最初にそれとわかったのは、女木戸市の全景だった。
私は高い場所から女木戸市内を見下ろしていた。天気は良く、雲ひとつない青空からはいかにも
暖かそうな陽光が降り注いでいるのが見て取れた。
私は水晶玉から視線を外し、八意に尋ねる。
「これはいつ頃の私の視界ですか?」
「ベッドに運び込まれる約12時間前だ。世界の差異は極小に留めてあるから、
この世界の過去とのズレはせいぜいがまばたきの回数くらいだろう」
私はまた水晶玉を見た。この風景は知っている。
(織星山の展望台だ……)
またあの場所か、という思いが頭をよぎる。
そのとき、私のそばで八意が動いたのがわかった。
「私はしばらく席を外させてもらう。終わったころに戻ってくるからな」
「え、それはどうして?」
しかし私が彼の方を振り向いたときには彼はすでにこちらに背を向けていた。
「他人のプライベートを覗き見する趣味はないのだよ」
そのまま部屋の闇の中に溶け込んでいく八意。
私はとりあえずまた水晶玉を覗く。
私の視界はひとしきり風景を眺めたあと、後ろから名前を呼ばれて振り向いた。
その声には聞き覚えがあり、私は心がズキリと傷んだ。
(耕平の声だ……)
振り向くと、三脚付きのカメラをかまえてこちらを狙っている天照耕平の姿が見えた。
彼と私の間にはハーレーも停まっていて、その構図から、私はかつて見た写真撮影のシーンだと気づく。
視界の中で耕平は私に笑顔で話しかけ、私も楽しげな声で応えている。それは私の記憶にもある会話だった。
胸がシクシクと痛みだし、私は床に膝をかかえて座り込んだ。
(これは……そうだ……この日、私は彼と……)
「久しぶりのデートだったんだ……」
ぽつりとつぶやく。
ぼんやりだが思い出してきた。
この日私は久しぶりのデートということで、いつもより気合を入れていたんだ。
(事前に新しい服を買って、メイクも頑張って、朝早く美容院に行って……)
ひとつの記憶を取り戻すたびに胸の痛みが強くなる。
私は目が潤っていくのがわかった。
水晶玉の中の私は耕平とキスをしていた。きっと抱きしめられていたはずだ。
肩と背中に彼の腕の感触を思い出そうとして、私はそこに触れた。
私はその後彼の運転するバイクの後ろにまたがって移動していた。どこへ行こうと話していたんだっけ。
(ああそうだ、このあと隣の市まで行ったんだ)
そのことを思い出した直後、映像が乱れ、シーンがとんだ。
すっかり見入っていた私は少しびっくりしたが、続けて映し出された映像のほうが気になった。
映像の時刻は周囲の暮れなずむ風景から察するに夕方だろう。
沈みゆく夕陽に照らされてオレンジ色に染まった街並みが見えた。
私はそれがカラオケを終えて街へ出た直後の光景だと思い出した。
そしてそのころから、私の頭蓋の前方からかすかな痛みが感じられるようになってきたのだった。
私は高い場所から女木戸市内を見下ろしていた。天気は良く、雲ひとつない青空からはいかにも
暖かそうな陽光が降り注いでいるのが見て取れた。
私は水晶玉から視線を外し、八意に尋ねる。
「これはいつ頃の私の視界ですか?」
「ベッドに運び込まれる約12時間前だ。世界の差異は極小に留めてあるから、
この世界の過去とのズレはせいぜいがまばたきの回数くらいだろう」
私はまた水晶玉を見た。この風景は知っている。
(織星山の展望台だ……)
またあの場所か、という思いが頭をよぎる。
そのとき、私のそばで八意が動いたのがわかった。
「私はしばらく席を外させてもらう。終わったころに戻ってくるからな」
「え、それはどうして?」
しかし私が彼の方を振り向いたときには彼はすでにこちらに背を向けていた。
「他人のプライベートを覗き見する趣味はないのだよ」
そのまま部屋の闇の中に溶け込んでいく八意。
私はとりあえずまた水晶玉を覗く。
私の視界はひとしきり風景を眺めたあと、後ろから名前を呼ばれて振り向いた。
その声には聞き覚えがあり、私は心がズキリと傷んだ。
(耕平の声だ……)
振り向くと、三脚付きのカメラをかまえてこちらを狙っている天照耕平の姿が見えた。
彼と私の間にはハーレーも停まっていて、その構図から、私はかつて見た写真撮影のシーンだと気づく。
視界の中で耕平は私に笑顔で話しかけ、私も楽しげな声で応えている。それは私の記憶にもある会話だった。
胸がシクシクと痛みだし、私は床に膝をかかえて座り込んだ。
(これは……そうだ……この日、私は彼と……)
「久しぶりのデートだったんだ……」
ぽつりとつぶやく。
ぼんやりだが思い出してきた。
この日私は久しぶりのデートということで、いつもより気合を入れていたんだ。
(事前に新しい服を買って、メイクも頑張って、朝早く美容院に行って……)
ひとつの記憶を取り戻すたびに胸の痛みが強くなる。
私は目が潤っていくのがわかった。
水晶玉の中の私は耕平とキスをしていた。きっと抱きしめられていたはずだ。
肩と背中に彼の腕の感触を思い出そうとして、私はそこに触れた。
私はその後彼の運転するバイクの後ろにまたがって移動していた。どこへ行こうと話していたんだっけ。
(ああそうだ、このあと隣の市まで行ったんだ)
そのことを思い出した直後、映像が乱れ、シーンがとんだ。
すっかり見入っていた私は少しびっくりしたが、続けて映し出された映像のほうが気になった。
映像の時刻は周囲の暮れなずむ風景から察するに夕方だろう。
沈みゆく夕陽に照らされてオレンジ色に染まった街並みが見えた。
私はそれがカラオケを終えて街へ出た直後の光景だと思い出した。
そしてそのころから、私の頭蓋の前方からかすかな痛みが感じられるようになってきたのだった。
2人きりのカラオケを終えて外へ出た私と耕平は街をあてもなくさまよいつつ、完全にペース間違えた、
だとか、腹減った、だとかのたわいない会話を楽しんでいた。
ときどき街かどの古着屋であったり、小さいが小洒落た雑貨屋を見て回ったりしているうちに陽もとっぷり
と落ち、濃い紫色の空の下で街灯がぽつぽつと点き始めてきた。
耕平がどこか食いにいくかと言って、私が何かあるのと返すと、彼はイタズラっぽく笑って中華に行こうと
言った。その言葉で彼が私が以前に中華料理を食べたいと言ったのを覚えてくれていたのだ、と嬉しくなった。
それから彼が予約していた少し高めの中華料理屋でひとしきり食べて、飲んで、それから店を出て3時間ほど
休憩すると、門限があるから家に帰らなければと私は彼に伝えた。
耕平はとても残念そうな顔をし、私は彼にもういちど長いキスをした。それから彼が家まで送るよ、
と言ったので、私は彼のハーレーの後ろに乗った。
酒も入っていたためにやや乱暴な運転だったが、心地よい風の吹く夜だったので私たちはますます気分が
高揚していた。そのとき私は彼にわがままを言って、家に帰る前に街から外れたある場所を目指してほしいと
お願いした。
そこは女木戸市の南東、畑の真ん中にぽつりと浮島のようにある駐車場と自販機コーナーだった。
この場所のことは彼も知っていた。私はここからの街の夜景が好きだった。
そのときの私はアルコールの作用と胸いっぱいの幸福感、そして彼と別れなければならない一抹の寂寥感に
頭がふわふわとしていて、そのために彼の身体にぎゅっとしがみついていた。
離れたくなかった。私たちはバイクに寄りかかって女木戸市の夜景を眺めていた。
まもなく真夜中になるところだった。門限までもまもなくだった。私が帰りたくない、
とぽつりというと、耕平は強く私の肩を抱きすくめた。
私を包む彼の体温が心地よく、彼の胸に頭を預け、私は目を細めた。
私の腕に最初の雨粒が当たったのはその直後だった。
だとか、腹減った、だとかのたわいない会話を楽しんでいた。
ときどき街かどの古着屋であったり、小さいが小洒落た雑貨屋を見て回ったりしているうちに陽もとっぷり
と落ち、濃い紫色の空の下で街灯がぽつぽつと点き始めてきた。
耕平がどこか食いにいくかと言って、私が何かあるのと返すと、彼はイタズラっぽく笑って中華に行こうと
言った。その言葉で彼が私が以前に中華料理を食べたいと言ったのを覚えてくれていたのだ、と嬉しくなった。
それから彼が予約していた少し高めの中華料理屋でひとしきり食べて、飲んで、それから店を出て3時間ほど
休憩すると、門限があるから家に帰らなければと私は彼に伝えた。
耕平はとても残念そうな顔をし、私は彼にもういちど長いキスをした。それから彼が家まで送るよ、
と言ったので、私は彼のハーレーの後ろに乗った。
酒も入っていたためにやや乱暴な運転だったが、心地よい風の吹く夜だったので私たちはますます気分が
高揚していた。そのとき私は彼にわがままを言って、家に帰る前に街から外れたある場所を目指してほしいと
お願いした。
そこは女木戸市の南東、畑の真ん中にぽつりと浮島のようにある駐車場と自販機コーナーだった。
この場所のことは彼も知っていた。私はここからの街の夜景が好きだった。
そのときの私はアルコールの作用と胸いっぱいの幸福感、そして彼と別れなければならない一抹の寂寥感に
頭がふわふわとしていて、そのために彼の身体にぎゅっとしがみついていた。
離れたくなかった。私たちはバイクに寄りかかって女木戸市の夜景を眺めていた。
まもなく真夜中になるところだった。門限までもまもなくだった。私が帰りたくない、
とぽつりというと、耕平は強く私の肩を抱きすくめた。
私を包む彼の体温が心地よく、彼の胸に頭を預け、私は目を細めた。
私の腕に最初の雨粒が当たったのはその直後だった。
「ぎゃあああああああああああああッ!! 」
私はあらん限りの絶叫をあげていた。
部屋の床にのたうちまわり、両手で額を抑え込む。
映像の途中から始まった小さな頭痛は映像とともに徐々に強さを増していて、
今ではまるで太い釘を何本も打ち込まれているかのような耐え難いものにまでなっていた。
全身の筋肉がひきつり、鼻や口から体液がだらだらと流れ出ても、しかしそれでも私は目からあふれる涙を
拭い続けた。
この激痛には覚えがあった。
かつて天照の家で耕平の名前を見つけたときと同じものだ。
きっと私はまた何か大切なことを思い出そうとしているんだ――その確信が私を水晶玉から目を反らさせずにいた。
水晶玉の中では雨が降り始めている――
私はあらん限りの絶叫をあげていた。
部屋の床にのたうちまわり、両手で額を抑え込む。
映像の途中から始まった小さな頭痛は映像とともに徐々に強さを増していて、
今ではまるで太い釘を何本も打ち込まれているかのような耐え難いものにまでなっていた。
全身の筋肉がひきつり、鼻や口から体液がだらだらと流れ出ても、しかしそれでも私は目からあふれる涙を
拭い続けた。
この激痛には覚えがあった。
かつて天照の家で耕平の名前を見つけたときと同じものだ。
きっと私はまた何か大切なことを思い出そうとしているんだ――その確信が私を水晶玉から目を反らさせずにいた。
水晶玉の中では雨が降り始めている――
突然振り始めた夕立はあっという間に女木戸市を覆った。
私たちは駐車場の道路を挟んだ向かいにある自販機コーナーまで走り、そこの小さなトタン屋根の下に
立って雨宿りをしていた。
耕平が買ってくれたホットココアで手を温めつつ、雨粒にけぶる道路を見ると、
夜中で大雨とあってまるで視界がきかなかった。
天気予報じゃ言ってなかったのに、と不満をもらすと彼は肩をすくめて私にどうすると訊いてきた。
意味がわからなかったので訊き返すと、このまま夕立がやむまで待つか、無理やりバイクで帰るか、
ということだった。
私は少し迷ったが、すぐに帰るほうを選んだ。雨宿りをする前にも少し雨に降られてしまったので
服が少し濡れていたのが不快だったのと、はやく帰らないと父に小言を言われると思ったからだった。
耕平はじゃあ帰ろうと言い、自販機コーナーの屋根の下から飛び出した。ジャケットを傘のようにして
道路を横切り、バイクの元へたどり着くと、エンジンをかけようとポケットをまさぐり始めたが、
どうにも様子がおかしい。私がなんとなく足元に視線を落とすと、そこの砂利の上にバイクのキーが落ちて
いるのを見つけた。私はそれを拾い上げる。
キー落としてるよ、と私は声をかけ、それを届けようと屋根の下を飛び出す。
視界は夜闇と雨粒に覆われ、聴覚は強い雨音に奪われていた。
私たちは駐車場の道路を挟んだ向かいにある自販機コーナーまで走り、そこの小さなトタン屋根の下に
立って雨宿りをしていた。
耕平が買ってくれたホットココアで手を温めつつ、雨粒にけぶる道路を見ると、
夜中で大雨とあってまるで視界がきかなかった。
天気予報じゃ言ってなかったのに、と不満をもらすと彼は肩をすくめて私にどうすると訊いてきた。
意味がわからなかったので訊き返すと、このまま夕立がやむまで待つか、無理やりバイクで帰るか、
ということだった。
私は少し迷ったが、すぐに帰るほうを選んだ。雨宿りをする前にも少し雨に降られてしまったので
服が少し濡れていたのが不快だったのと、はやく帰らないと父に小言を言われると思ったからだった。
耕平はじゃあ帰ろうと言い、自販機コーナーの屋根の下から飛び出した。ジャケットを傘のようにして
道路を横切り、バイクの元へたどり着くと、エンジンをかけようとポケットをまさぐり始めたが、
どうにも様子がおかしい。私がなんとなく足元に視線を落とすと、そこの砂利の上にバイクのキーが落ちて
いるのを見つけた。私はそれを拾い上げる。
キー落としてるよ、と私は声をかけ、それを届けようと屋根の下を飛び出す。
視界は夜闇と雨粒に覆われ、聴覚は強い雨音に奪われていた。
――私は叫んでいた。
私の視界は道路に飛び出した直後に横に大きく揺れ、直後、暗転した。
……静かな研究室の床に倒れている自分自身を見つけたのはしばらく経ってからだった。
床に手をついて体を起こすと、節々が痛む。かなり長い間意識を失っていたらしい。
目の前には例の水晶玉が放置されていて、その中に虹色のもやをたたえていたが、もう映像は見えなかった。
それから私は額を撫でる。頭痛は嘘のように消え去っていて、そのために私はあの激痛とともに
目にしたものも夢のような気がした。
――いや、夢であってほしいのかもしれない。
「でも……私は知っている……」
つぶやいて私は立ち上がり、天を仰いだ。無機質な地下室の天井にはパイプが張り巡らされているほかには
蛍光灯がいくつかついているだけで、光が泣きはらした目に痛かった。
深呼吸をし、胸に手をあてる。心臓の鼓動は激しくはなかった。意外なほどに落ち着いている。
「大丈夫なようだな」
背後から声が聞こえたので振り向くと、八意司が機材によりかかり、メガネを布で拭いていた。
「苦痛に耐えられず発狂するのが66%、真実を認められず逃避するのが29%というところだったが……
どうやらこの志野真実は5%だったようだ」
彼は機材から離れ、私の前に立つ。じろりと見下ろす彼の目を見つめ返して私は言った。
「思い出しました」
「ほぅ、それは結構なことだ」
彼はあごを撫でる。
「いいか、志野真実。貴様が手にした記憶はまがい物でなく、貴様自身が手にした『真実』だ。
嘘も偽りも無いことは何よりも貴様が知っているだろう。だがそれゆえに逃げることは許されない。
どのような奇々怪々なことでも、どのような理不尽であっても、貴様は認めなければならない」
私は頷く。
八意は私の目をまっすぐ覗きこんだ。
「ならば聞こうではないか、貴様はいったい何を思い出したのだ?」
「私は――」
私は再び胸に手をあて、それから喉につかえるその言葉を、口にした。
「私は、あのベッドに運ばれる前に――」
私は思い出す――
床に手をついて体を起こすと、節々が痛む。かなり長い間意識を失っていたらしい。
目の前には例の水晶玉が放置されていて、その中に虹色のもやをたたえていたが、もう映像は見えなかった。
それから私は額を撫でる。頭痛は嘘のように消え去っていて、そのために私はあの激痛とともに
目にしたものも夢のような気がした。
――いや、夢であってほしいのかもしれない。
「でも……私は知っている……」
つぶやいて私は立ち上がり、天を仰いだ。無機質な地下室の天井にはパイプが張り巡らされているほかには
蛍光灯がいくつかついているだけで、光が泣きはらした目に痛かった。
深呼吸をし、胸に手をあてる。心臓の鼓動は激しくはなかった。意外なほどに落ち着いている。
「大丈夫なようだな」
背後から声が聞こえたので振り向くと、八意司が機材によりかかり、メガネを布で拭いていた。
「苦痛に耐えられず発狂するのが66%、真実を認められず逃避するのが29%というところだったが……
どうやらこの志野真実は5%だったようだ」
彼は機材から離れ、私の前に立つ。じろりと見下ろす彼の目を見つめ返して私は言った。
「思い出しました」
「ほぅ、それは結構なことだ」
彼はあごを撫でる。
「いいか、志野真実。貴様が手にした記憶はまがい物でなく、貴様自身が手にした『真実』だ。
嘘も偽りも無いことは何よりも貴様が知っているだろう。だがそれゆえに逃げることは許されない。
どのような奇々怪々なことでも、どのような理不尽であっても、貴様は認めなければならない」
私は頷く。
八意は私の目をまっすぐ覗きこんだ。
「ならば聞こうではないか、貴様はいったい何を思い出したのだ?」
「私は――」
私は再び胸に手をあて、それから喉につかえるその言葉を、口にした。
「私は、あのベッドに運ばれる前に――」
私は思い出す――
「――交通事故で、死んでいたんですね」
「BINGO」
八意はにやりと笑った。
八意はにやりと笑った。