韓洄 かんかい
732-794
中唐の官人。字は幼深。
韓休の子。
韓浩・
韓洽・
韓洪・
韓汯・
韓滉・
韓渾の弟。蔭位によって弘文生、吏部侍郎、章懐太子陵令となる。
安禄山が叛乱をおこすと、韓家の兄弟のうち、韓汯・韓滉とともに生き残り、他は殺害された。睦州別駕、屯田員外郎、知揚子留後、諌議大夫、知制誥となった。
元載に連座して邵州司戸参軍に貶され、起用されて淮南黜陟使となり、再度諌議大夫となった。
楊炎に連座して蜀州刺史に貶され、興元元年(784)兵部侍郎となり、京兆尹に転任した。子に
韓曄がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2024年04月29日 00:44