"イェヌーファ"

目次

対訳について

  • ヤナーチェクの代表作『イェヌーファ』を訳しました。はじめに一つお断りしないといけないのは、このオペラの原文は、ヤナーチェクと同じくモラヴィア出身のガブリエラ・プライソヴァーの戯曲『彼女の養女』をヤナーチェク自身が台本化したものであり、モラヴィア方言で書かれていることです。あくまで「方言」なので、チェコ語と全く異なるわけではないのですが、使用単語がかなり独特です。私の手持ちのチェコ語・日本語辞典を引いても、かなり辞書に無い単語がありましたので、そのような箇所は英訳からの重訳となっています。とはいえ、英訳も不明確で信用できない場合があったり、私自身チェコ語学習初心者ということもあり、翻訳には一定程度間違いがあると思います。その意味では、完全に原文に即した翻訳とは言い難いのですが、今回(2016年2月~3月)、新国立劇場で初めてヤナーチェクが上演されることもあり、「出すことに意味がある」との思いで、アップしました。劇の大きな流れはおおむね捉えていると思いますので、細かい所は目をつぶっていただき、オペラ鑑賞の予習などにお役立ていただければと思います。

ヤナーチェクの代表作

  • さて、冒頭、『イェヌーファ』をヤナーチェクの「代表作」と書きましたが、この作品の後、ヤナーチェクは6曲のオペラを作り、中でも最晩年の4曲『カーチャ・カバノヴァー』『利口な女狐の物語』『マクロプロス事件』『死者の家から』は、劇と音楽との融合、音楽の充実と深化という意味で、『イェヌーファ』以上に優れた作品だと思います。しかし、それにも関わらず、『イェヌーファ』は紛れもなく代表作と言うにふさわしい作品であり、その理由は大きく分けて二つあります。一つはこの作品のポピュラリティ、もう一つはこの作品がヤナーチェクの人生に持った意味です。

ポピュラリティの理由

  • まずポピュラリティという観点から見ると、ヤナーチェクのオペラの中で『イェヌーファ』は間違いなく上演回数トップです。そのポピュラリティの理由ですが、音楽の民族的・土俗的な音調がいかにも人々の抱く「東欧」のイメージとマッチしていることのほかに、ストーリーの前向きさがあるのではないかと思います。孫である赤ん坊を祖母が殺害するという衝撃的な出来事が起こるとはいえ、ヒロインであるイェヌーファはその苦難を乗り越え、ラツァとの愛を確かめ合うハッピーエンドに至ります。こうした「前向きさ」またはオプティミズムが、この作品のポピュラリティを支えているものと考えて間違いないと思います。余談ですが、面白いことに、別の意味でヤナーチェクの代表作である『シンフォニエッタ』もまたオプティミスティックな作品です。また、『カーチャ』から『死者の家から』までの晩年のオペラは、私見ではむしろペシミズムに貫かれていると思われ、『イェヌーファ』と性格は異なりますが、この4作品においても、そこにフッと希望が射し込むような瞬間があり、そこにこそ類いまれな美があるように思えます。

人生の転機

  • 『イェヌーファ』が代表作であるもう一つの理由は、この作品がヤナーチェクの人生にとって持った意義の大きさにあります。ヤナーチェクは40歳代のほぼ全て(1894~1903年)を、このオペラの作曲に費やしています。この間、自ら設立したブルノのオルガン学校の校長をはじめとする教育活動、モラヴィア・スロヴァキアへの民謡収集などに多忙な日々を送っているほか、第1幕と第2幕の間には約5年の中断がありますが、長い間かけてこの作品を熟成させたという事実は変わりません。そのようにして生まれてきたオペラは、非常に独特の個性的なスタイルを持つものでした。ヤナーチェクはこの自信作を1904年にブルノで初演し、かなりの成功を得たのですが、念願であったプラハでの上演は実現できず、ブルノでの再演はオーケストラのレヴェルの低さも相まって、やがて劇場のレパートリーからも外されてしまいます。プラハでの上演が実現できなかった原因は、プラハ国民劇場の首席指揮者カレル・コヴァルジョヴィツがこのオペラに好意を持たなかった。というよりも作曲者に好意を持たなかったためであり、それと言うのもヤナーチェクは以前コヴァルジョヴィツのオペラについて極めて批判的な批評を書いており、彼がそれを根に持っていたからだと言われています。最終的に二人は和解し、コヴァルジョヴィツの指揮により、1916年のプラハ初演が圧倒的な大成功を収め、ヤナーチェクの作曲家としての名声が確立するのですが、それまでの12年間は彼の「世渡り下手」がもたらした非常に勿体ない歳月だったと言えます。また、私生活上の重大事件として、この作品の完成直後に、ヤナーチェクの愛娘オルガが20歳の若さで亡くなっています。ヤナーチェクは死の床にあるオルガの求めに応じて、彼女の死の5日前に、完成したばかりのこの作品を(ピアノで?)全曲演奏したのですが、これは作曲家の人生の中でも最も悲痛な体験だったと思われます。そうした個人的な点からも、この作品は作曲者にとって、忘れえない重要な作品であっただろうと考えられます。

神を騙るコステルニチカ

  • さて、例によって登場人物を一人一人考えていくことで作品解説をしていきたいのですが、このオペラで最も印象的な登場人物は、おそらくイェヌーファの養母コステルニチカでしょう。そもそも、この作品のタイトルは、原作の戯曲と同じ『彼女の養女』であり、ここで言う「彼女」とはコステルニチカのことです。コステルニチカの「養女」とは結局イェヌーファのことなので、いずれにせよ意味は同じなのですが、原題の良い点は、この物語では「彼女」と「養女」の関係性こそが重要なことをクローズアップしている点です。コステルニチカは、亡くなった夫と先妻の娘であるイェヌーファを非常に可愛がって育てていますが、その反面、娘に対する絶対的な権威者としても振る舞います。イェヌーファにも不満はあると思いますが、村の人々の畏敬を一身に集めている彼女に逆らうことはできません。コステルニチカは、その「教会おばさん」のあだ名にふさわしく、事あるごとに神を引き合いに出して語ります。「私の言いつけに従わなければ、神様はお前を厳しく罰するよ」(第1幕)、「それより神様にお願いして、あの子を引き取ってもらった方がいいよ」(第2幕)などですが、その態度は次第にエスカレートしていき、ついには第2幕で赤ん坊を殺す決心をする際に「私は神様にあの子供を委ねよう・・・それが早くて簡単だわ!」とまで口走ります。怒りと恥辱に我を忘れているとはいえ、このセリフが明らかにしていることは、信心深いはずのコステルニチカにとっての神とは、彼女が自己を正当化するための道具に過ぎなかったということです。それはおそらく信仰とは最も遠い所にある態度だと言えるでしょう。とはいえ、このオペラでは、そのような彼女にも最後に目覚めが訪れます。第3幕において全てを告白した後、養母を人々の非難からかばうイェヌーファの姿に心を打たれた彼女は、「今ようやく本当に分かったんだ・・・私が愛していたのは、お前以上に私自身だったということに」と告白します。このセリフこそ彼女を神に立ち返らせるものであり、このオペラの理想主義的、人道主義的な傾向をはっきりと示すものだと思います。

イェヌーファと聖母マリア

  • コステルニチカの信仰がひたすら厳格なものである一方で、イェヌーファの信仰は、むしろキリスト教の愛と赦しの側面に向けられているように思えます。その象徴として、この作品では聖母マリアのイメージが頻繁に使われています。第1幕冒頭のセリフにおいてイェヌーファが「ああ・・・聖母マリア様」と叫ぶことや、手にした枯れた花が「ローズマリー」であることは偶然ではありません。第2幕冒頭でも彼女は聖母画の前で祈りを捧げており、困難な状況の中でも彼女が何とか自分を保っていられるのは、まさにこの素朴な聖母信仰のゆえだろうと思います。そして、圧巻は、第2幕中間でコステルニチカが赤ん坊を抱いて家を出てしまった後、イェヌーファが穏やかな旋律でマリアを賛美する祈りのモノローグであり、ソロヴァイオリンの音色ともども彼女の純粋な心情が見事に描かれています。イェヌーファは、初めは少女らしく浮ついたところも感じさせるのですが、大きな試練を経て、養母をもラツァをも、また自分自身をも赦す慈悲の心を獲得します。その変化こそが、彼女にタイトルロールにふさわしい大きな存在感を与えていると思います。

ラツァについて

  • 恋の嫉妬のあまり無意識的とはいえ、恋する人の顔を傷つけるというラツァの情熱は、ある意味恐ろしい所があり、イェヌーファと結婚できなかったらこの男はどうなったのだろうと考えずにはおけません。とはいえ、しょうもない男ばかり出てくるヤナーチェクのオペラの登場人物の中では、彼はかなり魅力的な男性キャラクターだと思います。特に第3幕では、歌唱メロディーも穏やかなものになっており、イェヌーファの結婚が彼に与えた大きな変化を感じさせます。それにしても、ふと考えるのは、ラツァの直情径行な所とか、「好きになったら命がけ」(?)的な側面は、ヤナーチェク自身の性格に一番近いのではないかということで、そのことを念頭にこのオペラを見るのもなかなか面白いものがあります。

シュテヴァについて

  • シュテヴァは、このオペラにおける完全な悪役キャラです。翻訳しながら一つ気づいたこととして、徴兵されずに村に帰って来た彼がこのオペラで初めて歌う歌詞は、新兵たちの合唱「金を持ってる連中は、徴兵逃れもできようが、貧乏人のおいらと来ては、兵士になるほか道はない」のリフレインです。しかし、「おいらと来ては、兵士になるほか道はない」という歌詞を徴兵されなかった彼が歌うのは、きわめて無責任であり、要は貧しい人々に対する軽蔑が込められているように思います。また、ここから推測されるのは、彼は歌詞にある通り「(金持ちとして)金を払って徴兵を逃れた」ということです。全てを金で解決するというこの心性は、第2幕で彼が語る「お金は払うよ。だから、ぼくがその子の父親だと広めないでくれ!」というセリフにも現れています。しかし、一つだけ彼に同情すべきことがあるとすれば、彼がこうなってしまった原因は、祖母に非常に甘やかされて育てられたためだということです。舞台では無害そうな感じの祖母ですが、シュテヴァばかり可愛がってラツァを顧みなかった祖母のえこひいきが一族に悲劇をもたらす最大の要因となってしまったことは、この「ファミリードラマ」にとって見逃せない点だと思います。

ヤナーチェクの「叙情的」なモチーフ

  • 最後に、音楽的側面から言うと、『イェヌーファ』には、その後の作品でさらに鮮明になるヤナーチェクの音楽の特徴が、すでにはっきりと現れています。人の感情をメロディーラインで表現する「発話旋律」が彼の最大の特徴としてよく指摘されますが、ここではもう一つ重要な要素として、ヤナーチェクの「表情豊かなモチーフ」について述べたいと思います。オーケストラで奏でられるモチーフは随所に見られますが、分かりやすい例としては、第1幕でラツァが登場する際の執拗な反復音型、また第2幕でイェヌーファがモノローグを歌い出す時の弦楽器のささやくような音型が挙げられると思います。こうした短いながらも印象的なモチーフは、その表現力においてワーグナーのライトモチーフに近いものがありますが、両者が決定的に異なるのは、ワーグナーのモチーフが主に「事物」を象徴しているのに対して、ヤナーチェクのモチーフはその人物の「気分」もしくは「感情」を表現しているように思われることです。上記の『イェヌーファ』の例では、それぞれラツァの苛立たしさや焦燥感、イェヌーファの不安な孤独感を表現しているように感じ取れます。一方、このモチーフはその人物固有のものではないため、別の箇所で再現されることは滅多にありません。これはワーグナーの楽劇のモチーフが、しばしば人物や事件を想起させる機能を持つこととは対極をなすものであり、ワーグナーのモチーフの使用法が「叙事的」だとすれば、ヤナーチェクのそれは(言葉の本来の意味で)「叙情的」と言えるのではないかと思います。短いモチーフの中にあらゆる感情を凝縮させるようなこの技法は、その後ますます進化し、オペラはもちろんのこと、最晩年の弦楽四重奏曲『ないしょの手紙』などで比類無い表現の域に到達しているように思えます。通常であれば伴奏音型にしかならないモチーフに息詰まるような表現力を持たせるこうした作曲法の最も早い例が、この『イェヌーファ』の随所に示されています。その意味では、オーケストラの一つ一つの楽器がこうしたモチーフの可能性をすくい取り、登場人物の気分の動きを濃密に表現することこそが、このオペラの上演の質を大きく左右するのではないかと思います。そのような視点から、歌手の表現はもちろん、オケの微細な表現にも耳を澄ましつつ、このオペラを楽しんでみるのも、また一興ではないかと思います。


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最終更新:2016年02月21日 14:29