それは少年が初めて経験した『真の勝利』だった。
「ついにタナトスvsオルフェウス、決着ゥウウウッ! アンビリバブルなことに、女神は挑戦者にほほ笑んだ!」
会場が震えるほどの歓声を、さらに上回るほどの大声で叫ぶ実況。そしてさらにそれをかき消すマコトの雄叫び。
マコトは全身に高圧電流を流されたような激しい感覚に酔っていた。努力と苦難の果てに掴んだ勝利は
それほどの美酒だった。
しかしいつまでもそうしてはいられない。酔いが醒めたきっかけはスピーカーからの声だった。
「おめでとう、おめでとう」
いつもどこか人を小馬鹿にしたような、鼻につく、嗄れた声。コラージュだ。
「おめでとうオルフェウス。君はこれでタルタロスナンバーワンだ。」
その声にマコトの高揚した精神は一気に反転し、代わりにとてつもなく不快な感情が襲ってくる。
冷水を頭に被せられたような気分だった。
「さて、敗北の気分はどうだい、タナトス?」
コラージュの声が筺体の向こう側へ向く。マコトもモニター越しに彼女を見た。
「意外と悪くないな。途中あれだけ不愉快だった怒りもいつの間にか無くなっている。」
「それは良かった。」
するとモニターの画面が切り替わり、今度はコラージュの顔が大映しになる。その表情は笑っているように見えた。
「さてオルフェウス、君にはご褒美だ。権利をあげよう。『願いを叶える権利』を。」
途端に静まりかえる会場。マコトは乾いたノドを唾で湿らせた。
願いは決まっている――そのために戦ってきたんだから。
しかしマコトには引っかかることがあった。
(コラージュのあの余裕、どういうことだ……?)
画面のコラージュはいつもの通りで、とても今から自らの寄る辺を失う者には見えない。
まさか何かすでに対策を打ってあるのか。
不安が舌に絡みついてくる。疲労した神経が今さら腕をしびれさせる。
だがここまできて今さら他の選択肢も無い。マコトは力を振り絞って視線を上げた――そのときだった。
言葉を失った。
画面には笑顔のコラージュが映っている。彼はなぜか口に1枚の写真の端をくわえていた。
一瞬、マコトにはそれが意味するところが解らなかったが、すぐに理解した。
その写真はある少女の姿を撮影したものだった。見覚えがある……!
「それ……!」
するとコラージュは大げさな素振りで、まるで今気づいたかのような声をあげる。
「うわぁーなんだこの女の子はーオルフェウスくんこの娘知ってるー?」
マコトは奥歯を噛みしめ、敵意を剥き出しにしてコラージュを睨みつけた。
あの写真に写っているのは……ユウスケの妹だ。
「クソヤロウがッ!」
吠える。コラージュは嘲笑で返した。
「さて、どうするんだい?」
マコトはためらう。まさかここでコラージュが人質をとってくるとは。判断に困ったので目線を観客席にやって
アヤカさんを探すが、見つからない。自分で決めるしかないのか。
――いや、なにを弱気になっているんだ。ここまできて退くなんてない、そうさっきも思ったろう。
しかし……
「だんまりかい? さぁ、はやく言いなって。」
コラージュは優しくそう語りかけてくる。マコトはイラつく感情を抑えてコラージュを睨み返し、
ついに願いを口にした――しようとした。
観客たちとマコトの目に飛び込んだのは理解しがたい映像だった。
「え」
コラージュはそう小さく言って、吐血した。背後からの手で押さえつけられた口元から、
鮮やかな血が溢れ出る。彼の左胸にはいつのまにかナイフが突き立てられていて、
そこから上等なスーツにじわじわと赤い染みを広げていた。
マコトたちは絶句する。
コラージュは最後の力で後ろを振り向こうとするが、その前に側頭部を背後の人間に思いきり肘でうたれ、
画面外に倒れて消えた。
背後の人物の姿はカメラの前に晒されたが、未だ顔は見えない。パーカーのフードを目深にかぶった下に、
更に犬のマスクをかぶっていたからだ。彼は無言でカメラを一瞥し、手を差し伸べる。マコトは直感的に、
今だ、と理解した。
筐体の向こう、佇むタナトスを指さして、マコトは宣言する!
「俺がタルタロスに望むのは、この犯罪組織の、永久の解散だ。
未来永劫にわたって、二度と姿を見せるんじゃない!」
それが崩壊の始まりだった。
画面の向こうの犬マスクは、コラージュから奪い取ったスイッチを押す。
それはタルタロスの終わりを告げるスイッチだった。
スイッチが押されると共に、タルタロスへ繋がる全てのネットワークが切断され、
コンピュータ内の記録媒体が焼ききれる。
ゲームの電源は落ち、照明はオレンジ色の非常灯に切り替わった。
同時に観客席の入り口から上がる威嚇する声。
「警察だ! ここにいる全員、違法賭博の現行犯で逮捕する!」
騒然とする会場。入り口を塞ぐように整列しているのは、私服警官たちと、
警察手帳を掲げたアヤカ・コンドウだった。
「発砲許可は下りている! 怪我が嫌なら這いつくばれ!」
号令と共に銃を構える警官たち。会場はパニックになった。
アヤカはさらにインカムで機動隊突入の支持を出す。すでにタルタロスの全ての出口の前に待機していた部隊は
ついに突入した。
今までのとは異なる種類の怒号と悲鳴と絶叫の渦の中、マコトはどうしたらいいかわからなかったが、
混乱した観客たちが金網をやぶらんばかりの勢いでぶつかってくるのに危険を感じ、入場口に向かって走り出した。
「ついにタナトスvsオルフェウス、決着ゥウウウッ! アンビリバブルなことに、女神は挑戦者にほほ笑んだ!」
会場が震えるほどの歓声を、さらに上回るほどの大声で叫ぶ実況。そしてさらにそれをかき消すマコトの雄叫び。
マコトは全身に高圧電流を流されたような激しい感覚に酔っていた。努力と苦難の果てに掴んだ勝利は
それほどの美酒だった。
しかしいつまでもそうしてはいられない。酔いが醒めたきっかけはスピーカーからの声だった。
「おめでとう、おめでとう」
いつもどこか人を小馬鹿にしたような、鼻につく、嗄れた声。コラージュだ。
「おめでとうオルフェウス。君はこれでタルタロスナンバーワンだ。」
その声にマコトの高揚した精神は一気に反転し、代わりにとてつもなく不快な感情が襲ってくる。
冷水を頭に被せられたような気分だった。
「さて、敗北の気分はどうだい、タナトス?」
コラージュの声が筺体の向こう側へ向く。マコトもモニター越しに彼女を見た。
「意外と悪くないな。途中あれだけ不愉快だった怒りもいつの間にか無くなっている。」
「それは良かった。」
するとモニターの画面が切り替わり、今度はコラージュの顔が大映しになる。その表情は笑っているように見えた。
「さてオルフェウス、君にはご褒美だ。権利をあげよう。『願いを叶える権利』を。」
途端に静まりかえる会場。マコトは乾いたノドを唾で湿らせた。
願いは決まっている――そのために戦ってきたんだから。
しかしマコトには引っかかることがあった。
(コラージュのあの余裕、どういうことだ……?)
画面のコラージュはいつもの通りで、とても今から自らの寄る辺を失う者には見えない。
まさか何かすでに対策を打ってあるのか。
不安が舌に絡みついてくる。疲労した神経が今さら腕をしびれさせる。
だがここまできて今さら他の選択肢も無い。マコトは力を振り絞って視線を上げた――そのときだった。
言葉を失った。
画面には笑顔のコラージュが映っている。彼はなぜか口に1枚の写真の端をくわえていた。
一瞬、マコトにはそれが意味するところが解らなかったが、すぐに理解した。
その写真はある少女の姿を撮影したものだった。見覚えがある……!
「それ……!」
するとコラージュは大げさな素振りで、まるで今気づいたかのような声をあげる。
「うわぁーなんだこの女の子はーオルフェウスくんこの娘知ってるー?」
マコトは奥歯を噛みしめ、敵意を剥き出しにしてコラージュを睨みつけた。
あの写真に写っているのは……ユウスケの妹だ。
「クソヤロウがッ!」
吠える。コラージュは嘲笑で返した。
「さて、どうするんだい?」
マコトはためらう。まさかここでコラージュが人質をとってくるとは。判断に困ったので目線を観客席にやって
アヤカさんを探すが、見つからない。自分で決めるしかないのか。
――いや、なにを弱気になっているんだ。ここまできて退くなんてない、そうさっきも思ったろう。
しかし……
「だんまりかい? さぁ、はやく言いなって。」
コラージュは優しくそう語りかけてくる。マコトはイラつく感情を抑えてコラージュを睨み返し、
ついに願いを口にした――しようとした。
観客たちとマコトの目に飛び込んだのは理解しがたい映像だった。
「え」
コラージュはそう小さく言って、吐血した。背後からの手で押さえつけられた口元から、
鮮やかな血が溢れ出る。彼の左胸にはいつのまにかナイフが突き立てられていて、
そこから上等なスーツにじわじわと赤い染みを広げていた。
マコトたちは絶句する。
コラージュは最後の力で後ろを振り向こうとするが、その前に側頭部を背後の人間に思いきり肘でうたれ、
画面外に倒れて消えた。
背後の人物の姿はカメラの前に晒されたが、未だ顔は見えない。パーカーのフードを目深にかぶった下に、
更に犬のマスクをかぶっていたからだ。彼は無言でカメラを一瞥し、手を差し伸べる。マコトは直感的に、
今だ、と理解した。
筐体の向こう、佇むタナトスを指さして、マコトは宣言する!
「俺がタルタロスに望むのは、この犯罪組織の、永久の解散だ。
未来永劫にわたって、二度と姿を見せるんじゃない!」
それが崩壊の始まりだった。
画面の向こうの犬マスクは、コラージュから奪い取ったスイッチを押す。
それはタルタロスの終わりを告げるスイッチだった。
スイッチが押されると共に、タルタロスへ繋がる全てのネットワークが切断され、
コンピュータ内の記録媒体が焼ききれる。
ゲームの電源は落ち、照明はオレンジ色の非常灯に切り替わった。
同時に観客席の入り口から上がる威嚇する声。
「警察だ! ここにいる全員、違法賭博の現行犯で逮捕する!」
騒然とする会場。入り口を塞ぐように整列しているのは、私服警官たちと、
警察手帳を掲げたアヤカ・コンドウだった。
「発砲許可は下りている! 怪我が嫌なら這いつくばれ!」
号令と共に銃を構える警官たち。会場はパニックになった。
アヤカはさらにインカムで機動隊突入の支持を出す。すでにタルタロスの全ての出口の前に待機していた部隊は
ついに突入した。
今までのとは異なる種類の怒号と悲鳴と絶叫の渦の中、マコトはどうしたらいいかわからなかったが、
混乱した観客たちが金網をやぶらんばかりの勢いでぶつかってくるのに危険を感じ、入場口に向かって走り出した。
タナトス――ミコト・イナバはコラージュが駄目になったことには少し驚いたが、
万一の想定通りにアクションを起こすことにした。
物憂げに首をかしげ、打ち鳴らされる金網と降り注ぐ侮蔑の言葉も無視し、
少女の死体のそばの小型拳銃を拾い上げて、いつもと変わらない様子で入場口へ歩いていく。
扉を開けると、長い廊下の先の曲がり角から大勢の人間の足音が近づいてきているのがわかった。
警察か暴徒か判らないが、どっちでも同じか。
ミコトは落ち着いた動作で廊下の角の小さな床板を持ち上げ、スライドさせた。
その下には細長い通路が開いている。これは万一を考えて作っておいた秘密の逃げ道のひとつで、
コラージュと自分しか知らない道だ。ミコトはそこに滑り込み、素早く入り口を塞いだ。
そばに備え付けの懐中電灯を拾って点ける。
暗く狭い通路を歩く間もミコトはこれっぽっちも焦ってはいなかった。望むものは手に入れたのだし、
もともとこの組織に愛着も無い。このまま逃げおおせて、どこか外国で静かに暮らそう。
彼女は歩きながらそんなことを考えていた。
隠し通路はやがて少し広い通路に繋がる。ここもやはり隠し通路で、地下都市建設当時の名残であり、
タルタロス施設の最深部のさらに下を通っている道だ。この道は様々な地下鉄や地下施設を繋ぎ繋ぎで伸びていて、
最果てはとある廃ビルの物置きに出るようになっている。
全長数十キロの道のりを歩くのはなかなかに辛いが、まぁ仕方がない。
足を踏み出したそのとき――
ミコトは何者かの気配を感じて立ち止まった。
通路の暗がりから何かがこちらを見ている。
警察か? いや、それならもう何らかの警告がされているはず。
それに……どうやら、相手はひとりのようだ。
「用があるなら手短にすませてくれない?」
そう言って懐中電灯を前方に放り、同時に拳銃を構えて臨戦態勢に入る。
床を転がる懐中電灯はやがて相手のつま先にぶつかって、その姿を照らし出した。
「手短に、はちょっと無理かな」
暗闇から現れたのは、先程コラージュを刺した、犬マスクの怪人だった。彼の手にはナイフが握られている。
ミコトはそれ以上は相手の言葉を待たずに発砲した。撃たれた衝撃で怪人の身体はぐるりと回る。
仰向けに倒れる怪人。ミコトは銃を下ろし、死体のそばに転がる懐中電灯を拾い上げようとする。
その瞬間だった。
いきなり怪人が動き出して伸ばした手を掴まれる!
ミコトは反射的に銃を構えようとするが、その前に床に引き倒された。
体制を立て直す間もなく、怪人に馬のりにされるミコト。怪人はナイフを彼女の首に当てた。
「殺す判断に躊躇いがない……さすがタナトス」
怪人はナイフを当てたまま、マスクを脱ぎ捨てた。
「久しぶりだね」
「お前は……キムラ!」
マスクの下から現れた顔はコウタ・キムラだった。彼はポケットから眼鏡をとりだし、身につける。
そのときにパーカーの下に着込んだ防弾チョッキがミコトには見えた。
「ここでは『ケルベロス』、だろ?」
キムラは言う。
ミコトはもがいたが、膝で的確に関節を押さえつけられていて、とてもはねのけられそうにない。
「貴様、なぜ……?」
ミコトの問いにキムラは冷酷な微笑とともに答えた。
「知ってるだろ? ケルベロスは、タルタロスから逃れようとするものを決して逃さない……」
「だったら離せ。タルタロスはもう無い。」
「冗談に決まってるじゃん、馬鹿か。」
そう言ってキムラはポケットから今度は小さな瓶をとりだし、指で蓋を開けると、その口をミコトの口元に近づける。
「暴れたら首がスパッといくよ。」
しかしミコトは口を固く閉じ、瓶の中身を受け入れようとはしない。
それを見たキムラは仕方がないとばかりに中身を自分の口に含むと、瓶を投げ捨てて、
自由になった手でミコトの顎を無理やり開き、口移しで中の薬品を彼女に飲ませた。
すると、ミコトの意識は速やかに混濁していく。手足から力が抜けたことを感じてから、
キムラはミコトの上からどいた。
それから、通路のさらに奥から現れた、活躍の場が無くなって不満そうな様子の仲間たちに
ミコトの身体を背負うように指示する。
最後にキムラは通信機を取りだした。
万一の想定通りにアクションを起こすことにした。
物憂げに首をかしげ、打ち鳴らされる金網と降り注ぐ侮蔑の言葉も無視し、
少女の死体のそばの小型拳銃を拾い上げて、いつもと変わらない様子で入場口へ歩いていく。
扉を開けると、長い廊下の先の曲がり角から大勢の人間の足音が近づいてきているのがわかった。
警察か暴徒か判らないが、どっちでも同じか。
ミコトは落ち着いた動作で廊下の角の小さな床板を持ち上げ、スライドさせた。
その下には細長い通路が開いている。これは万一を考えて作っておいた秘密の逃げ道のひとつで、
コラージュと自分しか知らない道だ。ミコトはそこに滑り込み、素早く入り口を塞いだ。
そばに備え付けの懐中電灯を拾って点ける。
暗く狭い通路を歩く間もミコトはこれっぽっちも焦ってはいなかった。望むものは手に入れたのだし、
もともとこの組織に愛着も無い。このまま逃げおおせて、どこか外国で静かに暮らそう。
彼女は歩きながらそんなことを考えていた。
隠し通路はやがて少し広い通路に繋がる。ここもやはり隠し通路で、地下都市建設当時の名残であり、
タルタロス施設の最深部のさらに下を通っている道だ。この道は様々な地下鉄や地下施設を繋ぎ繋ぎで伸びていて、
最果てはとある廃ビルの物置きに出るようになっている。
全長数十キロの道のりを歩くのはなかなかに辛いが、まぁ仕方がない。
足を踏み出したそのとき――
ミコトは何者かの気配を感じて立ち止まった。
通路の暗がりから何かがこちらを見ている。
警察か? いや、それならもう何らかの警告がされているはず。
それに……どうやら、相手はひとりのようだ。
「用があるなら手短にすませてくれない?」
そう言って懐中電灯を前方に放り、同時に拳銃を構えて臨戦態勢に入る。
床を転がる懐中電灯はやがて相手のつま先にぶつかって、その姿を照らし出した。
「手短に、はちょっと無理かな」
暗闇から現れたのは、先程コラージュを刺した、犬マスクの怪人だった。彼の手にはナイフが握られている。
ミコトはそれ以上は相手の言葉を待たずに発砲した。撃たれた衝撃で怪人の身体はぐるりと回る。
仰向けに倒れる怪人。ミコトは銃を下ろし、死体のそばに転がる懐中電灯を拾い上げようとする。
その瞬間だった。
いきなり怪人が動き出して伸ばした手を掴まれる!
ミコトは反射的に銃を構えようとするが、その前に床に引き倒された。
体制を立て直す間もなく、怪人に馬のりにされるミコト。怪人はナイフを彼女の首に当てた。
「殺す判断に躊躇いがない……さすがタナトス」
怪人はナイフを当てたまま、マスクを脱ぎ捨てた。
「久しぶりだね」
「お前は……キムラ!」
マスクの下から現れた顔はコウタ・キムラだった。彼はポケットから眼鏡をとりだし、身につける。
そのときにパーカーの下に着込んだ防弾チョッキがミコトには見えた。
「ここでは『ケルベロス』、だろ?」
キムラは言う。
ミコトはもがいたが、膝で的確に関節を押さえつけられていて、とてもはねのけられそうにない。
「貴様、なぜ……?」
ミコトの問いにキムラは冷酷な微笑とともに答えた。
「知ってるだろ? ケルベロスは、タルタロスから逃れようとするものを決して逃さない……」
「だったら離せ。タルタロスはもう無い。」
「冗談に決まってるじゃん、馬鹿か。」
そう言ってキムラはポケットから今度は小さな瓶をとりだし、指で蓋を開けると、その口をミコトの口元に近づける。
「暴れたら首がスパッといくよ。」
しかしミコトは口を固く閉じ、瓶の中身を受け入れようとはしない。
それを見たキムラは仕方がないとばかりに中身を自分の口に含むと、瓶を投げ捨てて、
自由になった手でミコトの顎を無理やり開き、口移しで中の薬品を彼女に飲ませた。
すると、ミコトの意識は速やかに混濁していく。手足から力が抜けたことを感じてから、
キムラはミコトの上からどいた。
それから、通路のさらに奥から現れた、活躍の場が無くなって不満そうな様子の仲間たちに
ミコトの身体を背負うように指示する。
最後にキムラは通信機を取りだした。
「――こちら『K』。目標は確保しました。」
「そう、ご苦労様。では後ほど。」
アヤカは通信機にそう返事しつつも歩みは止めない。
タルタロス内部の混乱は早くも鎮まりつつあった。それは機動隊や警官隊の的確な対応と、
タルタロスが解散したことによる精神的な打撃の効果が大きかったからなのだが、アヤカは不満だった。
(もう少し混乱は続くと思ったけれど……意外と根性無しばかりね)
彼女は通信機をしまって、目的の部屋に辿り着く。その部屋はすで警官たちに制圧されていた。
「コラージュは? 見つかった?」
「いいえ、我々が突入したときにはもぬけの殻でした。」
「そう……」
アヤカは辺りを見渡した。キムラがこの部屋でコラージュを刺したのは見ていたし、
それから警官たちがこの部屋にくるまで数分しか無かったはずだ。出入り口は封鎖しているし……となると、
やはりあそこか。
(この部屋にも隠し通路があるのね……)
キムラとマコトの情報を合わせて彼女が独自に作った、正確なタルタロス施設の地図は、
部屋と部屋の間の不自然な空間を炙りだしていた。その空間がこの手の施設にはお決まりの隠し通路だということを
見抜いたアヤカは、あえて警官たちにはその情報を与えず、キムラを配置してタナトスを捕まえる場所としたのだった。
(隠し通路を教えたら私の目的が達成できないし……しかしコラージュを逃がすのは……)
少し彼女は悩む。だが直後入ってきた通信にアヤカは意識を向けた。
「こちらA班、アマギ少年を保護。指示を頼む。」
「少年は本部へ移送。制圧の完了度合いを報告せよ。」
「地上施設は全て制圧。地下施設は現時点で7割程度完了しています。」
「何か問題はあるか。」
「手錠の数が足りません、近くの交番からも引っ張ってきてください。」
「了解。通信終わる。」
「了解。」
小さく舌打ちするアヤカ。警官たちが優秀すぎて鎮圧までの時間が予想よりも短い。
これではコラージュをキムラに探してもらうことも無理そうだ。
コラージュのほうは諦めるしかないか。組織の頭を押さえられなかったのは痛いが、
これだけ大量の検挙者をあげられたんだ、問題は無いだろう。
部屋を出たアヤカは、ひとりになったときを見計らってキムラ用の通信機を踏みつぶす……。
「そう、ご苦労様。では後ほど。」
アヤカは通信機にそう返事しつつも歩みは止めない。
タルタロス内部の混乱は早くも鎮まりつつあった。それは機動隊や警官隊の的確な対応と、
タルタロスが解散したことによる精神的な打撃の効果が大きかったからなのだが、アヤカは不満だった。
(もう少し混乱は続くと思ったけれど……意外と根性無しばかりね)
彼女は通信機をしまって、目的の部屋に辿り着く。その部屋はすで警官たちに制圧されていた。
「コラージュは? 見つかった?」
「いいえ、我々が突入したときにはもぬけの殻でした。」
「そう……」
アヤカは辺りを見渡した。キムラがこの部屋でコラージュを刺したのは見ていたし、
それから警官たちがこの部屋にくるまで数分しか無かったはずだ。出入り口は封鎖しているし……となると、
やはりあそこか。
(この部屋にも隠し通路があるのね……)
キムラとマコトの情報を合わせて彼女が独自に作った、正確なタルタロス施設の地図は、
部屋と部屋の間の不自然な空間を炙りだしていた。その空間がこの手の施設にはお決まりの隠し通路だということを
見抜いたアヤカは、あえて警官たちにはその情報を与えず、キムラを配置してタナトスを捕まえる場所としたのだった。
(隠し通路を教えたら私の目的が達成できないし……しかしコラージュを逃がすのは……)
少し彼女は悩む。だが直後入ってきた通信にアヤカは意識を向けた。
「こちらA班、アマギ少年を保護。指示を頼む。」
「少年は本部へ移送。制圧の完了度合いを報告せよ。」
「地上施設は全て制圧。地下施設は現時点で7割程度完了しています。」
「何か問題はあるか。」
「手錠の数が足りません、近くの交番からも引っ張ってきてください。」
「了解。通信終わる。」
「了解。」
小さく舌打ちするアヤカ。警官たちが優秀すぎて鎮圧までの時間が予想よりも短い。
これではコラージュをキムラに探してもらうことも無理そうだ。
コラージュのほうは諦めるしかないか。組織の頭を押さえられなかったのは痛いが、
これだけ大量の検挙者をあげられたんだ、問題は無いだろう。
部屋を出たアヤカは、ひとりになったときを見計らってキムラ用の通信機を踏みつぶす……。
マコト・アマギは警官に一度手錠をかけられ、他の大勢と同じように床に押しつけられそうになったが、
すぐに別の警官が気づいて開放された。
施設内の嵐は早くもおさまりつつある。マコトはふと、ミコトのことが気になった。
彼女も観客や職員たちと同様に手錠をかけられ、床に這わされているのだろうか。……想像がつかない。
だがこれで彼女もついに檻の中だ。刑務所できちんと罪を償って欲しい。
長くかかるだろうが、これでいいはずだ……。
マコトは警官に促され、タルタロスから連れ出される。
前線基地として使われているエリュシオン4階の、例の人形が居る広い空き部屋を抜け、
警官たちが走り回るゲームセンターを抜け、土砂降りの駐車場へ出る。
停車していた多くパトカーのうちの一台へ小走りで連れられ、乗せられた。そんな中、
ドアが閉まる瞬間に後ろを振り向いたマコトが見たタルタロスはまるで何かの抜け殻のようだった。
パトカーはすぐに動き出す。
すぐに別の警官が気づいて開放された。
施設内の嵐は早くもおさまりつつある。マコトはふと、ミコトのことが気になった。
彼女も観客や職員たちと同様に手錠をかけられ、床に這わされているのだろうか。……想像がつかない。
だがこれで彼女もついに檻の中だ。刑務所できちんと罪を償って欲しい。
長くかかるだろうが、これでいいはずだ……。
マコトは警官に促され、タルタロスから連れ出される。
前線基地として使われているエリュシオン4階の、例の人形が居る広い空き部屋を抜け、
警官たちが走り回るゲームセンターを抜け、土砂降りの駐車場へ出る。
停車していた多くパトカーのうちの一台へ小走りで連れられ、乗せられた。そんな中、
ドアが閉まる瞬間に後ろを振り向いたマコトが見たタルタロスはまるで何かの抜け殻のようだった。
パトカーはすぐに動き出す。
――駐車場から道路に出る瞬間、ガラス越しに目についたあの街灯の下には、誰も居なかった。
翌日。
留置場で一夜を過ごして、事情聴取を終えたマコトは、とりあえず家に帰れることになった。
迎えに来た両親は家につくまではほぼ無言だったが、リビングに入った途端、床に泣きくずれた。
父も母も、戸惑うマコトの頬を殴りつけ、大きな声でマコトを叱りつけてくる。
それはマコトにとっては予想できなかったことで、しばし呆然としていたが、状況が理解できてくると、
彼の目からも涙がこぼれた。
マコトはやっと気づいたのだった。
留置場で一夜を過ごして、事情聴取を終えたマコトは、とりあえず家に帰れることになった。
迎えに来た両親は家につくまではほぼ無言だったが、リビングに入った途端、床に泣きくずれた。
父も母も、戸惑うマコトの頬を殴りつけ、大きな声でマコトを叱りつけてくる。
それはマコトにとっては予想できなかったことで、しばし呆然としていたが、状況が理解できてくると、
彼の目からも涙がこぼれた。
マコトはやっと気づいたのだった。
透明な箱の中、ハヤタ・ツカサキは退屈していた。
この何も無い日々は彼には苦痛でしかなかった。
ただ毎日起き、食事をして、筋トレでもして時間を潰し、規定の時間に寝る。
今のこの生活は、すでに生きる目的を達成した彼にとっては余生だ。
彼はそんなものをだらだらと送るつもりは無かった。
もしもできるなら今すぐにでも自殺したい。死刑の執行が待ち遠しくて仕方がない。
目的の無い人生なんて拷問だ。
……こういうときに、ミコトが言っていた、生きることそれ自体の理由が分かっていたら、
違うのかもしれないが……。
そんなことを思っていると、突然監視カメラのスピーカーから面会を知らせる声がする。
唯一の楽しみと言えば、彼女をからかうくらいかな。
顔を上げ、ガラスに近づいて彼女――アヤカ・コンドウを迎える。
「よう、久しぶり。」
声をかけられて、彼女は微笑んだ。随分機嫌がいいようだ。ということは、もしかして……
「まさか、タルタロスをやったのか?」
「ええ、苦労したわよ。」
「マジかよ! 信じられねぇ!」
ツカサキは興奮して飛び跳ねる。アヤカはそんな彼を見て眉をしかめた。
「この国の警察も捨てたもんじゃないな。どうやったんだ?」
「毒を征すには毒。」
「蛇の道は蛇ってか。違う犯罪組織のやつでも抱え込んだか?
ああ、そうだ、この前あんたが話していたーー『キムラ』か? アイツを使ったのか?」
「相変わらず良くまわる頭ね。ネジが外れているのが残念だわ。」
「なるほど、タルタロスを倒す武器を手に入れるためにタルタロス自身すら利用したのか。
よくそんな外道な手段思いつくなぁ。俺にはとてもできねーぜ。」
「どの口で言うのかしらね。」
2人は笑う。しかしその眼だけはしっかりと相手を見据えている。
「……で、アイツはどうなった?」
「イナバのこと?」
挑発するような表情をするアヤカ。
「……まさか、アイツがすんなり警察に捕まるわけないだろ?」
「ええ、そうね。彼女は未だに行方不明。」
「そうか……」
肩をすくめるアヤカを見て、ツカサキは少し安堵する。その心理的に無防備な瞬間に、アヤカは牙をむいた。
「そうそう、あなたにプレゼントがあるの。」
「……プレゼント?」
「そう、あなたの大切な人から。」
アヤカがポケットからなにか小さなものを取り出し、ガラス箱の食事を受け渡す用の隙間に置く。
それは手のひらにすっぽり収まるほど小さな、透明な立方体で、中に球体が閉じ込められているのが見える。
受け取って、その球体の正体を知ったとき、ツカサキは驚愕した。
アヤカはまた微笑む。
「『あなたを待っている』だって。」
「うわあああああああッ!?」
絶叫するツカサキ。
その手の中にある立方体に閉じ込められていたのは、元々自分のもので、ミコトにあげたはずのもの――!
「おまえぇ!」
ガラス面を全力で殴りつけるツカサキ。だがガラスはビクともせず、なおも箱の内側と外側を隔て続ける。
「殺してやる! お前を殺してやる! なぜお前は生きている! 人殺し! クズ! ああ――!
ミコトを返せ! アイツを――!」
叫びながらツカサキは殴り続けるが、拳の先の皮膚が破れ、飛び散った血で周囲が赤く染まっても、強化ガラスには傷ひとつつかない。
アヤカ・コンドウはそんな彼をいかにも愉快そうに見上げ、そして最後にこう言った。
「これが私の復讐よ。死刑執行の日まで、私への殺意に身を焦がしなさい……!」
ツカサキは、また、絶叫した……。
この何も無い日々は彼には苦痛でしかなかった。
ただ毎日起き、食事をして、筋トレでもして時間を潰し、規定の時間に寝る。
今のこの生活は、すでに生きる目的を達成した彼にとっては余生だ。
彼はそんなものをだらだらと送るつもりは無かった。
もしもできるなら今すぐにでも自殺したい。死刑の執行が待ち遠しくて仕方がない。
目的の無い人生なんて拷問だ。
……こういうときに、ミコトが言っていた、生きることそれ自体の理由が分かっていたら、
違うのかもしれないが……。
そんなことを思っていると、突然監視カメラのスピーカーから面会を知らせる声がする。
唯一の楽しみと言えば、彼女をからかうくらいかな。
顔を上げ、ガラスに近づいて彼女――アヤカ・コンドウを迎える。
「よう、久しぶり。」
声をかけられて、彼女は微笑んだ。随分機嫌がいいようだ。ということは、もしかして……
「まさか、タルタロスをやったのか?」
「ええ、苦労したわよ。」
「マジかよ! 信じられねぇ!」
ツカサキは興奮して飛び跳ねる。アヤカはそんな彼を見て眉をしかめた。
「この国の警察も捨てたもんじゃないな。どうやったんだ?」
「毒を征すには毒。」
「蛇の道は蛇ってか。違う犯罪組織のやつでも抱え込んだか?
ああ、そうだ、この前あんたが話していたーー『キムラ』か? アイツを使ったのか?」
「相変わらず良くまわる頭ね。ネジが外れているのが残念だわ。」
「なるほど、タルタロスを倒す武器を手に入れるためにタルタロス自身すら利用したのか。
よくそんな外道な手段思いつくなぁ。俺にはとてもできねーぜ。」
「どの口で言うのかしらね。」
2人は笑う。しかしその眼だけはしっかりと相手を見据えている。
「……で、アイツはどうなった?」
「イナバのこと?」
挑発するような表情をするアヤカ。
「……まさか、アイツがすんなり警察に捕まるわけないだろ?」
「ええ、そうね。彼女は未だに行方不明。」
「そうか……」
肩をすくめるアヤカを見て、ツカサキは少し安堵する。その心理的に無防備な瞬間に、アヤカは牙をむいた。
「そうそう、あなたにプレゼントがあるの。」
「……プレゼント?」
「そう、あなたの大切な人から。」
アヤカがポケットからなにか小さなものを取り出し、ガラス箱の食事を受け渡す用の隙間に置く。
それは手のひらにすっぽり収まるほど小さな、透明な立方体で、中に球体が閉じ込められているのが見える。
受け取って、その球体の正体を知ったとき、ツカサキは驚愕した。
アヤカはまた微笑む。
「『あなたを待っている』だって。」
「うわあああああああッ!?」
絶叫するツカサキ。
その手の中にある立方体に閉じ込められていたのは、元々自分のもので、ミコトにあげたはずのもの――!
「おまえぇ!」
ガラス面を全力で殴りつけるツカサキ。だがガラスはビクともせず、なおも箱の内側と外側を隔て続ける。
「殺してやる! お前を殺してやる! なぜお前は生きている! 人殺し! クズ! ああ――!
ミコトを返せ! アイツを――!」
叫びながらツカサキは殴り続けるが、拳の先の皮膚が破れ、飛び散った血で周囲が赤く染まっても、強化ガラスには傷ひとつつかない。
アヤカ・コンドウはそんな彼をいかにも愉快そうに見上げ、そして最後にこう言った。
「これが私の復讐よ。死刑執行の日まで、私への殺意に身を焦がしなさい……!」
ツカサキは、また、絶叫した……。