魔法少女まどか☆マギカの第9話

~回想~

既に限界まで穢れてしまった、さやかの掌の上のソウルジェム。

杏子「…!」

それを見て驚く杏子。

さやか「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない…あたし達魔法少女って、そういう仕組みだったんだね……あたしって…ほんとバカ」


その日の夜、1人の少女が見滝原駅のホームで絶望に身を委ね、魔女という名の化物へと生まれ変わってしまった。
人魚の魔女"Oktavia Von Seckendorff"…その性質は恋慕。(注1)
結界に囚われた杏子。
上空からさやかの遺体が落ちてくる。

杏子「…?」

杏子は遺体を受け止めるべく、即座に変身して突っ込んでいく。

杏子「さやかっ!!」

しかし、そのすぐ前には魔女がいる。
鎮座する台座の下から、無数の線路と車輪が飛び出す。
次々に落ちてくる車輪をかわしながら、杏子は走り…

杏子「!!」

そして、ジャンプして遺体を受け止める。
しかし、眼前には魔女が。
魔女の咆哮が結界に響き渡る。

杏子「何なんだよ…! テメエ一体何なんだ!? さやかに何をしやがった!?」

更に飛び出す線路と車輪。
杏子がそれをかわしながら進んでいると、突然車輪が爆発。

杏子「!!」
「下がって…!」

線路上にほむらがいる。
彼女が一瞬その場から消えたと思うと、次の瞬間魔女の目の前に爆弾が現れ、爆発。
それを見ていた杏子の目の前にほむらが現れ、手を差し延べる。

ほむら「…捕まって」
杏子「何を…」

汽笛が鳴りだし、汽車が線路の上を往く。

ほむら「いいから!」
杏子「…!」

意を決して、杏子はほむらの手を掴む。
それと同時に、ほむらは時間停止を発動させる。
時が完全に停止するまでの間に、魔女はマントを広げて剣を構え、甲冑に包まれた上半身を露にした。

杏子「こいつは…」
ほむら「私から手を離したら、あなたの時間も止まってしまう…気をつけて」

ほむらは杏子を引き連れ、杏子も遺体を担いだまま走り出す。

杏子「どうなってるんだよ! あの魔女は何なんだよ!?」
ほむら「かつて美樹さやかだったモノよ。あなた、見届けたんでしょ?」
杏子「逃げるのか?」

2人は線路を走りながら、結界の外を目指していた。

ほむら「嫌ならその余計な荷物を捨てて、今すぐあの魔女を殺しましょう…出来る?」
杏子「ふざけるな!」
ほむら「今のあなたは足手まといにしかならない…一旦引くわ」
杏子「…!」

やがて線路の先に光が見え、2人は結界を抜け出す。
駅の時計は0時58分から59分に。
杏子は遺体を床に降ろし、ほむらが振り返った途端、結界は消えた。





魔法少女まどか☆マギカ

第9話 そんなの、あたしが許さない




電灯に集る無数の虫。
見滝原駅近辺の線路に響く足音。
2人に遅れてそこに辿り着いたまどか。

まどか「…?」

彼女の前を歩くのは…

まどか「!?」

さやかの遺体を抱えた杏子、そしてほむら。

まどか「…さやかちゃん!?」

さやかを見つけ、足を急がせるまどか。

杏子「…」

彼女から目を逸らす杏子。

まどか「さやかちゃん!? どうしたの!?」

黙るほむら。

まどか「ねえ? ソウルジェムは? さやかちゃんはどうしたの!?」
ほむら「彼女のソウルジェムは、グリーフシードに変化した後、魔女を生んで消滅したわ」
まどか「え…」

驚き、膝をつく。

まどか「…嘘…だよね…」
ほむら「事実よ。それがソウルジェムの最後の秘密」

自分のソウルジェムを差し出すほむら。

ほむら「この宝石が濁りきって黒く染まる時、私達はグリーフシードになり、魔女として生まれ変わる…それが、魔法少女になった者の、逃れられない運命」

歯を喰いしばる杏子。
ほむら達の背後から、電車が近づいてくる。
立ち上がり、2人に近づくまどか。

まどか「嘘よ…嘘よね…ねえ…!」

傍を電車が通り過ぎる。
茫然とし、再び膝をつくまどか。

まどか「そんな…どうして…さやかちゃん…魔女から人を守りたいって…正義の味方になりたいって…そう思って魔法少女になったんだよ? …なのに…!」
ほむら「その祈りに見合うだけの呪いを、背負い込んだまでの事。あの子は誰かを救った分だけ、これからは誰かを祟りながら生きていく…」

遺体を地面に降ろす杏子。
沈黙の後、激昂してほむらの襟首を掴む。

杏子「テメエは…何様のつもりだ…! 事情通ですって自慢したいのか!?」

俯くだけのほむら。
杏子は更に肩も掴んで…

杏子「何でそう得意気に喋ってられるんだ!? こいつはさやかの…!」

まどかの方を見る杏子。
彼女は遺体に顔をうずめて泣いていた…

杏子「さやかの親友なんだぞ…!」

ほむらもまどかに視線を遣る。

ほむら「今度こそ理解出来たわね…あなたが憧れていたものの正体が、どういうものか…わざわざ死体を持ってきた以上、扱いには気をつけて」

杏子の手を払いのける。

ほむら「迂闊な場所に置き去りにすると、後々厄介な事になるわ」
杏子「テメエそれでも人間か!?」
ほむら「勿論違うわ…」

後ろ髪をかき上げて…

ほむら「あなたもね」
杏子「…!」

去っていくほむら。

まどかの部屋。
既に午前3時を回っている。
まどかは1人ベッドの上でうずくまっていた。
しばらくして、窓際にキュゥべえが現れる。

キュゥべえ「入っていいかい? 話があるんだ」
まどか「生きてたのね…」

キュゥべえは飾られたぬいぐるみの中に混じっている。

まどか「…ほむらちゃんが言ってた事、本当なの?」
キュゥべえ「訂正する程間違ってはいないね」
まどか「…じゃあ、あなたはみんなを魔女にする為に、魔法少女に?」
キュゥべえ「勘違いしないで欲しいんだが、僕等は何も、人類に対して悪意を持っている訳じゃない。全ては、この宇宙の寿命を延ばす為なんだ…まどか、君はエントロピーっていう言葉を知ってるかい?」

答えられないまどか。

キュゥべえ「簡単に例えると、焚き火で得られる熱エネルギーは、木を育てる労力と釣り合わないって事さ。エネルギーは形を変換する毎にロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ。だから僕達は、熱力学の法則に縛られないエネルギーを探し求めてきた。そうして見つけたのが、魔法少女の魔力だよ」
まどか「…あなたは…一体…」
キュゥべえ「僕達の文明は、知的生命体の感情を、エネルギーに変換するテクノロジーを発明した。ところが生憎、当の僕等が感情というものを持ち合わせていなかった。そこで、この宇宙の様々な異種族を調査し、君達人類を見出したんだ」

無造作に並んだいくつもの椅子。

キュゥべえ「人類の個体数と繁殖力を鑑みれば、1人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し、成長するまでに要したエネルギーを凌駕する。君達の魂は、エントロピーを覆す、エネルギー源足り得るんだよ」

光を浴びる1つの椅子。

キュゥべえ「とりわけ最も効率がいいのは、第二次成長期の少女の、希望と絶望の相転移だ。ソウルジェムになった君達の魂は、燃え尽きてグリーフシードへと変わるその瞬間に、膨大なエネルギーを発生させる。それを回収するのが、僕達"インキュベーター"の役割だ」
まどか「わたし達…消耗品なの? あなた達の為に、死ねって言うの?」
キュゥべえ「この宇宙にどれだけの文明がひしめき合い、一瞬毎にどれ程のエネルギーを消耗しているのか分かるかい? 君達人類だって、いずれはこの星を離れて、僕達の仲間入りをするだろう。その時になって、枯れ果てた宇宙を引き渡されても困るよね。長い目で見れば、これは君達にとっても、得になる取引の筈だよ?」
まどか「…バカ言わないで…そんな訳の分からない理由で、マミさんが死んで、さやかちゃんがあんな目に遭って…」

泣き出してしまう。

まどか「あんまりだよ…酷すぎるよ…」
キュゥべえ「僕達はあくまで君達の合意を前提に契約しているんだよ? それだけでも十分に良心的な筈なんだが…」
まどか「みんな騙されてただけじゃない!!」
キュゥべえ「騙すという行為自体、僕達には理解出来ない。認識の相違から生じた判断ミスを後悔する時、何故か人間は、他者を憎悪するんだよね」
まどか「あなたの言ってる事、ついて行けない…全然納得出来ない…」
キュゥべえ「君達人類の価値基準こそ、僕等は理解に苦しむなぁ。今現在で69億人、しかも、4秒に10人ずつ増え続けている君達が、どうして単一個体の生き死にでそこまで大騒ぎするんだい?」
まどか「そんな風に思ってるなら…やっぱりあなた、わたし達の敵なんだね…」
キュゥべえ「これでも弁解に来たつもりだったんだよ? 君達の犠牲が、どれだけ素晴らしいものを齎すか、理解して貰いたかったんだが…どうやら無理みたいだね」
まどか「当たり前でしょ?」
キュゥべえ「まどか。いつか君は、最高の魔法少女になり、そして最悪の魔女になるだろう。その時僕等は、かつてない程大量のエネルギーを手に入れる筈だ。この宇宙の為に死んでくれる気になったら、何時でも声をかけて。待ってるからね」

消えていくキュゥべえ。
その感情を持たないが故の非情さに、まどかは悲しみに暮れるしかなかった…

見滝原市内のとあるホテルの一室。
テーブルの上に置かれた菓子、ハンバーガー、ピザ、ドリンク類。(注2)
杏子はソウルジェムの光を、ベッドに横たわるさやかの遺体に当て、魔力を送る。
それを背後から見届けるキュゥべえ。

キュゥべえ「そうまでして死体の鮮度を保って、一体どうするつもりだい?」
杏子「…!」

一旦作業を止め、食料の山からハンバーガーを取り出して食べる。
食料は、ピザ以外壁際に移されていた。

杏子「…こいつのソウルジェムを取り戻す方法は?」
キュゥべえ「僕の知る限りでは、ないね」
杏子「…そいつは…お前が知らない事もあるって意味か?」
キュゥべえ「魔法少女は条理を覆す存在だ。君達がどれ程の不条理を成し遂げたとしても、驚くには値しない」
杏子「出来るんだな?」
キュゥべえ「前例はないね。だから僕にも方法は分からない。生憎だが、助言のしようがないよ」
杏子「……いらねえよ…誰が…テメエの手助けなんか…借りるもんか…!」

ハンバーガーとチキンをガツガツ食いながら話す。

翌日の朝。
まどかは仁美と登校していた。

仁美「まどかさん、今朝は顔色が優れませんわ…大丈夫ですの?」
まどか「うん…ちょっと寝不足でね…」
仁美「それにしても、今日もさやかさんはお休みかしら…後でお見舞いに行くべきでしょうか…でも、私が行っていいのか…今ちょっと、さやかさんとはお話しし辛いんですが…」
まどか「仁美ちゃん…あのね…」
杏子「(昨日の今日で)」
まどか「?」

まどかが続きを言おうとした瞬間、杏子がテレパシーで会話に割り込む。

杏子「(呑気に学校なんて行ってる場合かよ)」

立ち止まって周囲を見渡すまどか。
杏子は遠くのビルの上にいる。
まどかは杏子を見つけ、その方向へ歩く。

仁美「まどかさん?」
杏子「(ちょっと話があるんだ。顔貸してくれる?)」

意を決するまどか。

まどか「仁美ちゃん…ごめん。今日はわたしも、学校お休みするね!」

一目散にその場を去る。

仁美「え…そんな…まどかさん、ちょっと!」

電灯からこぼれた水滴が、水溜りに落ちる。
見滝原市のとある住宅街。
まどかは、ここで自分を待っていた杏子の元に辿り着いた。

まどか「あの…話って…?」
杏子「美樹さやか、助けたいと思わない?」
まどか「? 助けられる…の?」
杏子「助けられないとしたら、放っとくか?」
まどか「…」
杏子「…妙な聞き方しちゃったね。バカと思うかも知れないけど…あたしはね、本当に助けられないのかどうか、それを確かめるまで、諦めたくない」

まどかはまだ緊張が解けない。

杏子「あいつは魔女になっちまったけど、友達の声位は憶えてるかも知れない。呼びかけたら、人間だった頃の記憶を取り戻すかも知れない…それが出来るとしたら…多分、あんただ」
まどか「……上手くいくかな…」
杏子「分かんねえよそんなの」

不安に包まれる。

杏子「…ふふっ、分かんないからやるんだよ。もしかして、あの魔女を真っ二つにしてやったらさ、中からグリーフシードの代わりに、さやかのソウルジェムがポロッと落ちてくるとかさ。そういうモンじゃん? 最後に愛と勇気が勝つストーリーってのは」

次第に緊張が解け、まどかは杏子の話に聞き入っている。

杏子「…あたしだって、考えてみたら、そういうのに憧れて魔法少女になったんだよね。すっかり忘れてたけど、さやかはそれを思い出させてくれた」

話を聞くうちに、まどかの決意も固まっていく。

杏子「付き合い切れねえってんなら、無理強いはしない。結構、危ない橋を渡る訳だしね。あたしも、絶対何があっても守ってやる、なんて約束は出来ねえし…」
まどか「ううん…手伝う。手伝わせて欲しい」

水滴が再び水溜りに落ちる直前、まどかは杏子に手を差し延べる。

まどか「わたし、鹿目まどか」

緊張も不安もすっかりなくなり、笑顔を見せる。

杏子「…ったくもう、調子狂うよなほんと」
まどか「え?」
杏子「佐倉杏子だ…よろしくね」

杏子は上着のポケットから棒菓子を取り出し、まどかに手渡す。

まどか「…」

それを手に取って見つめる。

見滝原中学校。
まどかのクラスは数学の授業中だった。
その途中、ほむらが…

ほむら「…すみません。気分が優れませんので、保健室へ」
数学教師「ん? このクラスの保険委員は誰かね?」
女生徒「鹿目さんは今日お休みです」

ホワイトボードに問題の答えを書いていた女生徒が答える。

数学教師「ふむ。では学級委員が付き添いに…」

1人黙々と教室を出ていくほむら。

夕方。
魔女を捜して、杏子とまどかは橋の下を歩いている。

まどか「ほむらちゃんも、手伝ってくれないかな…」
杏子「あいつはそういうタマじゃないよ」
まどか「友達じゃないの?」

串団子を食べる杏子。

杏子「…違うね…まあ、利害の一致っていうか、お互い1人じゃ倒せない奴と戦う為につるんでるだけさ…あと何日かしたら、この街にワルプルギスの夜が来る…」

再び串団子を食べる。

まどか「ワルプルギス?」
杏子「超ド級の大物魔女だ…」

串団子をさらに一口。

杏子「あたしもあいつも、多分1人じゃ倒せない。だから共同戦線っていうか…まあ要するにそういう仲なのさ」

そして2人は、ビルの工事現場に辿り着いた。
杏子のソウルジェムの輝きが増し、魔女の気配を示す。

杏子「…ここだな」

2人は封鎖された扉のロックを壊し、中へと入っていく。
串団子のうち1本を食べ切る杏子。
そして、階段を上る。

まどか「ほんとにさやかちゃんかな…他の魔女だったりしないかな…」
杏子「魔力のパターンが昨日と一緒だ。間違いなくあいつだよ」

やがて気配の最も強い所に着き、足を止める2人。
杏子は串団子を食べ終え、変身する。
投げ捨てた串が、鉄骨の落書きに突き刺さる。

杏子「…さて、改めて聞くけど…本当に覚悟はいいんだね?」
まどか「何かもう、慣れっこだし。わたし、いつも後からついて行くばっかりで…役に立った事一度もないけど…でもお願い。連れていって」
杏子「…ほんと変な奴だな、あんた。ふっ…」

槍で結界の入り口を切り開く杏子。
その中は、最初に自分が取り込まれた場所と違っていた。

まどか「ねえ、杏子ちゃん」
杏子「ん?」
まどか「誰かにばっかり戦わせて、自分で何もしないわたしって…やっぱり、卑怯なのかな」
杏子「何であんたが魔法少女になる訳さ」
まどか「何でって…」

まどかを睨み付け、立ち止まる杏子。

杏子「ナメんなよ。この仕事はね、誰にだって務まるモンじゃない」
まどか「でも…」
杏子「毎日美味いモン食って、幸せ家族に囲まれて、そんな何不自由ない暮らしをしてる奴がさ、ただの気まぐれで魔法少女になろうとするんなら、そんなのあたしが許さない。いの一番にブッ潰してやるさ」
まどか「……」

言葉を失うまどか。

杏子「命を危険に晒すってのはな、そうするしか他に仕方無い奴だけがやる事さ。そうじゃない奴が首を突っ込むのはただのお遊びだ…おふざけだ」
まどか「そうなのかな…」
杏子「あんただっていつかは、否が応でも命懸けで戦わなきゃならない時が来るかも知れない。その時になって考えればいいんだよ」
まどか「うん…」

狭い道の先の扉を開いて、更に奥へと進む。
何処からともなく音楽が流れ、両側の壁の丸い窓には、さやかの人間だった頃の思い出が映し出されている。

まどか「杏子ちゃんは、どうして…」

その瞬間、扉がひとりでに閉じる。

まどか「!?」
杏子「気付かれた。来るぞ!!」
通路がひとりでに動き出し、次々と扉が開き、2人は吸い込まれる様に結界最奥部に着く。
そこはまるでコンサートホールの様で、使い魔の群れが曲を奏でていた。(注3)

まどか「…」

更に中央で魔女が音楽に乗って踊っていた。

杏子「いいな…打ち合わせ通りに」
まどか「う、うん」

壁に手下の影が映る。
まどかは勇気を振り絞って魔女に呼びかける。

まどか「さやかちゃん…わたしだよ。まどかだよ! ねえ…聞こえる? わたしの声が分かる!?」

しかし、魔女は車輪を召喚する。
まどかを庇う様に杏子が前に出る。

杏子「怯むな。呼び続けろ!」

杏子が祈る様に両手を組むと、2人の間に鉄格子の様な赤い鎖の壁が幾重も現れる。

まどか「さやかちゃん、やめて…!」

槍を構える杏子。

まどか「お願い! 思い出して! こんな事、さやかちゃんだって嫌だった筈だよ!! さやかちゃん、正義の味方になるんでしょ!? ねえお願い!! 元のさやかちゃんに戻って!!」

容赦なく襲いかかる車輪を、杏子は切り払う。

杏子「聞き分けがねえにも…程があるぜ! さやか!!」

再び車輪を召喚。

杏子「!?」

魔女が剣を振り下ろすと、車輪が一斉に杏子に襲いかかる。
煙が晴れると、鎖は消えてしまっていた。

まどか「杏子ちゃん!!」

杏子のダメージは大きかった。
車輪を押しのけて…

杏子「大丈夫…この程度、屁でもねえ…! あんたは呼び続けろ…さやかを…!」

再び鎖の壁を作り出す杏子。
魔女も更に車輪を召喚。

まどか「やめて!! もうやめて!! さやかちゃん!! わたし達に気付いて!!」

車輪に打ちのめされる杏子。

杏子「!!」

車輪の猛攻を受けながらも、杏子は耐え続ける。

杏子「…はっ…! いつぞやのお返しかい…そう言えばあたし達…最初は殺し合う仲だったっけね…」

初めて戦った時の事を思い出す。
かつてさやかは、経験の差故に杏子に一太刀たりとも浴びせられなかった。
立場が変わり、今は杏子が魔女=さやかに一方的に押されてしまっている。
まどかは鎖にしがみ付いて泣いていた。

杏子「生温いって…あの時、あたしがもっとブチのめしても、あんたは立ち上がってきたじゃんかよ…!」

青いさやかの影に赤い杏子の影が絡み合い、杏子がさやかに寄り添う。
しかし、さやかは炎と燃えて消えていき、杏子も渦に巻き込まれる様に消える。

杏子「怒ってんだろ? …何もかも許せないんだろ? …分かるよ…」

2つの影は溶け合わない赤と青の模様のまま、杏子の血となって滝の様に流れ落ちる。

杏子「それで気が済んだら、目ェ覚ましなよ…!」

車輪に撥ね飛ばされ、杏子は背後の鎖の壁に叩きつけられる。

杏子「!!」

車輪の体当たりで鎖の壁が砕け散る。
杏子に駆け寄るまどか。

まどか「…!?」

魔女が右腕を伸ばす。
まどかは逃げようとするも…

杏子「!」

掴まれてしまう。

まどか「…ぁぁっ…さやかちゃん…お願いだから…!」
杏子「…さやかっ!!」

槍を拾って飛びかかり、魔女の右腕を切断。
青い血飛沫が舞う。

杏子「あんた…信じてるって言ってたじゃないか!! この力で、人を幸せに出来るって!!」

魔女が振り下ろした剣が、床を切り裂く。
まどかが気を失って倒れている場所が陥没し、床の一部に穴が開く。
そこから落下していく杏子、まどか、そして魔女。

杏子「頼むよ神様…こんな人生だったんだ…せめて一度位…幸せな夢を見させてよ…!」

もうさやかを救う手段がない事を知り、杏子は涙ながらに呟く。
結界の天地が逆転。
手下の1匹が、魔女に背を向けたまま演奏を止めている。
いつの間にかそこに来ていたほむらは、抱きかかえたまどかを床に降ろす。
その直後、彼女の背後で杏子の槍が落ちる音がした。

ほむら「…杏子!」

うずくまっている杏子。
槍が紫の炎を纏って消える。
そして彼女も立ち上がる。

杏子「…よお」
ほむら「…あなた…」
杏子「その子を頼む。あたしのバカに付き合わせちまった」
ほむら「…!?」

杏子はほむらの前に鎖の壁を作る。

杏子「足手まといを連れたまま戦わない主義だろ? …いいんだよ。それが正解さ。ただ1つだけ、守りたいものを最後まで守り通せばいい…はは…何だかな…あたしだって、今までずっとそうしてきた筈だったのに…」

頭のリボンを解くと、髪の下に隠していた父の形見の十字架が飛び出す。
それを受け取り、跪いて祈りを捧げる。

杏子「行きな…こいつはあたしが引き受ける…!」

杏子の全身が紫の炎に包まれ、何本もの大きな槍が床を突き抜ける。
まどかを抱え、急いでその場を離れるほむら。

杏子「心配すんなよさやか…」

祈りの体制のまま、更に巨大な槍に乗っている杏子。
その穂先が開く。

杏子「独りぼっちは、淋しいもんな…」

周りを槍が囲み、向かい合う杏子と魔女。

杏子「いいよ…一緒にいてやるよ…さやか…」

魔女の目に杏子が映る。
杏子はソウルジェムがはめ込まれた十字架に口づけし、放り投げる。
そして槍を構え、全ての魔力を解き放ち、落ちてきた十字架を一突きする。
ソウルジェムは十字架諸共砕け散り、大爆発が杏子を、魔女を、更に結界をも包んでいく。

家族を、家庭を守る為に、父の言葉を真面目に聞いてくれます様にと願った杏子。
しかし、「父の言葉が人の心を操る」という祈りの正体を知られ、平穏が戻った筈の家庭は崩壊してしまい、以来自分勝手に生き続けてきた。
そんな矢先、マミの遺志を継ぐさやかと出会い、敵対した。押し殺した過去の自分を、彼女に重ねていたから。
同じ奇跡を願い、同じ想いで戦った似た者同士の2人は、戦う事がなくなっても、最後まで本当に打ち解けるには至らなかった。
あくまで信念に従い、裏切られ、結果自分が味わった以上の絶望に負けたさやかの死に直面し、杏子は過去の自分にもう一度向き合わせてくれた彼女を救うと決意する。
そして戦いの中、もう救えないと分かっても尚希望を捨てず、心を、命を賭して出した1つの答え…それは、死んでもずっと一緒にいる事だった。


結界の外に出たほむら。

ほむら「…杏子…」

暁美家。
自室で考え事をしているほむらの元にキュゥべえが現れる。

ほむら「佐倉杏子には、本当に美樹さやかを救える望みがあったの?」
キュゥべえ「まさか。そんなの不可能に決まってるじゃないか」
ほむら「なら…どうしてあの子を止めなかったの?」
キュゥべえ「勿論、無駄な犠牲だったら止めただろうさ。でも今回、彼女の脱落には、大きな意味があったからね。これでもうワルプルギスの夜に立ち向かえる魔法少女は、君だけしかいなくなった…勿論、1人では勝ち目なんてない。この街を守る為には、まどかが魔法少女になるしかない訳だ」
ほむら「…やらせないわ…絶対に…!」

送電鉄塔の上、輝く月。



<続く>



─脚注─

(注1)その名の通り、上半身に甲冑を纏い台座に乗った人魚の姿。さやかに纏わる一連のエピソードも、童話の人魚姫になぞらえたものである。
本編内で魔女に重なったり影として登場していた不気味な物体は、劇団イヌカレー(異空間設計)による設定資料にある甲冑の中のスライム状になったさやか(の様なもの)で、強がりばかりで素直になれず弱い自分を隠し続けた彼女の心理を象徴しているとも言われる。
続く第10話のほむらの過去(3週目の時間軸内)のエピソードにおいても、同様にさやかが魔女化するが、ここでの姿は大本の変化はないものの、下半身やマント等の配色が違う、剣を両手に持つ、結界最奥部のデザインもダンスフロア風、等の変更点がある。

(注2)家族と家庭(佐倉家は元々聖職者の一家だった)を失った過去を持つ杏子の私生活のうち、日々の食料の調達はほぼ万引きで成り立っている。しかし、本編内での直接的描写はなく、第7話でさやかに差し出したリンゴが盗品である事を看破された点から窺える程度。
ホテルに持ち込んだ食料や、まどかに渡した棒菓子も恐らく盗品と思われるが、串団子は小説版では買った事になっている。
この様に杏子の万引きはオブラートに包まれているが、その割に第10話ではほむらが暴力団から銃火器を盗むシーンがある(因みに暴力団の名前は「射太興業」といい、シャフト(アニメーション制作)をもじったもの)。
より具体的な日常描写は、スピンオフ漫画『魔法少女おりこ☆マギカ』及びPSP用ゲーム『魔法少女まどか☆マギカ ポータブル』等で見られる。※万引きは犯罪です。絶対にやってはいけません!!
尚、魔法少女になりたての頃の杏子はマミと師弟・交友関係にあったが、家庭崩壊を機に考え方の相違から決別した。

(注3)人魚の魔女の手下"Holger"。役割は演奏。第10話の過去時間軸では、代わりに仁美に酷似した姿の"Klarissa"が登場しており、役割はバックダンサー。魔女の車輪攻撃に巻き込まれるなど扱いは悪い。

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最終更新:2015年04月27日 05:55