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ゴミ箱の中の子供達 第24話

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konta

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ゴミ箱の中の子供達 第24話




24-1/6

 扉が音を立てて閉まり、そのむこうでパタパタと鳴っているスリッパの音が遠ざかって、消えた。一人部屋に残された
モニカはあてどもなくクッションを抱きかかえた。
 自室の静けさがモニカの耳を打つ。机の上の置時計はデジタル式で、駆動音すら聞こえない。きん、と耳鳴りが耳を刺す
静寂が、モニカは世界が自分を隔離しているように思えた。この時間なら他の姉妹は恐らく熾烈なチャンネル争いに勝利し、
談話室のテレビで人気アイドルが主演するドラマの最新話に現を抜かしているだろう。或いは自室で手芸をするなり、
雑誌を読むなり、思い思いに消灯までの自由時間を満喫しているはずだ。彼女達はモニカが泣きはらした事など思いも
よらないだろう。それは兄弟も同様で、兄も、ゲオルグも同じだ。あの自分の大泣きを誰も知らないのだ。そう思った途端
モニカはどうしようもない孤独感を感じ、ただクッションを抱く腕に力を込めた。もしかしたらマリアンは帰ってこないのかも
しれない。思えば馬鹿馬鹿しい考えだが、ただ彼女が今現在この場にいないという事実がこの想像に現実味を抱かせた。
あの泣いていたときの抱いた温もりが、あのすがり付いた胸の柔らかさが、今は霧の様に思い出せない。寂しかった。
この誰の息遣いも感じられないこの自室が、ほんの僅かな過去に無二としてすがった姉妹の温もりを忘れた自分が
どうしようもないほどに寂しかった。
 もはや頼れるものはこれとばかりに、モニカはクッションをきつく抱きしめる。だが、クッションに移った自分の温もりが、
更に孤独感を際立たせた。だからこそ、突然のノックの音が、モニカには天の助けの様に聞こえた。

「俺だけど」

 聞きなれたドラギーチの声でノックの主は言った。


24-2/6

 モニカが、どうぞ、と促し部屋に入ってきたドラギーチは机と共にベッドの対面に設置してある椅子に腰を下ろした。
立てた方膝を抱え込んだドラギーチはベッドに座り込んだ部屋の主を見るでもなく視線を宙にさ迷わせる。モニカもまた
兄弟の顔を直視する気にはなれずただ正面を見つめる。二人の間に沈黙が下りた。
 ドラギーチが椅子の背もたれをぎしぎしと鳴らした。耳をくすぐるその音がモニカから寂しさを忘れさせる。その音は
代わりとばかりに気まずさを意識させた。モニカが流石に居心地の悪さを感じ始めたところで、椅子の軋みが出し抜けに
止まった。

「振られたんだってな」

 生まれた静寂を潰す様にドラギーチはポツリと言った。モニカは小さく首を降る。

「ちょっと、違う」

 きしと、椅子が音を立てた。幾許かの間を空けてドラギーチが返す。

「あいつに嫌な事でもされたのか」

 ドラギーチの言葉にモニカは今日の出来事を思い返す。喫茶店で傷の手当をするとき、ゲオルグはモニカを拒絶した。
これは悲しかった。だがしかし、これはドラギーチの言う嫌な事に含まれるのだろうか。逡巡、そして結論。これはニュアンスが
異なるのではないかとモニカは思った。

「ちょっと、違う」

 また、椅子が軋んだ。今度は先ほどよりも長い。しばらく続いた背もたれへの拷問は、ドラギーチの溜め息と共に終わった。

「何があったんだ?」

 もうお手上げとばかりに溜め息を吐き出して、ドラギーチはそう呟いた。
 ドラギーチの疑問に答えるべくモニカは口を開く。だが、そこでおもわずモニカの口はすくんだ。今日何があったのか。
なぜ自分が涙を流す事になったのか。この問いかけに対するもっとも単純な答えから、ひたすら自分がそこにいた。
思考すらも捻じ曲げて認識の外に隠される答え。この一日でまざまざと見せ付けられたものは、口にするはおろか、
考えることも怖くてならなかった。
 でも、と区切って、モニカは考える。でも、これはちゃんと受け止めなきゃいけないんだ。今日の一日を、あたしはちゃんと
見つめ返さなきゃいけないんだ。あたしのためにも。お兄ちゃんのためにも。あたしはお兄ちゃんのことが好きだから。
無愛想でそっけないところもあるけども、あたしのことを守ってくれる、強くて優しいお兄ちゃんのことが大好きだから。
だから――

「あたしはお兄ちゃんを好きになっちゃいけないんだ、ってだから……」

 言葉尻が震えた。悔しさと悲しさでモニカの視界が滲む。それでもモニカは口を続ける。認めたくない現実を見つめる
ために。ただ自室で泣き続ける自分から決別するために。

「お兄ちゃんのこと諦める」

 ――だから、さようならあたしの初恋。お兄ちゃんにはもっといい人がいるから。
 デートではお兄ちゃんを引っ張りまわすしか出来なかったし、傷の事だって深刻に受け止めすぎて一人で勝手に落ち込んでいた。
つまりあたしは空回りしていたんだ。ベッドの上で自分の想いに気づいたあの日からずっとずっと一人で、からからと。あたしは
お姉ちゃんみたいに待ち続けることが出来なかった。あたしはお姉ちゃんみたいにお兄ちゃんを理解することも出来なかった。
だからあたしの想いはお兄ちゃんには届かなかった。あたしの想いはお兄ちゃんと噛み合わず、一人で空回りし続けていた。
だから、あたしは諦める。お兄ちゃんを想い続けるのをもう止める。
 決意を込めてモニカは搾り出した、それでも自分の言葉を聞くと涙があふれてきた。せめてこぼさぬ様に、モニカは抱きしめていた
クッションに顔を埋めた。


24-3/6

 部屋に響く小さな、ほんの小さなモニカの嗚咽。それに併せるかのように椅子が軋む音がした。ぎし、ぎし、と二人の間を埋めるように、
軋む音が響く。やがてその音はモニカに届いて、止まった。

「それで、いいと思う」

 すすり泣くモニカを慰めるように、ドラギーチ呟いた。

「あいつとじゃ、幸せになれない」

 モニカの決断を褒める様にドラギーチは言葉を続ける。だがその言葉がモニカには気にかかった。

「幸せになれないってどういうこと? あたしが妹だから? 同じ孤児院で暮らした兄妹だから?」

 クッションから顔を上げたモニカの視線の向こうでドラギーチは顔をしかめる。

「あいつがやってる事とか知ってるだろ」
「あたし達のために頑張ってくれてるじゃない」

 食って掛かるようなドラギーチの問いかけにモニカの語勢も強くなる。怒りを帯びたモニカの返答にドラギーチは椅子から立ち上がった。

「そうじゃないだろ。あいつの仕事とか、あいつが何で食べてるかとか、そっちの話だ」
「仕事って警備の派遣社員でしょ。どこに問題があるのよ」

 派遣社員として、ある企業の警備や、重役の警護とかをする。就職する兄達はそう口々に語っていた。これは決して嘘ではないはずだ。
 モニカの台詞にドラギーチはベッドへと歩むと声を張り上げた。

「お前、本気で言ってるのか?」

 ベッドに座り込んでいたモニカの視界に、詰め寄ったドラギーチが影を落とした。蛍光灯の逆光の中で、見下ろすドラギーチの視線が
我慢ならない。素早くベッドから下りて、モニカは少しでも視線を高くする。

「本気よ。そもそもさっきからあいつあいつって、ドラギーチは兄ちゃんの事、何だと思ってるの?」

 思い返せばドラギーチの口から兄の文字は見当たらなかった。ドラギーチは始めから一貫して兄のことをあいつと呼んでいた。
その口に出すのも汚らわしいという態度が気に入らない。
 モニカが問い返すと、ドラギーチは悪びれる事もなく掃き捨てた。

「犯罪者だろ、あいつは」

 返ってきたのは最上級の蔑みの言葉。モニカは思わず手が動いた。部屋に響く乾いた音。振りぬいたモニカの右手に、熱に似た
痛みが広がった。左頬を赤く染めて目を剥くドラギーチにモニカは声を張り上げた。

「知らないくせに。お兄ちゃんがどれだけ苦しんでるか知らないくせに」

 もう口は止まらない。モニカは思っていた事をそのまま言葉にして叩きつける。

「出てって。もうドラギーチの顔なんて二度と見たくない」

 ドラギーチの兄に対する完全な無理解。自分の想い人をここまで軽蔑する人間は、もはや視界に入るのも、同じ空気を吸うのも
モニカには堪らない程嫌だった。
 憎しみのこもったモニカの拒絶の言葉に、ドラギーチは怒りで顔を歪ませて、そして踵を返した。部屋の戸を壊さんばかりに大きな
音を立てて開けたドラギーチは、何も言わず廊下に消えた。


24-4/6

 ドラギーチと入れ替わるようにマリアンが部屋に入ってきた。ビニール袋を手に提げた彼女は、遠くなるドラギーチの足音を
唖然とした様子で追いながら口を開く。

「今ドラギーチが凄い勢いで出てったけど、あんたたちなんかあったの?」

 いつになく間の抜けたマリアンの言葉。その言葉を聞いた途端モニカは自分の中で何かが途切を聞いた。目頭が急速に熱を持ち、
視界があっという間に滲んでいく。モニカが掌で顔を覆うよりも先に、大粒の涙が零れ落ちた。ビニール袋が床に落ちる音が響き、
顔を隠したモニカを女性特有の柔らかさが包んだ。

「ごめん、私がドラギーチをけしかけたから、ごめんモニカ」

 肩を震わせるモニカを抱きしめて、マリアンは謝罪する。その言葉を聞きながらモニカは首を降った。悪いのはドラギーチだ。
マリアンは悪くない。しかしその言葉は涙で満たされて、喉から出られない。
 悲しかった。ドラギーチの無理解が悲しかった。兄が理解されぬことが悲しかった。自分達が暮らすこの孤児院が何のために
作られたか、この孤児院の運営資金の過半がどこから来ているのか、ドラギーチも知らぬはずはないだろう。兄はこの孤児院を
守るために、闇の世界に身を売ったのだ。孤児院の弟妹達を守るために兄は罪で身を汚し、幾重もの傷を負ってきた。その姿をして
犯罪者だと罵るのが清潔な場で生きた第三者ならまだ許せる。だが、その台詞は罪の恩恵を受けて暮らしている自分達が
言っていい事ではないはずだ。だからこそ、のうのうと犯罪者だと罵ったドラギーチが許せなかった。そして体を傷だらけにしながら、
分かってもらえるべき人に理解されてない兄が可哀想でならなかった。
 果てたと思われたモニカの涙は流れ続ける。彼女の慟哭はまだ終わらない。


24-5/6

 夜の闇の中をドラギーチは走っていた。街灯の明かりが、商店の電灯が、盛り場のネオンサインが、次々に現れては
ドラギーチの脇を駆け抜けていく。すれ違った光をことごとく無視して、ドラギーチはただ前を、ひたすら遠くを目指していた。
 走りながらドラギーチは自問する。俺が間違っているのか。モニカは俺が何も知らないと罵った。だがあの男はマフィア以外の
何者だというのか。そもそもマフィアのどこがいいんだ。あいつら皆犯罪者じゃないか。自分の都合で人から金を奪って、物も奪って、
そして命すらも奪っていく屑どもじゃないか。あのゲオルグだって今まで何人もの人間を殺してきた大悪人じゃないか。そんな
人間の何を理解しろと言うのか。俺のどこが間違いだというのか。
 そもそもあの孤児院はマフィアが自分達の兵隊を育てるために作ったものだ。だからモニカにしてもマリアンにしてもマフィアの
肩を持つのは当然のことだ。だから孤児院の皆がマフィア側の人間であって、あの孤児院の中ではあれが正しい認識なのだ。
あいつらにとって俺の考えは異端そのもの。だから俺の味方はあそこにはいないのだ。
 憤りが爆発して、ドラギーチは思わず叫んだ。夜中であることもかまわずあらん限りの力を込めてドラギーチは喉を振るわせる。
理不尽だった。自分は正しいことをしてるのに、自分だけが正しいこの状況があまりにも理不尽だった。ドラギーチの怒りの咆哮も
すぐに後ろに流れて消えた。
 もう孤児院には戻りたくなかった。この理不尽な状況から脱出できるどこかに行きたかった。マフィアの息のかかっていないどこかへ。
自分の味方がいるどこかへ。でもそれがどこなのかは分からなかった。少なくとも自分が今いるこの街は違った。この廃民街は
マフィアの根城だ。だから、どこもマフィアの息がかかっている。この街を出ても味方がいるとも思えなかった。この都市にいる以上、
どこでも多かれ少なかれマフィアの影響力はありそうだったからだ。都市の外はどうだろうか。戯曲の中でしか登場しない壁の
向こうならば、マフィアの手も届かないのではないか。だが、壁は闇に埋もれて見えず、走っても走っても道は途切れず、
街の明かりはどこまでも続くように思えた。


24-6/6

 走って、走って、走り続けて、やがて息が上がった。足の疲労は途中から峠を越えたように楽になったが、肺が持たなかった。
息苦しさに耐え切れずドラギーチは速度を緩める。途端に軽やかに回っていた足が重くなった。足先がもつれて、ドラギーチは
転ぶように崩れ落ちた。
 地面に手を付いたドラギーチはしばらくそのまま肩で息をした。顎の先に汗が雫を作り、アスファルトの上に落ちた。膝を付いた
自分の両足は、まるで鉛でも詰められたかのように重く、もう一歩も歩けそうになかった。ここはどこだ。少し息を整えると、
ドラギーチは顔を上げて辺りを見渡した。街灯に照らされた道の両側にはシャッターを下ろした商店が軒を連ねている。
どうやらどこかの商店街らしい。具体的な場所は分からなかったが、1つだけ確信できる事があった。自分はまだ街の中にいる。
結局自分はどこにも行けないのだ。街を出ることは出来ず、壁を越えることは叶わず、自分はこの街にいるしかないのだ。
そう思い至ると、体から力が抜けた。もう状態を支えるのも億劫で、ドラギーチは冷たいアスファルトに額をつけた。

「もし」

 もう考えるのも面倒で、ただ荒い息だけをしていると、突然頭上から声が降ってきた。優しげな男の声だった。

「もし、そこの市民、いかがなされましたか」

 重い頭を持ち上げると、白いオーバーオールを着た初老の男が心配そうにこちらを覗きこんでいた。

「疲れてるんだ、放っておいてくれ」

 もう走ることも、人と話すことも、何もかもが億劫だった。苛立ちをそのままぶつけて、ドラギーチはまたアスファルトに頭を下ろす。
にべのない態度だったが、男の気配は離れなかった。男は戸惑うように間を空けてると、おずおずとドラギーチにたずねてきた。

「市民は帰る所がおありですか」

 痛いところを突かれた。自分が育った孤児院に戻る気がない今の自分に帰る場所なんてなかった。この鉛のような体を休める
場所なんてどこにもなかった。

「あってもなくてもあんたには関係ないだろ」

 だが、それは自分の問題で男とは関係のないことだ。心配そうに見つめる男をドラギーチは突き放す。だが男は怯みもせずに
言葉を続けた。

「実は私どもはシェルターを運営しております。市民さえよろしければ、ここで一晩羽を休めてはいかがでしょうか」

 シェルターの名前は聞いたことがあった。家庭内暴力などを受けた人間の駆け込み寺で、一晩からしばらくの間宿泊できる施設らしい。
まさに渡りに船だった。どのみち自分に行くあてなんてないのだ。ここは受け入れたほうがいいだろう。

「あんたのところ行ってもいいか」

 ドラギーチが顔を上げてたずねると、男は嬉しそうに顔をほころばせた。

「かまいませんとも。私どもは市民の幸福のために存在しております。宿のない不幸な市民がおられるのなら、宿を与えるのが勤めと
 言うものです」

 そこまで言ったところで男は何かに気づいたように言葉を止めると、頭を下げた。

「申し送れました、私はホリア・"ウルトラバイオレット"・シマと申します。CCC、救世コンピュータ教会(Church of Christ Computer)という
 しがない教団を運営しております」

 救世コンピュータ教会というのはいかにも怪しそうな名前だった。だがドラギーチは構わなかった。相手の腹に一物を抱えているのなら、
それこそ気兼ねなくその厚意を利用できるというものだ。それに、それ以上に体が重かった。とにかくどこかで体を休めたかった。



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