聖刻@Wiki

北部

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1.西方北部域(ラムクト以北)のことで広義には西部域も含む。狭義ではオルゴ大河と南部テーラタインまで。

カグラ・ルートが直接繋がっていないにも関わらず、東の終点フラバル国と共謀してその交易の利益をほとんど吸い上げる構造を持つ、ここ10世紀に渡る西方第1の文化圏。

遥かな太古に北方由来(?)の席巻者〈古の種族〉たちが起こした長期に渡る大戦争で、先住のグリム氏族を含む北部全土が壊滅し、かろうじて生き残ったアハル民族が先史文明の残滓を以て古王朝を築くまでかなりの期間があり、古代においては今とは逆に南部域が中心で、西方暦以前の北は僻地であったらしい。

2.東方北部域(吾伽式国や梗醍果国の辺り)のこと。

ほとんどが不毛の荒野や未開の地で、わずかに文明化している所はほぼ騎撰族が占めている。

東方全土の盟主宗教指導者としての威光や権威はあれど、まだまだ人外の厄災から脱していない危険地域で、南部山岳部から南の国々より(特に食文化において顕著)貧しい。

3.聖刻群龍伝では、西部と北部はきっちり分けられていてほとんど情報が無く、エルベという国が一大帝国を築きつつあるらしい。

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