのよ」
サフィーも溜息。互いに長いこと生きてくぐった修羅場も10や20ではきかないもの同士。
こういうジョークを言うようなことはしないことはお互い分かっている。
「自分を魔法使いだって言うやつは昔から腐るほどいたけど、大概は詐欺師かいいとこ特殊な超能力者の類よね?」
「普通だったら、ね…」
サフィーは実際に自らを魔術師と称する男の使った魔法を思い浮かべる。
「傷を一瞬で治して、何も無いところから本を取り出して、とどめに手からビーム。あんだけ分かりやすく使われたら否定しようもないわ」
「手からビーム…まるでゲームかアニメに出てくる魔法使いね」
「ほんと~にそんな感じよ。あれ。それに、アラキが蘇ったのもなんか魔法使いが関係してるらしいわ」
「ふ~ん…あたしは見てないから確認するけど、あのクソ爺にちゃんととどめは刺したのよね?」
「少なくとも、肉体が崩壊して土に帰ってから蘇った吸血鬼ってのは、アタシは聞いたこと無いわね」
「そうね。確かに、そこまでいっちゃったらどれだけ長く生きていてもどうしようもないわね」
「でも、あいつは蘇った。まるで、小説に出てくる吸血鬼みたいにね」
真顔で、クラレンスをまっすぐに見る。
それを見てサフィーがマジなのを察して、クラレンスはサフィーの求めている答えを返す。
「…それで、私に何を聞きたいのかしら?」
「分かるの?」
「今の私があんたにできることって言ったらそれくらいでしょ?」
今のクラレンスには吸血鬼としての力は無い。だが、800年生きてきた長い長い人生とその知識はサフィーのそれに勝るとも劣らないのだ。
「…そう。それなら話は早いわ。アタシが聞きたいのは、狼人間のことよ」
「狼人間?満月の夜に狼に変身するあいつらのこと?」
「そ。アンタも見たことくらいはあるでしょ?」
「そうね。戦ったこともあるわ。吸血鬼狩人として、教会で飼われてた奴とね」
何百年か前の記憶を呼び覚ましながら、クラレンスが答える。
はるか昔、まだ人間が夜の吸血鬼と戦えるような武器を持っていなかった時代のことに思いをはせながら、クラレンスが言う。
「吸血鬼と違って不可視の力こそ使えないけれど、身体能力と再生能力は夜の吸血鬼並みかそれ以上。厄介な相手よ。変身する前に仕留めれば楽勝だけど、ね。
でも、その位のことはあなたも知っているんじゃないかしら?」
「ま~ね」
サフィーは頷いて答える。
「アタシが聞きたいのは、この街の狼人間のこと」
「この街の?」
「そ。アタシの仲間…さっき言った魔法使いの片割れが言ってたの。銀色の毛皮の狼に助けてもらったって。
アンタ、この街に住んで長いでしょ?だから、何か知らないかと思って」
「そうねえ…銀色の毛皮の狼…狼…ああ、そういえば、半年くらい前かしら」
考え込んでいたクラレンスが思い出したことを口に出す。
「普通だったら、出来の悪いジョークと思うか病院に行くのを勧めるところなんだけど」
「あいにく、マジだから困ってんのよ」
サフィーも溜息。互いに長いこと生きてくぐった修羅場も10や20ではきかないもの同士。
こういうジョークを言うようなことはしないことはお互い分かっている。
「自分を魔法使いだって言うやつは昔から腐るほどいたけど、大概は詐欺師かいいとこ特殊な超能力者の類よね?」
「普通だったら、ね…」
サフィーは実際に自らを魔術師と称する男の使った魔法を思い浮かべる。
「傷を一瞬で治して、何も無いところから本を取り出して、とどめに手からビーム。あんだけ分かりやすく使われたら否定しようもないわ」
「手からビーム…まるでゲームかアニメに出てくる魔法使いね」
「ほんと~にそんな感じよ。あれ。それに、アラキが蘇ったのもなんか魔法使いが関係してるらしいわ」
「ふ~ん…あたしは見てないから確認するけど、あのクソ爺にちゃんととどめは刺したのよね?」
「少なくとも、肉体が崩壊して土に帰ってから蘇った吸血鬼ってのは、アタシは聞いたこと無いわね」
「そうね。確かに、そこまでいっちゃったらどれだけ長く生きていてもどうしようもないわね」
「でも、あいつは蘇った。まるで、小説に出てくる吸血鬼みたいにね」
真顔で、クラレンスをまっすぐに見る。
それを見てサフィーがマジなのを察して、クラレンスはサフィーの求めている答えを返す。
「…それで、私に何を聞きたいのかしら?」
「分かるの?」
「今の私があんたにできることって言ったらそれくらいでしょ?」
今のクラレンスには吸血鬼としての力は無い。だが、800年生きてきた長い長い人生とその知識はサフィーのそれに勝るとも劣らないのだ。
「…そう。それなら話は早いわ。アタシが聞きたいのは、狼人間のことよ」
「狼人間?満月の夜に狼に変身するあいつらのこと?」
「そ。アンタも見たことくらいはあるでしょ?」
「そうね。戦ったこともあるわ。吸血鬼狩人として、教会で飼われてた奴とね」
何百年か前の記憶を呼び覚ましながら、クラレンスが答える。
はるか昔、まだ人間が夜の吸血鬼と戦えるような武器を持っていなかった時代のことに思いをはせながら、クラレンスが言う。
「吸血鬼と違って不可視の力こそ使えないけれど、身体能力と再生能力は夜の吸血鬼並みかそれ以上。厄介な相手よ。変身する前に仕留めれば楽勝だけど、ね。
でも、その位のことはあなたも知っているんじゃないかしら?」
「ま~ね」
サフィーは頷いて答える。
「アタシが聞きたいのは、この街の狼人間のこと」
「この街の?」
「そ。アタシの仲間…さっき言った魔法使いの片割れが言ってたの。銀色の毛皮の狼に助けてもらったって。
アンタ、この街に住んで長いでしょ?だから、何か知らないかと思って」
「そうねえ…銀色の毛皮の狼…狼…ああ、そういえば、半年くらい前かしら」
考え込んでいたクラレンスが思い出したことを口に出す。
「私は見てないけれど、飯波ケーブルで狼人間の変身が中継されたってずい分話題になってたわ。近所の奥様方の話だと、飯波高校の生徒だったって。
正体がバレてすぐ、引っ越したらしいけど」
「へえ…」
ビンゴ。サフィーが目を細める。
「半年も前のことだから、詳しいことは覚えてないけれど、名前は確か…ギン…」
「銀之介?」
「そう、そうよ。銀之介だったわ…何で知ってるの?」
不思議そうな顔でクラレンスは聞き返す。
「ちょっと色々あってね。でも、これで分かったわ。あとはこっちで何とかできると思う」
いのりが見た人狼が恐らくは銀之介であること、そして彼が元飯波高校の生徒であること。
それだけ分かれば、十分だ。サフィーは立ち上がる。
「そろそろ帰るわ。知りたいことも分かったし、ね」
「あら。泊まっていかないの?あの人は今アメリカだから、女2人で少し不安なの。花も喜ぶと思うわ」
「やめとくわ。さっきも話したけれど、今は厄介なことに巻き込まれてるの。アンタや花ちゃんを巻き込んだらコニーに怒られちゃう。
それに…この街はアタシたち“家族”にとって大切な街だもの。アタシが、何とかしてみせる」
本当はアタシの柄じゃないんだけどねと笑うサフィーの顔に宿るのは、戦いに向かう戦士の表情。大切なものを守るために、戦うことを決意した顔。
「トナとコニーに伝えて。しばらく、この街には近寄らないようにって」
その顔をクラレンスは知っている。かつて、ジルを助けるために義理の息子が見せたのと同じ顔だ。
「ええ。適当にごまかして伝えておくわ」
「ありがと。じゃ、またね」
そして、サフィーは立ち上がる。
「…ねえ、サファイア、1つだけ、教えてくれる?前から気になっていたことがあるの」
玄関へと向かうサフィーに、クラレンスが声をかける。
「…なに?」
「なぜ、あなたは人間に戻らなかったの?」
あのとき、奇跡と偶然から生まれた、吸血鬼が人間に戻れる薬は1人分しか残っていなかった。
「あなたには、人間としてジルコニアと一緒に暮らす道もあった。なのに、あなたは薬を私に譲って、吸血鬼として生きる道を選んだ。
それは、なぜ?永遠に続く、一人きりの永遠がどれだけ苦痛か、あなたは知っているはずよ」
クラレンスはサフィーをまっすぐに見つめる。サフィーはそれから眼をそらして、答えた。
「…別に。今さら人間に戻る気にもなれなかった。それだけよ。それに、別にあのときの判断が間違ってたとも思っていないわ。
パパさんも喜んでたし、花ちゃんだって、アンタが人間に戻らなければ、生まれてこなかったでしょ」
「それは、そうだけど…」
「悪いとか思ってるなら、筋違い。アタシが吸血鬼でいるのを選んだのは、自分で決めたことよ」
それだけ言うとサフィーは花丸家を後にした。
正体がバレてすぐ、引っ越したらしいけど」
「へえ…」
ビンゴ。サフィーが目を細める。
「半年も前のことだから、詳しいことは覚えてないけれど、名前は確か…ギン…」
「銀之介?」
「そう、そうよ。銀之介だったわ…何で知ってるの?」
不思議そうな顔でクラレンスは聞き返す。
「ちょっと色々あってね。でも、これで分かったわ。あとはこっちで何とかできると思う」
いのりが見た人狼が恐らくは銀之介であること、そして彼が元飯波高校の生徒であること。
それだけ分かれば、十分だ。サフィーは立ち上がる。
「そろそろ帰るわ。知りたいことも分かったし、ね」
「あら。泊まっていかないの?あの人は今アメリカだから、女2人で少し不安なの。花も喜ぶと思うわ」
「やめとくわ。さっきも話したけれど、今は厄介なことに巻き込まれてるの。アンタや花ちゃんを巻き込んだらコニーに怒られちゃう。
それに…この街はアタシたち“家族”にとって大切な街だもの。アタシが、何とかしてみせる」
本当はアタシの柄じゃないんだけどねと笑うサフィーの顔に宿るのは、戦いに向かう戦士の表情。大切なものを守るために、戦うことを決意した顔。
「トナとコニーに伝えて。しばらく、この街には近寄らないようにって」
その顔をクラレンスは知っている。かつて、ジルを助けるために義理の息子が見せたのと同じ顔だ。
「ええ。適当にごまかして伝えておくわ」
「ありがと。じゃ、またね」
そして、サフィーは立ち上がる。
「…ねえ、サファイア、1つだけ、教えてくれる?前から気になっていたことがあるの」
玄関へと向かうサフィーに、クラレンスが声をかける。
「…なに?」
「なぜ、あなたは人間に戻らなかったの?」
あのとき、奇跡と偶然から生まれた、吸血鬼が人間に戻れる薬は1人分しか残っていなかった。
「あなたには、人間としてジルコニアと一緒に暮らす道もあった。なのに、あなたは薬を私に譲って、吸血鬼として生きる道を選んだ。
それは、なぜ?永遠に続く、一人きりの永遠がどれだけ苦痛か、あなたは知っているはずよ」
クラレンスはサフィーをまっすぐに見つめる。サフィーはそれから眼をそらして、答えた。
「…別に。今さら人間に戻る気にもなれなかった。それだけよ。それに、別にあのときの判断が間違ってたとも思っていないわ。
パパさんも喜んでたし、花ちゃんだって、アンタが人間に戻らなければ、生まれてこなかったでしょ」
「それは、そうだけど…」
「悪いとか思ってるなら、筋違い。アタシが吸血鬼でいるのを選んだのは、自分で決めたことよ」
それだけ言うとサフィーは花丸家を後にした。
「…本当はね、怖かったの」
扉の外で、一人になったサフィーが上を見上げ、呟く。
「アラキを倒したあと、人間になって、何がしたいか、考えた。考えて…なにも思いつかなかった」
空には、吸血鬼となった日に見たのと同じ星空。数少ない、500年の間に変わらなかったもの。
「クラレンス、アンタには分からないかも知れないわね。人間として、大人になったアンタには」
その空を見上げるサフィーの表情は…諦めと、恐れが入り混じった顔。
「人間のアタシがどんなだったかなんて、とうの昔に忘れたわ。知ってるのは吸血鬼“赤毛の悪魔”としてのアタシだけ。
…吸血鬼であることを捨てたら、アタシには何にも残らない。それがどうしようもなく、怖かった。それだけよ」
そう独白するサフィーは、まるで迷子になって途方にくれる幼い少女のような顔だった。
扉の外で、一人になったサフィーが上を見上げ、呟く。
「アラキを倒したあと、人間になって、何がしたいか、考えた。考えて…なにも思いつかなかった」
空には、吸血鬼となった日に見たのと同じ星空。数少ない、500年の間に変わらなかったもの。
「クラレンス、アンタには分からないかも知れないわね。人間として、大人になったアンタには」
その空を見上げるサフィーの表情は…諦めと、恐れが入り混じった顔。
「人間のアタシがどんなだったかなんて、とうの昔に忘れたわ。知ってるのは吸血鬼“赤毛の悪魔”としてのアタシだけ。
…吸血鬼であることを捨てたら、アタシには何にも残らない。それがどうしようもなく、怖かった。それだけよ」
そう独白するサフィーは、まるで迷子になって途方にくれる幼い少女のような顔だった。