夜雨戦線 -Cross Battle- ◆6XQgLQ9rNg



 雨は降り止まない。
 更けていく夜を濡らす大粒の雫は、ひたすらに世界を冷やしていく。
 ざあざあと、ざあざあと。
 大声を上げて雨が降る。
 天が流す涙のような大雨に打たれ、人ならざる容貌をした騎士が飛び跳ねる。
 異形の騎士――カエルにとって、大雨は悪天候などではない。
 それを証明するように、カエルは人の身では容易に到達できない高さまで跳躍する。
 立ちはだかるブラッドとジョウイを飛び越えて上昇を終え、刹那の停止時間で虹色の刀を振りかぶった。
 降りそぼる雨と共に、降下する。
 虹の軌道の先、顔を顰めたのは夜の支配者マリアベル・アーミティッジだった。 
 緑の斬撃を見切り後ろに跳ぶ。
 直後、目の前に落ちてきた七色の刀は、マリアベルに傷一つ与えなかった。
 既に夜が訪れているのだ。ノーブルレッドを簡単に仕留められるはずがない。

「ロックゲイザーッ!」
 マリアベルが手を翳すと同時、地面が隆起を始める。ぬかるんだ土は硬質の牙となり、着地するカエルを貫くべく伸長する。
 雨音を押しのけて衝撃音が響く。
 着地の衝撃を足腰で吸収していたカエルが、刀を土の牙に叩きつけた音だった。
 牙は砕けない。
 されど、陽光を浴び続けた鉱石より生み出された業物もまた、折れはしない。
 土の牙とせめぎ合うカエルへと、長髪の巨体が詰め寄り拳を握り込む。
 スレイハイムの英雄ブラッド・エヴァンス
 隆々とした体躯から繰り出される拳打は重く、直撃すれば馬鹿にできないダメージを受ける。
 直撃すれば、だ。
 ブラッドは、構えた拳を下げざるを得なくなる。
 尖った耳をした細身の男――魔王が、巨大な鍵をブラッドの側面へと突き込んできたからだ。
 攻撃のために握った腕を引き戻し、左右の腕を交差させる。
 ランドルフを受け止めたブラッドの脇を抜けるのは、回転する鎖が上げる暴虐的な鳴き声だ。
 鎖上に並ぶ細かい無数の刃が、雨粒を散らして斬り上げられる。
 別たれた始まりの紋章を両の手に宿す少年――ジョウイ・アトレイドの攻撃は、突如生じた激流によって阻まれる。
 激流を生んだのは、雨を全身に浴びたカエルだ。
 大雨の勢いを得て、激流がジョウイへと迫りくる。
 地面を削り土砂を飲み込み雨水を吸った水は津波に酷似していて、避け切れるような遅さではなくやり過ごせるような矮小さではない。
 このままでは押し流される。
 訪れる危機を直感し顔を顰め、左手を掲げようとしたジョウイの前で。

 雨粒が、凍りついた。
 中空に顕現した氷の粒は急激に気温を下げ、降り注ぐ雨を次々と凍らせていく。

「シルバー、フリーズ」

 魔法使いの囁きが、雨音を縫うように響いた。
 直後、激流の前に巨大な氷の結晶が形作られる。
 結晶はジョウイを守るように、水を押し留める。
 雨粒を用いて作られた間に合わせの氷壁が、津波に等しい水量に勝る道理はない。
 故に結晶はすぐに皹割れ押し負け砕け散り、水は流れを取り戻す。
 しかし、激流の先にジョウイの姿はない。
 脆い結晶が作り出した僅かな時間は、ジョウイにとって充分な時間だった。
「助かったよ、ありがとう」
 水から逃れたジョウイが告げると、魔法使い――ストレイボウは首を横に振る。
「礼を言うのは、俺の方だ」
 ストレイボウは横目でジョウイを伺うと、照れくさそうに笑んで告げる。
「俺を――俺なんかを、仲間だと言ってくれて、本当に嬉しかった。ありがとう」 
「ジョウイだけではないぞ」
 ブラッドがストレイボウの側に立っていた。
「こうして肩を並べ戦ってくれるのなら、わらわたちもお主の仲間じゃ」
 マリアベルがストレイボウの隣で微笑んでいた。
 その事実が、言葉が、ストレイボウの胸に沁み込んでいく。
 まるで、よく冷えた身を心地よい湯に浸らせた瞬間のように、じんわりと沁みわたっていく。
 ゆっくりと話をしている場合ではないと分かっている。こんなときに言うべきことではないのかもしれない。

 そう思いながらも。
 言わずにはいられなかった。
「ありがとう……」
 体は雨に打たれてびしょ濡れでも、心は毛布に包まれたように温かかったから。
「ありがとう……!」
 三人が、深く頷いてくれた。 
 雨脚は衰える様子を見せず夜を湿らせていく。広がっているのは、暗く冷たい現実だ。
 だとしても、だからこそ。
 なんとかカエルと向き合わなければならないと、ストレイボウは震えながらも思い直す。
 そんな彼の意識を汲み取ったように、ブラッドが、魔王とカエルを見据えたまま口を開いた。

「ジョウイ、ストレイボウ。尋ねたいことがある」
 その声を聞き逃さないよう、ストレイボウは耳をそばだてる。
 手短に告げられたのは、紅の暴君と呼ばれる魔剣を所持しているか否か。 
 ストレイボウが首を振る隣で、ジョウイが呟く。
「今は持っていませんが、心当たりなら――」
 だが彼の声は、
「――作戦会議はそこまでにして貰おうかッ!」
 雨の加護を受けた騎士の突貫によって、遮られた。
 密集していた四人が、散開する。
 ジョウイが右へ。
 マリアベルが左へ。
 ストレイボウが後ろへ。
 そしてブラッドが、前へ。

「持っていないのならば今は構わない! ジョウイ、ストレイボウ!
 お前たちは、向こうで戦っている俺たちの仲間の手助けに行ってくれッ!」

 カエルの剣を潜り抜け、迎撃するブラッド。その巨体を狙い、魔王が闇を炸裂させる。
 その炸裂を阻むのは、別の闇だった。
 レッドパワー、シャドウボルト。
 生じた闇は、炸裂する闇と食い合い侵食し合い飲み込み合い、相殺する。
 闇が消えた後に、カエルの姿はない。深追いせず、一度距離を置いていた。
「カエルたちの相手はブラッドとわらわが引き受ける、だから――」
「――止めさせてくれ」
 マリアベルの言に割り込んだのは、ストレイボウの一言だった。
 顔を上げ、マリアベルとブラッドに視線を向けた後、敵である騎士を真正面から見据え、魔法使いは続ける。
「カエルを、止めさせてくれ」
 濡れそぼった姿から、確固たる強さを持って放たれた声は、雨音にもかき消されることなく夜闇に伝播する。
「ぼくからも、お願いします」
 続けたのは、ジョウイだ。
「道を違えてしまっても目指すものが同じなら、確かな目的を抱いていられるなら、歩いて行ける。でも」
 ジョウイは目を細め、何かを確かめるように、左手を強く強く握りしめる。
「でも、目的地まで違えてしまったら、それはきっと、哀しいことだと思うから」
「……分かった。ならばジョウイ、お前だけでも頼めるか? 魔王とは因縁があるようだが……」
 気遣うようなブラッドに、ジョウイは首を縦に振る。
「構いません。あなた方にも、魔王を討つ理由がある。
 奴はルッカと――リルカの仇ですから」
「心得た、確かに心得たぞ。ジョウイよ、お主の無念、わらわたちが晴らそう。
 代わりと言っては何じゃが――」
 マリアベルが、肩越しに後方を見る。
 そこはもう一つの戦場であり、ジョウイが向かうべき場所だ。

「わらわの友を――アナスタシアを、守ってやってくれ」
 憂いと心配を帯びた眼差しの向こうでは、轟音と絶叫が響いている。
 覚悟を決めるように、ジョウイは湿った空気を深く吸い込んで、頷いた。
「……分かりました。皆さん、どうか、無事で」
「ジョウイ、死ぬなよ!」
 ストレイボウの激励に片手を上げて応え、ジョウイ・アトレイドは駆け出した。

 ◆◆

 幾度目かの剣戟の音が、響く。
 振り下ろされた天空の剣を受け止めたのは、魔界の剣。
 かつては世界を救った者――ユーリルと、世界に呪詛を吐き続けてきた者――イスラがせめぎ合う。
「邪魔を、邪魔をするな――ッ!」
 絶叫するユーリルを前に、イスラは歯噛みする。
 馬鹿げた膂力から繰り出される攻撃は、まともに受けるには重すぎた。
 だからイスラは刃の角度を変え、一歩引く。 
 天空の剣に乗せられた力が持て余され、ユーリルがバランスを崩した。
 そこに、魔界の剣を突き込む。
 貫きの一撃はしかし、ユーリルを捉えない。
 ふわりと浮かびあがるようにして避けたユーリルは、着地と同時に再び疾走する。
 ユーリルの目が見ているのも行く先も、イスラではない。

「アナスタシア、アナスタシア、アナスタシアぁ――ッ!!」
 ゾッとするような咆哮を上げ、一途なまでにアナスタシアへと向かう。
 イスラは舌打ちをし、ぬかるんだ土を蹴りつけてその進路を阻む。
 立ちはだかると、ユーリルの顔にあからさまな嫌気が浮かぶ。
「なんでだよッ! なんで、なんで邪魔をするッ!?」
「色々あるんだよ。説明するのが億劫なくらいにね。個人的には、アナスタシアを守りたいわけじゃあないさ」
「だったらどけよッ! 殺させろよ――ッ!」
 泣きじゃくり駄々をこねる子供のように喚き散らし、剣が振るわれる。
 威力は高いが、感情の濁流に突き動かされた行動と攻撃パターンは単調で分かりやすい。
 故に、見切るのも阻むのも容易い。
 問題は。
 相手に退くつもりがなく、体力の限界を完全に突破し振り切っていることだった。
 このまま戦い続ければ、強引に押し切られる可能性が高い。
 アキラはピサロの足留めで手一杯になっているし、ブラッドたちがいつ戻ってくるかも分からない。
 更に加えるならば、守るべき対象のうちの一人――アナスタシア・ルン・ヴァレリアは、信用できない。 
 そう、アナスタシアよりもむしろ。
 分かりやすいだけ、共感できる点があるだけ、ユーリルの方が信用できる。

「キミの気持ちは分からなくはないよ。僕だって、アナスタシアは大嫌いだ。
 教えてはくれないか? アイツがキミに、どんな酷いことを言ったのか」
「うるさいッ! そんなことを言いながらアナスタシアの味方をするんだろ! 僕の邪魔をするんだろッ!!」
 ユーリルが、手を掲げた。
 応じるように、応えるように、雨雲の中で稲妻が猛る。 
シンシアだって僕のことを分かってくれてなかった。ずっと一緒にいたのに。小さな頃から、ずっとずっと一緒にいたのにッ!
 必死になって救った世界だって、今は、僕に優しくしてはくれないッ!!」
 細長い稲光が、夜空を食い荒らして這いまわる。
「それなのに、お前が。アナスタシアを守ろうとしているお前なんかが」
 ユーリルの声が熱を増す。
 その無尽蔵な感情を原動力にしているかのように、雷光が夜を照らす。
「お前なんかがッ! 僕のことを分かってたまるか――ッ!!」 
 青白い光に照らされたユーリルの顔は、びしょ濡れでぐしゃぐしゃで震えていた。
 真っ黒な感情をこね回して作った土台の上で、真っ黒な感情を削り取った杖を握っていないと立てないほどに、ボロボロだった。
 そんな、憐れみを感じることすらできないほどに崩れ果てた少年を前にして、イスラは、得心する。

 ――はは、何言ってるんだ。分かるさ。だって、瓜二つじゃないか。

 ユーリルの手が、勢いよく振り下ろされる。
 その挙動を黙ってみていることしかできなかったのは、きっと。

 ――こいつは、この汚くて無様で醜い顔は。

 かつて呪いを怨み自分を恨み世界を憎んでいたイスラ・レヴィノスは、この場にいる誰よりも深く強く、ユーリルに共感してしまったから。

 ――他の誰でもない、この僕に、そっくりなんだよ。

 手に取るように、分かる。
 こうなってしまった人間には、小手先の戯言も表面的な慰めも綺麗事の説得も届かない。
 深く暗くどす黒い感情の沼の奥底に届くのは。
 全てを知り、理解し、受け入れ、その上で道を正してくれる、痛みすら感じるほどに強く、優しい想いだ。
 それでも、分かったとしても。
 与える術を、イスラは持ち合わせていなかった。
 そんなイスラを、罰するかのように。

 雷撃が、天から降り注いだ。

 ◆◆

 頭が痛く息苦しく体が気だるい。
 雨に濡れた服は重みを増し、全身に纏わりついて体温を奪っていく。
 まるで、寝不足時に風邪を引いたかのような不快さに耐えながら、アキラは雨の向こうに意識を傾けていた。
 美しい容貌に憤怒を刻む魔王――ピサロが、濡れそぼった銀髪を振り乱し突っ込んでくる。
 雨粒が地面を叩く音と皮膚を伝い落ちていく水の感触と鼻孔をくすぐる湿っぽい香りを無視し、集中力を高めていく。
 疲労を訴える脳に鞭打ち、鮮明なイメージを描画する。
 ピサロが、速度を殺さず踏み込み斬撃のモーションに入った。
 刀が雨を切り裂いて迫るよりも、少しだけ早く。
 練り上げていたイメージを、アキラが解放する。
 アキラを中心として具現化したのは、四つの黒の球体だ。
 鎖のように連なった球体は低く唸り、ピサロの身を薙ぎ払う。
 シャドウイメージ。
 生み出された負の思念は、憎悪に突き動かされた魔を統べる者の命を縮めるには温すぎて、ピサロに大きなダメージは与えられない。
 それでも。
「く……ぅッ!」
 アキラから飛び退るように距離を取ると、ピサロは呻きたたらを踏んだ。
 相手は魔王なのだ。
 シャドウイメージで恐怖を見せつけ自、分を見失わせるほどの効果は望めない。
 だが、悲痛なまでの感情をむき出しにしたピサロの精神を揺さぶる程度の効果はあったようだった。

「鬱陶しい……真似を……ッ!」
 呟くピサロを前に、アキラは再度集中しイメージを作り上げた。
 出鼻を挫くべく放ったスリートイメージが、ピサロの進行を妨害する。
 冷静さを失している故に、アキラの精神攻撃がピサロの行動を確実に阻害する。
 だが、それは決定打には程遠い。
 アキラは水際でかく乱し続けているだけに過ぎず、敵を打破するだけの一撃を持ってはいなかった。
 じりじりと、相手の精神力を削っている手ごたえはある。
 同様に、アキラ自身の精神と肉体が疲労している実感も強かった。
 息が荒い。目も霞みそうになる。膝は今にも笑いそうだし、気を抜いたらすぐに意識が飛んでいきそうだ。
 油断すればあっという間に首を取られてしまうような強敵を前にした緊張感が。
 超能力を行使するために必要な、絶え間なく休みない集中が。
 アキラの精神を、確実に蝕みすり減らしていた。

 どれだけ阻み何度惑わしても、ピサロは倒れない。
 剣を握る手からも地を蹴る足からも憎しみに満ちた瞳からも、崩れる気配は微塵もない。
 安易に切り崩すことのできない鉄壁の砦を連想させるその姿と対峙して、アキラは奥歯を食い縛る。
 ピサロは強かった。
 彼が激昂せず冷静ならば、アキラの首はとうに手折られているだろう。
 絶望的なまでの力量の差を、実感せずにはいられない。
 だとしても。
 負けるつもりも挫けるつもりも諦めるつもりも、ない。
 アキラの胸には、刻まれている。
 刹那の時間共に戦った『英雄』の姿が、だ。
 彼女はボロボロになっても立ち上がった。
 彼女はその身が砕けても退かなかった。
 そんな彼女が――アイシャ・ベルナデットが眠るこの場所で、弱音を見せるわけにはいかないのだ。
 簡単に膝を付くようでは、アイシャと共に戦ったと誇ることができなくなる。

 ひいては。
 アイシャの仲間として、相応しくないということになってしまうのだ。

 だから。
 だからこそ。
 アキラは、倒れない。
 どれだけ心をすり減らし精神を酷使し意識に鞭打っても。
 アキラは決して、倒れはしない。

「来いよ……!」
 意識を、研ぎ澄ます。
 あらゆる雑念を追い出し、抗う意志だけを練成しイメージを作り出す。
「俺がここにいる限り、アンタの好きにはさせねェッ!」

 咆えるアキラを、一瞥して。
 ピサロは、何度目かになる突撃を敢行する。
 迎撃のため具現化させたのは、ヘルイメージ。
 亡霊のような思念は闇の中飛び回り、ピサロを吹き飛ばすべく不規則な軌道を描く。

 ――その亡霊が、ことごとく打ち落とされた。

 中空に生じた破壊的な花火を思わせる広範囲の炸裂が、ヘルイメージを片っ端からぶち壊していく。

「喚くな、人間……」

 炸裂の下、距離を詰めたピサロが冷たい声で告げる。
 胸中に狂おしい憎悪を宿し冷静さを失っていても、ピサロという男は愚かではない。
 突撃しか能がない相手ではないと、理解はしていた。
 先ほど、暴虐の限りを尽くす漆黒の雷を見せつけられたのだから。
 分かっていたからこそ、アキラは、やるべきことと出来ることをやってきた。
 超能力をフルに行使し精神を追い詰め削り続け、魔法を使わせないよう集中力を乱させ続けた。
 それでも、やはり。
 魔王の称号は、伊達ではなかった。
 隙も素振りも見せず、走りながら炸裂の呪文を唱えたピサロは、ヘルイメージを完璧に迎撃しきって見せた。 

「五月蠅い屑が。ここで、殺す」

 薄く反り返った刀身が、雨と夜気を切り裂いて来る。
 すぐ近くでけたたましい雷鳴が鳴り響き、鼓膜をびりびりと振るわせた。
 その音は、まるで。
 死の呼び声のようだった。

 ◆◆

 勇者と呼ばれた少年が呼び寄せた、天から堕ちる雷が。
 魔王と呼ばれた青年が振り上げた、首を狩るべく刃が。
 憎しみのままに、イスラとアキラの命を奪い取る、その直前に。

 二色の輝きが爆発的な勢いで広がり、大雨が降りそぼる夜を照らし上げた。
 浴びただけで全身を切り刻まれそうな鋭さを感じさせる、破壊力に満ちた赤黒い輝きと。
 浴びただけで体力が湧きあがりそうな温かさを感じさせる、活力に溢れた碧緑の輝きだった。

 赤黒い輝きは刃のようにピサロへと迫り、彼の攻撃を阻害する。
 碧緑の輝きは盾のように雷の前に立ちはだかり、イスラを守り抜く。

 対称的な二色の中心に、一人の少年が佇んでいた。
 彼の頭上に光を放つ二つの紋章が、神々しく浮かび上がっている。

「援軍か……ッ!」
「邪魔者が……ッ!」

 二種類の呟きが、零れ落ちる。
 どちらかと言えば、ジョウイは邪魔者だ。
 それも、あらゆる者にとっての、だ。
 だが今は、援軍の真似事をする必要があった。
 この島には、単身で圧倒的な力を有する者が多すぎるのだ。
 黒き刃だけではなく、輝く盾の紋章をも宿したジョウイもまた、かなりの強者であるとは言える。
 しかし、一人で全員を殺し生き残れると信じられるほど、ジョウイは楽観的ではなかった。
 利用できる者は利用する。
 殺し合いに乗った者であっても、そうでなくても、だ。
 その見極めと選定をするために。
 ジョウイは、親友の力が宿る左手を強く握りしめて、戦場へと身を躍らせた。

 ◆◆

 虹色の刀と竜の爪が交差する。
 火花が散りそうなほどの激しさでぶつかり合った武器は、一瞬の均衡を経て距離を置く。
 後ろへ跳んだのは、カエルだ。
 持ち前の跳躍力を活かし一足で離れていくカエルを、ブラッドは迷わず追走する。
 ブラッドが努めるのはショートレンジの維持だ。
 距離を取られては不利になる。
 ブラッドが保有する遠距離攻撃手段は、昭和ヒヨコッコ砲のみ。
 その武器は、普段ブラッドが運用するヘヴィアームに比すれば心もとなく、カエルが使用する水の魔法に抗うには少々力不足だった。
 そして、ストレイボウ、マリアベルと比して、ブラッドが最も近接戦闘に長けている。
 故にブラッドは、カエルを抑える。
 リルカの仇である魔王には、彼女のこと以外にも借りがある。
 だがブラッドは、かつて自身を破った相手のことは思考しない。
 そちらは、共に戦う仲間に任せればよいのだ。
 何せその仲間は、夜の支配者なのだから。
 そして自分は、あくまでカエルを抑えるだけ。
 カエルに剣を収めさせるのは、新たな仲間の役目だ。

「カエルッ! 話を、話をさせてくれッ!」
 叫び声が雨音をかき分けても、応じる声はない。
 だから、声の後押しをするように、ブラッドは駆ける。
 ダッシュの勢いを殺さず、体当たりじみた蹴りをぶち込んだ。
 入る。
 確信の直後、思いの外硬い感触が靴裏に食い込んだ。
 たたらを踏むカエルの右手へ、ブラッドは手を伸ばす。
 刀を握る腕を捩じり上げようとするが、届くよりも早く緑の腕が翻る。
 ブラッドを刻むように動いた刀身に舌打ちを漏らし、伸ばした腕を引き戻す。
 虹が雨粒を薙ぎ払った。
 もう一度、突撃する。
 そのブラッドと並走するように駆け寄る、一つの影があった。
 ストレイボウだった。
 地を蹴る彼の眼はブラッドを顧みず、ただカエルだけを見つめている。
「ストレイボウ!? 下がっていてくれッ!!」
 ストレイボウは、ただ首を横に振る。

「……後ろから喚いているのは、嫌なんだ」
 カエルを見つめながら届けられる呟きを、ブラッドはなんとか拾う。
「近寄りたい。そうしなきゃ俺の声は届かないし、それに――」
 ストレイボウは雨の中、確かに言う。
 激しい雨音に掻き消されないように、言葉を打ち立てる。
「――あいつの声が、聞こえない」
 そこで、ストレイボウはブラッドを見る。
 決意じみた色に染まった黒の瞳の奥に、震え揺らぐものがあった。

 よく見れば、彼の手先が小刻みに揺れていた。
 さしものブラッドも、ストレイボウの心底を推し量ることはできない。
 それでも、分かる。
 ストレイボウが何かに怯えと恐れを抱えながら、立ち上がり声を張り上げていることが分かるのだ。
 無理をしているのかもしれない。今にも折れそうな心を必死で鼓舞しているのかもしれない。
 だからこそ、無謀だと分かっていても。
 ストレイボウの行動を諌めることは、できなかった。

「俺が抑え切ってやる。だから――届けて見せてくれ」
「……ありがとう」

 それだけ告げると、ストレイボウはカエルを見つめなおす。
 その歯を食い縛った横顔は、必死さと危うさを感じさせた。

「カエル、少しでいい! 俺と、話をしてくれッ!」
 声を聞きながら油断なくカエルを窺う。
 異形の騎士は武器を構えていたが、今のところ攻撃の兆しは見られなかった。
「言っただろうストレイボウ。俺はもう、戻れないと」
 戻れない。
 告げるカエルの声に悲哀も後悔も絶望もなく、あるのは強靭さと頑健さと一途さだった。
 それを裏付けるように、続ける。 
「仮にまだ後戻りが出来るとしても、俺はその選択肢を選ばない。決して、だ」
「お前ほどの男なら、分かっているだろう……? お前の選択が、行動が、誤っているとッ!」
「俺は自分の意志に忠実に行動している。誰に糾弾されようと、曲げるつもりなどない」
 薄く湾曲した七色の刀が、ゆっくりと持ち上がる。
「俺は俺のためにこの手で仲間を斬った。お前を斬ることにも躊躇いはない」
 差し向けられた切っ先は、ストレイボウへと向いていた。
 冷酷な拒絶にストレイボウは唇を噛み、目を伏せ、それでも言葉を紡ぐ。

「……罪滅ぼしのためでは無く、お前の意思で友を救えよ」
 拳を握りしめて、顔を上げる。
「俺はまだ罪悪感を捨てられない。救いたいと思うのも、罪から逃れたいからかもしれない」
 その口端には、嬉しそうな微笑が確かに浮かんでいた。
「けれど、カエル。お前がくれたこの言葉を、俺は絶対に忘れたくないし、手放したくはないんだ……」
 足を踏み出し、ぬかるんだ大地に足跡を刻む。
 雨に流され跡が消えても、滑りそうになりながらも、次の一歩をストレイボウは踏む。
 カエルの目が、すうっと細められた。
 その大きな口から小さく息を吐き、突き付けた刀を薙いだ。
 薙がれた刀身は、しかし、収められてなどいない。 
「そんな中途半端な意思でこの俺と対峙したところで――」
 カエルが刀を持ち直し腰を落とす。
 臨戦態勢に入ったカエルから、闘気が膨れ上がった。

「お前の罪は贖われない! 決してなッ!!」
 叫び、跳んだカエルを迎撃すべく。
 傍観に徹していたブラッドもまた地を蹴ろうとして。
 雨が熱を帯びるのを、肌で感じた。
 直後、夜が赤に染められ雨粒が水蒸気へと変じていく。
 嫌な予感を覚え、ブラッドはカエルの跳んだ逆側を振り仰ぐ。
 そこには、巨大な火柱が屹立していた。
 炎は夜を塗り潰し雨を食い潰しマリアベルのレッドパワーすら強引に焼き潰し燃え盛る。
 その正体と威力と火力を、ブラッドは知っている。
 だから、ストレイボウを伴って火柱とは逆側へと足を向けた。
 駆け出す直前に見えたのは、魔王が流麗な動作で指を振る瞬間だった。
 従うように火柱が爆音を立てて爆ぜ、熱で作られた紅の舌が夜を舐め上げ焼いていく。
 炎の魔手から逃れるべく、ブラッドは駆ける。あの熱量を再び食らうわけにはいかなかった。
「あいつ、正気なのかッ!?」
 魔王が放った炎は、彼が戦っていたマリアベルだけを狙ったものではない。
 カエルを巻き込むことすら厭わないかのような一撃に、ストレイボウは足を留めていた。

「立ち止まるなッ! 飲み込まれるぞッ!!」
「しかしカエルがッ!」

 ストレイボウを走らせようとするブラッドの瞳が、動きを捉える。
 慌てふためくストレイボウを翻弄するかのように。
 炎の逆側から、赤を映す虹を携えた騎士が疾駆する動きを、だ。
 ストレイボウは気付かない。
 行動の遂行に捉われすぎて、本当に見なければならないものが見えていない。
「……すまない」
 ブラッドは手短に謝罪を告げ、ストレイボウを思い切り突き飛ばした。
 炎とは逆の方向――カエルが迫る方へ、だ。
 ストレイボウの身が滑り、転ぶように水溜りに突っ込んだ。その勢いで逆巻く炎のアウトレンジへなんとか抜ける。
 起き上がろうとするストレイボウを跳び越え、ブラッドはカエルに対峙し、叫ぶ。
「よく見るんだストレイボウッ!」
 戦うべき敵にではない。
 後ろにいる、魔法使いに、だ。
「炎に呑まれて命を落とすのが、お前の望みかッ!?」
 鋭い斬撃を受け止め、回避して。
「何も伝えられず届けられず堕ちるのが、お前の願いなのかッ!?」
 重い拳を打ち込みカウンターを繰り出して。
 ブラッドは、告げる。 

「違うと言うのならば立ち上がれ。曇りを払い自らの瞳で世界を見据え真実を捉えろッ!
 違わない程度の――そう、半端な意思しかないのなら。
 お前には、カエルを止められないッ!!」

 カエルとブラッドの交錯が、終わる。
 ブラッドの打撃を受け、カエルが吹き飛んでいた。
 剛腕の一撃を受けてなお、騎士は即座に立ち上がる。
「ああそうだ。この俺が、やすやすと、止められるものか……」
 そして彼は、刀を振りかざし。
「その男の言うように、立ち上がれないのならば」
 雷光を帯び始めた黒雲の空に向けて、またも大きく跳躍する。

「ここで朽ち果てろ! ストレイボウッ!!」

 ◆◆

 魔の王。
 そう名乗り呼称される所以は、魔族を従えていたカリスマ性だけではない。
 底知れない魔力と、あらゆる属性の高位魔法を苦もなく扱う魔法への適応力は、まさに魔王と呼ぶに相応しいものだった。
 その凄まじさを、マリアベル・アーミティッジは実感する。
 奴は、魔王は。
 大火力・広範囲の魔法の使用を躊躇わない。むしろ、積極的に使用する様子すら見て取れる。
 一見、カエルを巻き込む可能性を完全に無視しているように見える。
 しかしその実、そうではないのだ。
 魔王は、魔力を解き放つタイミングをカエルの一挙動ごとに合わせている。
 カエルもカエルで、魔王の攻撃範囲を完全に理解した上で、その跳躍力を活かして巻き込まれないよう立ち回っている。
 心の声で示し合わせているかのようなコンビネーションは、一つの芸術と言っても差し障りない。
 ブラッドをはじめとしたARMSの仲間となら、マリアベルもそれくらいのチームワークを発揮することができる。
 だが、それを見せつけられない要因が一つだけあった。
 ストレイボウだ。
 彼を責めるつもりは毛頭ない。
 彼に感謝をしているのは事実であり、仲間だと思っているのは確かであり、カエルを救わせてやりたいと思うのも間違っていない。
 ただ、厳然たる現実として。
 ストレイボウを巻き込む可能性が、マリアベルに広範囲に渡るレッドパワーの使用を躊躇わせていた。
 その躊躇いは、魔王と戦うには重い枷となる。
 乱れた呼吸を整える余裕すらなく、マリアベルは魔王を睨む。
 圧倒されっぱなしとまではいかなくとも、押されているのは確かだった。

 消耗が激しい。
 その原因は、強力な魔法をレッドパワーで相殺していることと、魔王が駆使するマジックバリアとバリアチェンジのせいだった。
 有効な属性が次々と変化され、効果的な属性で攻撃してもダメージは軽減される。
 ディフェンスダウンを使用しマジックバリアの効果は抑えてはいるが、厳しいと言わざるを得ない。
 魔王が次なる魔法を繰り出すべく詠唱に入る。

 だから、マリアベルは。
 それを止めるべく、とあるレッドパワーを放つ。
「パワー……」
 効けと願う。通じろと祈る。届けと望む。
 強く強く欲し望めばその分だけ、願い通りになる可能性が高まると信じて。
 マリアベルは、腕を振り上げた。
「シールッ!」
 発生した赤の半球が魔王を包み込む。
 レッドパワー、パワーシール。
 ダメージは与えられないが、対象の特殊能力を封じる性質を持っている。
 通用する保証はない。
 しかし通用さえすれば、魔王の力を大きく封じることができる。
 半球が、飛び散る。
 直後に聞こえたのは、
「――残念だったな」
 無慈悲な、魔王の声だった。
「小細工など効かぬ。私は、守られているのだ」
 魔王の身から立ち昇る魔力は膨れ上がり、力となって顕現する。 
 魔力はその姿を、雷へと変えた。
 天の唸り声のような低い雷鳴が黒雲の奥で響く。視界を灼く輝きが刹那の間、夜を払う。
 耳を劈く轟音が、世界を振るわせた。
 雷が、落ちる。
 裁きの様を呈した、その雷撃を認識して。

「な――ッ!?」
 マリアベルは驚愕する。
 予測に反して、魔法の雷が広範囲に降り注がなかったことに驚いたのではない。
 一条の稲妻が爪を向けたのは、マリアベルでもブラッドでもストレイボウでもなく。
 降下軌道に入ったカエルの――その手に握られた、刀だった。
 マリアベルの視線の先、カエルが急速に落ちていく。
 先のように、前衛を跳び越えて後衛を叩く攻撃だった。
 ストレイボウは泥まみれで、茫然と佇んでいる。
「何をしておるストレイボウ!」
 マリアベルが叫ぶ。
 それでも、ストレイボウは天を見上げるだけで動かない。 
 虹色の刀身に稲妻が吸い寄せられる。
 切っ先と雷が接触する、その直前に。
 カエルは、得物を真下へ投擲した。
 重力とカエルの腕力に後押しされた刀は、真っ直ぐ落ちる。
 寸分違わず。
 ストレイボウの、頭上へと。
 レッドパワーで手を打とうにも間に合いそうにない。
「ストレイボウッ!」
 絶叫し、走る。
 走っても間に合わないと分かっていながら、動かずにはいられなかった。
 駆けるマリアベルよりも遥かに早く、ストレイボウに触れるものがある。
 それは、刀でも雷でもなく。

 ブラッド・エヴァンスの、大きな体だった。 
 突き飛ばされたストレイボウが更に泥まみれになりながら、地面を転がる。
 そして。
「ブラッドッ!!」
 マリアベルが呼ぶ名が、変わる。
 一瞬だけこちらを振り向いたブラッドの、左肩に。

 虹色の刀が深々と突き刺さって。
 その刀を避雷針にするかのように。
 魔王が編んだ雷が、ブラッド・エヴァンスへと直撃して。

 長髪の巨体は、声を上げることすらなく。
 泥混じりの水たまりを跳ね上げて、崩れ落ちた。

「ブラッド……ッ!!」

 心臓が思い切り引き絞られる。
 雨に濡れ冷やされた体が、ゾクりと震えを上げる。
 喉の奥が、得体の知れないもので詰まったような気がした。 
 マリアベルは駆ける速度を上げる。
 ブラッドならば大丈夫。
 そう信じたくとも、鼓動は不愉快なほどに逸り気持ちはどす黒い不安に侵食されていく。
 無事であると楽観する要素が、少なすぎた。
 刀はブラッドの巨体を確実に貫いているし、落雷は確かにブラッドを襲った。
 その証拠に。
 倒れ伏したブラッドは、動かない。
 マリアベルは唇を噛んで駆ける。
 その進路上に。
 長髪の影が、翻る。
 魔鍵ランドルフを得物として、魔王がマリアベルに肉薄する。
 魔力が枯渇したのか、あるいは。
 近接戦闘の要を潰したと判断し、突っ込んできたのか。
 どちらにせよ。
 立ちはだかる魔王を、迎撃し突破しなくてはならない。
 だからマリアベルは、使い慣れないナイフを引き抜いた。
 止まない雨はと重苦しい黒雲は、不吉な予感を呼んでくる。
 こんなときに、いや、こんなときだからこそ。

 星空を見たいと、マリアベルはそう思った。


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106-2:届け、いつか(後編) ユーリル 109-2:夜雨戦線 -Real Force-
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最終更新:2010年07月03日 01:27