パラべラム×ヴィルティック・シャッフル
遥の頭の中はしばし、真っ白になっていた。脳が状況を理解しようとしない。いや、出来ない。
自分の意思とは関係無しに脳が状況を理解する事を拒んでいる。しかし遥が否認しようと目の前の少女―――――――――リシェル・クレサンジュは言った。ハッキリと言った。
背中に担いでいる、ギターケース……を模したケースの中から杖を取り出して数秒前、遥にこう、言い放った。
この杖はオートマタで、尚且つその名を神威と。リヒトの元からヘ―シェンを奪ったとされる、オートマタの名を。
偶然だろうか。しかしこんな偶然があり得るのだろうか? 只単に名前が同じ……だと思いたい。思いたいと信じ込む自分が居る。
遥は理解の追い付かない頭をどうにか回転させて考える。リシェルが神子であった事もそれなりに衝撃的ではあるが、今はそんな事はさして重要じゃない。
もしも、もしもだ。考えたくはないのだが、神威がリヒトが話した件のオートマタである場合。もしもその場合はトンデモない事態に陥る事になる。
こんな風にリシェルを疑う事は、遥にとって些か嫌悪感を抱く。抱くがどうしても頭の中では、そんな不吉な可能性が過ぎってしまう。
師匠の大切なパートナーを奪った相手と、和気藹藹と過ごしていた。こう考えると、遥は何とも心苦しく、言葉に出来ない気分になる。
いけない。これじゃあまるで、リシェルさんを頭から疑っている様じゃないか。遥は頭を軽く横に振り、そういう邪な考えを振り払う。
こんな風に頭を使って悩むなんて私らしくない、と遥は自らを諌めるものの、今は余計な事しか今頭の中に浮かんでこない。
リシェルと再会するのはとても喜ばしい。喜ばしいが、まさかこんな事態になるとは思いもしなかった。
リシェルが神子で、かつオートマタを持っている事自体には問題は無い。ただ、そのオートマタの名前が神威である事。それが遥にとって只ならぬ混乱を招いている。
ここはどう動くべきなのか。……一先ずオートマタの事を会話から外して、別の会話に切り替えるべきか?
「……一条さん?」
リシェルの声に、沈黙して考え込んでいた遥はハッとして我に返り顔を上げる。返ると言うより、返らされた。さっきまで聞こえなかった。
自分の周辺だけ時間が止まっていた様だった。屋台の活気も、子供達の元気なはしゃぎ声も、遠く聞こえてくる噴水の音も、何も聞こえておらず、時が停止していた。
精神的な圧迫感を感じている為か、さっきまで全く汗を掻いていなかったのに額を触るとべったりと汗が滲んでいる。太陽の陽射しが容赦なく照りつけてきて、暑い。
ハンカチを持ってくればよかったと思いつつ、服の袖で汗を拭い、遥はなるべく平静を装い、リシェルに聞き返す。
「ご……ごめんなさい。暑くて頭がぽーっと……それで何の話でしたっけ?」
「大丈夫? 何か凄く汗掻いてるけど……」
リシェルはそう、心配そうに眉を八の字にして遥にそう聞いてきた。もしや心境を見抜かれたのだろうか?
と思ったが、尋常じゃない程汗、冷や汗を掻いている事に自分自身気付き、遥は尚更袖で汗を拭う。まるで水浴びでもしたかのように袖がびっしょりと濡れる。
流石にそれは無いか、とリシェルをさっきからずっと疑っている事を心で謝りつつ、遥は答える。
「そのー……私こう見えて、結構汗っかきなんですよー。ホントにあっついですよねー、今日」
そう言って遥は笑って誤魔化そうとするが、あからさまにわざとらしい笑い声はリシェルの眉をますます八の字にさせる。
こういう時にまで素直な性分が出てしまう自分が情けない。だが、嘘を付けないのが遥の長所でもあり短所でもある。
「ホントに暑いよね……どこかで休もうか?」
そう提案するリシェルの口調は柔らかく、本当に遥の事を心配している事が伺える。遥は次第に申し訳なく感じてきた。
そう言えば、と遥はリヒターに目を向ける。だが、リヒターはリシェルと神威に出会ってから一体口を開かない、さっきからずっと、沈黙を守ったままだ。
何か喋ってほしい、と遥はリヒターに切実に思う。これじゃあまるで……まるであの予感が当たってしまっている気がして、不安で仕方が無い。
「心配掛けてすみません……そうですね~、こんな暑い中で立ち話もキツイですし、どこか行きますか」
「ううん、気にしないで。そうだね……どこに行こうか?」
今、心が荒波の如く動揺しっぱなしだが、遥はどうにか表面上落ち着いた様子でリシェルの心配を乗り切る。
しかしいつまでこの冷静が保てるやら。つい、あの件を口走ってしまいそうになる。それもこれも、言い知れぬ神威への不安のせいなのだが。
だが、と遥は思う。目の前に佇むリシェルの姿がどう見ても、オートマタを傷つけたり、強奪を企てる様な人間には見えない。
それ以前に、戦った事も無いんじゃないかと思える位。それほど遥には、リシェルが神子である以前に、少しでも戦うという事に積極的になる人間には見えない。
それならば、どうしてオートマタを持っているのだろうか? それでいて何故。私に見せてくるのだろうか……それでもって何故、そのオートマタの名前が神威なのか……。
分からない事が多すぎて、遥の頭はオーバーヒート寸前である。息苦しい感覚に、遥は真剣に、リヒターが口を開く事を望んでいるが未だ沈黙のまま。
「あ、その前に一条さん」
歩きだそうとした手前、リシェルが遥に顔を向けて、聞いてきた。
「さっきも聞いたけど、そのオートマタの名前、教えてくれないかな?」
「あ……あぁー、うん。ごめんなさい、そっちが先でしたね」
動揺しすぎたせいか、リシェルに先程、リヒターの名を聞かれた事が頭からすっぽり抜けていた。
軽く慌ててながらも、遥はリヒターをリシェルへと向けてリヒターを紹介しようとする。こんな時には遥が何も言わずとも、リヒターが自己紹介するのだ、が。
奇妙だ。リヒターはリシェルが目の前に向けられても口を開かない。
思えばレイチェルに訪れた時から、リヒターの様子がどこかおかしかった。今はそれに輪を掛けて様子がおかしい。
こんな風に自己紹介を拒む様な子じゃない。遥は仕方なく、リヒターが自己紹介するよりも先に、リヒターをリシェルに紹介する。
「この子の名前はリヒター。リヒター・ペネトレイタ―って言います。リヒター、自己紹介して」
リシェルと神威に挨拶する様、遥はリヒターに促す。だが、遥が指示してにも関わらず、リヒターは何も言わず、沈黙し続ける。
遥はリヒターがまるで神威を威嚇し、睨んでいる様に見える。昔を振り返ると、敵となる存在と対してもリヒターがここまで黙る事は今までなかった。というか、こんな態度を取った事は今までなかった。
このままダンマリされては色々と持たない。遥はリヒターを口元に寄せて、小声で挨拶をする様、再度促す。
「リヒター、リシェルさんと神威に自己紹介して」
遥の声に、リヒターは空気を読んだのかギリギリ聞き取れる音量でようやく口を開く。
だが、リヒターは遥が無意識に信じたくないと思っていた事に、ある種の確信を抱かせてしまう。抱かせて、しまった。
<……マスター、あくまで私の予感ですが……>
「何?」
<あの神威というオートマタ……昨日リヒト・エンフィールドが話していたあのオートマタに思えます>
燃え滾る様に暑い筈なのに、遥の背中は冷やりと寒気を感じる。やはり、リヒターも同じ事を考えていた。
パートナーであるから考えている事が重なる事自体は良い。だが、今回ばかりは外れてほしかった。遥は切実にそう思う。
<マスター……如何なさいますか? 私は……>
「リヒター」
遥は決断する。一先ず、ここで事を荒立ててはいけない。レイチェルの為にも、そして何より、今のリシェルとの関係の為に。
「ここは私に合わせて。お願い、リヒター」
<ですが……>
それ以上は何も言わず、じっと遥はリヒターを見つめる。予感を感じているのはリヒターだけではない。遥もだ。
けれど、その嫌疑を表に出してどうするつもりだ。只単に神威という同姓同名(まぁ同じ名を持つオートマタも見た事が無いが……)なだけかもしれない。
リシェルはたまたま神子で、尚且つオートマタの名前も偶然神威なだけで、あの事件には全く関係無い、という可能性も無い訳ではない。寧ろ、そうであってほしい。
今は一先ずそう考える事にする。そう考えよう。思考を切り替えて、遥はリヒターを見つめる。何かを察したのか、リヒターはようやく、リシェルと神威に自己紹介する。
<……紹介が遅れて申し訳ありません。リヒタ―・ペネトレイタ―と申します。宜しくお願いします>
大分低いトーンではあるものの、リヒターはそう、自己紹介した。ホッと、遥は胸を撫で下ろす。後で無理強いさせた事を謝らないと、とも思う。
思えばどうしてこうも動揺していたのか、遥は自分自身不思議である。ただリヒターに挨拶させるだけで、額だけでなく掌まで汗がじんわりと滲んでいる。
それにしても暑い。狂気的な暑さだ。どこか適当なお店に座って、荒いでいる心を落ち着かせたい。そういえば、スネイルさんは何処に行ったのだろうかと遥は頭の片隅でぼんやりと思いだす。
迷子になってなければ良いが、あの人に限ってそれは無いだろうから心配する必要も無いだろう。寧ろ迷子を楽しみそうだし。
「リヒターって言うんだ。カッコいい名前だね」
リヒターの名前を知れた事がよほど嬉しかったのか、リシェルは儚げながらもニコニコと、頬を綻ばして笑う。
そんな笑顔に、遥の中であの物騒な事件とリシェルはやっぱり無関係ではないか、という思いが強くなる。
こんな人があんな事件に……師匠からヘ―シェンを奪う様な悪人の姿には、とてもじゃないが見えない。
とはいえ、リシェルの過去も、それどころかリシェルがどんな人間なのか、遥はまだ知らない。悪い人ではない事だけは分かるのだが。
……まぁ、良い。それは適当に店を見つけて落ち着いたらで。それからゆっくり聞いていけば。それで少しづつ、リシェルの事を知っていけば。
「じゃあ、自己紹介も済んだ事だし行きましょうか、リシェルさん」
遥がそう言うと、リシェルは深く頷いた。
熱く熱く燃え滾っている鉄板の上で、魚や肉、野菜といった色取り取りの野菜が美味しそうな音を奏でながら踊る、踊る。
鉄板の前に向き合い、食材を踊らしている料理人は勿論の事、その前で自らが頼んだ料理を待つ客達も汗だくだ。と、そんな客達の視線は、一人の女性の方を向いていた。
それも向いている、というより凝視していると言った方が正しいかもしれない。その女性はとにかく、変わっていた。
周囲の客達が鉄板の暑さと、背中から照りつけてくる太陽の陽を浴びて止めどなく汗を流している中、女性は一切汗を掻く様子は無い。
着用しているワイシャツは、汗の染みなど全く見えず真っ白なままだ。女性は涼しい顔付きで、皿の上にどっさりと山の様に盛られている焼きそばを怒涛の勢いで食い尽す。
女性ではさぞキツイであろう量と、ソースをふんだんに使用した濃厚な味である焼きそばを、スイーツを嗜むように女性はぺろりと平らげた。
大食いな女性なら世の中に幾らでも存在しているではあろうが、今、焼きそばを食しているこの女性の食欲は半端ではない。
女性の横には、焼きそばが盛られていた皿が大量に積まれている。周囲から奇異というか、訝しげな目で見ているのにも関わらず、女性は焼きそばをひたすら食べ続ける。
皿の塔の反対側、女性の隣席に座りさぞ面白そうに覗いている、制服を着て眼鏡を掛けた大人しそうな少女――――――――木原町子。
……に変装したマチコ・スネイルは、目線で女性がどれだけ焼きそばを食べたかを数える。もうすぐ一五皿目の焼きそばが無くなりそうだ。
スネイルの隣席に居る、尋常じゃなく大飯食らいであるこの女性の名はステイサム。
マシェリー・ステイサムという。汚れの無い真っ白なワイシャツ姿に、凛と束ねたポニーテール。端整なだけでなくどこか冷やりとした冷静さを感じさせる顔付きが印象的な女性だ。
数分前、ステイサムはスネイルの目の前で、少年が手放してしまった風船を空から取り返す為に驚異的な脚力を見せつけ、スネイルにとって溢れ出る好奇心の対象となった。
そんな芸当を魅せ付けて平然としてるなんて、面白くない人な訳が無い、という直感に突き動かされてスネイルはステイサムに近づき、こうして一緒に食事を取る事に成功した。
こんな何もしてなくても汗を掻く様な日に、わざわざ屋台で鉄板料理を食べるという部分もスネイルに取ってこの上なく面白い。
奢って貰ったココナッツジュースを頂きながら、スネイルはステイサムが十七皿目の焼きそばに手を付けるのを楽しそうに観察し続ける。
よほどお腹が、いやよほどというレベルじゃない。どれだけ巨漢な男性でも、こんな油たっぷりソース濃厚な鉄板焼きそばを、ステイサムは軽々と完食する。
一体どんな胃袋を持っているのか、スネイルはさっきから好奇心が疼いて仕方が無い。ステイサムの事を深く知りたい。
「なぁ……お譲ちゃん。アンタまだ食べるの……かい?」
次々と注文が来る手前、必死に焼きそばを作っている店主が手を止めて、ステイサムにそう聞いた。
客である手前、妙な事は言えないもののやはり気になっていた様だ。店主の表情にはここまで食べるのか、という驚きとまだ食べるのか? という戸惑いが半々で浮かんでいる。
口元のソースを広げたハンカチで拭って、ステイサムは平坦な口調で店主に一言、言い放った。
「金なら幾らでもある。次、作ってくれ」
「……後で食った分、しっかり払ってくれよな。後で腹壊しても知らんぞ」
「良いから作ってくれ。まだまだ物足りないんだ」
顔を引き攣らせて、正に苦笑いしながらも店主は焼きそば作りを再開する。周りからヒソヒソ話をされているが、ステイサムが気にする様子は全く無い。
食べる事に夢中になり過ぎていてスネイルの事をすっかり忘れていた様だ。ステイサムは隣で黙々とジュースを飲んでいるスネイルに顔を向ける。
顔を向けて謝罪する。だが、その口振りは平坦でスネイルを放置していた事を悪いとも思っていない。
「おっと、すまん。食べるのに必死で君の事を忘れていた。許してくれ」
ステイサムがそう謝ると、スネイルは小さく首を振って空気の読める良い子、的な雰囲気を醸しながら話す。
「いえいえ、そんな謝らないで下さい。私がステイサムさんに無理矢理付いてきただけなんで……」
ココナッツジュースを飲み干して、スネイルは一息吐くと自らもステイサムに顔を向けて、質問する。
「そういえばお聞きしたい事がありまして」
「ん?」
「ステイサムさんって何歳なんですか? 私よりもずっと年上に見えますけど……」
正面に向き直して、新しく作られた焼きそばの麺に箸を巻きつけながらステイサムは答える。
「二十代、とだけ言っておこう。それとも、細かく教えてほしいか?」
「いえいえ、それだけ分かれば充分です。それで……」
ムシャムシャと口いっぱいに焼きそばを頬張るステイサムに吹き出しそうになるのを堪え、スネイルは次の質問をぶつける。
「ステイサムさんってどこからここまで来られたんです? 結構遠い所からですか?」
「遠いと言えば遠いと言えるな。まぁ、一日歩けば帰れる程度の場所、そう遠くも無いか」
「……凄い遠くないですか? それ」
「そうか?」
という事はだ。ステイサムはこのレイチェルに徒歩で来たと言う事なのだろうか。
金が無いのだろうか……? いや、ステイサムの横に見える焼きそばタワーを見るに、金が無いとは考えられない。
もしや本気で歩いてきたのだろうか……。道理であんなアスリート並、いや、アスリート以上かもしれない脚力が付いたのね、と、スネイルは一人納得する。
それにしてもこの限界の見えない食欲は何なのだろうか。一応食欲というか、いくら食べても胃袋が参らない人種もいるはいるが……。
ここまで食欲に満ちた女性を見た事はスネイルの記憶上、ステイサムが初めてだ。にしてもこれだけ食べても体型がスラリとしているのも謎だ。
もしかしたら特殊な体質なのだろうか。一日長距離を歩いたり細い身体に反して大飯食らいだったり、スネイルのステイサムに対する興味は尽きる事が無い。寧ろ増している。
と、二十皿目の焼きそばを綺麗に食べ終えたスネイルが、くるりと体ごとスネイルに向けながら聞いてきた。
「逆に私も君に質問したいのだが、良いかな?」
木原町子としての設定には全く穴が無い。勿論、スネイルは応じる。
「どうぞ。何でも良いですよ」
が、ステイサムが次に言い放った言葉にスネイルは不意を突かれた。
「君、本当は学生じゃないな。そんな恰好をしていても私には分かるぞ」
「……はい?」
ちょっとした休憩なのか、ステイサムは初めて焼きそば以外の物を、グラスに入った水を一口、口に入れる。
そして正体を見破られて呆然としているスネイルに、ニヤニヤと意地の悪い笑いを口元に浮かべてそう言った。
まさか正体を見抜かれるとは夢にも思わず、スネイルは間抜けにも素のリアクションを取ってしまった。
これじゃあまるで、いつも弄っている鈴木君の様じゃないか、とスネイルは心の中で頭を抱える。
この外見に何ら不備や見抜かれる点は無い。誰が見てもお淑やかで可愛らしい、清純な女学生らしい女学生になっている筈なのだが……。
スネイルが今だに呆然としていると、ステイサムはスネイルの反応がおかしいのか、ふふっと含み笑いしつつ、言う。
「こう見えても人を見る目に長けてるつもりだからな。君が嘘を付いていた事は何となく分かってた」
悔しいながらも、コレは一本取られた。転がすつもりが転がされていた事にスネイルはひたすら悔しい。
しかしジタバタしてもみっともない為、軽く溜息を吐いて恐る恐るステイサムに問う。
「……いつ頃から気付いてたんですか? 私がホントは学生じゃない事」
スネイルの質問にステイサムは答える。よほどツボに入ったのか、軽く涙が滲んでいる目を指で拭って答える。
外見だけだと冷たい様に見えるが案外、ステイサムの表情は豊かだ。
「雰囲気だよ。確かに外見は完璧な女学生だ。だが、外見を幾ら整えても滲んでくる内面は誤魔化しきれない」
「完璧なつもりだったんですけどね。……それで内面って、何です?」
スネイルの言葉に、笑みを浮かべていたステイサムの目付きに若干、変化が生じる。
口は笑ったままだが、目は笑っていない。真剣で冷ややか、言うなれば――――――――冷徹。こちらが恐らく、ステイサムの本性であろう。
ゾクリと、芯に触れる冷たい感触に、スネイルは軽く身構える。久々だ、こんな感覚になるのは。やっぱり、期待は外れていなかった。
スネイルは確信する。マシェリー・ステイサム。この人は、普通じゃない。きっと私と――――――――同じ、人種。
「君には、私と同じ物を感じる。どれだけ外面を装おうと隠しきれない物が見えるんだよ。それが過去なのか、それとも別の物なのか……」
そこでステイサムは柔和な表情に、元の笑った目付きになると水をごくりと一気に飲み込んだ。
「ま、それ以上は言及しないさ。他人の素性をほじくり返すのは趣味じゃないんでね。焼きそば、おかわり」
気付けばペースをステイサムに持ってかれている事に、スネイルは気付く。口も挟めず、スネイルは完全にステイサムの話を聞くしか無かった。
ここは強引なテンションで学生で有耶無耶にしたい所だが、この人に限ってそれは通用しないだろう。素直に負けを認めるしかない。
次は深く溜息を吐き、キッチリと全て留めている制服のボタンを外して風を仰ぎながら、スネイルは白旗を上げる。
「貴方には負けたわ、完敗。私のこの変装を見破った人は貴方が初めてよ。それにしても何でバレちゃったのかしら……」
「それは光栄だ。まぁ正直年増臭が凄くてな」
「年……年増!?」
思わず声を荒げて反応するスネイルに、ステイサムは声を出して笑う。その笑い声は豪快で、心底スネイルを弄るのが楽しいと見える。
「冗談だよ。にしてもさっきから疑問に思っていたんだが、何で君はそんな格好をしているんだ? 趣味なのか」
まだ出会って間も無かろうに、臆面もなくズケズケと物言うステイサムに、スネイルは呆れ気味に答える。
「こっちの若い格好の方が色々融通効くのよ。それに年増好きな男の人は少ないでしょうし」
「自分で年増と認めるのか……良い心掛けだ」
本当にズケズケ物を言う。スネイルは細い血管が切れそうになるのをどうにか堪える。
「良い性格してるわね、貴方。怖い物とか無さそうで羨ましいわ」
「良く言われるよ。怖い物は……老化かな。水と焼きそば、おかわり」
何か言うのも無駄だと悟ったのか、店主は無言のまま二十五皿目の焼きそばと、コップ一杯の水をステイサムに渡す。
「焼きそば以外のものも食べないの? すっごくバランス悪いわよ、その食べ方」
「炭水化物が食べたいんだよ。とにかくエネルギーが溜まるからな」
答える間もなく、すぐさま焼きそばを食べ始めるステイサム。それにしても、焼きそばをひたすら口に運ぶステイサムを見ていると、スネイルは一種の小動物を見ている様な心境になる。
この大食いと皮肉に皮肉で返すシニカルな部分さえなければ、クールビューティとして通用する位整った顔立ちをしているのに……。
どうしてこうも変わっている……面白い人なのだろうと、スネイルはステイサムを見、改めて思う。何だかんだ言って、一緒に居て凄く楽しい。
「そう言えば君の本当の名を聞いてなかったな。木原町子ってのも偽名だろ?」
「ご名答。私の本当の名前はマチコ・スネイルっていうの。マチコでもスネイルでもどっちで呼んでくれても構わないわ」
「それじゃあおばさんと」
「怒るわよ」
「すまない。スネイルと呼ばせて貰おう」
お互いにある程度壁が無くなった所で、スネイルは打って変わってフランクな感じでステイサムに聞く。
「ねぇ、ステイサムさん」
「呼び捨てで良い。恐らく君より私より年上だしな」
「分かった。じゃあステイサム。貴方の家族ってどんな人達なのかしら。聞かせてほしいわ」
スネイルの質問に、焼きそばを口に運ぼうとしたステイサムの手が、ゆっくりと止まる。手を止めて、ステイサムはスネイルに視線を向けた。
「貴方を見てると、貴方の家族もよほど愉快な人達じゃないかと思って。聞いてみたいわ。貴方のご家族の話」
「……家族、か。……居たよ。ずっと昔に」
「……どういう意味?」
リシェルと共に落ち付ける場所を探して、遥は歩き続ける。空から伸びてくる太陽の陽射しが、さっきに増して強くなっている気がする。
ちらりとリヒターに目を向けると、特に変わった様子は無い。敢えて何も言わずに付き添ってくれていると思うと、遥はリヒターに対し申し訳ないと思わざるおえない。
一方、神威はと言えばリシェルがケースの中に仕舞ったまま、リヒターと同じく言葉を発しようとしない。一先ず、オートマタ同士で何か妙な事が起きる様子は無さそうだ。
だけど解せない。だとしたら、リヒターがレイチェルに来た時に見せたあの反応は一体……? リヒトの話から、神威に対して必要以上に危機感を持ち過ぎているのだろうか?
何にせよ、遥は神子として、マスターとして、リヒターに何かしら態度を示さなきゃ、と思った矢先。
「ねぇねぇ一条さん、何処いこっか?」
遥と歩ける事がよほど嬉しいのだろう、弾んだ口調と表情でリシェルが遥にそう、聞いてきた。初めて出会った時より、リシェルは幾分明るくなった。
明るくなったと言うよりも、女の子らしくなったと言った方が正しいかもしれない。やけに可愛らしく見える。
こういう風に無邪気に笑っているのを見ると、遥にとってリシェルはどこにでもいる女の子にしか見えない。
琥珀色の目や、不思議な髪の毛や、ちゃんとご飯を食べているのだろうか、折れてしまいそうな位華奢な体だとか、一つ一つの特徴を省みると、改めて変わった女の子ではある。
だが、本当に珍しいと思えるのは琥珀色の目位。それ以外は至って普通の女の子だと、遥は思う。
「そうですねー……」
確か、リシェルは本が好きだと言っていた。ならばこの前、隆昭達を引き連れて行った、あの大きな本屋さんに行こうかな、と遥は考える。
だがこうも暑いと、何か冷たい物でも飲んだり食べたい自分が居る。いや、リシェルには悪いが正直そちらを優先したい。
とはいえ此方の事情でリシェルを連れ回すのも悪いと思う。こういう時はある種お決まりである、あのセリフを遥は言う。
「私は別にどこでも良いですよ。リシェルさんの行きたい場所ならどこでも」
遥がそういうと、リシェルは少し悩む素振りを見せながらも、答える。
「私……は別にないかも。それより一条さんが行きたい所ならどこでも行きたいな」
ワクワクした様子で、リシェルは遥の言葉を待つ。その幸せそうに笑う様を見、遥は再度、思う。
……こんな人が。こんな人がオートマタを壊したり、人から奪うなんて、とてもじゃないけど思えない。ありえない。
それなら、リヒトが言っていた神威というオートマタは別に居るのではなかろうか。寧ろ、そう考えた方が自然な気さえする。
リシェルの持っているオートマタの名前は只単に被っただけで。面白いと言ったら不謹慎だが、不思議な偶然もあるんだなと遥は変に納得する。
しばらく歩いた先、遥の視界、数メートル先に、アイスクリームやシャーベットが描かれた看板が目を引く屋台が入った。
丁度良い。ひんやりした物でも食べて、火照った体とオーバーヒートした頭を冷やしたかった所だ。遥は迷うことなく、その屋台に行く事に決めた。
リシェルへと振り向き、遥は聞く。
「じゃあ……リシェルさん、アイスとか好きですか?」
遥の問いに、リシェルは元気に頷いて答える。
「アイス大好きだよ。私も丁度、食べたいなって思った所」
「じゃ、そこのお店に行きますか」
遥はそう言いながら、目先の屋台を指差した。ふと、その屋台のはす向かいに、この暑さに挑む様な屋台を遥は見つける。こんなクソ暑い日に鉄板料理を扱うとは……。
と、その屋台に居る数人の客の中に、見覚えのある……というか、はぐれていたスネイルが座っている。はぐれたと思ったらそんな所に居たのか……と思っていると。
スネイルが隣席に座っている誰かと喋っている様だ。白いワイシャツを着た、髪の毛を束ねている……女性? だろうか。
その女性の横には一体何を食べていたのだろう、大量の皿が積み重なっている。タワーと呼びたくなる程に、積み重なっている。
……スネイルさん、なんか変な人と仲良くなったんだなぁと、遥は冷静に観察する。邪魔しちゃ悪いので、そっと目を逸らす。
「うん。それじゃあその後は……」
「本屋さんに行く感じでどうですか?」
「うん。それで決まり」
リシェルも乗ってくれた事だし、遥はスネイルから目を逸らしつつ、意気揚々と屋台へと歩いていく。
リシェルには色々と聞きたい事があるのだ。色々、と。
「かなり訳ありみたいね。貴方が良かったら良いけど、詳しく聞かせてもらえるかしら?」
興味深々と言った様子でスネイルがそう聞く。それに対し、ステイサムのテンションは些か落ちている様に見える。
「他人の過去に干渉するのも、自分の過去を話すのは好きじゃないんだが……まぁ良い。マスター、水をくれ」
店主に水を貰い、ステイサムは一気飲みすると、軽く一息吐く。カツン、とテーブルに置かれたコップが音を立てる。
スネイルの方を向かず、それでいてどこを見ているのかは分からないが、ステイサムは視線を前に向ける。
向けたまま、自らの過去を話し出す。その横顔にどこか哀愁が漂っている様に、スネイルは思う。
「私には……父と母、それに、姉が居た。両親は先代から引き継いだ、小さな骨董店を営んでいた。
骨董の売れ行きはあまり良くなくて、裕福とは言えない生活だった。それでも私には幸せだった。毎日が楽しくて、満ち足りていた」
スネイルは何も言わず、ステイサムの語りに耳を傾ける。
ステイサムは視線を前から下に、コップの底へと映す。底を映す目には何が映っているのか。過去を振り返っているのか、それとも。
「だが突然、そんな日々は終わりを告げた。いや、正確には告げられたんだ。強制的にな。ある日、私の住んでいた地域でテロが起こった。
父と母は、私と姉を庇って死んだ。一瞬で、全てが無くなった。住んでいた場所も、包み込んでいた両親も、何もかも」
無意識なのだろうか、ステイサムのコップを持つ手には強く、力が入っている。
小さく、ガラスにピシッ、とヒビが入る音が聞こえてくる。
「絶望に打ちひしがれる間もなく、災難は私と姉に……私達に襲いかかって来た。私達はテロを起こした輩に誘拐されたんだ。
酷い話だろ? だが、それが現実だ。私達は死を覚悟した。何の力も無い子供にはどうしようも出来ない。何も出来ない。
だけど……だけど、そんな状況下でも、姉は私に対して諦めない様に叱咤してくれた。何とかなる、諦めなければきっといつか報われる、と」
スネイルは口を挟まず、このまま黙して、ステイサムの話を聞く。今はそうしている他ない。
「……いつだったかな、私達の前に、ある一人の老人が現われたんだ」
「リシェルさんは何食べる?」
椅子と椅子の間隔が狭く、半ば密着する様な状態で遥とリシェルは屋台の中に居る。
結構長くやっている店なのだろうか、内装が古びているが、それが逆に味になっている。
何度か修理されたのだろう、カラフルな木の板がツギハギな状態で接合されていたり、少しでも南国気分を味わせようとする為か、お世辞にも上手いとは言えないヤシの実の絵が描かれていたり。
正直に言っちゃえばダサい。ダサいと言えばダサいが、それらもひっくるめて、遥はこの屋台の雰囲気が好みだ。
「えっとね……私はミント食べようかな」
「それじゃあ私はバニラで。お願いします。」
かしこまりましたー! と、元気な声で店員である女性が、指定されたアイスを小洒落たグラスに入れ始める。
「リシェルさん」
ふと、遥はリシェルに声を掛ける。リシェルはすぐ遥に顔を向ける。
「なになに?」
「……リシェルさんの事、もっと知りたいなと思うんですけど、色々質問して良いですか?」
「何でも聞いて。答えられる事は、何でも答えるから」
何でも……と来たか。遥は迷う。何でもといわれると、逆に何を質問して良いか迷う。ある程度、ここまで聞いて良い、と線を引かれた方がやりやすい。
好きな物は読書で……それ以上の事がまだ分かってない。だからその分かっていない事を聞きたいのだが、何から質問しよう。
ここは無難な感じで答えやすそうな質問をぶつけてみようと、遥は思う。
「前にも聞いたかもですけど、リシェルさんって弟さんとか妹さんとか……それかお兄ちゃんとかお姉ちゃんっているんですか?」
遥の質問に、リシェルは店員が置いたミント味のアイスを、スプーンですくって一口食べる。
一口食べて、とても美味しそうに頬を緩ませながらリシェルは軽く頷き、答える。
「うん。妹がいるよ。もう大分、会えてないけど」
「妹さんがいるんですか! どんな妹さんなんですか?」
遥がそう聞くと、さっきまで明るさに満ちていたリシェルの顔に若干、陰りが差してきた、様に見える。
もしかして、触れない方が良かったかな……と遥が軽く後悔していると、リシェルはその妹について語りだす。
しかし語りだすリシェルの顔に、笑みは無い。
「私よりもずっと背が高くてしっかり者なの。だけど本当は怖がりで気弱な子。けれど、私を守ろうと凄く頑張ってくれる。
でね、私の事を心から信じてくれて、慕ってくれる、凄く凄く良い子。私が姉で居るのが勿体無い位」
「良く出来た妹さんなんですねー」
良く出来た妹が居る遥としては、色んな意味で親近感が沸く。
遥の言葉にリシェルは微笑する。その微笑はどこか寂しげで、哀しそうに見える。決して、遥に見せる様な楽しいや嬉しい、といった感情が、見えない。
「うん。心から自慢出来る妹だよ。けど……」
「その老人は、私と姉をテロリストから買ったんだ。戦う為の兵器としてな。結局、あの老人もテロリストと変わらなかったんだ。人命をこの上なく軽視すると言う意味でな。
最初はこんな理不尽な事があるかと思ったよ。だが、私達にはもうそれ以外、生きる術が無かった。それ……以外には」
気付けば、ステイサムはコップを手放して、組んだ両手を額に付けて俯いていた。じっと、目を瞑っているのを見ると思いだすのも酷な過去な様だ。
「私達は日々、戦力として過酷な訓練を強いられた。精神的にも、肉体的にも常軌を逸した訓練をな。今省みても、尋常じゃない事を。
私の幼い心も体も、いつ折れてもおかしくなかった。だが、どうにか正気を保てた。いつも姉が支えてくれ、励ましてくれたお陰で。……保つ事が、出来てた」
それから、ステイサムはしばらく沈黙する。その様子に、スネイルは言う。
「ステイサム、もう良いわ。思い出すのが辛いのなら無理に話す事は無いのよ」
そう、気遣うスネイルに対して、ステイサムは首を横に振り、言い返す。
「気を使わないでくれ。このまま話すよ。……こんな身の上話が出来るのは、君が初めてだ」
「それは光栄ね。だけど貴方、あからさまに辛そうだから見てられないの。私は辛い過去を無理矢理思い出させようとする程サディストじゃないわ」
「君の為じゃない」
強く、ハッキリとした口調でステイサムはスネイルの発言を否定する。再び、組んだ両手を額に付けて、ステイサムは話し出す。
「……君に話したくて話してる訳じゃない。私が……思い出したいだけだ。私の過去を」
「何かあったんですか?」
遥は恐る恐る、リシェルに話の続きを聞く。リシェルは寂しげに笑って、答える。
「色んな事があってね。もう何年……四年前かそれくらいかな? 離れ離れになっちゃったんだ」
「そんな……」
「もうそれからね……ずっとずっと、会えてないの。今はどこで何してるのか……」
「そう……なんですか。妹さんの名前はなんて言うんです?」
「えっとね……」
「ある日、私達が育てられていた施設である事件が起こった。その事件が原因で、姉は施設から姿を消したんだ。
私の目の前から、唯一の光だった姉がいなくなってしまった。最初はどうしようもなかった。死のうとさえ考えた。
だが、私は誓ったんだ。必ず姉を見つけ出すと。必ず再会して、二人で新しいスタートを切ろうと」
「大げさな言い方をすると……姉に再び会う事に、自分の人生を懸けてる、と?」
「そうだな……そういう事になる。私は姉に……リシェル・クレサンジュに再会する為に生きていると言っても良い」
「ちょっと待って。……貴方の名前って、マシェリー・ステイサムじゃなかった? 偽名なの?」
「その忌々しい名前は、あくまで仕事で付けているに過ぎない。私の本当の名は」
「……レイン?」
「うん。レイン・クレサンジュ。それが、私の妹の名前なの」
「可愛い名前だと思います。響きも良いし」
「そう言って貰えると嬉しいな。きっとレインも一条さんに褒められたら、嬉しいと思う」
「レイン……ねぇ。良い名前じゃない? 響きも良いし」
「響きが良い、か。何か妙な褒め言葉だな。悪い気はしないが」
「これからはレインって呼んでいい?」
「それは止めてくれ。私の事をレインと呼んでいいのは……リシェルだけだ」
「そう、ごめんなさい。私からはいつか再会出来ると良いわね、以上の事は言えないわね」
「構わんさ。寧ろ、こんな身の上話を聞いてくれて感謝したい所さ。……話を聞いてくれたお返しでもないが、私が偽っているのは名前だけじゃないんだ」
「どういう意味?」
スネイルがそう首を傾げて聞くと、ステイサムは組んだ両手を解いて、何故か両目に指を当てる。
そっと触れた両目から、何か薄い物……良く見ると、コンタクトレンズだ。それらを抜いて、スネイルへと向きあう。
向き合ったステイサムに、スネイルは一寸、驚く。さっきまで蒼い瞳であったステイサムの目は、今は――――――――。
「琥珀色の目なんて、初めて見たわ、私」
「私がこの目を自ら他人に見せるのは、君が初めてだ。……いや、正確には二人目、か」
「何?」
「何でもない。忘れてくれ」
「あのさ、一条さん、一条さんが私の立場ならもし……もしもだよ? レインにもう一度会えたら、どうする?」
「そうですね……私ならまず何も言わないで、抱き締めます。何か言うよりも先に。多分勝手に、身体が動きますね。
だってずっと離れ離れって、凄く寂しいじゃないですか。だから何と言うか……やっと会えたんだ! って事を感じる為にまず、抱き締めます」
「一条さんのその考え方、凄く素敵だと思う。そっか……抱き締めるか」
「はい。リシェルさん、レインさんに会えたらギュッと、抱き締めてあげて下さい。それで大体上手く行きますよ。きっと」
「うん……ありがとう、一条さん。会えるかな、レインに、また」
「必ず会えますよ。信じていれば、必ず」
「まぁ、何はともあれ、貴方とリシェルさんが再会出来る事を心から願ってるわ」
「済まないな。妙な心配を掛けて」
「皮肉でも何でもなく、本当に出会えたら良いわね。あまりいい加減な事も言えないけど、とにかく諦めなきゃ会えるわよ。多分」
「諦めるつもりなんて毛頭無いさ。リシェルに出会う日まで、私は生き続ける……。さて、そろそろ出掛けようか」
二人同時にアイスを食べ終わり、遥とリシェルは屋台を後にする。リシェルの過去も聞けたし、アイスも美味しかったしで遥にとっては満足のいく結果となった。
遥の頭の中ではすっかり、あの疑惑は影も形も無くなっている。それどころか、一瞬でもリシェルの事を疑っていた自分にパンチしてやりたい気分だ。我ながら調子が良い。
今ではリシェルが、レインと再会出来る日を心より願っている自分が居る。その為に何か協力したい、とさえ思っている自分もいる。
時間帯はそろそろ昼頃、人混みが多くなってきた中で、スキップ交じりに身軽な歩調で前を歩くリシェルを見て、遥は改めてそう思う。
「あ、そうだそうだ」
ふいにリシェルが足を止めて、振り返った。明るく爛漫な笑顔を浮かべ、遥に聞いてくる。
「一条さん、私の貸したあの本、読んでくれた?」
あの本? と聞かれ、遥はすぐさま記憶を手繰り寄せる。そういえば……。
確かリシェルと初めて出会ったあの日、美しい世界というタイトルの本を渡されたのだ。あの時の本を紹介するリシェルの目は偉く輝いていた事を遥は覚えている。
色々と忙しくて、まだまともに読めていなかった。少し心苦しいものの、まだちゃんと読めてないと遥が答えようとした、時。
遥の両目に、リシェルの背後に忍び寄る大きな影が映った。影、というより、真っ黒なローブを着込み、頭部をフードで隠している人物が、映った。
こんな炎天下だというのに、その人物は顔を隠す所か、自らの存在を隠す様な衣装を着ており、明らかに周囲から浮いている。
行き交っている人々の中で、その人だけが明らかに異端、いや、異常な雰囲気を放っている事に遥はとてつもなく不吉な物を感じる。いや、感じるまでもない。
人物はまっすぐ、リシェルに向かって小走りしてくる。明確な殺意を纏わせながら。
背後にそんな存在が迫っているにも拘らず、リシェルは浮かれている為だろうか、その存在に全く気付く様子が無く、遥の返事を待ち続けている。
するとその存在は、ローブに隠されていた右腕を周囲から見えぬ様、だが遥には僅かに見える程度に晒した。
そこに見えるは、鈍く銀色の光を宿らせる刃――――――――。
「リシェルさん!」
beautiful world
第19話
姉妹
遥の叫び声が、レイチェルに響いた。
次回、第20話 第三部開始
「嘘」
遥の頭の中はしばし、真っ白になっていた。脳が状況を理解しようとしない。いや、出来ない。
自分の意思とは関係無しに脳が状況を理解する事を拒んでいる。しかし遥が否認しようと目の前の少女―――――――――リシェル・クレサンジュは言った。ハッキリと言った。
背中に担いでいる、ギターケース……を模したケースの中から杖を取り出して数秒前、遥にこう、言い放った。
この杖はオートマタで、尚且つその名を神威と。リヒトの元からヘ―シェンを奪ったとされる、オートマタの名を。
偶然だろうか。しかしこんな偶然があり得るのだろうか? 只単に名前が同じ……だと思いたい。思いたいと信じ込む自分が居る。
遥は理解の追い付かない頭をどうにか回転させて考える。リシェルが神子であった事もそれなりに衝撃的ではあるが、今はそんな事はさして重要じゃない。
もしも、もしもだ。考えたくはないのだが、神威がリヒトが話した件のオートマタである場合。もしもその場合はトンデモない事態に陥る事になる。
こんな風にリシェルを疑う事は、遥にとって些か嫌悪感を抱く。抱くがどうしても頭の中では、そんな不吉な可能性が過ぎってしまう。
師匠の大切なパートナーを奪った相手と、和気藹藹と過ごしていた。こう考えると、遥は何とも心苦しく、言葉に出来ない気分になる。
いけない。これじゃあまるで、リシェルさんを頭から疑っている様じゃないか。遥は頭を軽く横に振り、そういう邪な考えを振り払う。
こんな風に頭を使って悩むなんて私らしくない、と遥は自らを諌めるものの、今は余計な事しか今頭の中に浮かんでこない。
リシェルと再会するのはとても喜ばしい。喜ばしいが、まさかこんな事態になるとは思いもしなかった。
リシェルが神子で、かつオートマタを持っている事自体には問題は無い。ただ、そのオートマタの名前が神威である事。それが遥にとって只ならぬ混乱を招いている。
ここはどう動くべきなのか。……一先ずオートマタの事を会話から外して、別の会話に切り替えるべきか?
「……一条さん?」
リシェルの声に、沈黙して考え込んでいた遥はハッとして我に返り顔を上げる。返ると言うより、返らされた。さっきまで聞こえなかった。
自分の周辺だけ時間が止まっていた様だった。屋台の活気も、子供達の元気なはしゃぎ声も、遠く聞こえてくる噴水の音も、何も聞こえておらず、時が停止していた。
精神的な圧迫感を感じている為か、さっきまで全く汗を掻いていなかったのに額を触るとべったりと汗が滲んでいる。太陽の陽射しが容赦なく照りつけてきて、暑い。
ハンカチを持ってくればよかったと思いつつ、服の袖で汗を拭い、遥はなるべく平静を装い、リシェルに聞き返す。
「ご……ごめんなさい。暑くて頭がぽーっと……それで何の話でしたっけ?」
「大丈夫? 何か凄く汗掻いてるけど……」
リシェルはそう、心配そうに眉を八の字にして遥にそう聞いてきた。もしや心境を見抜かれたのだろうか?
と思ったが、尋常じゃない程汗、冷や汗を掻いている事に自分自身気付き、遥は尚更袖で汗を拭う。まるで水浴びでもしたかのように袖がびっしょりと濡れる。
流石にそれは無いか、とリシェルをさっきからずっと疑っている事を心で謝りつつ、遥は答える。
「そのー……私こう見えて、結構汗っかきなんですよー。ホントにあっついですよねー、今日」
そう言って遥は笑って誤魔化そうとするが、あからさまにわざとらしい笑い声はリシェルの眉をますます八の字にさせる。
こういう時にまで素直な性分が出てしまう自分が情けない。だが、嘘を付けないのが遥の長所でもあり短所でもある。
「ホントに暑いよね……どこかで休もうか?」
そう提案するリシェルの口調は柔らかく、本当に遥の事を心配している事が伺える。遥は次第に申し訳なく感じてきた。
そう言えば、と遥はリヒターに目を向ける。だが、リヒターはリシェルと神威に出会ってから一体口を開かない、さっきからずっと、沈黙を守ったままだ。
何か喋ってほしい、と遥はリヒターに切実に思う。これじゃあまるで……まるであの予感が当たってしまっている気がして、不安で仕方が無い。
「心配掛けてすみません……そうですね~、こんな暑い中で立ち話もキツイですし、どこか行きますか」
「ううん、気にしないで。そうだね……どこに行こうか?」
今、心が荒波の如く動揺しっぱなしだが、遥はどうにか表面上落ち着いた様子でリシェルの心配を乗り切る。
しかしいつまでこの冷静が保てるやら。つい、あの件を口走ってしまいそうになる。それもこれも、言い知れぬ神威への不安のせいなのだが。
だが、と遥は思う。目の前に佇むリシェルの姿がどう見ても、オートマタを傷つけたり、強奪を企てる様な人間には見えない。
それ以前に、戦った事も無いんじゃないかと思える位。それほど遥には、リシェルが神子である以前に、少しでも戦うという事に積極的になる人間には見えない。
それならば、どうしてオートマタを持っているのだろうか? それでいて何故。私に見せてくるのだろうか……それでもって何故、そのオートマタの名前が神威なのか……。
分からない事が多すぎて、遥の頭はオーバーヒート寸前である。息苦しい感覚に、遥は真剣に、リヒターが口を開く事を望んでいるが未だ沈黙のまま。
「あ、その前に一条さん」
歩きだそうとした手前、リシェルが遥に顔を向けて、聞いてきた。
「さっきも聞いたけど、そのオートマタの名前、教えてくれないかな?」
「あ……あぁー、うん。ごめんなさい、そっちが先でしたね」
動揺しすぎたせいか、リシェルに先程、リヒターの名を聞かれた事が頭からすっぽり抜けていた。
軽く慌ててながらも、遥はリヒターをリシェルへと向けてリヒターを紹介しようとする。こんな時には遥が何も言わずとも、リヒターが自己紹介するのだ、が。
奇妙だ。リヒターはリシェルが目の前に向けられても口を開かない。
思えばレイチェルに訪れた時から、リヒターの様子がどこかおかしかった。今はそれに輪を掛けて様子がおかしい。
こんな風に自己紹介を拒む様な子じゃない。遥は仕方なく、リヒターが自己紹介するよりも先に、リヒターをリシェルに紹介する。
「この子の名前はリヒター。リヒター・ペネトレイタ―って言います。リヒター、自己紹介して」
リシェルと神威に挨拶する様、遥はリヒターに促す。だが、遥が指示してにも関わらず、リヒターは何も言わず、沈黙し続ける。
遥はリヒターがまるで神威を威嚇し、睨んでいる様に見える。昔を振り返ると、敵となる存在と対してもリヒターがここまで黙る事は今までなかった。というか、こんな態度を取った事は今までなかった。
このままダンマリされては色々と持たない。遥はリヒターを口元に寄せて、小声で挨拶をする様、再度促す。
「リヒター、リシェルさんと神威に自己紹介して」
遥の声に、リヒターは空気を読んだのかギリギリ聞き取れる音量でようやく口を開く。
だが、リヒターは遥が無意識に信じたくないと思っていた事に、ある種の確信を抱かせてしまう。抱かせて、しまった。
<……マスター、あくまで私の予感ですが……>
「何?」
<あの神威というオートマタ……昨日リヒト・エンフィールドが話していたあのオートマタに思えます>
燃え滾る様に暑い筈なのに、遥の背中は冷やりと寒気を感じる。やはり、リヒターも同じ事を考えていた。
パートナーであるから考えている事が重なる事自体は良い。だが、今回ばかりは外れてほしかった。遥は切実にそう思う。
<マスター……如何なさいますか? 私は……>
「リヒター」
遥は決断する。一先ず、ここで事を荒立ててはいけない。レイチェルの為にも、そして何より、今のリシェルとの関係の為に。
「ここは私に合わせて。お願い、リヒター」
<ですが……>
それ以上は何も言わず、じっと遥はリヒターを見つめる。予感を感じているのはリヒターだけではない。遥もだ。
けれど、その嫌疑を表に出してどうするつもりだ。只単に神威という同姓同名(まぁ同じ名を持つオートマタも見た事が無いが……)なだけかもしれない。
リシェルはたまたま神子で、尚且つオートマタの名前も偶然神威なだけで、あの事件には全く関係無い、という可能性も無い訳ではない。寧ろ、そうであってほしい。
今は一先ずそう考える事にする。そう考えよう。思考を切り替えて、遥はリヒターを見つめる。何かを察したのか、リヒターはようやく、リシェルと神威に自己紹介する。
<……紹介が遅れて申し訳ありません。リヒタ―・ペネトレイタ―と申します。宜しくお願いします>
大分低いトーンではあるものの、リヒターはそう、自己紹介した。ホッと、遥は胸を撫で下ろす。後で無理強いさせた事を謝らないと、とも思う。
思えばどうしてこうも動揺していたのか、遥は自分自身不思議である。ただリヒターに挨拶させるだけで、額だけでなく掌まで汗がじんわりと滲んでいる。
それにしても暑い。狂気的な暑さだ。どこか適当なお店に座って、荒いでいる心を落ち着かせたい。そういえば、スネイルさんは何処に行ったのだろうかと遥は頭の片隅でぼんやりと思いだす。
迷子になってなければ良いが、あの人に限ってそれは無いだろうから心配する必要も無いだろう。寧ろ迷子を楽しみそうだし。
「リヒターって言うんだ。カッコいい名前だね」
リヒターの名前を知れた事がよほど嬉しかったのか、リシェルは儚げながらもニコニコと、頬を綻ばして笑う。
そんな笑顔に、遥の中であの物騒な事件とリシェルはやっぱり無関係ではないか、という思いが強くなる。
こんな人があんな事件に……師匠からヘ―シェンを奪う様な悪人の姿には、とてもじゃないが見えない。
とはいえ、リシェルの過去も、それどころかリシェルがどんな人間なのか、遥はまだ知らない。悪い人ではない事だけは分かるのだが。
……まぁ、良い。それは適当に店を見つけて落ち着いたらで。それからゆっくり聞いていけば。それで少しづつ、リシェルの事を知っていけば。
「じゃあ、自己紹介も済んだ事だし行きましょうか、リシェルさん」
遥がそう言うと、リシェルは深く頷いた。
熱く熱く燃え滾っている鉄板の上で、魚や肉、野菜といった色取り取りの野菜が美味しそうな音を奏でながら踊る、踊る。
鉄板の前に向き合い、食材を踊らしている料理人は勿論の事、その前で自らが頼んだ料理を待つ客達も汗だくだ。と、そんな客達の視線は、一人の女性の方を向いていた。
それも向いている、というより凝視していると言った方が正しいかもしれない。その女性はとにかく、変わっていた。
周囲の客達が鉄板の暑さと、背中から照りつけてくる太陽の陽を浴びて止めどなく汗を流している中、女性は一切汗を掻く様子は無い。
着用しているワイシャツは、汗の染みなど全く見えず真っ白なままだ。女性は涼しい顔付きで、皿の上にどっさりと山の様に盛られている焼きそばを怒涛の勢いで食い尽す。
女性ではさぞキツイであろう量と、ソースをふんだんに使用した濃厚な味である焼きそばを、スイーツを嗜むように女性はぺろりと平らげた。
大食いな女性なら世の中に幾らでも存在しているではあろうが、今、焼きそばを食しているこの女性の食欲は半端ではない。
女性の横には、焼きそばが盛られていた皿が大量に積まれている。周囲から奇異というか、訝しげな目で見ているのにも関わらず、女性は焼きそばをひたすら食べ続ける。
皿の塔の反対側、女性の隣席に座りさぞ面白そうに覗いている、制服を着て眼鏡を掛けた大人しそうな少女――――――――木原町子。
……に変装したマチコ・スネイルは、目線で女性がどれだけ焼きそばを食べたかを数える。もうすぐ一五皿目の焼きそばが無くなりそうだ。
スネイルの隣席に居る、尋常じゃなく大飯食らいであるこの女性の名はステイサム。
マシェリー・ステイサムという。汚れの無い真っ白なワイシャツ姿に、凛と束ねたポニーテール。端整なだけでなくどこか冷やりとした冷静さを感じさせる顔付きが印象的な女性だ。
数分前、ステイサムはスネイルの目の前で、少年が手放してしまった風船を空から取り返す為に驚異的な脚力を見せつけ、スネイルにとって溢れ出る好奇心の対象となった。
そんな芸当を魅せ付けて平然としてるなんて、面白くない人な訳が無い、という直感に突き動かされてスネイルはステイサムに近づき、こうして一緒に食事を取る事に成功した。
こんな何もしてなくても汗を掻く様な日に、わざわざ屋台で鉄板料理を食べるという部分もスネイルに取ってこの上なく面白い。
奢って貰ったココナッツジュースを頂きながら、スネイルはステイサムが十七皿目の焼きそばに手を付けるのを楽しそうに観察し続ける。
よほどお腹が、いやよほどというレベルじゃない。どれだけ巨漢な男性でも、こんな油たっぷりソース濃厚な鉄板焼きそばを、ステイサムは軽々と完食する。
一体どんな胃袋を持っているのか、スネイルはさっきから好奇心が疼いて仕方が無い。ステイサムの事を深く知りたい。
「なぁ……お譲ちゃん。アンタまだ食べるの……かい?」
次々と注文が来る手前、必死に焼きそばを作っている店主が手を止めて、ステイサムにそう聞いた。
客である手前、妙な事は言えないもののやはり気になっていた様だ。店主の表情にはここまで食べるのか、という驚きとまだ食べるのか? という戸惑いが半々で浮かんでいる。
口元のソースを広げたハンカチで拭って、ステイサムは平坦な口調で店主に一言、言い放った。
「金なら幾らでもある。次、作ってくれ」
「……後で食った分、しっかり払ってくれよな。後で腹壊しても知らんぞ」
「良いから作ってくれ。まだまだ物足りないんだ」
顔を引き攣らせて、正に苦笑いしながらも店主は焼きそば作りを再開する。周りからヒソヒソ話をされているが、ステイサムが気にする様子は全く無い。
食べる事に夢中になり過ぎていてスネイルの事をすっかり忘れていた様だ。ステイサムは隣で黙々とジュースを飲んでいるスネイルに顔を向ける。
顔を向けて謝罪する。だが、その口振りは平坦でスネイルを放置していた事を悪いとも思っていない。
「おっと、すまん。食べるのに必死で君の事を忘れていた。許してくれ」
ステイサムがそう謝ると、スネイルは小さく首を振って空気の読める良い子、的な雰囲気を醸しながら話す。
「いえいえ、そんな謝らないで下さい。私がステイサムさんに無理矢理付いてきただけなんで……」
ココナッツジュースを飲み干して、スネイルは一息吐くと自らもステイサムに顔を向けて、質問する。
「そういえばお聞きしたい事がありまして」
「ん?」
「ステイサムさんって何歳なんですか? 私よりもずっと年上に見えますけど……」
正面に向き直して、新しく作られた焼きそばの麺に箸を巻きつけながらステイサムは答える。
「二十代、とだけ言っておこう。それとも、細かく教えてほしいか?」
「いえいえ、それだけ分かれば充分です。それで……」
ムシャムシャと口いっぱいに焼きそばを頬張るステイサムに吹き出しそうになるのを堪え、スネイルは次の質問をぶつける。
「ステイサムさんってどこからここまで来られたんです? 結構遠い所からですか?」
「遠いと言えば遠いと言えるな。まぁ、一日歩けば帰れる程度の場所、そう遠くも無いか」
「……凄い遠くないですか? それ」
「そうか?」
という事はだ。ステイサムはこのレイチェルに徒歩で来たと言う事なのだろうか。
金が無いのだろうか……? いや、ステイサムの横に見える焼きそばタワーを見るに、金が無いとは考えられない。
もしや本気で歩いてきたのだろうか……。道理であんなアスリート並、いや、アスリート以上かもしれない脚力が付いたのね、と、スネイルは一人納得する。
それにしてもこの限界の見えない食欲は何なのだろうか。一応食欲というか、いくら食べても胃袋が参らない人種もいるはいるが……。
ここまで食欲に満ちた女性を見た事はスネイルの記憶上、ステイサムが初めてだ。にしてもこれだけ食べても体型がスラリとしているのも謎だ。
もしかしたら特殊な体質なのだろうか。一日長距離を歩いたり細い身体に反して大飯食らいだったり、スネイルのステイサムに対する興味は尽きる事が無い。寧ろ増している。
と、二十皿目の焼きそばを綺麗に食べ終えたスネイルが、くるりと体ごとスネイルに向けながら聞いてきた。
「逆に私も君に質問したいのだが、良いかな?」
木原町子としての設定には全く穴が無い。勿論、スネイルは応じる。
「どうぞ。何でも良いですよ」
が、ステイサムが次に言い放った言葉にスネイルは不意を突かれた。
「君、本当は学生じゃないな。そんな恰好をしていても私には分かるぞ」
「……はい?」
ちょっとした休憩なのか、ステイサムは初めて焼きそば以外の物を、グラスに入った水を一口、口に入れる。
そして正体を見破られて呆然としているスネイルに、ニヤニヤと意地の悪い笑いを口元に浮かべてそう言った。
まさか正体を見抜かれるとは夢にも思わず、スネイルは間抜けにも素のリアクションを取ってしまった。
これじゃあまるで、いつも弄っている鈴木君の様じゃないか、とスネイルは心の中で頭を抱える。
この外見に何ら不備や見抜かれる点は無い。誰が見てもお淑やかで可愛らしい、清純な女学生らしい女学生になっている筈なのだが……。
スネイルが今だに呆然としていると、ステイサムはスネイルの反応がおかしいのか、ふふっと含み笑いしつつ、言う。
「こう見えても人を見る目に長けてるつもりだからな。君が嘘を付いていた事は何となく分かってた」
悔しいながらも、コレは一本取られた。転がすつもりが転がされていた事にスネイルはひたすら悔しい。
しかしジタバタしてもみっともない為、軽く溜息を吐いて恐る恐るステイサムに問う。
「……いつ頃から気付いてたんですか? 私がホントは学生じゃない事」
スネイルの質問にステイサムは答える。よほどツボに入ったのか、軽く涙が滲んでいる目を指で拭って答える。
外見だけだと冷たい様に見えるが案外、ステイサムの表情は豊かだ。
「雰囲気だよ。確かに外見は完璧な女学生だ。だが、外見を幾ら整えても滲んでくる内面は誤魔化しきれない」
「完璧なつもりだったんですけどね。……それで内面って、何です?」
スネイルの言葉に、笑みを浮かべていたステイサムの目付きに若干、変化が生じる。
口は笑ったままだが、目は笑っていない。真剣で冷ややか、言うなれば――――――――冷徹。こちらが恐らく、ステイサムの本性であろう。
ゾクリと、芯に触れる冷たい感触に、スネイルは軽く身構える。久々だ、こんな感覚になるのは。やっぱり、期待は外れていなかった。
スネイルは確信する。マシェリー・ステイサム。この人は、普通じゃない。きっと私と――――――――同じ、人種。
「君には、私と同じ物を感じる。どれだけ外面を装おうと隠しきれない物が見えるんだよ。それが過去なのか、それとも別の物なのか……」
そこでステイサムは柔和な表情に、元の笑った目付きになると水をごくりと一気に飲み込んだ。
「ま、それ以上は言及しないさ。他人の素性をほじくり返すのは趣味じゃないんでね。焼きそば、おかわり」
気付けばペースをステイサムに持ってかれている事に、スネイルは気付く。口も挟めず、スネイルは完全にステイサムの話を聞くしか無かった。
ここは強引なテンションで学生で有耶無耶にしたい所だが、この人に限ってそれは通用しないだろう。素直に負けを認めるしかない。
次は深く溜息を吐き、キッチリと全て留めている制服のボタンを外して風を仰ぎながら、スネイルは白旗を上げる。
「貴方には負けたわ、完敗。私のこの変装を見破った人は貴方が初めてよ。それにしても何でバレちゃったのかしら……」
「それは光栄だ。まぁ正直年増臭が凄くてな」
「年……年増!?」
思わず声を荒げて反応するスネイルに、ステイサムは声を出して笑う。その笑い声は豪快で、心底スネイルを弄るのが楽しいと見える。
「冗談だよ。にしてもさっきから疑問に思っていたんだが、何で君はそんな格好をしているんだ? 趣味なのか」
まだ出会って間も無かろうに、臆面もなくズケズケと物言うステイサムに、スネイルは呆れ気味に答える。
「こっちの若い格好の方が色々融通効くのよ。それに年増好きな男の人は少ないでしょうし」
「自分で年増と認めるのか……良い心掛けだ」
本当にズケズケ物を言う。スネイルは細い血管が切れそうになるのをどうにか堪える。
「良い性格してるわね、貴方。怖い物とか無さそうで羨ましいわ」
「良く言われるよ。怖い物は……老化かな。水と焼きそば、おかわり」
何か言うのも無駄だと悟ったのか、店主は無言のまま二十五皿目の焼きそばと、コップ一杯の水をステイサムに渡す。
「焼きそば以外のものも食べないの? すっごくバランス悪いわよ、その食べ方」
「炭水化物が食べたいんだよ。とにかくエネルギーが溜まるからな」
答える間もなく、すぐさま焼きそばを食べ始めるステイサム。それにしても、焼きそばをひたすら口に運ぶステイサムを見ていると、スネイルは一種の小動物を見ている様な心境になる。
この大食いと皮肉に皮肉で返すシニカルな部分さえなければ、クールビューティとして通用する位整った顔立ちをしているのに……。
どうしてこうも変わっている……面白い人なのだろうと、スネイルはステイサムを見、改めて思う。何だかんだ言って、一緒に居て凄く楽しい。
「そう言えば君の本当の名を聞いてなかったな。木原町子ってのも偽名だろ?」
「ご名答。私の本当の名前はマチコ・スネイルっていうの。マチコでもスネイルでもどっちで呼んでくれても構わないわ」
「それじゃあおばさんと」
「怒るわよ」
「すまない。スネイルと呼ばせて貰おう」
お互いにある程度壁が無くなった所で、スネイルは打って変わってフランクな感じでステイサムに聞く。
「ねぇ、ステイサムさん」
「呼び捨てで良い。恐らく君より私より年上だしな」
「分かった。じゃあステイサム。貴方の家族ってどんな人達なのかしら。聞かせてほしいわ」
スネイルの質問に、焼きそばを口に運ぼうとしたステイサムの手が、ゆっくりと止まる。手を止めて、ステイサムはスネイルに視線を向けた。
「貴方を見てると、貴方の家族もよほど愉快な人達じゃないかと思って。聞いてみたいわ。貴方のご家族の話」
「……家族、か。……居たよ。ずっと昔に」
「……どういう意味?」
リシェルと共に落ち付ける場所を探して、遥は歩き続ける。空から伸びてくる太陽の陽射しが、さっきに増して強くなっている気がする。
ちらりとリヒターに目を向けると、特に変わった様子は無い。敢えて何も言わずに付き添ってくれていると思うと、遥はリヒターに対し申し訳ないと思わざるおえない。
一方、神威はと言えばリシェルがケースの中に仕舞ったまま、リヒターと同じく言葉を発しようとしない。一先ず、オートマタ同士で何か妙な事が起きる様子は無さそうだ。
だけど解せない。だとしたら、リヒターがレイチェルに来た時に見せたあの反応は一体……? リヒトの話から、神威に対して必要以上に危機感を持ち過ぎているのだろうか?
何にせよ、遥は神子として、マスターとして、リヒターに何かしら態度を示さなきゃ、と思った矢先。
「ねぇねぇ一条さん、何処いこっか?」
遥と歩ける事がよほど嬉しいのだろう、弾んだ口調と表情でリシェルが遥にそう、聞いてきた。初めて出会った時より、リシェルは幾分明るくなった。
明るくなったと言うよりも、女の子らしくなったと言った方が正しいかもしれない。やけに可愛らしく見える。
こういう風に無邪気に笑っているのを見ると、遥にとってリシェルはどこにでもいる女の子にしか見えない。
琥珀色の目や、不思議な髪の毛や、ちゃんとご飯を食べているのだろうか、折れてしまいそうな位華奢な体だとか、一つ一つの特徴を省みると、改めて変わった女の子ではある。
だが、本当に珍しいと思えるのは琥珀色の目位。それ以外は至って普通の女の子だと、遥は思う。
「そうですねー……」
確か、リシェルは本が好きだと言っていた。ならばこの前、隆昭達を引き連れて行った、あの大きな本屋さんに行こうかな、と遥は考える。
だがこうも暑いと、何か冷たい物でも飲んだり食べたい自分が居る。いや、リシェルには悪いが正直そちらを優先したい。
とはいえ此方の事情でリシェルを連れ回すのも悪いと思う。こういう時はある種お決まりである、あのセリフを遥は言う。
「私は別にどこでも良いですよ。リシェルさんの行きたい場所ならどこでも」
遥がそういうと、リシェルは少し悩む素振りを見せながらも、答える。
「私……は別にないかも。それより一条さんが行きたい所ならどこでも行きたいな」
ワクワクした様子で、リシェルは遥の言葉を待つ。その幸せそうに笑う様を見、遥は再度、思う。
……こんな人が。こんな人がオートマタを壊したり、人から奪うなんて、とてもじゃないけど思えない。ありえない。
それなら、リヒトが言っていた神威というオートマタは別に居るのではなかろうか。寧ろ、そう考えた方が自然な気さえする。
リシェルの持っているオートマタの名前は只単に被っただけで。面白いと言ったら不謹慎だが、不思議な偶然もあるんだなと遥は変に納得する。
しばらく歩いた先、遥の視界、数メートル先に、アイスクリームやシャーベットが描かれた看板が目を引く屋台が入った。
丁度良い。ひんやりした物でも食べて、火照った体とオーバーヒートした頭を冷やしたかった所だ。遥は迷うことなく、その屋台に行く事に決めた。
リシェルへと振り向き、遥は聞く。
「じゃあ……リシェルさん、アイスとか好きですか?」
遥の問いに、リシェルは元気に頷いて答える。
「アイス大好きだよ。私も丁度、食べたいなって思った所」
「じゃ、そこのお店に行きますか」
遥はそう言いながら、目先の屋台を指差した。ふと、その屋台のはす向かいに、この暑さに挑む様な屋台を遥は見つける。こんなクソ暑い日に鉄板料理を扱うとは……。
と、その屋台に居る数人の客の中に、見覚えのある……というか、はぐれていたスネイルが座っている。はぐれたと思ったらそんな所に居たのか……と思っていると。
スネイルが隣席に座っている誰かと喋っている様だ。白いワイシャツを着た、髪の毛を束ねている……女性? だろうか。
その女性の横には一体何を食べていたのだろう、大量の皿が積み重なっている。タワーと呼びたくなる程に、積み重なっている。
……スネイルさん、なんか変な人と仲良くなったんだなぁと、遥は冷静に観察する。邪魔しちゃ悪いので、そっと目を逸らす。
「うん。それじゃあその後は……」
「本屋さんに行く感じでどうですか?」
「うん。それで決まり」
リシェルも乗ってくれた事だし、遥はスネイルから目を逸らしつつ、意気揚々と屋台へと歩いていく。
リシェルには色々と聞きたい事があるのだ。色々、と。
「かなり訳ありみたいね。貴方が良かったら良いけど、詳しく聞かせてもらえるかしら?」
興味深々と言った様子でスネイルがそう聞く。それに対し、ステイサムのテンションは些か落ちている様に見える。
「他人の過去に干渉するのも、自分の過去を話すのは好きじゃないんだが……まぁ良い。マスター、水をくれ」
店主に水を貰い、ステイサムは一気飲みすると、軽く一息吐く。カツン、とテーブルに置かれたコップが音を立てる。
スネイルの方を向かず、それでいてどこを見ているのかは分からないが、ステイサムは視線を前に向ける。
向けたまま、自らの過去を話し出す。その横顔にどこか哀愁が漂っている様に、スネイルは思う。
「私には……父と母、それに、姉が居た。両親は先代から引き継いだ、小さな骨董店を営んでいた。
骨董の売れ行きはあまり良くなくて、裕福とは言えない生活だった。それでも私には幸せだった。毎日が楽しくて、満ち足りていた」
スネイルは何も言わず、ステイサムの語りに耳を傾ける。
ステイサムは視線を前から下に、コップの底へと映す。底を映す目には何が映っているのか。過去を振り返っているのか、それとも。
「だが突然、そんな日々は終わりを告げた。いや、正確には告げられたんだ。強制的にな。ある日、私の住んでいた地域でテロが起こった。
父と母は、私と姉を庇って死んだ。一瞬で、全てが無くなった。住んでいた場所も、包み込んでいた両親も、何もかも」
無意識なのだろうか、ステイサムのコップを持つ手には強く、力が入っている。
小さく、ガラスにピシッ、とヒビが入る音が聞こえてくる。
「絶望に打ちひしがれる間もなく、災難は私と姉に……私達に襲いかかって来た。私達はテロを起こした輩に誘拐されたんだ。
酷い話だろ? だが、それが現実だ。私達は死を覚悟した。何の力も無い子供にはどうしようも出来ない。何も出来ない。
だけど……だけど、そんな状況下でも、姉は私に対して諦めない様に叱咤してくれた。何とかなる、諦めなければきっといつか報われる、と」
スネイルは口を挟まず、このまま黙して、ステイサムの話を聞く。今はそうしている他ない。
「……いつだったかな、私達の前に、ある一人の老人が現われたんだ」
「リシェルさんは何食べる?」
椅子と椅子の間隔が狭く、半ば密着する様な状態で遥とリシェルは屋台の中に居る。
結構長くやっている店なのだろうか、内装が古びているが、それが逆に味になっている。
何度か修理されたのだろう、カラフルな木の板がツギハギな状態で接合されていたり、少しでも南国気分を味わせようとする為か、お世辞にも上手いとは言えないヤシの実の絵が描かれていたり。
正直に言っちゃえばダサい。ダサいと言えばダサいが、それらもひっくるめて、遥はこの屋台の雰囲気が好みだ。
「えっとね……私はミント食べようかな」
「それじゃあ私はバニラで。お願いします。」
かしこまりましたー! と、元気な声で店員である女性が、指定されたアイスを小洒落たグラスに入れ始める。
「リシェルさん」
ふと、遥はリシェルに声を掛ける。リシェルはすぐ遥に顔を向ける。
「なになに?」
「……リシェルさんの事、もっと知りたいなと思うんですけど、色々質問して良いですか?」
「何でも聞いて。答えられる事は、何でも答えるから」
何でも……と来たか。遥は迷う。何でもといわれると、逆に何を質問して良いか迷う。ある程度、ここまで聞いて良い、と線を引かれた方がやりやすい。
好きな物は読書で……それ以上の事がまだ分かってない。だからその分かっていない事を聞きたいのだが、何から質問しよう。
ここは無難な感じで答えやすそうな質問をぶつけてみようと、遥は思う。
「前にも聞いたかもですけど、リシェルさんって弟さんとか妹さんとか……それかお兄ちゃんとかお姉ちゃんっているんですか?」
遥の質問に、リシェルは店員が置いたミント味のアイスを、スプーンですくって一口食べる。
一口食べて、とても美味しそうに頬を緩ませながらリシェルは軽く頷き、答える。
「うん。妹がいるよ。もう大分、会えてないけど」
「妹さんがいるんですか! どんな妹さんなんですか?」
遥がそう聞くと、さっきまで明るさに満ちていたリシェルの顔に若干、陰りが差してきた、様に見える。
もしかして、触れない方が良かったかな……と遥が軽く後悔していると、リシェルはその妹について語りだす。
しかし語りだすリシェルの顔に、笑みは無い。
「私よりもずっと背が高くてしっかり者なの。だけど本当は怖がりで気弱な子。けれど、私を守ろうと凄く頑張ってくれる。
でね、私の事を心から信じてくれて、慕ってくれる、凄く凄く良い子。私が姉で居るのが勿体無い位」
「良く出来た妹さんなんですねー」
良く出来た妹が居る遥としては、色んな意味で親近感が沸く。
遥の言葉にリシェルは微笑する。その微笑はどこか寂しげで、哀しそうに見える。決して、遥に見せる様な楽しいや嬉しい、といった感情が、見えない。
「うん。心から自慢出来る妹だよ。けど……」
「その老人は、私と姉をテロリストから買ったんだ。戦う為の兵器としてな。結局、あの老人もテロリストと変わらなかったんだ。人命をこの上なく軽視すると言う意味でな。
最初はこんな理不尽な事があるかと思ったよ。だが、私達にはもうそれ以外、生きる術が無かった。それ……以外には」
気付けば、ステイサムはコップを手放して、組んだ両手を額に付けて俯いていた。じっと、目を瞑っているのを見ると思いだすのも酷な過去な様だ。
「私達は日々、戦力として過酷な訓練を強いられた。精神的にも、肉体的にも常軌を逸した訓練をな。今省みても、尋常じゃない事を。
私の幼い心も体も、いつ折れてもおかしくなかった。だが、どうにか正気を保てた。いつも姉が支えてくれ、励ましてくれたお陰で。……保つ事が、出来てた」
それから、ステイサムはしばらく沈黙する。その様子に、スネイルは言う。
「ステイサム、もう良いわ。思い出すのが辛いのなら無理に話す事は無いのよ」
そう、気遣うスネイルに対して、ステイサムは首を横に振り、言い返す。
「気を使わないでくれ。このまま話すよ。……こんな身の上話が出来るのは、君が初めてだ」
「それは光栄ね。だけど貴方、あからさまに辛そうだから見てられないの。私は辛い過去を無理矢理思い出させようとする程サディストじゃないわ」
「君の為じゃない」
強く、ハッキリとした口調でステイサムはスネイルの発言を否定する。再び、組んだ両手を額に付けて、ステイサムは話し出す。
「……君に話したくて話してる訳じゃない。私が……思い出したいだけだ。私の過去を」
「何かあったんですか?」
遥は恐る恐る、リシェルに話の続きを聞く。リシェルは寂しげに笑って、答える。
「色んな事があってね。もう何年……四年前かそれくらいかな? 離れ離れになっちゃったんだ」
「そんな……」
「もうそれからね……ずっとずっと、会えてないの。今はどこで何してるのか……」
「そう……なんですか。妹さんの名前はなんて言うんです?」
「えっとね……」
「ある日、私達が育てられていた施設である事件が起こった。その事件が原因で、姉は施設から姿を消したんだ。
私の目の前から、唯一の光だった姉がいなくなってしまった。最初はどうしようもなかった。死のうとさえ考えた。
だが、私は誓ったんだ。必ず姉を見つけ出すと。必ず再会して、二人で新しいスタートを切ろうと」
「大げさな言い方をすると……姉に再び会う事に、自分の人生を懸けてる、と?」
「そうだな……そういう事になる。私は姉に……リシェル・クレサンジュに再会する為に生きていると言っても良い」
「ちょっと待って。……貴方の名前って、マシェリー・ステイサムじゃなかった? 偽名なの?」
「その忌々しい名前は、あくまで仕事で付けているに過ぎない。私の本当の名は」
「……レイン?」
「うん。レイン・クレサンジュ。それが、私の妹の名前なの」
「可愛い名前だと思います。響きも良いし」
「そう言って貰えると嬉しいな。きっとレインも一条さんに褒められたら、嬉しいと思う」
「レイン……ねぇ。良い名前じゃない? 響きも良いし」
「響きが良い、か。何か妙な褒め言葉だな。悪い気はしないが」
「これからはレインって呼んでいい?」
「それは止めてくれ。私の事をレインと呼んでいいのは……リシェルだけだ」
「そう、ごめんなさい。私からはいつか再会出来ると良いわね、以上の事は言えないわね」
「構わんさ。寧ろ、こんな身の上話を聞いてくれて感謝したい所さ。……話を聞いてくれたお返しでもないが、私が偽っているのは名前だけじゃないんだ」
「どういう意味?」
スネイルがそう首を傾げて聞くと、ステイサムは組んだ両手を解いて、何故か両目に指を当てる。
そっと触れた両目から、何か薄い物……良く見ると、コンタクトレンズだ。それらを抜いて、スネイルへと向きあう。
向き合ったステイサムに、スネイルは一寸、驚く。さっきまで蒼い瞳であったステイサムの目は、今は――――――――。
「琥珀色の目なんて、初めて見たわ、私」
「私がこの目を自ら他人に見せるのは、君が初めてだ。……いや、正確には二人目、か」
「何?」
「何でもない。忘れてくれ」
「あのさ、一条さん、一条さんが私の立場ならもし……もしもだよ? レインにもう一度会えたら、どうする?」
「そうですね……私ならまず何も言わないで、抱き締めます。何か言うよりも先に。多分勝手に、身体が動きますね。
だってずっと離れ離れって、凄く寂しいじゃないですか。だから何と言うか……やっと会えたんだ! って事を感じる為にまず、抱き締めます」
「一条さんのその考え方、凄く素敵だと思う。そっか……抱き締めるか」
「はい。リシェルさん、レインさんに会えたらギュッと、抱き締めてあげて下さい。それで大体上手く行きますよ。きっと」
「うん……ありがとう、一条さん。会えるかな、レインに、また」
「必ず会えますよ。信じていれば、必ず」
「まぁ、何はともあれ、貴方とリシェルさんが再会出来る事を心から願ってるわ」
「済まないな。妙な心配を掛けて」
「皮肉でも何でもなく、本当に出会えたら良いわね。あまりいい加減な事も言えないけど、とにかく諦めなきゃ会えるわよ。多分」
「諦めるつもりなんて毛頭無いさ。リシェルに出会う日まで、私は生き続ける……。さて、そろそろ出掛けようか」
二人同時にアイスを食べ終わり、遥とリシェルは屋台を後にする。リシェルの過去も聞けたし、アイスも美味しかったしで遥にとっては満足のいく結果となった。
遥の頭の中ではすっかり、あの疑惑は影も形も無くなっている。それどころか、一瞬でもリシェルの事を疑っていた自分にパンチしてやりたい気分だ。我ながら調子が良い。
今ではリシェルが、レインと再会出来る日を心より願っている自分が居る。その為に何か協力したい、とさえ思っている自分もいる。
時間帯はそろそろ昼頃、人混みが多くなってきた中で、スキップ交じりに身軽な歩調で前を歩くリシェルを見て、遥は改めてそう思う。
「あ、そうだそうだ」
ふいにリシェルが足を止めて、振り返った。明るく爛漫な笑顔を浮かべ、遥に聞いてくる。
「一条さん、私の貸したあの本、読んでくれた?」
あの本? と聞かれ、遥はすぐさま記憶を手繰り寄せる。そういえば……。
確かリシェルと初めて出会ったあの日、美しい世界というタイトルの本を渡されたのだ。あの時の本を紹介するリシェルの目は偉く輝いていた事を遥は覚えている。
色々と忙しくて、まだまともに読めていなかった。少し心苦しいものの、まだちゃんと読めてないと遥が答えようとした、時。
遥の両目に、リシェルの背後に忍び寄る大きな影が映った。影、というより、真っ黒なローブを着込み、頭部をフードで隠している人物が、映った。
こんな炎天下だというのに、その人物は顔を隠す所か、自らの存在を隠す様な衣装を着ており、明らかに周囲から浮いている。
行き交っている人々の中で、その人だけが明らかに異端、いや、異常な雰囲気を放っている事に遥はとてつもなく不吉な物を感じる。いや、感じるまでもない。
人物はまっすぐ、リシェルに向かって小走りしてくる。明確な殺意を纏わせながら。
背後にそんな存在が迫っているにも拘らず、リシェルは浮かれている為だろうか、その存在に全く気付く様子が無く、遥の返事を待ち続けている。
するとその存在は、ローブに隠されていた右腕を周囲から見えぬ様、だが遥には僅かに見える程度に晒した。
そこに見えるは、鈍く銀色の光を宿らせる刃――――――――。
「リシェルさん!」
beautiful world
第19話
姉妹
遥の叫び声が、レイチェルに響いた。
次回、第20話 第三部開始
「嘘」