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1951であります。ドストエフスキー、読みましたけど。と言っても全著作ではないですが。読んでいるのは罪と罰とカラマーゾフの兄弟と賭博師だけであります。
しかしどちらかと言うと影響を受けているのは夏目漱石ですね。ドストエフスキーは確かに議論の余地のない程偉大な作家ではありますが、所詮外国人でありキリスト教徒なのであります。
私は別に外国人の方や異教徒の方を差別するつもりなど毛頭ないのであります。ただどんなに素晴らしくとも外国の思想を無条件に受け入れるのは危険であると、そのように思うところであります。何故ならその思想は日本の歴史という泉から湧き出たものではないからであります。もし別の泉から無理やり川をひこうとするのなら、土地そのものが破壊されるのであります。
夏目漱石は日本に元々存在していた和を尊ぶ国民性が西洋から齎された個人主義に破壊されるのを危惧していた人物であると、そのように認識しております。このテーマは「こころ」に端的に顕されていると、そのように思うところであります。
現代では新自由主義的な思想が蔓延しているのであります。新自由主義のドグマは「人間は合理的な判断ができる知的存在である」というところにありますが、本当にそうなのでしょうか。もしそうなら何故科学技術がこれだけ進歩した現代社会が息苦しく、晋さんやタァンプ大統領や晋さんと同じ未来を見ていたようなどうみたってクレイジーとしか言いようのない人物が熱狂的に支持されて、あるいはされ続けているのか、教えてイターキタイ。
選択的夫婦別姓についての議題は正にそのような問題であると、そのように考えるところであります。日本には言霊という信仰があるのであります。また、氏神という信仰もあるのであります。デスノートを見ても明らかなように、未だに日本人にとって名前というものは何かとてつもない大きな意味を持っていると、そのように思うところであります。そんな大問題に軽々に手をつけ、いじくり倒していいものなのでしょうか。
昨今西洋社会では離婚率がとんでもないことになっているのであります。これは「自分は自分であり他人は他人でしかない」という個人主義が横行している所以であると、そのように思うところであります。日本社会はまだ完全に個人主義に染まりきっていないと思いますが、それも夫婦が別姓を名乗り始めたら大分怪しくなってくると、思うところであり
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