「風立ちぬ」の主人公の声優は、なぜ庵野秀明でなければならなかったのか
※ネタバレを含みます
風立ちぬを見た。
大変よかった。
大変よかった。
しかし、世間では好評・不評が大変別れていて、ネット上では酷評もかなり見かける。
この受け入れられ具合の違いは何なのか。
僕の回答は「主人公に同化できるか」あるいは「主人公のキャラ造形に共感できるか」が、この物語を楽しく感じるかどうかの分かれ道だということだ。
この受け入れられ具合の違いは何なのか。
僕の回答は「主人公に同化できるか」あるいは「主人公のキャラ造形に共感できるか」が、この物語を楽しく感じるかどうかの分かれ道だということだ。
「風立ちぬ」は他の評でもよく言われている通り、宮崎駿のオナニーだ。
作中では、宮崎駿の意識を投影した主人公、堀越二郎がひたすら気持ちよくなる。
作中では、宮崎駿の意識を投影した主人公、堀越二郎がひたすら気持ちよくなる。
挫折や失敗や焦燥感も描かれているじゃないか。
という意見もあるかもしれないが、それらは全て気持ちよくなるためのスパイスだ。
より気持ちよい射精のためには、ただ気持ちよいだけではなく、抑制や焦らしも必要なのだ。
という意見もあるかもしれないが、それらは全て気持ちよくなるためのスパイスだ。
より気持ちよい射精のためには、ただ気持ちよいだけではなく、抑制や焦らしも必要なのだ。
そして、宮崎駿が気持ちよくなるためには主人公の声はプロではダメだったのだ。
つまりプロの声じゃチンコ立たないから、庵野なのだ。
つまりプロの声じゃチンコ立たないから、庵野なのだ。
物語中、主人公は自分の想いにひたすら一途な人間として描かれる。
それは周りから見たら「わがまま」に他ならない。
堀越は物語中、自分の想い以外に一切気を配らない。
周囲の人の想いなどガン無視、全ての局面で自分の想いを貫き通すのだ。
それは周りから見たら「わがまま」に他ならない。
堀越は物語中、自分の想い以外に一切気を配らない。
周囲の人の想いなどガン無視、全ての局面で自分の想いを貫き通すのだ。
しかし、周囲の全ての人間は彼のその一途な想いをいさぎよく受け止め、彼を支え、彼を好きになる。
そして主人公は自らの持てる全ての力を注ぎこみ、夢の実現に邁進するのだ。
そして主人公は自らの持てる全ての力を注ぎこみ、夢の実現に邁進するのだ。
現実世界ではそんなことにはならない。
自分の想いに没頭するだけのわがままな人間は社会に受け入れられない。
自分の想いに没頭するだけのわがままな人間は社会に受け入れられない。
これは虚構であり、ファンタジーだ。
だが、それこそが職人、技術者の求めて得られぬ夢そのものだ。
職業人としての自分の夢を想いを込めた、寝食を忘れるほど全力でのめり込める仕事があること。
自分にはその夢をかなえる能力があると信じられること。
職業人としての自分の夢を想いを込めた、寝食を忘れるほど全力でのめり込める仕事があること。
自分にはその夢をかなえる能力があると信じられること。
そして、仕事にのめり込む自分を周囲の人が全力で支えてくれること。
夢への想い以外何物も顧みず、全力で夢を目指す自分勝手でわがままで言葉少ない主人公を周囲の人は認めまくる。
家族から無償の愛が得られる。
震災の日に印象的な出会いをした素敵な女性に愛される。
女性の父親から認められる。
学校で自分を認めてくれる生涯の友と出会う。
就職先で自分を認め、「ジロウ!」と親しみを込めて世話をしてくれる上司と出会う。
海外の技術者に認められる。
震災の日に印象的な出会いをした素敵な女性に愛される。
女性の父親から認められる。
学校で自分を認めてくれる生涯の友と出会う。
就職先で自分を認め、「ジロウ!」と親しみを込めて世話をしてくれる上司と出会う。
海外の技術者に認められる。
現実に生きる人々は言葉に出さない想いを理解しない。
言葉を尽くし想いをつづり、壊れるほど愛しても1/3も伝わらない。
言葉を尽くし想いをつづり、壊れるほど愛しても1/3も伝わらない。
しかし、風立ちぬでは、主人公の想いは一切伝えようとしなくても伝わるのだ。
そして全ての人にそれは受け入れられる。
そして全ての人にそれは受け入れられる。
それら全てが夢だ。理想の世界だ。
そして、その夢の輪郭をくっきりと描くためには主人公の声優が上手くては興醒めなのだ。
もし主人公の声優が上手かったら、
感情表現が豊かだったら、
気持ちがにじみ出ていたら、
そんなことしたら、
感情表現が豊かだったら、
気持ちがにじみ出ていたら、
そんなことしたら、
言葉で想いが伝わってしまうではないか!!!!
おそらく宮崎駿は主人公の発する言葉からは何も伝えたくなかったのだ。
口下手で硬質な技術者の声。
感情を表現しようとするが、言葉からは何も伝わらない。
感情を表現しようとするが、言葉からは何も伝わらない。
しかし周囲の人々は、主人公の行動から、表情から、何も伝わらない言葉から、
それでも何かをつかみ取り、何かが伝わり、主人公を認める。
そうでなくちゃいけない。
そうでなくてはチンコが立たない。
それでも何かをつかみ取り、何かが伝わり、主人公を認める。
そうでなくちゃいけない。
そうでなくてはチンコが立たない。
ラブコメやエロゲやエロマンガの主人公がメチャクチャイケメンだったら感情移入できないじゃないか!
等身大の、いやちょっとダメな、自分が投影できる主人公が学園のヒロインに何故か好かれるからこそチンコが立つのだ。
等身大の、いやちょっとダメな、自分が投影できる主人公が学園のヒロインに何故か好かれるからこそチンコが立つのだ。
それこそが庵野秀明が主人公の声優に抜擢された理由である。
そして、この構造を理解するしないに関わらず、こういった構造のメッセージは伝わるのである。
主人公の想いに同化できる人たち、言葉じゃない何かが伝わるものだと考える人達は号泣し、
言葉に想いを込め、少しでも多くが伝わるように言葉の選定や感情移入に心を砕いている人達はガッカリするのだ。
主人公の想いに同化できる人たち、言葉じゃない何かが伝わるものだと考える人達は号泣し、
言葉に想いを込め、少しでも多くが伝わるように言葉の選定や感情移入に心を砕いている人達はガッカリするのだ。
思えば、批評家・評論家たちのこの作品への評価は低く、アニメーターはほとんど高評価だった。
おそらくアニメーターは職人なのだろう。
おそらくアニメーターは職人なのだろう。
というわけで、この物語は「現実の人物をミックスした半フィクションの物語」として見るのではなく、「技術者の夢を表現するために現実世界を舞台装置として取り込んだファンタジー」として見たら最高なんですよ。