シャンバラ古王国とも呼ばれます。

 5000年前までシャンバラ地方に栄えていた古代王国で、高度な文明を持つ大国でした。しかし内乱によって滅亡し、以後シャンバラ地方には小規模な都市国家が残るのみとなり、統一国家が作られることはありませんでした。シャンバラ人にとって王国復興は長年の夢となっています。

 実際の古代シャンバラ王国がどのようなものであったのかは定かでありませんが、伝承や遺跡から次のようなことがわかっています。

  • シャンバラ王国最後の統治者は女王で、絶対王政でした。
  • 女王は軍隊の最高指揮権、議会における第一発言権と拒否権、さまざまな役職の任命権を持ち、同時に宗教的最高権威者であるとされていました。
  • 壁画に描かれた姿から、女王はであったと考えられています。
  • 女王は善政を敷いたことで知られ、臣民からも慕われていました。にもかかわらず内乱で滅んだのは大きな謎となっています。
  • 王国の首都は「王都シャンバラ」と呼ばれていました。王都シャンバラは現存していませんが、「アトラスの傷跡《未編集》」がその跡地だと考えられています。

 王国全体に交通網が張り巡らされており、「すべての道はシャンバラに通ず」とも言われていました。

 外国との交流も盛んで、パラミタ内海は多くの船が行き交っていたようです。

  • 王国の文明は非常に発展しており、機晶姫などはこの時代の産物とされています。
  • シャンバラ王国では法令や度量衡などの制度も整備されました。現在の都市国家で使われている各種制度は当時のものが元になっています。
  • 身分制度として貴族《未編集》と市民の区分がありました。大きな功績を挙げたものは叙勲され、騎士となることができました。騎士は女王直属であるとされていました。王国滅亡後こうした制度は形を変えて残り、貴族《未編集》や領主が騎士を名乗っています。このため名目上は今でもほとんどの貴族《未編集》が女王の臣下ということになっています。



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最終更新:2009年06月18日 06:06