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3-5D
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【皇室検定】(3)歴史・ドラマ編5、近代皇室の光と影――明治から現代へ
3-5D:近代国家と皇室思想2――国体明徴・軍部の台頭・戦時体制
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第31問 1935年(昭和10年)の「天皇機関説事件」において、政府が「国体明徴」を強く打ち出す直接的な契機となったのは何でしょう?
A. 二・二六事件による東京の占領
B. 貴族院議員・軍部などから天皇機関説への批判が強まったこと
C. 日本国憲法の制定
D. 日中戦争の開戦
B. 貴族院議員・軍部などから天皇機関説への批判が強まったこと
C. 日本国憲法の制定
D. 日中戦争の開戦
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第32問 1935年に政府が発表した「国体明徴声明」の趣旨として、最も適切なのはどれでしょう?
A. 天皇の地位を国民の直接選挙によって決定すること
B. 天皇機関説を政府として否定し、天皇を中心とする国体の明確化を図ること
C. 帝国議会を廃止して軍部だけで政治を行うこと
D. 皇室祭祀をすべて廃止して政教分離を徹底すること
B. 天皇機関説を政府として否定し、天皇を中心とする国体の明確化を図ること
C. 帝国議会を廃止して軍部だけで政治を行うこと
D. 皇室祭祀をすべて廃止して政教分離を徹底すること
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第33問 天皇機関説事件が日本の学問・言論界に与えた影響として、最も重要なものはどれでしょう?
A. 国家・天皇・憲法についての学問的議論に政治的圧力が強まった
B. 国民が自由に天皇制廃止を議論できるようになった
C. 帝国大学の法学研究がすべて廃止された
D. 政党政治が完全に復活した
B. 国民が自由に天皇制廃止を議論できるようになった
C. 帝国大学の法学研究がすべて廃止された
D. 政党政治が完全に復活した
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第34問 1936年(昭和11年)に発生した二・二六事件について、皇室との関係から見て最も適切な説明はどれでしょう?
A. 反乱部隊は天皇を廃位して共和制を樹立しようとした
B. 青年将校らが昭和天皇の意思に反して政府・軍首脳らを襲撃し、天皇中心の国家改造を目指した
C. 昭和天皇自身が軍部に命じて政党政治を廃止した
D. 皇族が反乱軍を直接指揮した
B. 青年将校らが昭和天皇の意思に反して政府・軍首脳らを襲撃し、天皇中心の国家改造を目指した
C. 昭和天皇自身が軍部に命じて政党政治を廃止した
D. 皇族が反乱軍を直接指揮した
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第35問 二・二六事件の際、昭和天皇が反乱部隊に対して示した態度として知られているものはどれでしょう?
A. 反乱を「朕の軍隊」として全面的に承認した
B. 反乱を自らの意思に反するものとして鎮圧を求めた
C. 事件への関与を一切拒否して京都へ移動した
D. 反乱軍と共同して帝国議会を解散した
B. 反乱を自らの意思に反するものとして鎮圧を求めた
C. 事件への関与を一切拒否して京都へ移動した
D. 反乱軍と共同して帝国議会を解散した
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第36問 1937年(昭和12年)の日中戦争開始後、国家による国民生活・経済・思想などへの統制をさらに強化する方向へ進んだ背景として、最も適切なのはどれでしょう?
A. 総力戦となり、軍事だけでなく経済・人的資源・生産などを国家が動員する必要が高まった
B. 日本が戦争を完全に終結させ、軍備を縮小した
C. 帝国議会が廃止され、皇室が直接すべての企業を経営した
D. 欧米諸国が日本の内政を全面的に委任した
B. 日本が戦争を完全に終結させ、軍備を縮小した
C. 帝国議会が廃止され、皇室が直接すべての企業を経営した
D. 欧米諸国が日本の内政を全面的に委任した
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第37問 1938年(昭和13年)に制定された「国家総動員法」の性格として、最も適切なのはどれでしょう?
A. 戦時に人的・物的資源を国家が広範に動員できるようにした法律
B. 皇位継承順位を定めた法律
C. 皇室祭祀の手続きを定めた法律
D. 帝国議会議員をすべて皇族とする法律
B. 皇位継承順位を定めた法律
C. 皇室祭祀の手続きを定めた法律
D. 帝国議会議員をすべて皇族とする法律
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第38問 戦時下の「国体」「皇国史観」の強調について、歴史的に最も適切な理解はどれでしょう?
A. 古代から存在した同一の思想が、何の変化もなく昭和期まで維持された
B. 皇室・日本の歴史を中心に据える思想が、近代の国家制度や戦時動員と結び付いて強調された
C. 皇国史観は戦後になって初めて作られた思想である
D. 皇国史観は皇室とは無関係な経済思想だった
B. 皇室・日本の歴史を中心に据える思想が、近代の国家制度や戦時動員と結び付いて強調された
C. 皇国史観は戦後になって初めて作られた思想である
D. 皇国史観は皇室とは無関係な経済思想だった
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第39問 1930年代後半から戦時期にかけて、治安維持法などによる思想・言論統制が拡大していったことについて、最も適切な説明はどれでしょう?
A. 共産主義などへの警戒だけに限定され、国家や戦争への批判は原則として自由だった
B. 国家体制への批判や反戦的・反体制的な思想などにも統制の範囲が広がった
C. 統制の対象は軍人だけだった
D. 1930年代には思想統制そのものが廃止された
B. 国家体制への批判や反戦的・反体制的な思想などにも統制の範囲が広がった
C. 統制の対象は軍人だけだった
D. 1930年代には思想統制そのものが廃止された
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第40問 戦前の「国体」観と、戦後の日本国憲法における天皇の位置付けとの違いとして、最も重要なものはどれでしょう?
A. 戦後は天皇が主権者となった
B. 戦後は天皇制そのものが直ちに廃止された
C. 戦後は国民主権の下で、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と位置付けられた
D. 戦後も明治憲法の「統治権を総攬する」という規定がそのまま維持された
B. 戦後は天皇制そのものが直ちに廃止された
C. 戦後は国民主権の下で、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と位置付けられた
D. 戦後も明治憲法の「統治権を総攬する」という規定がそのまま維持された
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