ですろり~イノチ~(前編) ◆iDqvc5TpTI



命の価値は平等なんかじゃない。

旅をする中、何度もそんな言葉を耳にした。
清く正しくなければならない勇者としては唾棄すべき理論だ。
しかしユーリルは口では違うと反論しつつも、心の底から否とは言い切れなかった。
彼自身が何よりも尊い命として生かされた存在だからだ。
命の価値が真に平等であるのなら、あの日あの時故郷の皆は勇者を守って死ぬ必要はなかった。
必要なんてなかったんだ。

ユーリルはそのことを認めたくなかった。
血はつながっていなくとも優しく暖かく育んでくれた父と母。
魔族の襲撃に怯えながらも恐怖を表に出すことなくよき隣人として接してくれた村の人達。
好きだった、もしかしたら初恋だったのかもしれない幼なじみ。
そんな本当に大切だった故郷の皆の死を意味のないものだとは思いたくなかった。

けれど、今になって考え直す。
やっぱり命の価値は平等だったのだ。

平等に――無価値だったのだ。

気付くのが遅すぎた。
馬鹿みたいだ。
命の価値も知らず、知ろうともせず、闇雲に守ってきたなんて。

ああ、そうだ。
そうだとも。
“イノチ”には、価値なんて無い。
それそのものには、何の価値も無い。
よく言うじゃないか。
大事なのは生まれじゃない、何をしてどう生きるかだ、って。
その通りなんだ。
何かを“する”、そこに価値がある。
何が“できる”か、そこにこそ意味がある。
それは……イノチの価値じゃない。

――チカラの価値だ

生きていると“働ける”ことがあるから生きていた方がいい。
その程度。
分かりやすく言えばその人じゃなくても同じ作業をしてくれる代わりがいれば困らない。
例えばそう、世界を救うのが勇者とされた人間じゃなくても構わないように。
その代わりは命あるものでなくとも構わない。
マシンでもゴーレムでも、命令を聞いてくれて能力のある存在なら何でもいいのだ。
……誰でもいいのだ。

「殺す」

それはあの聖女だって同じこと。
彼女が死んだところで代わりなんていくらでもいるだろう。
だったら殺しちゃいけない理由なんて無い。
勇者でなくなった身に人殺しを咎められる謂れはない。
人間は物。本来、何の価値も無いただの物体。
それを斬り殺すのも、草木を刈るのも本質的には何も変わらない。
命とはその程度のもの。

「――見つけた」

ただ一つ、違うところがあるとすれば。

「消えてくれ、アナスタシア・ルン・ヴァレリアっ!!」

そこに感情が絡むか絡まないか。
それだけのことだった。


                                ▼



――INTERLUDE 最強証明――

赤が、世界を侵食していく。
街も港も海さえも赤く染まりゆく。
煌めく赤。燃え上がる赤。豪炎の赤。
赤い世界を引き連れているのは黒髪の男だった。
凝り固まった憎悪と憤怒を人型に押し込めたどす黒い男だった。

「面白いな、おれ以外にも“これ”ができる奴がいたとは」

刀身についた血を払うようにルカ・ブライトが火の粉をまき散らせる。
ユーリルを捨て置いた彼とユーリルを探していたマッシュ達3人が遭遇するのは必然だった。
初撃とはいえルカに手を抜くなどという発想はない。
必殺の念をもって紋章剣を発動させ三人丸ごと葬る気で薙ぎ払った。
その意に反して煉獄の剣は誰一人飲み込むこと叶わず宙を赤く染めたのみ。
魔剣の襲撃を食い止めた技の名前は“ひらいしん”。
本来雷を逸らすはずの道具の名を冠した技が炎さえも逸らしたのだ。

「……っ!」

それを為したクロノの表情に安堵はない。
打ち払ったはずの炎がクロノ達を取り囲むように燃えている。
即ち相殺せんと放った極光の刃は炎の魔剣を殺し切れなかったということ。

「気をつけて、マッシュ、日勝。こいつ、かなり強い」

クロノの魔力は戦士にしては十分実戦で使える程には強い。
身につけて日は浅いとはいえ普段から連携技としては使い慣れている。
しかも二人の仲間との特訓で物にしていたのに。
これ程容易く押し負ける等よっぽどの相手でなければありえない。
冷や汗を流しつつも魔力供給量を倍化させより一層剣を輝かせる。

「ふん、クズでもその程度は分かるか。とはいえ分かったところでどうしようもあるまい。
 貴様ら三人が束になったところで、このおれに勝てはしない!!」

ルカも再び天より炎の龍を招来させる。
孤を描きルカへと宿る紅蓮の龍の数は二。
一匹でもサンダガソードを上回る魔力からなる炎は確かに脅威だ。
けれどかってラヴォスを倒す旅をした時がそうであったように、今のクロノにも頼り甲斐のある仲間がいる。

「へっ、言ってくれるぜ。勝てないかどうかはやってみねえとわかんねえだろ」
「だがその前に一つ質問に答えてもらおうか―。てめえ、まさかユーリルにも手を出しちゃいねえだろな?」

クロノの左右を固める二人。
日勝が臆すことなく不敵な笑みを浮かべ、マッシュが最も気がかりだった問いを放つ。
実はユーリルは街を出てすぐアナスタシアと出会った背塔螺旋に最寄の小屋へと転移していた。
そのことを知らないクロノ達からすれば、ユーリルらしき足跡を追って行った先にルカがいたのだ、心配しないはずがない。

「ユーリル? 知らんな、そんな奴は。……む? なんだ、あのゴミのことか。
 そうかそうか、貴様達はあのゴミの仲間か! はははははははははははは!!!
 聞いたことがあるぞ。ゴミは豚の餌になると!!
 なるほどクズはクズなりに豚どもを呼び寄せる役に立ったというわけか!!」
「……ゴミなんかじゃない。人間は、人間はゴミなんかじゃない! ユーリルは俺たちの仲間だ!」

生み出した熱風に黒髪とマントを翻らせ狂皇子は嘲笑う。
仲間を侮辱された怒りをぶつけてくるクロノにも歪んだ笑を濃くし吐き捨てた。

「何を憤る必要がある? 強い者は全てを奪い、弱い者は死ぬ。それが、この世の仕組みだ」
「そうやってお前はユーリルの命も奪ったっつうのかよっ!」
「勘違いするな。あんなクズ、殺す価値すらない」

安堵する三人、しかし続くルカの切り出しに再び緊張せざるをえなかった。

「俺がこの地で殺してきたのは……」

思わせぶりに一拍の間をおくルカ。

ティナ・ブランフォード、都市同盟の女、メガネの女、からくり仕掛けの女。それだけだ」
「「!?」」

男から語られた大切な仲間の名前にマッシュが僅かに動揺し、幼なじみを思わせる少女の死にクロノも息を飲む。
刹那とはいえ明らかな隙だ。
元よりそれを狙って情報をくれてやったルカが逃すはずがなかった。

「揺らいだな、馬鹿めがっ!!」

身に宿した炎を吹かしが踏み込む。
マッシュもクロノも歴戦の戦士だ。
本来ならすぐさま気を持ち直し回避へと移れただろう。
だがルカを前には許されない。
たかが一瞬とはいえ、息を吸うように人を殺してきた狂皇子には二人を始末するには十分過ぎる。
半瞬、ルカの刺突と狂笑は既にクロノの眼前。
返す刃でマッシュを貫けばそれで終りだ。

「させるかよ!」

そうはさせじと横合いから伸びた腕が剣を掴む。
炎を宿した刃だ、熱くないはずはない。
しかしそれを為した男は焼け爛れた手を気にすることなく、より力を込め素手で剣を握り締める。
あろうことかそのまま握り砕かんとしているのだ。
流石のルカも武器を失うわけにはいかず、バックステップを踏み後退。
その下がった分だけ意趣返しとばかりに炎を纏った男が前に出る。
日勝だ。
マッシュから学んだ鳳凰の舞を応用し、咄嗟にクロノを庇ったのだ。

「貴様!!!小ざかしいまねを!!」

自分の猿真似とも思える技で邪魔をした日勝をルカが忌々しげに睨みつける。
神をも射殺さんとする狂皇子の瞳に日勝もまた怒りで返した。

「強くなろうとする事、そいつは決して悪いこっちゃねえ。
 力があるからこそ、高みを目指すからこそ得られるものもいっぱいあるのは知っている……」

日勝は思い出す。
最強を目指して戦いに明け暮れた日々を。
思い出と共に刻んだ強敵たちの拳の数々を。
彼らは強かった。
皆が皆一歩間違えれば負けていたのは日勝の方だったと素直に認められるレベルの好敵手だった。

日勝は視線をおのが右拳へと落とす。
マッシュ直伝の闘志の炎で護られていたはずの拳は肉が焼け落ち白い骨さえ浮かんでいた。
燃え尽きなかった方が奇跡。
それ程の火力をルカの炎は誇っていたのだ。
間違いなく強者。
今まで戦ったことのある誰よりも強い相手だ。
だけど。

「けど、けどなあ!テメエは断じて最強なんかじゃねえ!」

単に強いことは最強であることに直結しない。
拳を合わせても湧き上がる熱さがないのだ。
楽しくて、楽しくて、互いに笑いあいながらボロボロになるまで戦って認め合った好敵手達とは違う。
これはオディ・オブライトと同質のものだ。
かの殺戮者を軽く上回る殺意と憎悪で凝り固まった禍々しき刃だ。
日勝には認められない。
こんなものが強さだと現代最強の漢は断じて認めるわけにはいかない!

「教えてやる、俺が、俺の目指す真の強さをっ!」

啖呵を切った日勝の拳を光が包み込む。
習得したばかりのオーラの力ではない。
もっと別の魔法の力。万物を癒す優しい力。

「俺の、俺たちのだろ、日勝」

マッシュがケアルガを施しつつウインクを投げてよこす。
クロノも無言で大きく頷く。
日勝は最強の仲間達に笑顔で応えた。

「そうだな、俺が俺たちの怒りが「「「てめえをブッつぶす!!」」」

異口同音の声がゴングとなり、激戦の幕が切って落とされた。


                                ▼


ちょこ達これから教会に行くの! ひとのこいじをじゃまする奴は……なんだっけ?」

ユーリルの襲撃からちょこがアナスタシアを庇う形で始まった戦闘はあまりにも一方的に進んでいた。
当たらない、効かない、超えられない。
一合ごとに幸せを犠牲にしてまで手にいれたユーリルのチカラが否定されていく。
どれだけ拳を振ろうとも少女の身体を貫くこと叶わず。
どのような魔法を放とうともより強力な魔法に押し返される。
明かに本気を出していない相手に文字通り遊ばれていた。

(冗談じゃない)

水流に打ち消されたメラも。
巨岩の槍の前にあっけなく潰されたギラも。
異形の柱からの光爆の数分の一程度の威力しか出せなかったイオラも。
どれもこれもユーリルが寝る間も惜しんで習得した呪文だった。
恐怖を押さえ込んでモンスターと何度も戦ってその果てにやっと得た力の数々だ。
それが大した時も生きていないような幼い子どもに何てことなく足蹴にされるのが堪らなく悔しい。
許せるはずが無かった。認められるはずが無かった。
こんな、こんな、苦しいことも悲しいことも知らないとばかりに無邪気な笑みを浮かべる存在を!

(死ね)

大振りの拳が空を切る。

(死ね、死ね)

分身したちょこの蹴りがユーリルを地に這わす。

(死ね、死ね、死ね)

追撃の不死鳥をマホステで何とか凌ぐも、守ってばかりでは勝てるわけがない。

(死ね、死ね、死ね、死ね)

そしてユーリルに縋れる手は最早一つのみ。

(速く死んでくれ!)

ギガデイン。
勇者のみに使えると信じていたユーリルが一人で撃つことのできる最強の呪文。
勇者の特権性が失われようと、その力までもが減衰したわけではない。
万魔に振り下ろされる破邪の鉄槌は健在なはずだ。
けれどユーリルは一向に召雷呪文を唱えようとはしなかった。
勇者が生贄に等しいと気付かされた今、生贄の証である呪文を進んで使う気にはなれなかったのだ。
それに恐怖もある。
もしその最後の拠り所となる威力さえ否定されたら?
勇者のみに使えるという特権性を否定されてしまった雷呪文が、その力さえ否定されたとしたら?

「ああああああああああああああああああああああっ!」

破れかぶれに拳を叩き込む。
ひょいっと少女に避けられるががむしゃらに打ち続ける。
一撃、二撃、三撃、四撃。

「わーいのー! イーガおじさんみたいなのー」

一発足りとも当たらず、どころか強化した慣れぬ腕力に振り回されたユーリルは大地の起伏に足を取らてしまう。
無様に転がりゆく中、少女に合わせて揺れるデイパックの覗いた口から、確かに見えた。
特徴的な刀身を持つ一振りの剣が。
天空人の血を引く者の接近に伴い光り輝き使えと訴えてくる愛剣の姿が。

(僕は、何を迷ってたんだ……?)

旅の中何度も何度も命を救ってくれた剣の輝きに感じたのはかってのような心強さではなかった。
勇者の為の剣が勇者を辞めた人間の心を推し量ることなく変わらず尻尾を振り続けている。
その程度にしか思えなかった。

振り返るのは数時間前の光景。
勇者でもない人間が雷を操る悪夢の絵図。

雷は特別な勇者の証なんかじゃない。
ただのチカラだ。
ならば何を躊躇う必要がある。
利用すればいいのだ、雷も、剣も。

ユーリルの濁った目に光が宿る。
暗い、暗い炎が燃える。

「来たれ、覇邪の雷」

詠唱に従い天を黒き雷雲が覆い隠す。
ほれ見たことか。
ユーリルは十八番を温存していた愚を嘲笑う。
勇者を辞めた筈の彼に未だにデイン系の魔法は応えてくれる。
それこそがこの魔法が勇者の証なんかじゃないという証拠だ。
いや、もしかしたらもしかすれば。
ユーリルは考え直し、濁った瞳でちょこを写す。
可愛らしい少女だった。
だがそれが、こんな存在が。
ただの人間の少女であるはずがない。
ユーリルは知っている。
彼女を表すに相応しい強さと恐ろしさ、底知れなさを持つ存在を。
聖なる雷が勇者を辞めた者に力を貸してまで滅ぼそうとしてもおかしくない巨悪を。

(魔王だ……)

家族を、村の人々を、幼馴染を、幸福を、人生を。
全てをユーリルから奪った存在。
それでいて尚、“勇者”であったが故に恨みを晴らせず終った怨敵。
ユーリルの大切な人たちを生き返えらせることもできた世界樹の花で一人幸せを取り戻した男。

ふつふつとそれまで封じ込めてきた憎悪が湧き上がる。
アナスタシアへの憎しみに誘発されるように地獄の釜は蓋を開け、かつてと今の憎しみを混ぜ合わせる。

(こいつは、魔王だ……)

ユーリルの目にちょこはもう人間として写っていなかった。
彼に見えているのは進化の秘法で醜くグロテスクに変化したデスピサロそのものだった。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇ! 魔王!!」

びくりと、少女の身体が一瞬硬直する。
これまで掴むことの無かった好機にユーリルは詠唱を中断し手を伸ばす。
少女にではない。
最強バンデージによる筋力増強効果があろうとも少女を打ちぬくには足りなすぎる。
せめてアリーナなりの格闘技術がユーリルにあれば話は別だが、無いものねだりだ。
ユーリルが使うのはそこにあるもの。
少女の持つデイパックの中身にこそ用が有る。

「まさか!」

ちょこに戦いを任せ、離れた場所に避難していたアナスタシア声をあげる。
彼女にはユーリルの行動に心当たりがあった。
互いの支給品を検分して入れ替えたときまず最初に彼女が我が物としたのは絶望の大鎌。
殺し合いを勝ち抜くにおいて武器が最も重要なのは言うまでも無い。
ただ何も有用な武器は絶望の鎌だけだったわけではなかった。
むしろもう片方の武器の方が紛いなりにも剣を得物とした事のある少女には扱いやすかっただろう。
しかしアナスタシアは使い慣れた刀剣類よりも癖のある大鎌を選んだ。
気に入らなかったのだ。
鍔に刻まれた“英雄”に通じる文句が。
だがもしも、もしもアナスタシアが嫌った言葉が指し示していたのが“勇者”のことだったなら。

「ちょこちゃん、デイパックを守って!」

アナスタシアの絶叫が空しく響く。
ちょこは普段の快活さが嘘のように唖然とした顔のまま微動だにしない。
あっけなく奪われるデイパック。
ユーリルは手馴れた感触の剣を抜き放ちちょこへと突き立てる。
それまでいかなる攻撃も寄せ付けなかった少女の肌をあっけなく異形の刃が貫いていく。
苦悶の声を上げるちょこ。
少女の頑強さに苦しめられ続けた勇者はその悲痛な声さえも無視し中断していた呪文を完成させる。

「ギガデイン!」

空を引き裂く音と共に稲妻の竜が寸分違わず剣へと降臨。
雷龍がうねり狂いちょこを体内から灼き尽くす。
変則型ギガソードといったところか。
幼き身体が白銀の光に蝕まれ痙攣する。
突き刺したままの剣を通してユーリルにも振動が伝わってくる。
その振動はしばらく続き、そして止んだ。

「はは……」

ユーリルの口から乾いた笑みが零れた。
最初は小さく、次第に大きく。

「はははははははは、あははははははははははははは!」

彼は、嗤っていた。
抑圧していた感情を解き放ち魔族を打ち破った暗き愉悦に酔っていた。
次はお前だ。
ユーリルは剣をアナスタシアの方へと向ける。
刃を伝った少女の血はアナスタシアが目を背けた柄に刻まれた語句をくっきりと浮かび上がらせていた。

MI TI BI KA RE SI MO NO――導かれし者

“生贄”である“英雄”と“勇者”を虚飾するその語句を。




導かれし者などではない。
アナスタシア・ルン・ヴァレリアはただの人間だった。
一人の夢見る少女だった。
年頃の女の子がそうであるように白馬の王子様にだって憧れていた。
いつか自分の前に素敵な人が現れる。
ピンチな時に颯爽と駆けつけてくれる。
そんな取り留めのないことを夢見ていた。
分かっていた。
下級とはいえ貴族だ。
王子様が物語りの中の存在みたいに素晴らしいものなんかじゃないことくらい百も承知だ。

(でも夢くらい見たっていいじゃない)

そんな風に思ってしまうから馬鹿を見る。
アナスタシアは天空の剣を手にして近づいてくるユーリルを一瞥すると溜息を吐いた。

「やっぱり王子様なんていないのね」

今更なことだった。
王子様がいるのならあの焔の七日間に助けにきてくれていたはずだ。
しかし実際は王子様どころか親友の不死の少女以外誰も来てはくれなかった。
よってアナスタシアも『勇者』に大した期待はしていなかったはずなのだが。
本当にそうならば落胆することなんてない。
どうやら心の何処かでは自分の生きた時代の人間ではない彼ならば、あの時助けてくれたのではという希望を持っていたみたいだ。

「それが蓋を開けてみれば最悪の結果とは皮肉よね」
「死ね。死ね死ね死ね死ね死ね。お前がいなければ、僕は勇者でいられたのに!」

自暴自棄になって殺し合いに乗って人を殺して欲しいとは思っていたが、そのターゲットが自分とは。
ぴくりとも動かないちょこを尻目にアナスタシアは苦笑する。
考えてみれば十分可能性としてありうる展開だったのだ。
自棄の果てに心の拠り所を奪ったアナスタシアを殺しにこようとすることなんて。

「そう……。あなたは未来を奪われた私と違って今を失い続けてきたのね」

アナスタシアにはユーリルが泣き喚いている子どもに見えた。
あるいはこれが少年の本当の姿なのかもしれない。
彼は勇者という称号に誇りを抱いていると思っていたが、本当はそう思い込んでいなければ耐えられなかっただけだったのでは。
勇者だから怖くない、勇者だからモンスターとも戦える、勇者だから、勇者だから、勇者だから……。
そうやって彼は実質七日間しか戦っていない自分よりも遥かに長い時間を勇者であることに捧げ続けたのだろう。
英雄になることを望み名前も生身の身体も捨て、抱いていた願いさえも忘れてしまっていたどこかの誰かのように。

「私を殺したところであなたに未来は無いわ。
 一度操り糸を断ち切られた人形はどれだけ蜘蛛の糸に縋ろうとももう元には戻れない。
 ねえ、考えているの? この後どうするのかって」
「うるさい、黙れ、お前を、お前を殺しさえすれば僕は……っ!」
「救われないわ。それじゃあなたは一生。あの娘の様に“英雄”の確執から解き放たれでもしない限り」

土台無理な話だ。
どれだけ勇者を辞めたと言おうとも、アナスタシアを殺そうとしている理由こそ未だに彼が勇者に拘っている側面でもあるのだから。
ユーリルは救われない。アナスタシアの時間軸のカノンのように救われはしない。

「そんなあなたに私の未来を渡す気なんて更々ないわ」

勇者を辞めたユーリルに問うべきことはない。
絶望の鎌へと闇を集わせる。
ちょこが破られた時の保険として持していた鎌は味方の死を喰らい力とする魔王の武具。
ユーリルも鎌の持つ禍々しい力を本能的に察したのだろう。
御託は終りだと鎌が暗黒の力を纏いきるより先に止めを刺すつもりで剣を突き出す。
アナスタシアも殺されるよりも先に殺すとリーチを頼りに鎌を振り抜いた。
相手を殺す。
絶対に生き残る。
真逆の一念にして同一の結果しか導き用の無い斬撃が交差する。

だから誰も死ぬことなく終わったのは別の結果を望んだ子どもがいたからこそ。
右手に勇者の剣を食い込ませ、左手を盾に魔王の鎌を受け止めていながら、

「そんなことしちゃ、メッー! お兄さんもお姉さんもメッなの!」

少女は大きく口を開いて一声を発した。

絶望の鎌を覆わんとしていた影はいつしか霧散していた。



                                ▼


――INTERLUDE 夢喰い――

少女が一鬼当千ならば狂皇子はまさしく一騎当千だった。
自身の三倍もの人数を相手にし、持ちこたえるどころか明かに押していた。
クロノ達が弱いわけではない。
むしろたった3人であのルカ・ブライトと真っ向勝負を成立させる人間がいると知ればどこぞの軍師辺りは目を剥くだろう。
ルカ・ブライトとはそれ程までの怪物なのだ。
矢で全身を射抜かれようとも18人の精鋭を相手に一歩も引かなかった化物なのだ。

横切り、縦切り、刺突。
クロノが一太刀入れんとする間にもルカは魔速の剣で攻めこんでくる。
俊敏にして怒濤、苛烈にして鋭利。
男の激情そのままに押し寄せてくる斬撃の渦を防ぎ切る手立てはない。
こちらから打って出ても無駄だ。
その動きは天の魔法を使いこなすクロノよりよほど稲妻じみていた。
まさに津波だ。
押し寄せては半端な攻撃を飲み込み、いかな防御も押し砕く、万物を蹂躙する憎悪の波だ。

「クロノはやらせねえ! オーラキャノン!」
「無駄だ、豚共があ!!」

防戦一方に追い込まれたクロノの援護に放たれた気弾も驚くべき反応速度で切り払われる。
それでも並の戦いならひとまず勢いを止められた時点でマッシュはひとまず目的を達していただろう。
だが恐るべき事にルカはオーラキャノンを薙ぎ払った動作のままに今度は日勝へと斬りつける。

「うおっ!?」

オーラキャノンを受け止めた隙にと狙っていたものの出端をくじかれる形になってしまう。
慌てて前に出しかけていた拳を止め、後方に跳ぶ。
刹那、すれすれのところを凶刃が空を切る。
仕掛けようとしていたのが対刃技の山猿拳だったのが幸いだった。
他のどの技でもこうすぐには回避動作に切り替えられなかった。
日勝は今は亡き本来の技の担い手に心の底から感謝する。

「なんせおかげでこいつをぶっとばせるんだからな!」

いつしか日勝の前には魔力で編まれた門がそびえ建っていた。
ルカの注意が日勝へと移った内に残り二人が魔法の力で生成しておいたのだ。
其は雷、其は冷気。
二つの属性が鬩ぎ合うことで生まれた新たな理。
開け、冥府の扉よ!

「日勝!」「高原!」

おうよ!と日勝は応えて地面を爆ぜさせる。
大量の砂塵が舞う中、魔力塊へと跳び込みつつ、前方宙返りを加える。
勢いのままに振り上げた片足が狙うは狂皇子の頭部。
冥府のエネルギーを纏い憎悪の獣を地獄に送り返さんと叩きつける。

サンダガ+ブリザガ+あびせげり=……

それは本来有り得なかったファイナル《最後》の後を継ぐ技。
故にクロノは奇跡的な巡り合わせにより得た仲間達との絆の技をこう名付けた。

ネクスト《繋がりゆくもの》――

「ネクストキィィィィィィックゥゥゥゥゥ!!」

死者を地獄へ蹴り返さんと一条の破魔の矢と化した日勝が燃える空を飛ぶ。

「馬鹿どもめがぁ!!! 無駄だということがまだ分からんか!!」

ルカも我が身を炎の破城槌と変え迎え撃つがその言葉はそっくり返されることとなる。
三人でそれぞれ攻撃するのと三人で力を合わせた一撃を放つのとでは威力に歴然とした差が生じるのだ!

「貫けええええええ!!」
「ガッ……ウオオオォォォッッッ!!」

矛にして盾、盾にして矛。
日勝の全身を包むエネルギーフィールドは炎などものともしなかった。
冷気と雷による対消滅はルカから炎の鎧を剥ぎ取っていく。
守る術を失ったルカへと突き刺さる蹴りは最早矢を超えた銃弾の一撃だった。
圧倒的なスピードとエネルギーに弾かれ、巻き上げられ、ルカは街の外へと吹き飛ばされる。
クロノ達三人も勝利の余韻に浸ることなくそれを追う。
ルカがこの程度で倒しきれたとは到底思えなかったからだ。
果たして狂皇子は頭部から血を流しながらも、折れた木々を押しのけ、突き刺さる枝々を焼き尽くして立ち上がった。

「蛆虫どもがぁぁ、おれの剣はまだ折れてはいないぞ!!」
「だと思ったよ」

一寸の陰りも無い殺気を前にしても追いついたマッシュは余裕の表情だった。
想定済みの事態になら対処のしようはいくらでもある。
幾度目かの炎を呼び寄せようとするルカに対しマッシュはクロノへとアイコンタクトを送る。

「クイック」

すると目を焼くほどに赤かった紅蓮の炎が灰色に染まり虚空へと縛り付けられた。
炎だけではない。
クロノを除くありとあらゆるものが人も無機物も現象も問わず色を失い停止していた。
話には聞いていたがまさか本当に人一人の手でタイムフリーズを起こす方法があるとは。
驚嘆しつつも凍った時の中、炎の柱となったルカを見据える。
第一回放送後の手合わせの中我が物にしたこの魔法は強力な分消費魔力も大きい。
クロノがマッシュに代わり唱えたのも大呪文を唱えるだけの魔力残量があるかないかによるものだった。
ならばこそ応えなければならない。
覚えたてのクロノを信じ、恰好のチャンスを託してくれた二人の仲間達へと。
クロノ最強の剣技、みだれぎりをもって!

「疾っ!」

クロノは仰け反るように大上段に剣を構え、まるで駒のように回転を開始。
勢いを止めることなく――いや、勢いを倍化させて一歩を踏み出す。
風のようになどと形容するのもおこがましい。その様――剣の竜巻だ!
四刃一合。
超速旋回するクロノがルカの護りを切り刻んでいく。
一刃、二刃、三刃――
停止していた炎が、身を守っていた鎧が歩むのを止めた時ごと砕け散る。
これでもうクロノの剣を妨げる壁はない。
死刃――文字通り最後の一撃をルカの首へと伸ばし

「っ!?」

クロノは信じられないものを見た。
自分以外の全てが停止した時間の中。
ぎょろりとルカ・ブライトの瞳が動いたのだ。
瞳につられるように口が歪み半月の形に裂け、そのまま――

驚愕に動きを鈍らせたサンダーブレードを噛み砕いた。

「……そんな、タイムフリーズが」
「おいおい嘘だろ!? 時を止めたんだぜ!?」
「っつうかお前ら何やったんだ?」

鋼が砕ける音に合わせて、世界が色を取り戻す。
あのケフカを破るのにも一役買った必殺必勝の呪文が破られた事態にマッシュは目を見張った。
一人日勝だけが訳が分からないという顔をしているが、

「時間は全てを解決してくれるそうだな……くだらん」

ルカからすれば時間停止を破ったことなど誇るべくことでも何でも無かった。

「このおれの身体の隅々、皮膚の下にまで渦巻く憎悪が時間ごときでどうにかできると思ったか?」

時間など魂にまでこびりついた憎しみの前には意味をなさない。
時がどれだけ経とうとも、時計の針が動くことが無くなろうとも。
永久不朽の憎しみには関係の無い話だ。
つまらなげに吐き捨てると用を足さなくなった鎧の残骸から拳大の石を拾い上げる。

[もういい、死ね]

右手を高く掲げる狂皇子。
握られた紫のサモナイト石から竜の吐息が漏れ出る。

「ハイランド国王ルカ・ブライトが命じる……」

捩れる空間、開くゲート。
空にぽっかりと空いた黒い穴から漏れ出る人知を超えた存在感にクロノが、マッシュが、日勝が無意識に息を呑む。
ただ一人ルカだけが受け入れるように両手を広げ高らかにその名を告げた。

「出よ、聖 鎧 竜 ス ヴ ェ ル グ !!!!!!!!!!!!」


聖鎧竜スヴェルグ、再臨。

                                ▼


「死ねぇぇぇぇぇぇぇ! 魔王!!」

瞼の裏に焼き付いたのは憎悪に染まった少年の姿。
思い出の中の大好きな人と重なってちょこの脳裏から離れなかった。

(父さま……)

剣士ラルゴ。
モンスターに家族を奪われ復讐を誓った男。
剣士でありながら愛する者を守れなかった己の運命を呪い、憎しみのままに力を欲しった男。
魔剣に心を奪われ、モンスターを見付けては復讐の為に殺し続ける存在となり、遂には魔王セゼクを倒した男。
父の亡骸に泣きつく少女に死んだ娘を思い出し、魔剣の魔力から解放され、その魔族の娘から力と記憶を奪い別の名前を与えた男。

もう語るまでも無いであろう。
男が付けた名前は。死んだ娘の名前は。幼き魔人の名前は。

“ちょこ”

――父さま? 私達の父上は魔王セゼクただ一人よ

虚空より聞こえたその言葉に偽りはない。
血縁関係で言うのならちょこの父は間違いなくセゼクであり、声の主にとっては屈辱的だがセゼク本人もちょこを娘と呼んだ。
けれどもそんなこと少女には関係なかった。
少女には難しいことは分からない。
それでも胸を張って言える。

(違うもん。ちょこの父さまは、ちょこの大好きな父さまは、ラルゴって名前だもん)

もう二度と会えない今でもその想いは変わらない。
ちょこにとっての父はラルゴでこれからもずっと大好きなのだ。
そんなちょこに、

(おにーさんはきっと父様と似てるの)

ユーリルを放っておけるはずがなかった。
少女は覚えている。
大切な娘だと言ってくれたあの日、自分に出会うまでの過去を語ってくれた時の父の声を、表情を、込められた感情を。
泣きそうな顔だった。張り裂けそうな声だった。悔やんでも悔やみきれない後悔が滲み出ていた。
最後はちょこを人間として育てたせいで辛い思いをさせてしまったと涙ながらに謝ってばかりだった。
それはいつもいつも優しく微笑んでいてくれた父が初めて見せた曇り顔で。
まだまだ子どものちょこにはその複雑な感情の全てを推し量りうるはずもなく。
少女はただただ悲しい顔を見ていたくなくて。
あるべき輪廻へと還ろうとする父の魂に何度も何度もハンバーグのお代わりをせがんだ。
こうすれば父が困り笑いをしつつもお代わりを作ってくれると少女は知っていたから。
父さま行かないでと心の中で叫びつつ、必死に何度も何度もわがままを言って引きとめようとした。

駄目だった。

父は少女に大切な言葉と幾つもの謝罪を残して天へと還った。
少女は最後の最後で父に困らせることしか言えなかった。
ありがとうも、さよならも、大好きも言えなかった。
それはとても寂しいことなのだと、少女は目を覚ました時に知って。
少女はいっぱい後悔した。
悔やんで、泣いて、泣きつかれて、眠くなって。
その時決めたのだ。
今度夢で父に会えたら、あの時言えなかったことを全部全部伝えようと。
そうすればあんな寂しそうな笑顔よりももっともっと明るい笑顔を父は浮かべられるだろうと。

(ちょこ、もうあんな悲しそうな顔、見たくない。させたくない)

アナスタシアを襲ったユーリルの表情は魔王セゼクと対した時のラルゴそのものだった。
ならばその結末さえも同じ道を辿ってしまうかも知れない。
そんなのちょこは嫌だった。

(悲しみや憎しみのままに力を解放したらダメだって、父さまが言ってたこと、おにーさんにも伝えるの)

幼い胸に決意の炎を燃やし目を開け、立ち上がろうとする。
少女の意思に応えるように泳いだ後、髪の毛に巻いてもらったリボンがうっすらと光を発する。
身も心も現世へ戻とうとする少女を引き止めるようにまたしても声がした。

――あなたがそれを言うの? 感情のままにイノチを弄んだあなたが?

かって少女は知らなかった。
なまじ力があった為にイノチの価値に気付けなかった。
感情のままに開放したチカラで奪ったイノチを偽りの肉体に縛り付け、自らの慰めとした。
あまつさえそのイノチを弄ぶ行為をなしたことを忘れ、一人平穏な世界で生き続けた。
でも今は違う。
閉じた円環から一歩を踏み出し、世界を救う旅の中幾多もの想いに触れた今なら。
最愛の父との離別を経験し、辛い記憶と無くした過去を受け入れる覚悟を決めた今なら。
分かる。
イノチの価値が。
それは、想い。
その人に生きていて欲しい。
その人じゃなければダメ。
チカラの価値や世界のルールでは語れない何か。
貧弱で曖昧だけど確かに胸の奥にあるもの。

(誰だって言っていいの。言っちゃだめなんかじゃないの)

――っ、父上……

他の誰でもない。
ちょこの父への愛は、ちょこが口にするから意味がある。
ただ生きていて欲しいと想うから、ただ生きていて嬉しいと想えるから、イノチには価値がある。
そしてちょこが生きていて欲しいと想う命に――

きっときっと限りなんてない。

ちょこは何百年もずっと一人で生きてきた。
成長する事も、新しい物を生み出す事も出来ないただの記憶の集合体の中に身を置いていた。
深い、深い地の底で、アーク達に出会うまでずっとずっと少女の世界にイノチは一つだけだった。

だから今は。
時の止まった森から一歩踏み出し多くのイノチを感じられた今なら。

ただ、誰かがどこかで生きている。
ちょこはそれだけで嬉しいのだ。
だって生きていてくれるならいつでも会いにいけるから。
どれだけ時間をかけようとも繋がることはできるから。
少女にとって全てのイノチに価値がある。

ラルゴの行いは実を結んだ。
魔人の少女はチカラの限界の先にある“何か”を、人間のココロを育んでいた。

(ちょこ行ってくる)

引き止める声はしなかった。
今度こそちょこは立ち上がる。
父に似た少年を救うために。
誰も死なせないために。

だってちょこは問答無用でいい子なのだから。



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最終更新:2010年07月02日 22:30