アットウィキロゴ

戦力外通告(プロ野球)

登録日:2026/10/06 Tue 01:40:00
更新日:2026/10/28 Wed 07:58:35NEW!
所要時間:約 10 分で読めます




俺たちはプロ野球選手だった。


「戦力(せんりょく)外(がい)通告(つうこく)」とは主にプロ野球において、プロ野球選手が自チームの来季の「戦力構想から外れている状態を該当選手に通告」することである。



【概要】


プロ野球選手の大半はドラフト会議で指名され入団することになる。
しかし、支配下選手*1の人数は各球団上限が70人と定められているため、ドラフト会議で誰かが入団するということは、既存の支配下選手から次年度以降に契約しない選手を決めて新たな枠を作らなければならないことを意味する。

これが戦力外通告で、一言で言えばプロ野球界の『リストラ』である。

プロ野球選手は成功すれば、一般サラリーマンの生涯年収を1年で稼ぐことも夢ではなく、自分から引退を選択でき華やかな引退試合をしてもらえる……というスター選手が目立ちがちである。
だが、そんな選手は約800人程度いる支配下選手でも限られたごく一部で、大多数のプロ野球選手はこの言葉から避けられないのである。

なお、あくまで「新たな契約を結ばない」という意味でしかないため、例えば大型長期契約を結んだ選手が大不振に陥ったからと言って、この措置によって自由にクビにできるというわけではない。
そもそも大前提としてNPBではごく一部の選手以外は単年契約でプレーしているため、戦力外通告=クビという形態が成り立つのである。

長年チームを支えてきたベテラン選手を戦力外にすることも少なくなく、ファンからは当然非難の対象となる。もっとも、球団側も当然それを承知しており、戦力外にするということは成績も含めてそれなりに事情があるため致し方ない事ではある。

【戦力外通告の基準】


千葉ロッテマリーンズで活躍した捕手である元プロ野球選手の里崎智也氏によると、戦力外通告の基準は

  1. 単純な能力不足(将来性や見込みがなく、使い物にならない)
  2. 年俸の問題(現状の年俸とチームへの貢献度が見合ってない、俗に言う『コスパ』が悪い)
  3. 起用法でのキャラ被りが多い(スリム化させる必要がある)
  4. 自球団では起用が難しいため飼い殺しを防ぐための親心。

の4パターンに分類されるとのこと。
ただし、これはあくまでイレギュラーを省いた一般的なケースであってこの4パターン以外の原因も存在しており、『本人の心身の問題』、『極端な素行不良』、『コンプライアンスに関わる重大な違反を犯した』など理由は多岐に渡る。
これらのケースでも「ある程度」という表現を超えるような貢献があれば移籍先を用意したうえでの解雇、つまりトレードや、タンパリング*2の上でのFA移籍となるが、そうでない場合は実質的な懲戒解雇としての戦力外通告という形になる。

入団して2~3年で戦力外通告を受ける選手も少なくなく、二軍で長らく在籍する俗にいう『二軍の妖精』という選手も一昔前には少なからずいたが、2026年現在では減少傾向にある。
ちなみに平均在籍年数はNBP公式集計によると6ないし7年で毎年推移しているとのことなので、2~3年で戦力外は一応「プロ野球選手」としても短い部類ではある。また実際には独立リーグや「あまり盛んではない国の」海外リーグなどもあるし、MLBへの移籍もNPB籍の離脱に含めていると思われるため「平均現役年数」としてはもう少し長くなる可能性が高い。
どちらにせよ中日に29年間在籍し続け、一度だけ整理対象選手*3にされたものの、マイナーリーグへの武者修行をきっかけに大化けした事で整理対象選手から外れ、プロ生活のほとんどを1軍で過ごした山本昌、40代になっても1軍選手としてアテにされていたしそれに応えていた門田博光どころか、「プロ10年とか12年くらいで特に戦力外通告を受けることもなく*4引退試合やって、そのまま解説者に転身。本人SNSでは自球団をポジりまくってファンからも苦笑いされる」といったよく目にするパターンですら平均値のうえでは例外中の例外と言える。


【戦力外通告を受けると】


球団が戦力外通告を選手に行う時期は、NPBと選手会との間で交わされた取り決めにより、第一次と第二次に分かれており日程が厳格に定められている。

第一次は、『二軍の全公式戦終了翌日~クライマックスシリーズ(CS)開幕前日まで』
第二次は、『CS全日程終了~10月30日まで*5』

とされており、これ以外の期間中はいかなる理由があろうとも、球団側が選手に対して戦力外通告をする事は認められていない。
ただし選手会に加入していない外国人選手に関しては例外であり、活躍出来なければシーズン途中だろうと情け容赦なくクビを切られてしまう。その際メディアにおいては「戦力外通告」という表現はあまり用いられず、「契約解除」「解雇」という表記をされる事が大半である。まあ意味合いは似たような物なのだが。

戦力外といっても2パターンあり、完全に退団を余儀なくされる場合と、育成選手への降格を球団から告げられる場合がある。
育成選手への降格は、『実力に関係なく、怪我や病気で来季1年の戦力としては見込めない』選手に通告される場合もある。
再来年以降の活躍まで見込むことになるので、大型補強で入った選手をキープしつつ支配下枠を確保するのが主な狙い。


戦力外通告を受けて退団することになった選手は、現役続行を希望する選手が多いが、戦力外通告を1つの区切りとして引退を決断する選手も多い。
というのも球団側は引退後に球団職員や関連会社の社員という形でセカンドキャリアの道を用意しているため、安定した生活を保障してくれているからである。
それでもなお現役続行を希望する選手は他球団からのオファーを待つのが基本線になり、オファーがなければNPBでのプレーは当然出来ないため、独立リーグへの移籍、社会人野球に戻る・海外野球への挑戦・一般就労などその後の選手の進路は千差万別である。
独立リーグはNPBへのカムバックやリーグレベルの底上げのために貴重な人材にはなるものの、NPBに復帰する例は稀である。
海外移籍に関してはアメリカのMiLBや独立リーグと言ったルートでMLBを狙う奇跡の大逆転を狙うパターンだけでなく、近年強化を図ろうとしているLMB(メキシコプロ野球)、KBO(韓国プロ野球)、プロリーグとは言えないが欧州各国の野球リーグも積極的に日本人選手を探しており、以前より多様化している。枠は広がっているものの、戦力外の選手に十分な貯蓄がない事から通訳を雇う以前に生活持続の困難もあり、十分なサポートを受かられる例は少ない。野球はサッカーと違い国外に出る必要性が少ない事から、言語習得や海外生活の面でも抵抗を持つ日本人選手が多いため、「海外からはその実力を求められているのに、日本側からオファーに乗ってくれることが少ない」というのが現状。野球を続けると言っても食えなければ生活が成り立たない現実もあることから、結局一般的な企業に就労して野球から離れてしまう選手がほとんどである。
もっとも一般就労に関しては、円満引退でも多々見られるものではあるが。*6

12球団合同トライアウトに参加することも可能。
だが、このトライアウトには当該項目にも記されている通り 結果を残してもぶっちゃけ合否にはほぼ関係ない らしく、アピールの場というよりはプロ野球選手として家族に見せる最後の姿ないし事実上の引退試合としてこのトライアウトを利用する選手が多い。
そのため、トライアウトに参加しない選手も最近は主流になっている。
尚、トライアウトに参加できるのは原則2回までで、NPBでのプレー経験があることが条件である。



【戦力外通告を受けた後に蘇った選手】


戦力外通告を受けても、他球団から支配下選手としてのオファーがあり、そのチャンスを生かして戦力外通告から蘇ってチームの戦力となった事例も少なくない。

そんな選手を一部紹介する。なお、現役選手は2026年シーズンに顕著な活躍をした者のみとする。

現役



2020年オフにソフトバンクから戦力外通告を受けるが、阪神が拾い、阪神移籍後も2022年と2023年の2年は貴重な救援投手として活躍し、2023年の阪神38年ぶりの日本一に貢献した。2024年オフに阪神から戦力外通告を受けるが、楽天が拾い、2025年と2026年は2年連続で40試合以上に登板するなど中継ぎとして復活しており、ゾンビのような驚異的な復活力でプロ野球ファンから驚かれている。


2020年に育成ドラフト1位で阪神に入団するが、阪神では結果を残せず2024年オフに戦力外通告を受ける。移籍1年目の2025年は3登板,防御率18,00と結果を残せず崖っぷちであったが、2026年は主に救援投手としてし27登板,2勝0敗4ホールド,防御率2,22と結果を残し、2026年CSファイナルステージでは、戦力外通告を受けた阪神相手に初戦と2戦目に登板し好リリーフを見せつけ、強烈なリベンジを成し遂げた。

  • 増田珠(内野手)(ソフトバンク→ヤクルト)

2023年オフにソフトバンクから戦力外通告を受けるが、ヤクルトが拾い、移籍後は出番を大幅に増やす。
2026年は規定打席に到達するなどレギュラーに定着。打率も佐藤輝明に次ぐセリーグ2位(.293)に位置するなど完全にブレイクした。
なお、2023年オフにSBの監督に就任した小久保裕紀は彼の能力を買っており、小久保自身は彼を使うつもりであったことから戦力外には驚かれると同時に残念がられていた。

  • 阿部寿樹(内野手)(中日→楽天→中日)

2022年オフに涌井秀章とのトレードで楽天に移籍したが、チームの若返りのために2025年オフに戦力外通告を受けてしまう。だが手薄な内野手を補強したい中日が獲得を表明し、古巣に復帰。古巣復帰後は代打の切り札としてチームを救う活躍を幾度と見せた。

  • 板山祐太郎(内野手)(阪神→中日)

阪神時代はこれといったセールスポイントがなかったため、2023年オフに戦力外通告を受けたが、中日移籍後は複数ポジションを守れることや打撃が向上したのもあり出場機会を増やし、2026年は6HRを放つなどキャリアハイの成績を残した。

  • 元山飛優(内野手)(ヤクルト→西武→阪神)

2025年オフに西武から戦力外通告を受けたが、阪神ではライバルの木浪聖也、小幡竜平、熊谷敬宥らがチームの弱点である遊撃の守備が軒並み不安定でレギュラーを掴めないでおり、更にはレギュラー候補として期待されていた新外国人のキャム・ディベイニーが全く使い物にならなかったため、その中では高出塁率と安定した守備を誇ることを買われシーズン後半はレギュラーに定着し、球団初の連覇に貢献した。

OB


  • 伊藤敦規(投手)(横浜→阪神)

1996年オフに横浜から戦力外通告を受けるが、移籍先の阪神では救援投手としてチームに欠かせない存在となり、1997年~2001年まで50試合以上に登板した。
特に2000年はリーグ最多の71試合登板、3勝0敗、防御率1.86と圧巻の成績を残した。2002年オフに当時監督であった星野仙一が試みた血の入れ替えによる戦力外通告を下記の遠山と共に受けたことで02年限りで引退。

  • 遠山奬志(投手)(ロッテ→阪神)

1997年オフにロッテから戦力外通告を受け、阪神の入団テストに合格*7。移籍1年目の98年は振るわず戦力外候補であったが、翌年監督に就任した野村克也が『チームに左投手が必要』と主張したことで首が繋がる。
翌99年は野村に救援投手として見出されて活躍し、当時巨人の主砲であった松井秀喜を13打数無安打に抑えたことから『松井キラー』として話題を呼び、当時のチームが暗黒時代に沈む中、上記の伊藤と共に数少ないチームの光であった。
2001年までは救援投手として活躍したが、2002年に星野仙一が監督に就任すると出番が激減し、上記の伊藤と共に02年オフに戦力外通告を受け同年限りで引退。

  • 小倉恒(投手)(楽天→楽天)

2005年オフに楽天から戦力外通告を受けるが、新監督となった野村克也がトライアウトでの彼の投球を見た際に「何であいつをクビにしたんや!?まだ充分使えるやろが!!」などと、同行した球団スタッフに対して激怒。
必要な選手だから再契約するようにと球団側に通告し、球団側は当初は難色を示したものの、結局は減俸となりながらもまさかの小倉との再契約を決定。
監督とフロントで食い違いが発生してまだ必要とされた選手が戦力外通告される事例は多々あるが、育成選手の導入以前かつフロント側が折れたのは極めて稀。
翌2006年にリリーフとして58試合に登板し防御率2.18を記録。野村の判断は正しかったと言えるだろう。
その後2008年限りで引退した。

  • 高木晃次(投手)(阪急→ダイエー→ヤクルト→ロッテ)

1997年オフにダイエーから戦力外通告を受け、ヤクルトにテスト入団。
オーバースローの速球派左腕だったが、移籍後はサイドスローと新球・シュートを習得するなど技巧派に転向。
すると移籍2年目の1999年に先発ローテション入りし、プロ13年目にして初完封を記録するなど規定投球回をクリアしてキャリアハイの9勝をマークする。だが翌年以降は低迷し、2001年に2度目の戦力外通告を受ける。
しかしながらそこで諦める事なく、今度はロッテの入団テストを受けて合格。その後8シーズン在籍し、オーバースローとサイドスローを交えた「幻惑投法」を武器に先発・リリーフで貴重な働きを見せた。
特別派手な活躍こそ無かったものの、最初に戦力外通告を受けてから12年、2度の戦力外通告を乗り越え、最後の阪急ブレーブス出身投手として2009年まで23年間の長き現役生活を全うした事は特筆に値するだろう。

  • 廣田浩章(投手)(巨人→ダイエー→ヤクルト→近鉄)

巨人時代は先発完投型がひしめく中、貴重なリリーフ専門投手として活躍。しかし右肩・右肘の故障や手術の影響で2年間登板できず、1994年に戦力外通告を受ける。
翌95年は、かつての恩師・王貞治監督のダイエーで再起を図るも、今度は右膝に打球を受け骨折するといった不運もあり、2年間で18試合の登板に止まり2度目の戦力外通告を受ける。
だが復活の手応えを感じていた廣田は諦めず、97年は野村克也監督のヤクルトにテストを受け入団。『野村再生工場』*8の下で見事復活を果たし、59試合登板、1勝0敗3S、防御率2.71の好成績を上げチームのリーグ制覇&日本一に貢献した。98年・99年も防御率2点台と奮闘を見せたが、今度は「チームの若返り」を理由に3度目の戦力外通告を受けてしまう。
翌2000年は近鉄にテスト入団し、ここでもリリーフで3勝をマークするなど戦力となったものの、シーズン終了後に4度目の戦力外通告を受け、遂にグラブを置き引退。
通算4度も戦力外通告を受けたのは、柴田佳主也*9と並んでプロ野球最多である。だが、その度に再起し一軍マウンドに返り咲いた不屈の精神力は、間違いなく称賛されるべきものであろう。

  • 山村宏樹(投手)(阪神→近鉄→楽天)

ドラフト1位の有望株であったが1999年に自律神経失調症を発症し*10、オフに阪神から戦力外通告。
翌2000年に近鉄の入団テストを受け、監督の梨田昌孝から「環境が変われば絶対に活躍できる」と太鼓判を押され合格。同年は先発ローテーション入りし規定投球回に到達して6勝をマーク、オールスターにも出場を果たすなど見事期待に応えた。
2004年のプロ野球再編問題後は新規参入球団の楽天に移籍。そこでも先発投手として規定投球回到達を果たし、晩年はリリーフでも活躍。2012年の引退時にはセレモニーと胴上げも用意されるなど、チームメイトやファンからも愛された選手となった。

  • 福山博之(投手)(DeNA→楽天)

2012年オフにDeNAからたった2年で戦力外通告を言い渡され、楽天に拾われる。
移籍後はMAX152km/hの直球を武器に徐々に頭角を現し、2014年には65試合、4勝2敗1S、防御率1.87の好成績をマークしてオールスターにも出場を果たすなど大ブレイク。さらにそこを含めて4年連続で60試合以上登板を記録、一躍チームのプルペンに欠かせない存在となった。
特に2017年は65試合、6勝0敗7S、防御率1.06と無双し、そのわりになぜかオールスターには選ばれなかったが、オフの契約更改では年俸も1億2000万円となり「戦力外の星」と呼ばれるまでに。
しかし、その後は勤続疲労による故障もあって成績は急落。育成落ちも経験するなど苦労の末、2022年に現役引退。
なお50m6秒を切るほどの俊足の持ち主でもあった為、前所属のDeNAも実は戦力外通告の際に野手転向を打診していたそうである。

  • 鈴木健(内野手)(西武→ヤクルト)

2002年オフに西武から戦力外通告を受け、金銭トレードでヤクルトに移籍。
当時レギュラーだった岩村明憲が故障したのもあり、三塁のレギュラーとして活躍し、夏場までは首位打者争いをする活躍を見せ、最終的に打率.317、20本、95打点の好成績でカムバック賞とベストナインを受賞。
翌2004年も規定打席に到達し好成績を残したが、2005年以降はアダム・リグスにレギュラーを奪われ、2007年限りで引退した。

  • 森岡良介(内野手)(中日→ヤクルト)

立浪和義の後継者として大きな期待を寄せられていたものの、アライバ全盛期のせいで出番に恵まれず、二軍首脳陣との確執もあって*11、2008年に戦力外通告を受ける。
12球団合同トライアウトを経てヤクルトに拾われ、内野の全ポジションを守れる器用さとガッツ溢れるプレーで徐々に出場機会を増やし、2012年からは3年連続で100試合以上に出場。当時、右打者の多かったヤクルト内野陣の中では貴重な左打者としても重宝された。
その明るいキャラクターでチームにも溶け込み、時にはお立ち台でアヘ顔を晒したり放送コードに引っかかるフレーズを放ちつつも、2014年には戦力外からの入団組ながら選手会長を任されるまでになり、同年は打率.276、2本塁打、31打点と自己最高の成績をマークした。翌年のリーグ制覇にも貢献し、2016年に引退。
ちなみに、上記の元チームメイトかつ大先輩である山本昌の現役最後の相手打者となったのは、この森岡であった(結果は三振)。これも戦力外からの復活劇が紡いだ不思議な縁であると云えよう。
その後はヤクルトでコーチを務めていたのだが、2026年シーズン終了後に古巣中日の内野守備コーチに就任する事が発表された。

  • 山崎武司(内野手)(オリックス→楽天→中日)

2004年オフに球団合併を機にオリックスから戦力外通告を受けるが、2005年から楽天が新規参入したこともあり、新監督に就任した田尾安志に誘われ、楽天に入団。
田尾や翌年に就任した野村克也の指導もあり、2007年は43HR・108打点で本塁打王と打点王の二冠に輝くなど不死鳥の如く復活し、黎明期の楽天の主軸打者としてチームを支えた。
その後、かつての恩師でもある星野仙一が監督に就任するが成績を落とし、直々に戦力外通告を受け、古巣の中日に復帰。2013年まで現役を続け、引退。

  • 畠山準(はたやまひとし)(外野手)(南海・ダイエー→大洋・横浜)

1982年ドラフト1位で投手として南海に入団。高卒2年目に早くも先発ローテに定着し規定投球回をクリア、32試合登板、5勝12敗0S、防御率4.24の成績を上げる。
だがその後は病気や故障が相次いだのもあって伸び悩み、1988年には打者への転向を決意。プロ初安打を本塁打で飾る上々のスタートを切ったが出番には恵まれず、チームがダイエーに変わって2年目の1990年に戦力外通告を受ける。
翌91年は大洋ホエールズにテスト入団。すると移籍2年目の92年に二桁本塁打を記録するなど打撃が開花。チームが横浜ベイスターズに生まれ変わった93年には、外野のレギュラーを獲得し規定打席数をクリア、打率.281、14本塁打、72打点の好成績を上げた。この年から3年連続でオールスター出場も果たす。
波留敏夫・鈴木尚典・佐伯貴弘らの台頭でレギュラーを外れてからも、代打の切り札として抜群の勝負強さでチームを支え、1998年のリーグ制覇&日本一にも貢献。翌99年に引退。
戦力外通告から這い上がり、打者としても活躍した事により、2026年現在におけるドラフト制以降のNPBで「規定投球回到達」「規定打席到達」の両方を達成した唯一の選手となっている。

  • 宮地克彦(外野手)(西武→ダイエー・ソフトバンク)

2002年に西武でプロ13年目の遅咲きながら準レギュラーとして活躍するも、翌03年に戦力外通告を受ける。
その後、横浜・近鉄・ロッテの入団テストを受けたものの不合格。直後のトライアウトでも結果が出せず、もはやこれまでかと思われた矢先、ちょうど外野手が手薄になっていたダイエーが獲得に名乗りを上げ、現役生活に望みを繋げた。
04年シーズンは規定打席不足ながら打率.310をマーク。05年は開幕からスタメンに定着し自身初の規定打席に到達*12。打率.311、3本塁打、36打点の好成績でオールスター出場とベストナイン受賞も果たし、「リストラの星」と呼ばれ一躍脚光を浴びた。
しかし、翌06年は右手首の故障などもあり打率.155と不調に陥ると、オフに敢えなく戦力外通告を受けてしまい、独立リーグに移って1年プレーしたのち引退。
後述の「戦力外から入団した選手の生き残りのシビアさ」を表す一例であったと云えよう。
なお、引退後だいぶ経ってから世間を騒がせてしまった事件については、ここでは割愛する。

  • 山本和範(カズ山本)(外野手)(ダイエー→近鉄)

ダイエーで主軸打者として活躍していたが、高額年俸や故障もあり1995年オフに戦力外通告を受け、テストを経て近鉄に入団。
すると打棒が復活し1996年のオールスターではMVPも受賞、96年と97年は二桁HRを記録。1999年は球団から引退勧告を受ける中当時無敗を誇っていた古巣・ダイエーの篠原貴行*13からその年唯一の黒星をつける決勝本塁打を放ち、『これ以上の感動を与えるプレーは無理だろう』と引退を決断。42歳でバットを置いた。
なお山本はダイエーの前身である南海への入団も、最初に所属していた近鉄からの戦力外通告を経た上でのものであり*14、2度にわたる所属球団からの戦力外通告を乗り越えて実働19年という長いキャリアを形成したというのが特筆すべき点である。



とこのように復活した事例もあるが、そもそも戦力外通告を受けた選手は悪く言えば『前所属球団から見限られた選手』であり、戦力が時と場合によるが均衡しているNPBにおいてはどこかの球団で見限られるような選手は、よほどのことがなければ「どの球団にとっても大して必要ない程度の選手」となる。
そのため増田珠、山崎武司、鈴木健、畠山準のように戦力外通告を受けた選手が一軍レギュラーとしてバリバリ活躍するというのは稀である。
野手は準レギュラーや代打要員として復活することが多く、投手は先発ローテをバリバリ守るというより、救援投手や敗戦処理もこなす便利屋としてチームを支えるというパターンが多い。
敗戦処理も前提となる便利屋、については「選手としてより未来のある若手にやらせると『失敗した経験』になってしまう」という考えもあるのも大きい。例としてロッテ監督時代のB.バレンタインがこれを挙げて若手の敗戦処理起用をしないことを明言している*15。


元プロ野球選手の今浪隆博氏によると、戦力外通告を受けてから獲得した選手は、自球団でドラフト指名して入団した所謂『生え抜き選手』よりも、愛着や情などがないため切られやすく、生え抜き選手以上に結果を残し続けなければ生き残れないシビアさがあるのは否めないとのこと。
ただ、このような選手の活躍はFAと違い、自らの意思で球団から出て行ったわけではないので、前所属球団のファンからも肯定的に見られることが多い。
また、戦力外になった選手も「また一軍の舞台に立てるのならどんなことだってする」というハングリー精神を持ち合わせているため、チームにも良い影響を与えることがある。

戦力外雇用選手はFA選手や新外国人より圧倒的に低コストで獲得可能であり、円安やマイナーの待遇改善などにより、優秀な新外国人を獲得しにくくなりつつあるため、他球団から戦力外通告を受けた選手は補強策としてどの球団も以前以上に注目&重視されている。





【NPB以外の戦力外通告】


  • MLBでは類似するものとしてDFAがあり、40人枠のロスターから外すことを意味し、選手が海外の球団も含む他球団と自由に契約可能な状態になることを表す。
    ただし時期や契約期間に関係なく用いられるし、枠が厳しすぎることを理由に一時的な措置として多用されるなど性質は大きく異なる。詳しくはあちらの項目で。

  • Jリーグでは慣習的に「翌年の年俸は0円」と提示されるらしく、『ゼロ円提示』と言われている。*16
    ただしサッカーはプロのカテゴリーに幅がある性質上、例えば「J1では厳しくてもJ2なら通用する」といった感じで次の契約先を探すのは難しくないため、Jリーグに限らずサッカーでは*17「契約を切られてクビになった」のではなく「契約満了してフリー移籍可能になった」という捉え方になるのが一般的。
    移籍そのものに制約が多いアメリカ式*18のプロスポーツである野球と*19、「移籍は選手の基本的な権利」としてかなり自由に認めている他のスポーツリーグとの考え方の違いとも言える。本当に自由にすると色んなことがぶっ壊れるので難しい所ではある。

  • Mリーグでは同一のメンバーで2年連続でセミファイナルシリーズに進出出来なかった場合、そのチームのメンバーを最低1人は入れ替えなければならないため、これが事実上の戦力外通告にあたる。
    このルールが確定したのは23-24シーズンの最終結果より(20-21シーズン最終結果時に「同一選手陣で本シーズン、翌シーズンと2連続でファイナル進出できなかったチーム」として導入したものを拡大した)。
    現ルールの適用者はいない*20が、2シーズン連続でファイナル進出失敗の方は21-22終了時のU-NEXTパイレーツ*21、22-23終了時の赤坂ドリブンズ*22の2回適用された。

  • プロレスでは選手が他団体に移籍する際に「負けが続いたので退団」「大ケガのため退団」など10割ガチンコの他競技でいう戦力外通告をストーリーラインに使用することがよく見られる。直近だとEVIL→NARAKUの新日本からWWEへの移籍など*23。
    他にもストーリーの都合や本人の適性により、今のチームではキャラが薄い・ストーリー的に使いづらい場合には「チーム追放」として所属チームから戦力外通告を出される展開になることがある。なかには旧BULLET CLUBのようにチームメンバーの半分くらいがいっぺんに追放される*24、小島軍(仮)においてチームリーダーの小島聡が追放される*25など、NPBの戦力外通告やJリーグのゼロ円提示では考えられないような切り方がされることも。
    逆にこの項目の意味合いでの戦力外通告がなされることは見込みのない練習生を早期に切るケース*26と「極端な素行不良」「団体上層部との(ストーリーラインではなく本当の)不仲・不和」などの懲戒解雇に近いケースのどちらかが大半で、ある程度レスラー歴のある選手は基本的に円満引退(か、蝶野さんのようにいつの間にか実質的な自主引退の状態を取っている形)となる。例外事例のひとつとしてミラノコレクションA.T.(ケガにより引退通告→受諾→喋りが上手いので団体内解説者に異動)のようなケースだが、これも大抵のレスラーはリング復帰を目指すので(叶わなかったケースとしてハヤブサ(初代)、叶ったケースとして北斗晶*27や先述の高橋ヒロム)数は少ない。
    もうひとつのプロレスならではの戦力外通告として、当時すでに責任スタッフを兼業しているのに近かった棚橋弘至が2025年のイッテンヨン興行で「1年後に引退」宣言をしたように、自分で自分に戦力外通告をすることもたまにある。


【その他・余談】

  • 冒頭の一節は、TBSテレビで2004年から毎年年末*28に放送されているドキュメンタリー番組『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』のキャッチコピーであり、同名のスピンオフ企画が放送されたこともある。
    家族にも密着することも多いので出演を拒む選手も珍しくなく、受けるかどうかは当然選手次第である。
    本番組に出演後再契約を受けられた代表例には野村克則、坪井智哉、藤田宗一、今岡誠、八木智哉などがいる。
  • アニメ、漫画、ラノベ、ゲームなどで昔は活躍していたがインフレについていけなくなったり、能力面で上位互換のキャラが現れ活躍の場を奪われたりといった状況を形容するために用いられることも多い。
    キャラクターが戦力外を受けた有名なセリフとしては『おめえは帰ったほうがいい』,『○○は置いてきた。ハッキリ言ってこの戦いにはついていけない…』『帰国の準備をしろ』等が挙げられる。
    変わったところでは原作では言い方が違ううえに別に戦力外通告を受けた場面でもない*29という二重の意味で間違ってるのに、何故か戦力外通告のミームとして定着してしまった『お前、もう船降りろ』なんてケースも。


追記、修正は戦力外通告を受けた選手を応援してからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2026年10月28日 07:58

*1 簡単に言えば、プロ野球の一軍の公式戦に出場可能な選手。この支配下選手に登録されないと、一軍の公式試合に出場することは一切認められない。

*2 FA宣言の効力発効前から移籍先探しのために他11球団と接触すること。NPBのルールや12球団アグリーメントの上ではアウトだが、「『宣言したが古巣への残留含めて移籍先が見つからない』事態を防ぐ観点から、実際には黙認せざるを得なくなっている」とするのが定説。

*3 戦力外通告を行う候補として球団にリストアップされた選手の事

*4 ただし年齢によっては「引退勧告として通告する」こと自体は普通に見られる。

*5 プロ野球選手は「個人事業主」という扱いなので、フリーランス法の規定により契約非更新日(プロ野球選手の場合11月30日)の30日前までに通告しなければならないため。

*6 例としてビル警備のオッサンに大転身した高井保弘や呑み屋のオヤジになった今井雄太郎、ホークスOB・南海OBとしての活動自体はしているものの実質的には同じく自分の呑み屋の経営が主である佐藤道郎など。

*7 ロッテの前には阪神に所属していた為、出戻りという形となった。

*8 前年までに吉井理人・田畑一也・辻発彦らを蘇らせており、この年は廣田の他に小早川毅彦・野中徹博を戦力として再生させた。

*9 近鉄→日ハム→阪神→ダイエーと渡り歩いた、左のサイドスロー投手。廣田ほどの活躍は出来なかったものの、所属した全ての球団で一軍マウンドに立ち、235連続試合無敗のプロ野球記録も打ち立てている。

*10 山村本人の告発により球団が内部調査をしたところ、一部の選手によるいじめ行為が原因である事が発覚。加害選手の実名も報道各社で流れてはいたが、球団はそこまで明らかにせず、また自律神経失調症といじめの因果関係は認めなかった。

*11 いわゆる「死ね柳事件」。詳細を知りたい方は検索されたし。

*12 プロ16年目での規定打席初到達は、ドラフト制以降のNPBでは八重樫幸雄を抜いて最も遅い記録となった。

*13 同年の篠原の成績は60登板14勝1敗,防御率1.25

*14 つまり自身を一度クビにしたチームに戻ってきたことになる。

*15 ただし、どちらかというと信頼できる立場の選手に便利屋を任せたかったのか、実際には戦力外出身の投手よりも移籍歴があるとはいえロッテ在籍自体が長い小宮山悟を起用することが多かった。

*16 契約する選手には最低年俸が定められているため0円提示を受け入れて残留することは出来ない。

*17 サッカーの中心である欧州のリーグではより顕著であり、「移籍する選手がいっぱいいるのが普通」に基づく慣習やルールも一定数存在する。

*18 サラリーキャップなどを導入しチーム間の戦力を均衡させるために制約を設けるのが特徴

*19 もっと言えばNPBは野球リーグとして特に移籍に厳しい部類で、MLBはもう少しくらいは他チームへ移籍するのに肯定的なシステムだったりする

*20 契約満了による離団であれば存在する

*21 石橋伸洋が退団(他チームに加入せずMリーグ自体を辞職)

*22 丸山奏子、村上淳が退団(厳密には2名とも契約満了扱い。丸山はMリーグ自体を辞職、村上は選手としては辞職しリーグ公式解説者に異動)

*23 大きな興行であるイッテンヨンの場で新参のウルフ・アロンに負けたのが決定的になった(というストーリー)。

*24 追放されたメンバーはロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの残存メンバー(公的なチーム名は「無所属」)と合流し新チームのUnbound Co.を結成、BCに残ったメンバーはHOUSE OF TORTUREとして同じ路線を継続。実質的には当時のBCの極端に反則に偏重したスタイルと、結成当時のBCの「かっこいいけどヒール」路線のスタイルとをチーム上も分離する対応と言える。

*25 以降はチーム名を「鈴木軍」に変更の上で鈴木みのるがチームリーダーを務めた。

*26 例として高橋ヒロムは新日本の練習生~ヤングライオン当時かなり危ういライン上にいたらしい。

*27 北斗本人や佐々木健介によれば「(北斗が)首を著しく鍛えていたので奇跡的に選手としても助かった。『キン肉マン新章』のネックバンプアップを本当にやってしまったレアケース中のレアケース」「仮に鍛えていなかったら首が折れて即死、ないし全身不随による復帰断念状態どころか社会復帰困難になっていた可能性もある」ような重症だったらしい。

*28 2006年は編成の都合から放送がなく、代わりに2007年の正月に放送された。

*29 原作では「今すぐこの船から(降りろ)」であり、言い切る前に止められたため「降りろ」とは言っていない。また、言われた理由は今後の方針を巡って船長と対立したのが原因であり、戦力は関係ない。ただし横浜時代の中村紀洋や前述のオリックス時代の山崎武司など、首脳陣との対立が原因で戦力外通告を受ける例は実在するため、広義の意味では戦力外通告の一種と見ることはできる。