集団的自衛権というのは個別的自衛権と同じようにドロワナチュレル、つまり自然権なんですね。自然権というのは、むしろこれはもともとある権利でありますから、まさに憲法をつくる前からある権利というふうに私は考えるべきなのではないか、こういうふうに思います。
そもそも、この集団的自衛権は、権利としてはあるけれども行使できないというのは極めておかしな理論であって、かつてあった禁治産者、今はありませんけれども、禁治産者の場合は、財産の権利はあるけれども行使できないということでありますから、まさに我が国が禁治産者であるということを宣言するような極めて恥ずかしい政府見解ではないか、このように私は思いますので、これは九条のいかんにかかわらず、集団的自衛権は、権利はあるし行使もできるんだろう、このように私は思います。
自然権は、国家や法に先立って自然によって、人が生まれながらにして与えられた権利であるとされる(*1)。国家に対して自然権を持ち出すのは不適切といえよう。また、自民党議員に質問された法制長官も以下のように答えている。
○山田(宏)委員 質問は、法制局長官は、集団的自衛権は人為的権利とお考えなのか、自然権とお考えなのか。
○小松政府特別補佐人 ただいま申し上げたとおりでございまして、法制局長官の所管ではございません。その上で、国際法学者の一般的な見解としては、自然権的なものではなくて、国連憲章によって創設されたものであるという見方が一般的であるということを、この前の予算委員会では申し上げた次第でございます。
それに、権利を行使するか否かは権利を有する者の意思によるのであって、自らの意思によって制限を課すというのを、心神喪失の常況にあって一定の利害関係人からの申立てにより家庭裁判所が宣告する禁治産者と一緒くたにするのもナンセンスである。
そもそもこの答弁の時点で禁治産者制度は、時代に即さず実用的でないばかりか言葉の強さから差別的なニュアンスを帯びて敬遠されてしまっているとして成年後見人制度に改正されている。安倍晋三があえてこの古い禁治産者という言葉を使いながら「極めて恥ずかしい」などと切って捨てたその態度は、政府の憲法解釈を侮辱しているつもりでこれらの制度を利用している人びとへの偏見を助長しており、安倍晋三の差別的な価値観の表れであると言えよう。