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第二話『訪問』

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 第2話『訪問』


 「申し訳ございません、このような格好で」
 「いい。ノイズクリーニング中?」
 「HALは現在ノイズクリーニングにつき演算能力が低下しております。会話はパターンの内もっとも適切なものを選択しています。お待ちください」

 クーが扉を開けて入ると、部屋の中央にHALがいた。彼は首の後ろに端子を繋いだまま、背筋をぴんと張って座り目を瞑っていた。端子の先を追うと、HALの手に小型の箱。
 クーがいるのはHALに宛がわれた部屋。
 その場所は、椅子と机とコンピューターと工具箱やダンボールが無造作に置かれた、倉庫の性格を色濃く有する四角空間だった。
 もしも――もしも自分が倉庫のような部屋をあてがわれたら、少なくとも掃除をして、整理整頓を行うだろうとクーは考えた。
 ところが、彼女が見る限りでは床に埃は無いのだが、紙くずが落ちていたり、壁紙に落書きがあったり、窓は汚れまみれだったり、家政婦がいたら発狂ものなのである。
 恐らく、設備その他必要なものを運び込んで研究施設として機能した際に出た余りの部屋であろう。
 彼は機械であるから、間に合わせ的な部屋でも構わないという判断があったのだろうか。
 クーは、ノイズクリーニング中の彼に話しかけるのは意味の無いことだと思い、部屋をうろつき始めた。
 ノイズクリーニングとはAIが記憶や経験を溜めこんで関連化同期化階層化させていったときに生じる『雑音』を消し去る作業である。
 人間が睡眠時に脳の情報を整理するように、人思考AIも『睡眠』をとることで情報の整理を行う。製品によって一日ごとだったり一週間ごとだったりと、違う。
 常時ノイズクリーニングを行うと著しく性能が低下するので、定期的に行うようになっているのである。
 目を閉じたままのHALを一瞥、窓の傍に歩み寄り、背負ったバックを前にまわし、相棒に外の世界を見せてやる。
 にゃー、黒い彼は一鳴きした。
 彼は猫である。名前はクロ。幼き頃からの相棒。自らの半身。
 彼女自身、彼がいつ頃生を受けたのかを正確に把握しているわけではないが、幼き頃から一緒に暮らしてきて現在に至るのだから高齢というのはわかっている。
 クーは沈黙し、そして沈黙し、さらに沈黙をした。
 ダンボールのうち中身が詰まっていて椅子の代用品になるものを引っ張ってくれば、HALの前に陣取るような格好に足を斜めに座る。
 ウミネコか、カモメか、海辺の鳥がやかましく鳴きながら円を描くよう周回飛行している。
 およそ十分ほど経過した頃だろうか、HALが目を開けて首から端子を取り除いた。首の接続端子が自動で閉塞される。彼はようやくクーが居ることに気がついたのか頭を下げた。

 「おはようございます、クーさん。HALのノイズクリーニングは完了しました」
 「リュグの試験も兼ねて行くべき場所がある。同行して」
 「了解しました。同行いたします。どの地点まで行くのですか?」
 「……アイリ………お母さんの弟子の家に手紙を届けに」
 「そうですか、私は先にリュグに乗り込んでお待ちしています。ごゆっくり準備なさってください」
 「私も行く」

 二人は立ちあがると、殺風景な部屋を後にした。
 クーはクロを職員の一人に預けると、事細かに餌や世話の仕方を教えた。
 そして二人はごく当たり前のようにリュグに乗り込むと、まるでエアバイクを使う時のようなお手軽さで海に漕ぎ出た。
 一応試験なので、航行中、耐圧殻の一部が損傷したなどのデータを入力するなどして試験を行うついでにロールを実行したりした。
 問題を検出することはできなかったものの、多少レスポンスが鈍いという欠点が見つかった。
 わずかな慣性を利用、出力を絞りリュグを岸壁へ寄せていく。左部のスラスターを開き、ほぼ真横に向けて進んで行けば、ぶつかる寸前で逆噴射をしかける。
 ハムスターも殺さない弱い衝撃が走り、機体が無事に接岸できたことを感じた。
 ボートが並ぶ船着き場に、潜水艇を叩いて縮めたような何かが着岸すれば、道行く人達が奇異の目線を投げかけ始める。
 潜水艇にしては小さすぎるし、船体の半分が海水面下にあることからボートの類では無い。すると、おおよそ近いのは潜水機かなにかになるが手足が見当たらない。
 丁度、一般車の車列に企業のコンセプトカーが駐車したような、興味深い光景。
 クーは操縦桿から手を離すと、シートベルトを外しながら命じた。

 「全排出、係留ワイヤー出して」
 『排出確認。ワイヤー出しました。ハッチを解放します』

 HALの命令が機体に伝わる。次の瞬間、機体の上方の一部で圧搾空気が漏れるやハッチがせり上がるように開き、海水が内部に入らないため用の、ハッチに沿った『出口』が真上に出現した。潜水艦で言うところの艦橋のように。ただし小さいが。
 これがあることで波が来ても内部に水が入らないのである。
 仮に水が来てしまってもハッチが二重になっている他、防水がなされているので海が荒れた状況下においても問題なく運用できるようになっている。
 潜水機と違い、潜水艇に近い形状のリュグはこういった工夫が必須なのだ。
 更に、停泊するときに使う縄代わりのワイヤーを収めた穴が開閉した。
 ハッチから出たクーは、足を滑らせないように慎重に歩いて行くと、そのワイヤーの端を掴みコンクリートの地面へと降り立った。
 そして、ワイヤーを係留フックに引っ掛けた。
 遅れてHALがリュグから出てくると、足を滑らせるという概念が存在しないとでもいうべき安定的徒歩でコンクリートへと降り立った。
 じろじろ無遠慮な視線を向けてくる隣の漁船の老婆に対し、クーは頭を下げた。

 「……どうも」
 「え? あぁ、どうもォ。変な船? だねぇ」
 「潜水機です」
 「へへぇ……珍しい」

 老婆も、あいさつされてしまってはいつまでも見ているわけにもいかず、すぐ作業に戻った。
 潮風が強くそして弱く吹き付けてくる。髪の毛と服が乱暴にはためく。しかし二人は意に介せずといった面持ちで港から街の方に足を向けた。
 彼女と彼がいる場所は、ネオアースで最初に入植が始まった古い島である。最初期の混乱で街は無計画に膨れ上がり、その後計画化された区画が建設されたが旧都市区と新都市区という区別を生んでしまったである。
 既にある街を取り壊し再度区画整理する案が政府内であったが、住民を土地から立ち退かせるのに膨大な税金が必要になることが判明したこともあり自然消滅した。
 片やアジア圏の繁華街のような街並み、かたや計算されたビルの街並み。
 クーはこの島の廃工場で猫達と暮らしていたこともあり、感慨深げに目を細めていた。
 食糧や衣服を手に入れるために一日中街を散策したものである。
 HALは、見慣れぬ街並みにきょろきょろ視線を彷徨わせ、クーの後ろを歩いていた。建物、看板、人の多さ、全ての情報量が研究室や自室とは違っており、雲泥の開きがあった。

 「………」
 「………」
 「質問とかはしないの?」
 「現在我々が成すべきことは別にありますから、効率性を考慮して疑問の解消は後回しにしました」

 クーが静かに口を開けば、後ろから声が返ってくる。
 歩き、人と肩がぶつからないようひらりひらりと身を躱すクーの後ろにピタリ張り付くように歩むHALは、機械であることを忘れさせる優雅な足の運びを見せていた。

 「あるんだ」
 「はい。HALの所有する記録装置と公共インターネット回線からの情報とを総動員して解析しているのですが、分からないことだらけです」

 ふと後ろを振り返ってみれば、目をきらきらさせて(少なくともクーの目にはそう映った)辺りを見回すHALがいた。
 クーは記憶の中にある道順を手繰る作業を続けながら、アイリーンの弟子が居住する家への道順を計算する。曲がるべき場所で手を振り彼を誘導すれば、従順な彼は頷きついてくる。

 「後で教えてあげる。こっち」
 「ところで目的地はしっかりと把握しているのですか? もしも分からなければ住所さえ教えて頂ければ座標を検索できますが」
 「顔見知りの家だから問題ない」

 彼と話していて、クーはHALがすごく便利な存在であることに今さらながら気がついた。
 人間のように本を開くなど、携帯端末を操作して情報を探すのではなく、指一本動かすことなく必要な事柄をサルベージできるのである。機械だけに所要時間が一瞬で済むのは
いうまでもなく、相談事のように人間的な質問で無い限りは的確に答えてくれるだろう。
 このまま彼を秘書ロボットとして発売しても買い手がつくだろうと容易に想像できる。
 なにせ彼は故障しない限り忘れないし、機械だから疲れない。
 一部宗教家や科学者からAI危険論が叫ばれるのも納得である。
 ふと、気になった事があったので質問してみることにした。

 「貴方自身は貴方の考えではどういった存在?」

 彼女は、あまりに曖昧で人間ですら一瞬悩みそうな文言を投げかけた。
 正答は、無い。1+1の答えは2だが、この質問に2のような『正しい答え』というものが無く、しいて言えば十人十色、人の数だけ答えがある。
 HALが一変無表情になったかと思えば、首を振った。

 「………申し訳ありません。論理エラーが発生……HALの製造番号しかお答えできません」
 「ふーん……」
 「気分を害されましたか?」
 「別に。気まぐれで尋ねただけだから。偏見かもしれないけど、普通のアンドロイドとちょっと違うから色々と試したくなっちゃって」
 「どうぞ試してください。HALとの会話はHALの試験の内でもありますから」
 「そう言われるとやりにくい」

 二人は路地に入ると、道から道へ渡り古いビルの谷間を歩いた。空を見上げるとビルの横っ腹がありありと視界に入り、ひっそりと張り付いている非常階段から赤茶の錆が血糊が如く壁に模様を描いていた。
 さながら赤い涙を流しているよう。
 誰かが使っているのだろう、階段の一角に灰皿があった。こんもりと今にも崩れそうな大量の煙草の吸殻が盛ってあった。
 路地裏に入ればゴミの量も多くなってくる。明らかに不法投棄と思われる紙くずを避けて、比較的大きい通りに出る。HALの容姿は通行人の目を惹いたが、皆すぐにアンドロイドと理解したのか興味のない目つきに回帰する。
 否、目を惹くのはHALだけではないのだが。
 その後、クーとHALの二人は目的地に到着した。
 何の変哲もない一軒家。しいて言うなら潜水機らしき機械の腕が庭に無造作に転がっていることか。
 クーが懐から便箋を取り出し、インターホンのスイッチを押す。一回目。二回目。三回目。まだ出てこない。じっと待つこと数分。目つきの悪い目が1セット、ドアの隙間に出現した。
それはつい今しがた睡眠から抜け出してきたイヌかネコのように思えた。殺意まで感じられた。何度インターホンを押しても出てこなかったのは寝ていたからに間違いない。
 すやすや気持ちよく寝ていたところにインターホンの起きろコール。
 ふとクーは思い出した。今日は休日だったのだ。すると彼もしくは彼女は休日を満喫していたのだろう。悪いことをしてしまったと思ったが、仕事を済ませるべく口を開こうとした。

 「あんた達ナニモン? セールス? 新聞? 勧誘? 宗教? どれもお断りだぜ」
 「手紙を預かっている」

 先に口を開いたのは扉の向こうの彼だった。胡散臭いモノを品定めする目つき。そして一匙の好奇心にてこちらを窺っている。セールスをするにしてはラフ過ぎる格好だし、詐欺の類にしては喋りが巧みでない彼女に興味があるのだろう。
 声変わりを終えたか終えきらない大人と少年の合間の低音。彼女では無く彼だったらしい。
依然としてドアを全開にしてくれない彼の警戒を解こうと、便箋をひらひらと見せつけてみる。
 彼は、クーの背後でかしこまって両手を前で組み待っているHALを一瞥すると、手紙を指で挟んで受け取った。裏に目を通す。ドアの隙間から生活臭が漏れる。

 「はぁんそう………ってこれ親宛じゃねーか。アイリーン? なんか聞いたことあんぞ」
 「師匠から手紙が来たと伝えておいてくれると嬉しい。お父さんとお母さんは元気?」

 彼とクーの目が合った。
 彼は手紙をまた裏返しつつ、ドアを開いた。
 青年が立っていた。上半身はシャツ一丁。下半身はジーンズのみ。色素の薄い黒色髪は纏まりが無くボサボサ。鍛えられた体と、目つきの悪さと相成って大人びた外見をしている。
 彼こそがクーとHALが手紙を渡そうとした女性と、とある男性の息子である。

 「元気過ぎるくらいだね。母さん働くは酒呑むはで昔よりアグレッシブになりやがったし。父さんはクソガキの相手で毎日忙しいらしい。というか俺も忙しいしな」
 「なんの仕事してるの?」
 「俺? 農業塔で野菜の生産管理。肉が好きなんだがおいしくもないキャベツやらニンジンやらを試し食いせにゃいかん退屈な仕事。白い作業着とマスクかぶってウロウロしなくちゃいけねーの」
 「野菜食べないと大きくなれない」
 「親みたいなこと言わないでくれよ、これでもちょっと食ってるんだからさ」

 ほかのはクソだがモヤシはうまいよなと、彼は口元に笑みを滲ませつつ言った。
 歳はクーよりも若いはずだが、毎日働いているらしい。
 ちなみに農業塔とは野菜や穀物などの生産プラントを縦に並べたもので、土地を有効活用する一つの手段として広く普及しているものである。地下に建設して水を重力で下に流す方式のもある。
 手紙を渡す目的を達成したのだから帰ってもよい。
 いよいよリラックスして扉に腕を組んで寄りかかる彼の名前を呼ぼうとしたが、名前を知らないことに気が付き口をぱくぱくさせる。

 「わかった。……えー」
 「バーナード。バーナード=マクダウェル」
「バーニィ?」
 「姉さん、頼むからその愛称で呼んでくれるなよ。腹がたって壁殴っちまう」
 「私は殴らないと」
 「女を殴るのは趣味じゃねぇんでね。よっぽどの屑か止むをえない奴しか手を出さないようにしてるんだ」
 「よかった。せっかくの休日を潰すのも悪いから、帰る」
 「あいよ」

 彼は、バーナードは、欠伸を隠さずにすれば涙を擦り扉を閉めた。
 第一印象は悪ガキだったものの、話してみればなかなか好印象であった。外見という要素は若く凶暴な光を宿しているも内面は素直で慎重さのある人間と感じた。悪い人間はそうそういないと知りつつも初めて顔を合わせる相手には油断してはいけない。
 クーは何をしようかと、途方に暮れた色を湛え、空を仰いだ。
アイリーンからの指示はリュグとHALのテストである。それだけ、なのである。試験だけやって帰ってこいとも言われていなければ、何か買い物でもしてこいとも言われていない。
 彼女の趣味は、街中で買い物をする類の行為ではない。
 ついでにいえば買い物が好きではない。喫茶店も利用しない。恋人と愛を語らうこともありえない。
 つまるところどうしていいのか分からなくなってしまったのが現在なのであった。
 一度リュグで戻り帰宅するのもいいが、いかんせん時間があり過ぎる。外殻機の整備は済ましている。仕事が無いとくれば何をするのか。
 せっかく懐かしい街に戻ったのだから散策してみるのもいい。街並みの変遷を知るためにも歩き回ってから戻っても誰も彼女を咎めない。

 「どうかなさいましたか?」
 「ちょっとシェイクスピアの作品について考えてた」

 嘘である。シェイクスピアのことなど考えていない。読んだ経験はあることにあったが堅苦しい文体に四苦八苦した記憶しかない。
 人の家の玄関で立ちつくすクーに異常を感じ取ったHALが、姿勢を低くして窺ってきたので、思いつくままの言葉を漏らしてみただけに過ぎない。
 それをどう捉えたか彼がとったのはシェイクスピアの作品と発表年を羅列するというものだった。丁寧にも借りることができる図書館の場所まで添えて。彼の顔は得意げにも思えた。

 「……以上、シェイクスピアの作品一覧と発表年月及び借本業務を取り行っている図書館の住所でした。他の情報は必要ですか?」
 「いらない。行こう」
 「了解しました、貴方についていきます」

 二人は玄関先で話すなど非常識と離れ、夢遊病者のように定まらない行き先を目指して右足左足を使った。
 頭の中でサイコロを用意して皿の中に一掴み分を投じる。驚くべきことに全てのサイコロが斜めに起立して目が出ない。これではゲームが成立しない。
 肩を落とした風にも見える女性に、一定の歩幅を刻むアンドロイドが付き従う。先歩くは黒髪を左右に三つ編みお下げに垂らした女性。後歩くは原色の青髪のもみあげと後頭部の一部だけ伸ばしたもとい伸ばされて作られたアンドロイド。
 HALの青い人工眼の視線の先にはきっちり均等に編まれた黒い三つ編みと、白い首筋、背筋と腰の曲面がある。
 二人が新興住宅地の公園前に差し掛かった時、HALがクーの肩を叩いた。
 何かと振り返る。無知であるが故、知識を求める幼子の瞳がこちらを覗きこんできていた。

 「ところで質問をしてもよろしいでしょうか」
 「なに」
 「HALは、人間が髪の毛を切りそろえたり装飾品をつけたりする動機が理解できません。クーさんが髪の毛を編むのも理解できません」
 「邪魔になるから。私を呼ぶときはクーでいい」
 「はい、クーさん」
 「もう一度言っておく。髪の毛が風になびいたりして邪魔になるから」

 言いつつ、右手で右のお下げの先端をくるくると弄ぶ。

 「それならば全ての毛を薬品で落としてしまえば解決するかと思います」
 「ン…………体に……悪いから」
 「害が無い薬品は既に商品化されています。定期的に塗布することにより体毛の無い体表面を維持することも、十分可能なのではないでしょうか」
 「ウーン………」

 なるほど、と唸る。
 動物のように冷気を防ぐ機能もない人間の髪の毛は、合理的に考えれば無駄そのものであることは間違いない。退化したとも異性の気を惹く為とも学者が説を唱えているが、剃ってしまっても生活に支障がでないのは事実である。
 アンドロイドにとって、いちいち髪の毛を編んだり結いあげたりするのは合理的ではないのであろう。
 彼のように髪の毛が放熱の機能を併せ持つわけでもないと言うのに。

 「人は自然を制御したがる生き物だから、体という自然を押し込めて編んだりするの」
 「なぜ制御するのですか?」
 「楽をしたいからだと思う」
 「なるほど」

 短い会話の中で納得をしたのか、HALは満足げに頷いた。
 自分の一言一言で大事件が起きるのではなかろうかと変に想像が働いてしまい、緊張するクー。最新型・試験型のAIは暴走して人類に反旗を翻すと定番と決まっているからであるのは言えない秘密である。
 もし機械が反逆を起こしたとしてもHALの性格で危害を加えてくるとは到底思えないのだが。
 二人は公園に足を踏み入れた。ブランコ、滑り台、シーソー、カラフルな柵が守る砂場、そしてベンチ。オーソドックスな配置。
 懐かしきブランコに腰掛けてみれば、キィと鎖が軋んだ。
 二基のブランコの一つが使われ、もう一基が寂しそうに垂れている。
 HAL、二つのブランコがまるで聳え立つ偉人の銅像であるかのように見比べると、地雷原を歩く孤児さながらに一歩一歩踏みしめてブランコに腰掛けた。
 クーがこうやるんだよとブランコを漕ぎだせば、首を横に向けて模倣する。
 二人は暫しの間ブランコで遊んでいた。
 ブランコが前に。ブランコが後ろに。足の蹴り上げと体のくねりを合体して勢いを得る。振れが大きくなればあとはこっちのもの。地面を足場にする必要がなくなり、両脚を折りたたんでいようが勝手に前へ後ろへ往復してくれる。
 クーの漕ぎ方は慣れたもので、ブランコが後ろに振れると足を引き、前に振れた時にピンと張るというもの。
 HALの漕ぎ方はぎこちなく、地面を力のよりどころとする乱暴な漕ぎ方であった。勢いを抽出するべく地面を蹴るのでお世辞にも滑らかとは言えない、カクカクした動き。
 彼は彼なりにクーの真似をしているらしく顔つきは大まじめなのだが、いかんせん下手くそで。もし人間なら額に汗を浮かべているに違いなかった。

 「ブランコとは難しいものですね……」
 「体を使って漕げばなんてこともない」
 「……やろうとはしているのですがどうもうまくいきません」
 「難しく考えるからうまくいかない。そおっと流れに身を任せる感じで漕げばいいの」

 ブランコを漕ぎながら隣の彼に指導する。
 徐々にクーのブランコは大振りになっていき、しまいには彼女が放りだされるような高みに達しだす。

 「よっと!」

 そしてクーは、ブランコを飛び出すや柵を越えて綺麗に両足揃え着地した。申し訳程度に両手を斜めに挙げ、Yの字に。
 すかさず振り返り手で制する。
 彼にブランコ飛びは危険すぎると思ったのだ。
 彼は既にブランコを止めていた。

 「真似はだめ」
 「できません」
 「よろしい」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 一日のおしまいに仰いだ空は群青。
 リュグが水面を行く。右舷と左舷それぞれに支柱が持ち上がっており、先端から色違いの光が煌々と焚かれている。航海灯という。
 それは船より低い場所で光っている。船体が黒っぽい塗装で目立たないことから、遠目にみれば光だけが浮いているかのよう。
 機体中央、上部にあるはレーダーも備えた全方位カメラ。これもスイッチ一つで出し入れが可能となっており、潜望鏡と同じ感覚で使用することができる。
 カメラのレンズは空を見ている。操作者の指示で地平線が見える方向に向く。漁船と思しき遠き白灯がレンズに映り込む。
 クーは腕枕に後頭部を預け、気を緩めていた。自動操縦にしておけば複雑なことは出来ないのだが目的地まで勝手に航行してくれるし、頻繁に船の行き来する海域では事件に巻き込まれることも稀であるからである。
 無論ソナーとレーダーで警戒は怠らないものの、すべきことはHALが受け持ってくれているからに、暇を持て余していた。
 だからカメラを使って空の星座を観賞したり漁船を見たりするのだ。
 不思議なことに眠気が沈黙を重ね続けているので、モニターをみつめる作業を継続せざるをえない。
 気だるかった。

 「もしお暇でしたら音楽でもかけましょうか」
 「何を」
 「クラシックならなんとか」
 「クラシックはしっとりしすぎだからかけなくていい」
 「そうですか」
 「ごめんね」
 「謝る必要はありません。クラシック以外も用意しておきますよ」

 HALの気遣いは嬉しかった。
 が、断りをいれた。両手を目に置いて暗闇を観察する。眠気よ来いと祈った。流れる時間。訪れぬ眠気。すっかり目が覚醒しきっている。
 お菓子でも摘まもうかな、とポケットに手を突っ込んでみた。悲しいかな、空のビニール袋が待ち構えていた。
 だからいっそ歌うことにした。
 声帯を大げさに使わない、春風が囁くような声が小唄を紡ぎだす。

 「あざやかに 色づいた 花を束ねて 遠来の――」

 俗にいうオリジナルソング。
 音程も飛び飛び、歌わなくなる時もあり、暇つぶしに口ぐさんでいるのがありありと。
 リズムは失われた民族曲調。ケルトか、アジア圏か、とにかく軽快に脈動する音程をたどる。気だるげに眠たげに紡がれる歌が機内に染み渡る。
 観客は彼女と彼しかいない。
 歌はこうだ。
 花が咲いては旅人が来て、花が散っては旅人が去る。山も川も空も同じ姿のようで一刻たりとも同じではない。私も旅人も。やがて旅人は訪れなくなり、私は花に包まれて眠りについた。永遠に。
 自作の歌詞と曲調。曲名はない。紙に記したこともない。誰かに評価してもらいたくて作ったのでもない。体験したことがある気がする光景を歌に仕上げたまで。
 きっと夢か何かが深層心理に深く印象付けられたのをデジャブとして認識しただけだろう。
 歌のおしまいが近づく。旋律緩く、ため息が流入しつつ。
 彼女の血の気の通った柔唇が、唐突に接着した。
 ほぅ、と掠れた吐息がこぼれる。

 「すぅ…………ふうー……」

 息を吸い込む。肺奥の酸欠が癒される。無意識に閉じてしまった瞼を上にやれば、波間を直視する電子画面が何枚も。
 見ていれば、画面が勝手に空を仰ぐ。暗視モードに変更したことを告げる表示が点滅し、地平線をなぞる位置へ動く。表示の一部に『HAL』とあった。どうやら彼が使っているようである。
 歌に夢中になりすぎて気が付きもしなかった。

 「美しい歌でした」
 「………聞いてたの?」
 「もちろんです。美しいです」
 「…………」

 だから、感想を述べられたことに肩を震わせ驚いてしまった。
 機内音響装置を使わず口頭にて述べた。目は閉ざされたまま。
 クーは笑いとも悲しみともとれる不可思議な顔つきになった。聞かせたこともなければ、つまり評価対象になったことがない歌を最初に美しいと評されたのだ、嬉しいと素直になれない。
 同時に、観客がいたことを客観的な視点で発見すれば、頬が赤くならん。
 無感情で冷静な女とみられることの多い彼女だが、羞恥心を母親の母胎に置き忘れてきたわけではない。
 両手を左右のお下げにやり朱色を帯びた耳を隠そうとする。隠れてない。頭を左右に振る。そして振り返らず口を開く。

 「…………できれば記録しないで」
 「不可能です」

 HALは目を閉じたまま、否定の言葉を述べた。即答も即答、雷電ほとばしるが如く。
 クーは顔を伏せ、囁く。

「じゃ他言やめてお願い」
「…………可能です」

 なぜか長い沈黙があった。
 やがてリュグは帰還した。


 ◆ ◆ ◆ ◆


 『よくやってくれた。手紙を渡したそうじゃあないか、立派立派』
 「電話でよかったんじゃ……」
 『手紙は大事なのよ、手のぬくもりがこもってる。あの馬鹿弟子と色男に渡す写真もあったし、おつかいとしては上々な距離だったじゃない』
 「そうなの」
 『そうなの。次の仕事は追って連絡するからお楽しみに。リュグの正式生産に移る前に模擬戦闘をやってもらうかもしれないから心しておくように』
 「売るの?」
 『売るの』
 「わかった」
 『じゃ、おやすみ』
 「おやすみなさい」

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