A program to revive your relationship with God
CL6-6-2
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■ 2:日向から飛鳥、藤原京へ 〜「穢れ」を避ける空間移動と、定着する結界〜
(予定)【地理編:ロードマップ案(全8回程度)】
- 1:日本列島のエーテル的防衛網(概要と空間的分離)※済
- 2:日向から大和へ、そして飛鳥・藤原京 〜「穢れ」を避ける遷都と、固定化される結界〜
- 3:長岡京から平安京へ 〜怨霊と仏教勢力からの脱出劇、風水が守る千年都市〜
- 4:隠岐・佐渡 〜「流罪」という空間的隔離。なぜ天皇を処刑せず「島」へ送ったのか〜
- 5:吉野(奈良南部) 〜後醍醐天皇が選んだ南朝の拠点。修験道と山脈の「霊的要塞」〜
- 6:室町(京都) 〜権力(幕府)が権威(天皇)に地理的に近づきすぎた悲劇(応仁の乱)〜
- 7:安土・大坂から江戸へ 〜天下人たちが「京都(天皇)」と取った絶妙な物理的距離〜
- 8:東京(江戸城跡) 〜皇居の誕生と一極集中。現代の「空間的バッファー喪失」への警鐘〜
【概観(答):歴史の空間的俯瞰】
日本の皇室が「どこを拠点としてきたか」を辿ると、初期の時代は常に「移動」の歴史であったことが分かります。
神話の時代、天照大神の孫であるニニギノミコトが天降ったのは、九州の「日向(現在の宮崎県)」でした。そこから初代・神武天皇がはるばる東へと進軍(神武東征)し、日本のへそとも言える奈良盆地の「大和(橿原)」へと拠点を移します。神話の世界から歴史の黎明期にかけて、皇統の中心は「西の果て(九州)」から「国土の中央(近畿)」へと、巨大な空間移動を行いました。
神話の時代、天照大神の孫であるニニギノミコトが天降ったのは、九州の「日向(現在の宮崎県)」でした。そこから初代・神武天皇がはるばる東へと進軍(神武東征)し、日本のへそとも言える奈良盆地の「大和(橿原)」へと拠点を移します。神話の世界から歴史の黎明期にかけて、皇統の中心は「西の果て(九州)」から「国土の中央(近畿)」へと、巨大な空間移動を行いました。
大和に定着した後も、飛鳥時代(平城京ができる前)までの天皇たちは、実は「一つの都」に定住していませんでした。飛鳥浄御原宮、難波長柄豊碕宮、近江大津宮など、当時の天皇たちは代替わりをするたびに、あるいは大きな災いがあるたびに、自らの宮殿(首都)を別の場所へとゴロゴロと移動させていたのです(歴代遷宮)。
これには古代日本特有の「空間に対する霊的感覚」が関係しています。死や病気といったアーリマン的な腐敗を「穢れ(けがれ)」として極端に嫌い、天皇が崩御した土地は「生命力が枯渇した空間」と見なされました。そのため、新しい天皇はフレッシュな生命力(エーテル)に満ちた「新しい土地」に宮殿を建て直す必要があったのです。
これには古代日本特有の「空間に対する霊的感覚」が関係しています。死や病気といったアーリマン的な腐敗を「穢れ(けがれ)」として極端に嫌い、天皇が崩御した土地は「生命力が枯渇した空間」と見なされました。そのため、新しい天皇はフレッシュな生命力(エーテル)に満ちた「新しい土地」に宮殿を建て直す必要があったのです。
しかし、国家の規模が大きくなり、戸籍を作り、法律(律令)を整えるようになると、毎回首都を引っ越すわけにはいかなくなります。そこで、第41代・持統天皇の時代に、中国の都市計画に倣った日本初の本格的な条坊制(碁盤の目)の都、「藤原京(奈良県橿原市)」が造営されました。
藤原京、そしてその後の平城京(奈良市)の誕生は、皇室が「穢れから逃れて空間を移動する」という段階を終え、強固な法と風水の結界によって「空間そのものを浄化・維持する」という新たな霊的防衛システムを獲得したことを意味しています。
藤原京、そしてその後の平城京(奈良市)の誕生は、皇室が「穢れから逃れて空間を移動する」という段階を終え、強固な法と風水の結界によって「空間そのものを浄化・維持する」という新たな霊的防衛システムを獲得したことを意味しています。
【深淵からの問い(問):皇室検定への挑戦】
ここで、古代日本の「土地と移動」に関する霊的感覚を問う問題を投げかけます。今回は正答の配置にも気をつけておりますので、じっくりお考えください。
Q:飛鳥時代までの天皇が、代替わりのたびに宮殿(都)の場所を移動させていた最大の理由(古代日本の精神性)として、最も適切なものは次のうちどれでしょうか?
- 天皇は常に国民の生活状況を直接視察しなければならないと考えられており、全国を巡回するための仮設テントのような宮殿しか持っていなかったから。
- 当時の中国(隋や唐)から「都は一代ごとに変えるのが世界の最先端のルールである」という命令を直接受けており、それに従属していたから。
- 前の天皇の「死」によってその土地が「穢れ(霊的な生命力の枯渇や不浄)」に染まったと考えられ、新しい天皇は穢れのない清浄な空間で政務と祭祀を行う必要があったから。
- 単純に当時の建築技術が未熟であり、宮殿の建物が数十年でシロアリや台風によって完全に倒壊してしまい、同じ場所に建て直すことが物理的に不可能だったから。
【次なる思考へのヒント】
「穢れ(気枯れ=生命力の枯渇)」を避け、常に清浄な空間を求めること。これは宮中祭祀の根幹である「お祓い」の精神そのものです。天皇の代替わりごとに首都を移動するほどのエネルギーは、やがて「遷宮(伊勢神宮のように建物を定期的に新しくするシステム)」という形に洗練され、皇統の瑞々しい生命力を保つ装置となりました。古代の人々がどれほど「空間の持つ霊的エネルギー」に敏感であったか、その感覚を現代の私たちはどこまで取り戻せるでしょうか。(正解と解説は次回のコラムにて)