"コジ・ファン・トゥッテ"

対訳

訳者より

  • 2013年にヴェルディをはじめとするイタリアオペラの大量の対訳にチャレンジしたときに、それまで出ていた国内CDやLPの対訳をたくさん参照させて頂きました。あまり複数の対訳の読み比べなどはこんなことでもないとすることはないと思うのですが、そこでつくづく感じたのはそのクオリティのばらつき。多少の誤訳はまあ仕方ないにしても、ちょっとこの対訳ではこのオペラが誤解されてしまうのではないかと心配になってしまうような酷い対訳が特に古いものでは散見されました、そんな中でどの作品でもクオリティの高い対訳をコンスタントにされていて私も大いに参考にさせて頂いた方は何人かおられますが、その中のひとりが小瀬村幸子さん。原詩の語感を生かした適切な日本語をうまく選んで自然な流れの脚本に仕上げる技はお見事の一語に尽きます。国内盤のCDを買って彼女の対訳がついていれば大変ラッキーと思って良いでしょう(もちろん他にも何人か信頼のおける方はいます あまり具体的に挙げるのは差し控えますけれど)。彼女が音楽の友社の「オペラ対訳ライブラリー」のイタリアオペラで多数の作品に起用されているのも頷けます。そんな小瀬村さん、この「コシ・ファン・トゥッテ」、件のオペラ対訳ライブラリーでも満を持して対訳に取り組んでいます。が、どうもこれがあまりよろしくないのです。確かにいつもながらの考え抜いた訳語の選択はお見事なのですがどうにも劇としての流れが悪く、いまひとつ筋書きに乗れない、そんなもどかしさが募ります。というわけで僭越ながらこのオペラも私なりの訳にチャレンジしようと手をつけて見て分かったのはダ・ポンテの台本の難しさ、他のイタリアオペラ同様これも対訳本の読み比べをしましたがこのオペラほど色んなところでの解釈のばらつきが大きいものを私は今まで見たことがありませんし、何度訳を見直してもしっくりこない箇所がこれほど多いオペラは私も初体験です。小瀬村さんの本の助けを大いに借りながらもまだ満足の行く訳になったとは言い難く、とりあえずの仮訳ということでアップさせて頂きます。
  • このオペラの翻訳を難しくしているもうひとつの理由はやはりあまりに非現実的なそのストーリー展開。にも関わらず局所局所は美しい言葉と音楽が盛り込まれていますので、ありきたりの翻訳をすると物語展開に対して、あるいは逆に音楽の美しさに対して違和感の強すぎる訳となって頭にすっと入ってこないのです。ものすごく面白い喜劇台本なのですが、そのツボを押さえた訳をするハードルが恐ろしく高い難関と感じました。
  • そこで私はまず、カップル二組の幼さを強調する戦術に出ました。第2幕のデズピーナのアリア「女も15歳になれば」にありますように、結婚の早かったこの時代ですからこのオペラのふたりのヒロイン、たぶんまだハイティーンそこそこと行ったところでしょう。しかも箱入りのお嬢さまですから世間ずれしていない、そこかしこに顔を覗かせる彼女たちの幼さを見逃さないようにしています。それに相対する男どもも歳の差を考えると二十歳くらいでしょうか。イキガッテはいるけれどもどこか傍からみても微笑ましいバカさ満載の感じのキャラで喋らせています。またアルバニア人に化けて戻ってきてからは、やはり外国人っぽく喋らせた方がそれらしいですし、何より彼らの愛のささやきが所詮ゲームでしかないということが強調できてなかなか面白い仕上がりになったのではないかと思います。大仰に愛を語っていてもどこかアホラシサが漂うようなと申しましょうか。ただし一部のアリアだけはしかしこの喋りをさせるとあまりに違和感があるので比較的普通に訳してはおりますが…
  • ドン・アルフォンソはまあどう訳してもこれとあまり変わらないでしょう。狂言回しのメイド、デスピーナは可愛い声の若い女の子がここまで過激なことを喋るかと(彼女の台詞についてはもう少し訳は遊べるような気もしますが私にはこれくらいが限界です)いうギャップが素敵ですね。演奏によってはこのデスピーナにスープレットでなくメゾやアルトの大人びた声を充てることがありますが私は全く受け付けません。舞台でもバーのママみたいなオバサンでなく可愛い女の子の方がこの役に関してはやはりいいです。
  • ということでこのオペラの喜劇的な側面に私は徹底してこだわりましたが、お陰で抒情的な味わいはすっかり台無しにしてしまったかも知れません。読まれて不快感を覚えられた方がおられればお詫びしますと共に、ぜひそういう抒情路線での対訳をチャレンジして頂ければと思います。この訳を作るために色々過去の資料を当たりましたが、まだこのオペラ、これが極めつけという日本語訳を得てはいないと私も思っておりますし、また色々聴いた演奏もドタバタ系からしっとり系まで驚くほど多彩なのもこのオペラの特質かと思いましたので…
  • 現代楽器による演奏はだいたい大幅なカットがあちこちにありますので参照される際にはご注意ください。特にレシタティーヴォ部分は追うのがたいへんです。逆に古楽系ではほとんどカットがありませんから、このダ・ポンテの設定した息をもつかせぬ舞台展開を堪能できると思います。私はクイケン指揮ラ・プティットバンドの演奏を聴きながらこの訳詞の想を練りましたのでこの演奏が一番この訳に合っているかも知れません。この演奏での主役たちの幼さの感じも、デスピーナのお茶目な可愛らしさも訳にぴったり来ます。著作隣接権が当分生きていて動画対訳に使えないのがたいへん残念ではありますが。

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@ 藤井宏行

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最終更新:2024年02月09日 19:36