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匿名ユーザー

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Beyond the school gate


 ※


 ――“異形世界”においては。
 西暦二〇XX年、局地的な地震の多発により、日本列島が罅割れた。
 国土を網羅する未曾有の震災は全てを引き裂き、復興の遅滞は日本の文明を中世の水準にまで退行させること
となる。
 機能麻痺から回復できないでいた中央政府に見切りをつけた各地方都市は自治権獲得を目指し、防衛のための
独立武装隊を組織。政府はこれを黙認せざる得なかった。
 さらに国連による特別危険地帯指定を経て日本は鎖国に乗り出し、ついに海外との交流を断絶。
 大震災からおよそ一五年間の出来事である。
 ところで、日本が特別危険地帯指定を受けたのは、災害の頻発だけが理由ではない。
 “異形”の出現である――


 ――“異形”とは。
 地震により生じた地割れから噴き出すように出現した、異形の物たち。
 地上の生物など比ではない大量の≪魔素≫を保有する、怪物たち。
 硬い甲殻を持つ物、軟体の物、脚のない物、肢の多すぎる物、矮小な物から巨大な物、複数の動物の特徴を併
せ持つ物、あり得ざる体色の物、群れをなす物、単独で行動する物、空を飛ぶ物、地に潜る物、海に棲む物、人
類を凌ぐ知能を誇る物――
 それらは多種多様であり、地上の虫鱗介禽獣人などと似て非なる形態と生態を持つ。多くは本能のままに人間
を襲い、震災の混乱を助長した。
 第一次・第二次掃討作戦を経て、都市及びその近郊に跋扈していた異形は殲滅ないし撃退され、またその根源
と思しき出雲黄泉比良坂も厳重に封鎖されてはいる。だが、依然として、野にある異形の物が人里を襲撃するこ
とは珍しいことではない。
 人々は都市の周囲に外郭を築き、武装隊を編成し、時には知性のある異形と条約を締結して、懸命に日々の安
寧を得ようとしていた――


 ――≪魔素≫とは。
 異形の物たちの出現と前後して発見された、一種の根源物質。元素。
 それまで検出手段がなかっただけで、人類を含むあらゆる生き物は本来的に体内に持っていたものである。
 とはいえ、大気や水の中にもわずかに存在が確認されたことから、単純に生命力の一種などとして捉えてよい
かは未だ意見の割れるところである。中国の思想でいう“氣”の概念に近しいという者もいるが、その詳細につ
いては今後の研究を待つしかない。


 ――魔法とは。
 ≪魔素≫の利用は、既存の科学技術とは異なる接近方法から、地球人類文明の限界を拡張し得る可能性を秘め
ていた。
 安部――
 蘆屋――
 小角――
 平賀――
 玉梓――
 かくして五つの天才が、人知及ばぬはずの元素の振る舞いについて独自に理論を構築し、同じ数だけの魔法体
系を確立した。
 ≪魔素≫を励起、指示術式などにより再現性のある現象に誘導する。≪魔素≫はここで初めて可視化し、自然
界への干渉能力を持つようになる。
 指先から火を熾し、流水を恣に操り、砲撃を上回る拳を繰り出し、掌の中で鋼の武器を鍛え、異空間に通ずる
門を開く――
 すなわち、“魔法”。

 もっとも、人類の持つ≪魔素≫は、異形たちと比べればごく微量な上に個人差も極めて大きい。訓練によって
ある程度までは機能の増強が認められるが、保有量や制御における先天的な個人の資質はやはり無視できない要
素ではあった。
 それでも魔法は人類が有史以来初めて手にした超常の現象であった。その力は、第二次掃討作戦で異形に対し
て初めて発揮されることになる――


 ――≪魔素≫と異形について。
 あらゆる生き物が≪魔素≫を外界から吸収もしくは代謝により産生しているが、その活用に関していえば異形
はやはり別格である。
 ≪魔素≫の莫大量と高濃度が異形という存在を規定するといってよい。たとえば原始的な生物が有毒な酸素を
利用してエネルギーを得たように、つまり大地の裂け目の奥の異界だかにおいてそういう進化を遂げてきたもの
が異形であるのだと唱える研究者も少なくない。それはしばしば、その名の由来となったはずの形態の特異性な
どよりも、異形を異形たらしめる要素といえた。
 一般に強大な異形ほど≪魔素≫が多く、濃く、その制御活用に長ける。




 ※


 気を失った少女と金属棒をいっしょくたに両腕で抱えて、流しの速さで走りながら、坂上匠(さかがみ たく
み)青年は思い出していた。
 それは、坂上匠の生きていた世界において、極東の島国が歩んだ歴史の一端であった。震災を境にして、多く
のものが変わったのだという。ことなるかたちに。
 この異世界、いや正確を期すならこの“学校”と思しき施設のあった世界というべきか、ここはどんなところ
なのだろうか。
 差し当たって考えるのは、身の安全の確保だった。
 早々にあんな“大物”と戦闘することになっただけに、それなりに危険な世界なのかもしれない。
 怪物。異形ならざる異形のもの。蜘蛛のような。
 あれだけの戦闘能力を誇る異形ならば発散するそれなりの≪魔素≫を感知できたはずで、まったく別の生き物
である。
 もしもこんな化け物がうじゃうじゃいるようなら……

(まずいよなぁ……) 

 青年は金属棒の端を一瞥した。
 金属棒。魔棒とも。坂上匠愛用の武器であり、“墓標”という不吉な銘を持つ。
 ただの鋼の棍棒ではない。魔法体系を確立した五派閥の一の長である平賀老が開発したそれは、≪魔素≫を効
率的に運用する機能を備えていた。

(……≪魔素≫の伝導率も落ちてるみたいだし……)

 先の蜘蛛の怪物との戦闘で刃を形成した際、従来に数倍する≪魔素≫を金属棒に注ぎこんだにも関わらず、想
定していた長さに達しなかった。何かの不具合だろうが、実は匠にはあまり細かな調整はできない。

(ついこの前、爺さんに直してもらったばかりだってのに)

 まるで修理前に時が巻き戻ってしまったかのようだ。

 ちなみに使用分はほぼ還元されないので、今の坂上匠は深刻な≪魔素≫枯渇状態にあった。体力と同様に時間
経過で回復するとはいえ、それを待たずに、目覚めたこの少女や別種の怪物たちと連戦することにならないとも
限らない。
 怪物から変身した少女を連れていくかについては少し悩んだ。寝首を掻かれる危険は、とてもではないが、な
いとは思えない。
 しかしあのままにしておいてはいけないという強烈な保護欲のようなものに駆られ、気がついた時には抱え上
げていた。彼女を野放しにして他の誰かに被害が及ぶよりは自分の目に届くところに置いておいたほうがいいの
も理屈の上では確かではあるのだが、どことなく精神攻撃めいた不穏なものを感じなくもない。

「……まあ、なるようになるか」

 今どこにいるともしれない白狩衣の少女が聞いたら、あまりのお気楽さに不安がって説教したかもしれない台
詞だった。
 口から零れた言葉を無意識に追ったらしく、誘導役を買って先行していた少年がちらと振り向いた。
 まだほとんど会話もしていないが、この学校の生徒だろう。どうやらただの一般人であるが、この世界につい
ての話くらいは聞かせてもらおう。




 ※


 音を聞きつけて学園関係者が来ないとも限らない。
 見つかると絶対に面倒なことになる。
 剥がれて散らばる煉瓦の群れ、どうやったのか見当もつかない地面の巨大な裂け目、戦闘用金属棒を携えた青
年戦士、そして昏睡する女の子。

「……」

 ……どう考えても、青年がいろいろ不名誉な疑いを掛けられて警察にしょっぴかれていくという未来予想しか
浮かばない。特に“昏睡する女の子”あたりはそうとうマズい。
 命の恩人がそんな悲惨なことになるのはさすがに忍びない。かといって、俺の口からこの事態について誰もが
納得できるように説明できる自信もなかった。
 当然の成り行きとして、俺は青年に一刻も早くこの場を離れることを提案したのだった。

「ここなら……」

 辿り着いたのは、仁科学園北西に広がる専用農場。
 農業教育の栽培活動などに使われる菜園であるが、その向こうの未使用地域は密林となっている。
 冗談でも何でもない。“密林”である。その鬱蒼たることは南米の熱帯雨林を思わせ、そこでは蔦だの食虫植
物だの怪鳥だの変な虫だのが閉じた食物連鎖を繰り広げている。……大丈夫かよ防疫的な意味で。
 夜の時間帯、密林の深奥は見通しの利かない暗黒の空間へと変貌を遂げる――
 などと、おどろおどろしく言っておいて何だが、さすがにそこまで深く分け入る必要はない。
 精密化された機械警備が常識となっている昨今、たとえば教室に置き忘れた宿題のノートを真夜中にこっそり
回収に来るなどファンタジーもいいとこだが、学園敷地といえどさすがに校舎外までは網羅できない。こんな農
場や森林ならば尚更、監視網など布きようもないはずだった。
 門あたりにはビデオカメラもあるが、職員室に出入りすることの多い俺はモニタリングの死角くらいは把握し
ている。先ほどの青年の大立ち回りは、ぎりぎり範囲から外れていた。
 ……ただし、蜘蛛に出くわした俺が回れ右した南門あたりは明確にアウトだ。あの尋常ならざる破壊痕を見た
教員たちが録画の映像を総ざらいでもすれば追及もあり得るかもしれない。しかしまあ、それでも俺ひとりくら
いならいくらでも言い訳は立つ。
 ……逃走といい隠蔽といい、もはやどこが優等生だよとツッコまれても反論できない感じだが、取り敢えず今
は慎重に行動するのが正解だろう。たまには融通が利くってところも見せないとな。


(む?)

 そんなことをぼんやりと考えながら密林を外から眺めていると、ふと、違和感に襲われた。

(クスノキ? こんな木あったか?)

 それだけではない。全体的に、密林の植生が変わっている、ような……。アマゾンみたいなところだったはず
なのに、今はごくまっとうな日本の温帯温暖湿潤気候のものに見える。
 そこは、どこかの鎮守の森めいて、みだりな人の侵入を拒絶する結界のような空気を孕んでもいた。

 ――ぞくり

 背筋を寒気が這う。
 赤み掛かった月光に照らされて、いくつかの木の樹幹に古い創傷が刻まれているのが見えた。

(何かがいる)

 獣だ。――いや、獣ではない。
 確信に近かった。この森に入ってはいけない。命が惜しければ。
 俺が見知らぬ木々の前で立ち竦んでいると、青年が「よっこしょ」と雑草の絨毯の上に女の子を降ろすのが見
えた。どこかのんきな声のおかげで緊張が緩む。
 青年は息も切らしていなかった。消耗しているとはいえ男子高校生の全力疾走に付いて、金属棒と女の子を抱
えたままけっこうな距離を走ったというのに、いったいどういう体力をしているんだ?

「ここらで、いいかな」

 青年は躊躇なく女の子のそばに腰を下ろし、俺にも休むように促した。
 正直もう座りたいを通り越して寝たいくらいの心境だった俺は、ふたりから気持ち距離を取りつつ疲労回復を
図ることにした。

「……さっきは、ありがとうございました。助かりました」
「いいって。怪我はないか?」
「おかげさまで」

 好もしい人物のようだったが、自分から自己紹介ができる雰囲気ではなかった。

「……」
「……」

 何となく話題の切り出し方が分からず、会話が止んでしまう。お互い、どこまで関わっていいものやら分から
ない、そんな感じだった。
 かくして逃げ道を探すように、気を失ったままの少女を何とも言えない表情で覗きこむ男ふたり。ただよう激
烈な犯罪臭。
 長く伸ばされた黒髪の艶に見惚れてしまう。可愛らしい花柄のワンピースにフェミニンなボレロを羽織ってい
た。最近の小学生はお洒落だなぁとおっさん臭い感想を抱く。
 さらに特筆するなら、彼女の首にはもうひとつ――皮革のナイフホルスターが掛かっていた。腰ではなく、首
である。まるで悪趣味なペンダントのように。

 ……。
 ……ナイフ?
 ぎょっとした俺は立ち上がって少女に近づき、武骨もいいとこな鞘の内をそっと確かめた。
 納まっていたのは短剣だった。ナイフというにはやや刃渡りが長いかもしれない。
 それはどう見てもマジもんの危険物だった。実用本位らしい白刃は緩やかに湾曲し、中央に謎の溝が走ってい
る。最近の小学生は物騒だなぁとおっさん臭い感想をって何これ怖っ。
 青年の金属棒といい、くだんのデバガメヒロインといい、俺たちの街に空前の武装ブームが到来しているのだ
ろうか。治安最悪じゃねぇか。もう引っ越したい。
 少女の持ち物といえば、それくらいのものだった。さすがにこの時世、女の子のポケットの中身を漁る度胸は
ちょっとないが、あの蜘蛛ボディや短剣以上の凶器が出てくるとは思えない。
 短剣を首飾りにした少女の唇からは、すぅすぅと微かな寝息が漏れていた。未だ目を覚ます風情はない。
 ……天使の寝顔だが、騙されてはいけない。俺をさんざ追い回してくれたサディスティックなモンスターとメ
ンタリティは同じだ。
 この姿は人間を油断させる擬態なのだろうか? そう思うと見よ、たちまち可憐な少女もおぞましく感じられ
てくるではないか。
 何にせよ、

(この子を、蜘蛛をどうするか)

 今はそれが最優先の懸案事項だろう。どうにかしないとまた誰かが襲われる。下手しなくても死者が出る。
 目覚める前に最低でも拘束はしておかなくては危険極まりないと思うのだが、鉄の鎖ていどではあの蜘蛛は抑
えきれないだろう。……となると何も思いつかない。ダメだ俺。
 いくら怪物といっても、俺自身にはこの子を殺害したりするような覚悟の持ち合わせはないのだから、ここは
“異形”とやらの専門家であるらしいこの青年の判断に従うのが一番よいという気がする。どの道、ただの高校
生の身には余る。

(だがその青年は、蜘蛛を殺さなかった)

 どういうことなのだろう。青年は対策を知っていると期待していいのか。
 何かそういう怪物を外界から隔絶する施設的なものが存在するとか、少女は今夜に限ってたまたま蜘蛛の怨念
に取り憑かれていただけで既に無害とか。考えられる可能性はいくつもある。
 しかし青年の沈黙を見るに、何となくそんな雰囲気でもない。実は行き当たりばったりで、女の子に変身した
からふらふら判断を保留にしているだけかもしれない。
 ……難しい。

「そういえば自己紹介がまだだった。俺は坂上匠」
「先崎俊輔です」

 ――来た。
 自分でもどうかと思うが、「きみはもう帰っていいよ。……ああ、今日のことは誰にも言わないでくれると、
こちらとしては助かる」とか何とか、青年が事件の関係者として送り出してくれないかなーなどと俺はちょっと
待っていたのだが、特にそんなことはなかった。仁科学園の外でまで変な事件に巻きこまれる予感。
 坂上匠さんは、一瞬だけどう切り出したものかと悩ましげな表情を覗かせてから、言った。

「どうやら、世界が混ざり合ってしまったらしい」

 どういうことだよ。




 つづく



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