紫藤由希音の朝は早い。
それはやはり、両親を亡くしてから弟と二人きりで生活していたからだろうか。
弟は毎朝早くから新聞配達のバイトへと向かう。そんな彼に朝食を作るため、由希音は早起きの雪人よりも更に早く起きる必要があったのだ。
小さい頃は朝が苦手だった由希音も、愛する弟のために早起きを繰り返す度苦手意識は消えて行き、そしてそれが習慣づけられるようになった。
だから、紫藤由希音の朝は早い。
――例え今は、自分の知らない不思議な世界に飛ばされていようとも、それは変わることはない。
「……」
また今日も、見える風景に変わりはなかった。
天蓋つきのベッド、高級そうな調度品、自分一人にはもったいないと思ってしまうほど広い部屋。
ここが、この世界における由希音の寝室であった。
弟と共に過ごしていた世界では、狭い布団に二人身を寄せ合い眠っていたが、今の自分は弟と並んでもまだスペースが余るほどに広いベッドで眠っている。
その事が少しだけ由希音に物足りなさを感じさせていた。同時に、寂しさをも。
人肌の温もりを感じることのないベッド。わけもわからず飛ばされてきたこの世界で、由希音は一人心細く過ごしている。
「雪人……」
愛する弟の名を呟き、由希音はシーツをぎゅっと強く握った。瞳を閉じ、そしてまた開けば元の世界に戻れるかも知れない。
そこでは弟がちゃぶ台に並んだ朝食を前に笑みを浮かべているはずだ。そして「今日も頑張ろう」と微笑んでくれるに違いない。
バイトへ向かう弟にエールを送り、自分は家事に勤しむのだろう。食器を洗い、掃除を済ませ、洗濯物を干しておく。
弟が戻る前に彼の制服の皺を伸ばし、自分の鞄に忘れ物はないかどうかをチェックする。
いつもと同じ。静かで、慎ましやかな、二人だけの生活。自分と雪人しかいない、だけどささやかな幸せで満ちあふれていた生活。
もう一度、戻りたいのに。
「……どうして、こんなことに……」
一筋の涙が、由希音の頬を伝った。あっちに残してきた雪人のことを考えるだけで、涙が溢れてくる。
いつも二人で一人だった自分たち。その片割れが急にいなくなってしまったのだから、彼の心情は考えるまでもない。
不出来な姉でごめんね、と、脳裏に浮かぶ雪人の姿に謝って、由希音はもう一度ベッドに身を預けた。
巨大な騎士が闊歩するこの世界にやってきてから、およそ一月以上の時間が流れようとしている。
それはつまり、一月の間ずっと、この屋敷にいると言うことだ。
不可思議な世界に投げ出されていた由希音を拾ったのは、バギンズと名乗る一人の青年だという。
それというのも、未だ彼女は件の彼と顔を合わせたことがないからだ。身分は貴族、フランツァ王国の中でもかなり高い地位にあるやり手で、良いものを持っている、と言う話だけなら、屋敷に務めているメイドから少しだけ伝え聞いている。
良いものとはどういうことなのか、由希音にはわからないが、それなりに高い地位の人物だと言うことだろう。
「どんな人なのかしら……」
自分を拾ってくれたのだから、悪い人でないと言うことはわかる。いや、もしやすると人身売買のために自分を拾ったのかも知れないが、それでも右も左もわからぬ世界に投げ出されたままでいるよりはマシだろう。
そもそも雪人がいない世界に、意味なんてないのだから。
「やあ、おはよう!」
「!?」
突然、寝室のドアが開いた。爽やかな声と共に姿を現したのは、今まで一度も目にしたことのない青年。
端整な顔立ちの青年で、煌めくような銀の髪が非常に印象的だ。華奢な体つきではあるがその肉体は引き締まっていて、きっと鍛錬を欠かしていないのだろうということが見て取れる。
ニコリと笑ったその顔はあっちの世界でならベストスマイル賞くらい余裕でかっさらえるほどに清々しいものであった。
由希音は思わず、言葉を失ってしまう。
突然の登場、爽やかな笑顔、美少年――もとい美青年。これだけの要素が揃えばまず誰でも言葉を失うだろうが、それよりも問題なのは――、
「――な、なんで裸……っ!」
「ん? ああ、ははは、すまないな」
その青年は、上半身だけでなく下半身にすら何も着けてはいなかったのだ。当然由希音には全てがクリーンヒット、どストライクで見えてしまったわけで。
沸騰するのではないかと思えるほどに顔を真っ赤に染めた由希音は、視線をその青年から逸らしつつ尋ねた。
「……あ、あの、あなたは……?」
「すまない、挨拶が遅れたな。私はファルバウト・バギンズ。君を拾った張本人さ」
「あ、あなたが……私を……?」
自信満々、笑顔で頷くファルバウトに、由希音は心の中で涙を流した。
――ああ、天国のお父さんお母さん……。私を拾ってくれた人は、裸の変態露出狂でした……。
「……しかし君はさっきからどうして私を見ようとしないんだい?」
「見たくても見られないんです!」
心底不思議そうな声で首を傾げたファルバウトに対し、由希音は彼が恩人であると言うことも忘れて声を荒げた。
そもそも由希音にはそういうことに関しての耐性はない。雪人のものならいくら見たって問題はない(社会的に問題はある)が、他の男性のものとなると話は別だ。
「なに、気にすることはないさ。私も家の中でくらい何にも縛られないでいたいのでね」
「せめて社会的常識くらいには縛られて下さい!」
由希音の至極まともなツッコミが冴える。
だがファルバウトはそんな彼女の言葉を意にも介せず、一歩一歩こちらへと歩を進めてきた。
それはつまり、自らの全てをさらけ出しつつ由希音に近づいてくるということであり、由希音の視界にはファルバウトの何もかもが映ると言うことで……。
「い、いや……」
「なに、私は君のことをもう少し知りたいだけなのだ。歓談しようじゃないか、共に」
「い、いや、だから服を……」
「私は屋敷で服は着ない、いや、着たくない! あの束縛されるような感覚が私は大嫌――くはっ」
「――ファルバウト様、いい加減にして下さい」
拳を振りかざしながら服を着たくないと声高に叫ぶ変態露出狂の股間目掛けて蹴りを入れようかと迷っていたところに、何物かの攻撃が入った。股間に見事な蹴りを入れられたファルバウトは奇妙な声を漏らし、床に伏す。
怯える由希音を気遣うように彼の背後から顔を覗かせるのは、屋敷のメイドの一人であった。
「あ、オドレイさん……」
「ユキネ様、すみません……。ファルバウト様はいくらいくらいくら言っても、服を着ることはないのです。ああいえ、屋敷の中での話ですが」
「あ、はぁ……」
主人を気絶させたのにもかかわらず、全く悪びれることなく飄々と語るのは、この屋敷のメイドの中でも特に異質なメイド、オドレイであった。
急に主人に拾われ、共に暮らすことになった由希音に対しても敬意を払う良くできたメイドで、由希音自身彼女には信頼を寄せている。
今回も、迫り来る変態から自分を守ってくれたというわけだ。
「今日は無理でも、多分すぐに慣れますよ」
「あまり慣れたくないなぁ……」
「この屋敷で暮らす以上、避けては通れない道です。……ファルバウト様は、これさえなければ本当に最高の主人なのですから」
服さえ着てくれればどんな主人でも耐えられる気がするのは間違いなのだろうか。
「さて、朝食のご用意が出来ましたので、どうぞホールへいらして下さい。この変態主人も追って送り届けます」
「……あ、はい……」
「……ふむ、流石オドレイの作る料理は美味いな」
「ありがとうございます」
「君も食べたらどうだい? 美味しいよ」
笑顔でそう言ってくれるファルバウトに、由希音は曖昧な笑みを返すほかなかった。
裸の上にナプキンを巻いているこの男に対し、どのような態度で接すればいいのか全くわからない。
自分を拾ってくれたことに対する感謝の念を伝えようとも思ったが、それ以前に裸族であるというインパクトがそれを躊躇させてしまう。
万事休す。こんなことなら一生会わなくても良かったのではないかと思ってしまう由希音であった。
「さて、と。色々と君に聞きたいことがあるんだが、良いかな?」
「……え、あ、はい」
「君は一体どこの国の人間かな? 見たところフランツァでもブルグントでも、帝国でもない」
「え、と……、その……」
実は違う世界から飛ばされてきました、などといって信じて貰えるだろうか。
そもそも自分ですら何故ここに飛ばされてきたかがわかっていないというのに。
「答えづらいなら無理に答えなくても構わない。私はただ話し相手が欲しかっただけだからね」
「……話し相手?」
「オドレイはいかんせん無愛想すぎてね。他のメイドは私を見ると即座に逃げてしまう。困ったものだよ」
それはおそらく服を着れば一発で解決すると思いますが。
そう思ったが、口には出さなかった。
「あの、ここは一体……、そして、あなたは?」
「……そう言えば詳しく説明していなかったね。改めて、私はファルバウト・バギンズ。誇り高きフランツァ王国の軍人さ」
「軍人、さん……。それじゃあ、あのロボットを動かしている……?」
「ろぼっと? なんだねそれは」
ファルバウトの言葉に、由希音は自分のミスを痛感した。ここは自分の元いた世界とは違うのだ。何故か言葉が通じているとはいえ、意味の通じない単語があって当然だろう。
「えっと……、あの、大きな騎士を……」
「ああ、機甲騎士のことか。いかにもその通り。私はフランツァの機甲騎士団長なのだよ」
「きこうきしだんちょう……?」
「他国で言う、将軍かな」
「しょ、将軍!?」
目の前に座っている、裸ナプキンの男が将軍! 将軍、将軍と言えば家康や義満のような……あの将軍か!
変態すれすれのこんな男が軍のトップにいるとは、世も末である。
「そう言えば君の名前を聞いていなかったね。教えてくれるかな」
「紫藤由希音です」
「しどー、ゆきね……?」
「ユキネ様です。ファルバウト様」
「そうか、ユキネか。よろしく頼むよ、ユキネ」
ファルバウトは笑顔で右手を差し出す。いくら成りがおかしくても、中身はやはり立派な人なのだろう。
見ず知らずの自分に、ここまでしてくれているのだから。
由希音は気持ち悪いなどと考えてしまっていた自分を恥じつつ、その手を取った。
それはやはり、両親を亡くしてから弟と二人きりで生活していたからだろうか。
弟は毎朝早くから新聞配達のバイトへと向かう。そんな彼に朝食を作るため、由希音は早起きの雪人よりも更に早く起きる必要があったのだ。
小さい頃は朝が苦手だった由希音も、愛する弟のために早起きを繰り返す度苦手意識は消えて行き、そしてそれが習慣づけられるようになった。
だから、紫藤由希音の朝は早い。
――例え今は、自分の知らない不思議な世界に飛ばされていようとも、それは変わることはない。
「……」
また今日も、見える風景に変わりはなかった。
天蓋つきのベッド、高級そうな調度品、自分一人にはもったいないと思ってしまうほど広い部屋。
ここが、この世界における由希音の寝室であった。
弟と共に過ごしていた世界では、狭い布団に二人身を寄せ合い眠っていたが、今の自分は弟と並んでもまだスペースが余るほどに広いベッドで眠っている。
その事が少しだけ由希音に物足りなさを感じさせていた。同時に、寂しさをも。
人肌の温もりを感じることのないベッド。わけもわからず飛ばされてきたこの世界で、由希音は一人心細く過ごしている。
「雪人……」
愛する弟の名を呟き、由希音はシーツをぎゅっと強く握った。瞳を閉じ、そしてまた開けば元の世界に戻れるかも知れない。
そこでは弟がちゃぶ台に並んだ朝食を前に笑みを浮かべているはずだ。そして「今日も頑張ろう」と微笑んでくれるに違いない。
バイトへ向かう弟にエールを送り、自分は家事に勤しむのだろう。食器を洗い、掃除を済ませ、洗濯物を干しておく。
弟が戻る前に彼の制服の皺を伸ばし、自分の鞄に忘れ物はないかどうかをチェックする。
いつもと同じ。静かで、慎ましやかな、二人だけの生活。自分と雪人しかいない、だけどささやかな幸せで満ちあふれていた生活。
もう一度、戻りたいのに。
「……どうして、こんなことに……」
一筋の涙が、由希音の頬を伝った。あっちに残してきた雪人のことを考えるだけで、涙が溢れてくる。
いつも二人で一人だった自分たち。その片割れが急にいなくなってしまったのだから、彼の心情は考えるまでもない。
不出来な姉でごめんね、と、脳裏に浮かぶ雪人の姿に謝って、由希音はもう一度ベッドに身を預けた。
巨大な騎士が闊歩するこの世界にやってきてから、およそ一月以上の時間が流れようとしている。
それはつまり、一月の間ずっと、この屋敷にいると言うことだ。
不可思議な世界に投げ出されていた由希音を拾ったのは、バギンズと名乗る一人の青年だという。
それというのも、未だ彼女は件の彼と顔を合わせたことがないからだ。身分は貴族、フランツァ王国の中でもかなり高い地位にあるやり手で、良いものを持っている、と言う話だけなら、屋敷に務めているメイドから少しだけ伝え聞いている。
良いものとはどういうことなのか、由希音にはわからないが、それなりに高い地位の人物だと言うことだろう。
「どんな人なのかしら……」
自分を拾ってくれたのだから、悪い人でないと言うことはわかる。いや、もしやすると人身売買のために自分を拾ったのかも知れないが、それでも右も左もわからぬ世界に投げ出されたままでいるよりはマシだろう。
そもそも雪人がいない世界に、意味なんてないのだから。
「やあ、おはよう!」
「!?」
突然、寝室のドアが開いた。爽やかな声と共に姿を現したのは、今まで一度も目にしたことのない青年。
端整な顔立ちの青年で、煌めくような銀の髪が非常に印象的だ。華奢な体つきではあるがその肉体は引き締まっていて、きっと鍛錬を欠かしていないのだろうということが見て取れる。
ニコリと笑ったその顔はあっちの世界でならベストスマイル賞くらい余裕でかっさらえるほどに清々しいものであった。
由希音は思わず、言葉を失ってしまう。
突然の登場、爽やかな笑顔、美少年――もとい美青年。これだけの要素が揃えばまず誰でも言葉を失うだろうが、それよりも問題なのは――、
「――な、なんで裸……っ!」
「ん? ああ、ははは、すまないな」
その青年は、上半身だけでなく下半身にすら何も着けてはいなかったのだ。当然由希音には全てがクリーンヒット、どストライクで見えてしまったわけで。
沸騰するのではないかと思えるほどに顔を真っ赤に染めた由希音は、視線をその青年から逸らしつつ尋ねた。
「……あ、あの、あなたは……?」
「すまない、挨拶が遅れたな。私はファルバウト・バギンズ。君を拾った張本人さ」
「あ、あなたが……私を……?」
自信満々、笑顔で頷くファルバウトに、由希音は心の中で涙を流した。
――ああ、天国のお父さんお母さん……。私を拾ってくれた人は、裸の変態露出狂でした……。
「……しかし君はさっきからどうして私を見ようとしないんだい?」
「見たくても見られないんです!」
心底不思議そうな声で首を傾げたファルバウトに対し、由希音は彼が恩人であると言うことも忘れて声を荒げた。
そもそも由希音にはそういうことに関しての耐性はない。雪人のものならいくら見たって問題はない(社会的に問題はある)が、他の男性のものとなると話は別だ。
「なに、気にすることはないさ。私も家の中でくらい何にも縛られないでいたいのでね」
「せめて社会的常識くらいには縛られて下さい!」
由希音の至極まともなツッコミが冴える。
だがファルバウトはそんな彼女の言葉を意にも介せず、一歩一歩こちらへと歩を進めてきた。
それはつまり、自らの全てをさらけ出しつつ由希音に近づいてくるということであり、由希音の視界にはファルバウトの何もかもが映ると言うことで……。
「い、いや……」
「なに、私は君のことをもう少し知りたいだけなのだ。歓談しようじゃないか、共に」
「い、いや、だから服を……」
「私は屋敷で服は着ない、いや、着たくない! あの束縛されるような感覚が私は大嫌――くはっ」
「――ファルバウト様、いい加減にして下さい」
拳を振りかざしながら服を着たくないと声高に叫ぶ変態露出狂の股間目掛けて蹴りを入れようかと迷っていたところに、何物かの攻撃が入った。股間に見事な蹴りを入れられたファルバウトは奇妙な声を漏らし、床に伏す。
怯える由希音を気遣うように彼の背後から顔を覗かせるのは、屋敷のメイドの一人であった。
「あ、オドレイさん……」
「ユキネ様、すみません……。ファルバウト様はいくらいくらいくら言っても、服を着ることはないのです。ああいえ、屋敷の中での話ですが」
「あ、はぁ……」
主人を気絶させたのにもかかわらず、全く悪びれることなく飄々と語るのは、この屋敷のメイドの中でも特に異質なメイド、オドレイであった。
急に主人に拾われ、共に暮らすことになった由希音に対しても敬意を払う良くできたメイドで、由希音自身彼女には信頼を寄せている。
今回も、迫り来る変態から自分を守ってくれたというわけだ。
「今日は無理でも、多分すぐに慣れますよ」
「あまり慣れたくないなぁ……」
「この屋敷で暮らす以上、避けては通れない道です。……ファルバウト様は、これさえなければ本当に最高の主人なのですから」
服さえ着てくれればどんな主人でも耐えられる気がするのは間違いなのだろうか。
「さて、朝食のご用意が出来ましたので、どうぞホールへいらして下さい。この変態主人も追って送り届けます」
「……あ、はい……」
「……ふむ、流石オドレイの作る料理は美味いな」
「ありがとうございます」
「君も食べたらどうだい? 美味しいよ」
笑顔でそう言ってくれるファルバウトに、由希音は曖昧な笑みを返すほかなかった。
裸の上にナプキンを巻いているこの男に対し、どのような態度で接すればいいのか全くわからない。
自分を拾ってくれたことに対する感謝の念を伝えようとも思ったが、それ以前に裸族であるというインパクトがそれを躊躇させてしまう。
万事休す。こんなことなら一生会わなくても良かったのではないかと思ってしまう由希音であった。
「さて、と。色々と君に聞きたいことがあるんだが、良いかな?」
「……え、あ、はい」
「君は一体どこの国の人間かな? 見たところフランツァでもブルグントでも、帝国でもない」
「え、と……、その……」
実は違う世界から飛ばされてきました、などといって信じて貰えるだろうか。
そもそも自分ですら何故ここに飛ばされてきたかがわかっていないというのに。
「答えづらいなら無理に答えなくても構わない。私はただ話し相手が欲しかっただけだからね」
「……話し相手?」
「オドレイはいかんせん無愛想すぎてね。他のメイドは私を見ると即座に逃げてしまう。困ったものだよ」
それはおそらく服を着れば一発で解決すると思いますが。
そう思ったが、口には出さなかった。
「あの、ここは一体……、そして、あなたは?」
「……そう言えば詳しく説明していなかったね。改めて、私はファルバウト・バギンズ。誇り高きフランツァ王国の軍人さ」
「軍人、さん……。それじゃあ、あのロボットを動かしている……?」
「ろぼっと? なんだねそれは」
ファルバウトの言葉に、由希音は自分のミスを痛感した。ここは自分の元いた世界とは違うのだ。何故か言葉が通じているとはいえ、意味の通じない単語があって当然だろう。
「えっと……、あの、大きな騎士を……」
「ああ、機甲騎士のことか。いかにもその通り。私はフランツァの機甲騎士団長なのだよ」
「きこうきしだんちょう……?」
「他国で言う、将軍かな」
「しょ、将軍!?」
目の前に座っている、裸ナプキンの男が将軍! 将軍、将軍と言えば家康や義満のような……あの将軍か!
変態すれすれのこんな男が軍のトップにいるとは、世も末である。
「そう言えば君の名前を聞いていなかったね。教えてくれるかな」
「紫藤由希音です」
「しどー、ゆきね……?」
「ユキネ様です。ファルバウト様」
「そうか、ユキネか。よろしく頼むよ、ユキネ」
ファルバウトは笑顔で右手を差し出す。いくら成りがおかしくても、中身はやはり立派な人なのだろう。
見ず知らずの自分に、ここまでしてくれているのだから。
由希音は気持ち悪いなどと考えてしまっていた自分を恥じつつ、その手を取った。
◆
紫藤雪人の朝は早い。それは姉と二人で暮らしていた時、毎朝朝刊配達のバイトをしていたからだ。
日が昇る前までには頭が勝手に覚醒する習慣がついている。体を寝床から半分起こして、部屋の中を見渡す。いつもの日課だ。
ある日突然、急に、元の世界に戻っているかも知れない。由希音が、台所で鼻歌を歌いながら朝食を作ってくれているかも知れない。
自分は後ろから近づいていって、彼女を抱きしめるのだ。いつもの日課、二人きりで暮らし始めてからずっと、自分たちはこうして互いの温もりを感じていた。
だが、今はそれも出来ない。六畳一間の小さな部屋は、何畳あるのかわからない豪奢な部屋へと様変わりしている。
由希音と二人でぎゅうぎゅう詰めだった薄布団も、今は五人くらいが横になってもまだ余りそうなベッドに変わった。
必要最小限しかなかった家具も、あってもなくても変わらないような調度品ばかりが部屋に並んでいる。
由希音と二人きりの、狭くとも楽しかった日々は、もはや過去のものだ。このだだっ広い部屋には、自分一人しかいない。
紫藤雪人の生活は、不可思議な世界に飛ばされてから大きく変わってしまった。
「……いつになれば戻れるんだ?」
自問して見るも、答えはわからない。全ては自分をここへ召喚した元凶、ミナ・エウリューデの腕にかかっている。
雪人はやれやれとため息を吐いて、ベッドを降りた。窓から覗く外の景色は、まだ暗い。日が昇っているような時間ではないのだ。
「……」
不思議な世界に飛ばされてきて、おおよそ三日が経った。
飛ばされてすぐ、ザイフリードなる謎のロボットを操縦させられ、エウリューデの屋敷を守るために相手方のロボットを跡形もなく消し去った。
その事にどうも実感が湧かない。召喚され、その先で美少女に出会って、ロボットを操縦することになるなんて、まるでファンタジー小説かアニメだ。
だが、これは現実。召喚された先で、雪人は召使いもとい下僕として、悪魔のような女――マナ・エウリューデ――にこき使われている。
家事は得意な分野なのでさほど問題はないのだが、「毎朝起こしに来い」と命令する癖に、部屋に入った時点で夜這い魔扱いされるのはどうにかして欲しい。
寝ぼけているにしても、いい加減自分の命令くらい覚えておけという話だ。
「朝食の仕込みしよ……」
とはいえ、相手はご主人、自分はたかだか知れている召使い。何を言っても意味のない話である。
これ以上マナについて考えていても仕方がないので、自分の仕事を始めることにしよう。
すぐ側に投げ捨てられていた服――黒い燕尾服だが、自分にはつくづく似合わないと思う――に着替え、雪人はあてがえられた自室を後にした。
日が昇る前までには頭が勝手に覚醒する習慣がついている。体を寝床から半分起こして、部屋の中を見渡す。いつもの日課だ。
ある日突然、急に、元の世界に戻っているかも知れない。由希音が、台所で鼻歌を歌いながら朝食を作ってくれているかも知れない。
自分は後ろから近づいていって、彼女を抱きしめるのだ。いつもの日課、二人きりで暮らし始めてからずっと、自分たちはこうして互いの温もりを感じていた。
だが、今はそれも出来ない。六畳一間の小さな部屋は、何畳あるのかわからない豪奢な部屋へと様変わりしている。
由希音と二人でぎゅうぎゅう詰めだった薄布団も、今は五人くらいが横になってもまだ余りそうなベッドに変わった。
必要最小限しかなかった家具も、あってもなくても変わらないような調度品ばかりが部屋に並んでいる。
由希音と二人きりの、狭くとも楽しかった日々は、もはや過去のものだ。このだだっ広い部屋には、自分一人しかいない。
紫藤雪人の生活は、不可思議な世界に飛ばされてから大きく変わってしまった。
「……いつになれば戻れるんだ?」
自問して見るも、答えはわからない。全ては自分をここへ召喚した元凶、ミナ・エウリューデの腕にかかっている。
雪人はやれやれとため息を吐いて、ベッドを降りた。窓から覗く外の景色は、まだ暗い。日が昇っているような時間ではないのだ。
「……」
不思議な世界に飛ばされてきて、おおよそ三日が経った。
飛ばされてすぐ、ザイフリードなる謎のロボットを操縦させられ、エウリューデの屋敷を守るために相手方のロボットを跡形もなく消し去った。
その事にどうも実感が湧かない。召喚され、その先で美少女に出会って、ロボットを操縦することになるなんて、まるでファンタジー小説かアニメだ。
だが、これは現実。召喚された先で、雪人は召使いもとい下僕として、悪魔のような女――マナ・エウリューデ――にこき使われている。
家事は得意な分野なのでさほど問題はないのだが、「毎朝起こしに来い」と命令する癖に、部屋に入った時点で夜這い魔扱いされるのはどうにかして欲しい。
寝ぼけているにしても、いい加減自分の命令くらい覚えておけという話だ。
「朝食の仕込みしよ……」
とはいえ、相手はご主人、自分はたかだか知れている召使い。何を言っても意味のない話である。
これ以上マナについて考えていても仕方がないので、自分の仕事を始めることにしよう。
すぐ側に投げ捨てられていた服――黒い燕尾服だが、自分にはつくづく似合わないと思う――に着替え、雪人はあてがえられた自室を後にした。
◆
朝食の仕込みも終わり、屋敷の掃除も半分以上終わった。
ここで残る雪人の仕事はただ一つ、マナとミナを夢の世界から連れ出すことである。
今までに二回挑戦しているが、そのどちらも夜這い魔の称号を頂くという結果に終わっている。
繰り返しになるが、起こせと言ったのはお前だろうというのに……。
「……あー、今日はミナから起こせばいいか」
マナとミナ、二人の姉妹を比べてみたところ、確実にミナの方が真面目でまともだと言うことは判明している。
きっと彼女なら、起こしに行く前に起きてくれているのではなかろうか。
「……よし」
うん、と頷いて、雪人は目の前の扉を見据えた。ミナの部屋に繋がるドアである。
こんこん、と軽くノック。返事はない。
寝ているのだろうか。まあ、寝ていたらばそれで仕方がない。雪人はドアノブに手を掛け、扉を開いた。
「おーい、ミナ?」
返事はない。
雪人が辺りを見回すと、部屋の中心に置かれているキングサイズのベッドの上に、白い塊が一つあった。
毛布を頭から被っているのかしらないが、どうやらミナは起きてはいるようだ。
雪人はのんびりとベッドの方へと近づき、白い塊をぽんぽんと叩いた。
「おい、ミナ。そろそろ起きたらどうだ」
「……ぅ、……、です……」
「はい?」
もごもごとミナが何かを呟いているが、毛布に阻まれ聞こえない。
雪人は心の中でミナに謝りつつ、毛布をはぎ取った。
「ひゃわあっ!」
「起きろよミナ……って、うわあああ! す、すまん!」
例によって、ミナは薄いネグリジェを身に纏っているだけであった。姉とは対照的な黒色の物だが、それが妙に大人びた演出をしているというか何というか、要はエロい。
そんなことを考えてしまう自分に軽く幻滅しつつ、雪人ははぎ取った毛布をミナにもう一度かぶせた。
そこから、ミナがぴょこんと顔を覗かせる。
「……あ、あのですね……」
「す、すまんミナ……。もしかして夜這い魔扱いされるのはこれが原因だったのか?」
「さ、さぁ……。そ、それよりですね、その……」
「ん?」
「……ゆ、夢にユキトが出てきて……それで、その……」
顔を真っ赤に染め、ミナはもごもごと呟く。
「あの、私も……っ、話、でしか、聞いたことなくて……、その、ユキトにはあったばかりなのに、それで、あの、色々恥ずかしいので……」
「はぁ……」
「出て行って貰えますか……」
「あ、はい……。すいません」
結局夢に自分がでてきて何なのか。答えはわからないままに、雪人はミナの部屋を追い出された。
首を捻りつつ、雪人は進路をマナの部屋へ取る。結局何と言われようと起こさなきゃいけないわけで。
「……あー……憂鬱だ」
とぼとぼと廊下を歩いていく雪人。どうやら今日は運が悪いということが、ミナとの対面で理解できた。
マナとの対面もまた面倒なことになりそうな予感がする。もとい、悪寒が。
「あー……そもそも何だって俺がこんな小間使いみたいな真似を……」
「下僕だからでしょ」
不機嫌そうな声が曲がり角の向こうから聞こえてくる。
「だからその下僕というのをやめろ……ってマナ? え、なんで? 何で起きてるんだ」
「私だってたまには早起きする時くらいあるわよ」
そこから姿を見せたのは、ミナの双子の姉、雪人の現ご主人、マナ・エウリューデであった。
黒を基調とした服を好むミナとは対照的に、純白の衣装を好む少女である。例によって白いドレスを着ている。
「朝食の準備は出来たから」
「ん、わかったわ」
「後、ミナがなんかおかしいから連れてきてくれ」
「……アンタ、ミナに何かしたわけ?」
「いや、なにも。……うん、多分」
自信なさそうに答え、雪人は朝食の用意をするべく広間へと向かった。
ここで残る雪人の仕事はただ一つ、マナとミナを夢の世界から連れ出すことである。
今までに二回挑戦しているが、そのどちらも夜這い魔の称号を頂くという結果に終わっている。
繰り返しになるが、起こせと言ったのはお前だろうというのに……。
「……あー、今日はミナから起こせばいいか」
マナとミナ、二人の姉妹を比べてみたところ、確実にミナの方が真面目でまともだと言うことは判明している。
きっと彼女なら、起こしに行く前に起きてくれているのではなかろうか。
「……よし」
うん、と頷いて、雪人は目の前の扉を見据えた。ミナの部屋に繋がるドアである。
こんこん、と軽くノック。返事はない。
寝ているのだろうか。まあ、寝ていたらばそれで仕方がない。雪人はドアノブに手を掛け、扉を開いた。
「おーい、ミナ?」
返事はない。
雪人が辺りを見回すと、部屋の中心に置かれているキングサイズのベッドの上に、白い塊が一つあった。
毛布を頭から被っているのかしらないが、どうやらミナは起きてはいるようだ。
雪人はのんびりとベッドの方へと近づき、白い塊をぽんぽんと叩いた。
「おい、ミナ。そろそろ起きたらどうだ」
「……ぅ、……、です……」
「はい?」
もごもごとミナが何かを呟いているが、毛布に阻まれ聞こえない。
雪人は心の中でミナに謝りつつ、毛布をはぎ取った。
「ひゃわあっ!」
「起きろよミナ……って、うわあああ! す、すまん!」
例によって、ミナは薄いネグリジェを身に纏っているだけであった。姉とは対照的な黒色の物だが、それが妙に大人びた演出をしているというか何というか、要はエロい。
そんなことを考えてしまう自分に軽く幻滅しつつ、雪人ははぎ取った毛布をミナにもう一度かぶせた。
そこから、ミナがぴょこんと顔を覗かせる。
「……あ、あのですね……」
「す、すまんミナ……。もしかして夜這い魔扱いされるのはこれが原因だったのか?」
「さ、さぁ……。そ、それよりですね、その……」
「ん?」
「……ゆ、夢にユキトが出てきて……それで、その……」
顔を真っ赤に染め、ミナはもごもごと呟く。
「あの、私も……っ、話、でしか、聞いたことなくて……、その、ユキトにはあったばかりなのに、それで、あの、色々恥ずかしいので……」
「はぁ……」
「出て行って貰えますか……」
「あ、はい……。すいません」
結局夢に自分がでてきて何なのか。答えはわからないままに、雪人はミナの部屋を追い出された。
首を捻りつつ、雪人は進路をマナの部屋へ取る。結局何と言われようと起こさなきゃいけないわけで。
「……あー……憂鬱だ」
とぼとぼと廊下を歩いていく雪人。どうやら今日は運が悪いということが、ミナとの対面で理解できた。
マナとの対面もまた面倒なことになりそうな予感がする。もとい、悪寒が。
「あー……そもそも何だって俺がこんな小間使いみたいな真似を……」
「下僕だからでしょ」
不機嫌そうな声が曲がり角の向こうから聞こえてくる。
「だからその下僕というのをやめろ……ってマナ? え、なんで? 何で起きてるんだ」
「私だってたまには早起きする時くらいあるわよ」
そこから姿を見せたのは、ミナの双子の姉、雪人の現ご主人、マナ・エウリューデであった。
黒を基調とした服を好むミナとは対照的に、純白の衣装を好む少女である。例によって白いドレスを着ている。
「朝食の準備は出来たから」
「ん、わかったわ」
「後、ミナがなんかおかしいから連れてきてくれ」
「……アンタ、ミナに何かしたわけ?」
「いや、なにも。……うん、多分」
自信なさそうに答え、雪人は朝食の用意をするべく広間へと向かった。
◆
無言の朝食。雪人にとって、この時間は拷問にも近い。
何故ならば、元の世界ではこんな経験をしたことがなかったからだ。
愛する姉と共に笑いあう至福の一時。朝食とは、雪人にとってそういうものであったはずなのだが。
「……」
「……」
「……」
カチャカチャと、食器と皿がぶつかり合う音だけが虚しく響く。
誰も喋ろうとはしない。ちらりとミナを見てみるが、彼女の動きは止まり、ぽけーっと宙を見ているだけであった。
対するマナは、ミナから何かを聞いて怒っているのか何なのか、乱暴な手つきで雪人謹製の料理を平らげていく。
その姿は、まったくと言って良いほどお嬢様には見えない。
「……あのー、マナ?」
「何よ」
「もう少し丁寧に食べてはいかがでしょうか……」
「考えておくわ。変態」
「はぁ……。って変態ってなんだよ変態って!」
マナの失礼すぎる言葉に、雪人が反論する。今日の自分は何もしていないはずだ。
「ミナの夢の中であんなことやこんなことした癖に」
「それは俺が変態なのではなくて夢を見たミナが変態なんだろ」
「ひどいです、ユキト……。あんなことまでしたのに……」
「いやまて! これ以上はまずい、色々まずい」
何か危機感を覚えたのか、雪人が全員を制する。
皆が落ち着いたのを確認し、雪人は改めて口を開いた。
「あのさ、俺、まだこの世界のことについて何もわかってないんだけど、いい加減教えてくれないか」
「あら、説明してなかったかしら」
「してねえよ」
「そういえばそうかも。じゃあ、説明してあげるわ」
その豊満な胸を張り、マナが偉そうに答えた。
勝手に呼んどいてその態度は何なんだと言いたくなった雪人だが、口には出さなかった。代わりに胸を凝視しておこう。
「この世界はミッドガードと呼ばれている世界よ。巨大な大陸が一つだけ存在していて、そのには大小様々な国が並んでいる」
「……なるほどね」
「そしてその大陸の中でも最大の規模を誇るのが、帝国。続いて、我らがブルグント王国と、隣のフランツァ王国。今私たちは、フランツァと戦争のまっただ中なの」
マナが、声を落として言った。
「どっちの王国も、大陸を統一しようと考えている。帝国が目下最大の敵だけど、その前に隣の王国を支配すれば、帝国にも太刀打ちできるから」
「……協力すりゃいいのに」
「それが出来たら苦労しないのよ。誰だって、益は自分一人の物にしたいでしょう?」
自嘲するかのように、マナが乾いた笑みを見せる。
「そんなわけで、泥沼の状態なのよ。ここは国境にほど近いから、これから先も狙われるんじゃないかしら」
「おいおいおい……」
「でも、ここを落としても意味はないわ。……私たちエウリューデ家はもはや没落貴族。ブルグントにとって何の価値もない」
「……お父様もお母様もお亡くなりになって、領土のほとんどを失いましたから」
マナとミナが、共に沈んだ顔で言葉を紡ぐ。
「ご先祖様が必死に治めた地も、もはや手元にはないわ。王族やまわりの貴族が根こそぎ奪っていったから」
「私たちに残されたのは、この屋敷とまわりの平野を少しだけ」
「……マナ……、ミナも……」
雪人はどんな言葉を掛けて良いのか迷ってしまった。
何を言っても、結局は自分には何も関係のないことだし、どうしようも出来ないことなのだ。
「でもね、私たちにはまだ希望があるから。……それがアンタなの、ユキト」
「へ、俺?」
「……機甲聖騎士、白銀の聖騎士を駆れるのは、真に勇ましき者だけ。あなたは選ばれた人なの……、ユキト」
「どういう……」
「私たちはもう一度、エウリューデ家の栄光を取り戻す。そのためには、この戦争に勝たなくちゃいけない。それも、大きな戦功を挙げて」
「そのための、ザイフリード……、そして、そのためのあなたです。ユキト」
初めて告げられた事実に、雪人は開いた口が塞がらなかった。
自分が呼び出されたのは、戦争を終わらせ、エウリューデ家を復興させるためだというのか。
「そんな、勝手に言われてもだな……」
「……当然の反応ね。……でも、私たちにはこうするしかないから」
「私たちは弱いのです。現状に太刀打ちできる力――ザイフリードを手にしていたとしても、それを駆るほどの力は持たない」
「けど、アンタならやれる。だから私は、アンタにやってもらう」
そんな無茶苦茶な論理があって良いものか。雪人がマナに反論しようと思った瞬間、腰を下ろしていた彼女が急に起ち上がった。
「……そして私は、アンタにやってもらうための理由を作る」
「はい?」
一歩一歩、マナがこちらへと近づいてくる。妙な威圧感に、雪人は少し後ずさった。
「あの、マナさん?」
「……ユキト、動かないで。静かに目を瞑りなさい」
「あの、何するつもりですか……」
「理由を作るだけ。アンタが、私たちのためにザイフリードを駆るための」
ごくり、と渇いた喉が鳴った。これは色々と、何かが起こる気がする。
自分たちの関係を一気に変えてしまうほどの破壊力を持った何かが起こる。確実に。
「……目、閉じたわね……?」
「え、いや、はい……閉じましたけど……」
「……なら良いわ。ユキト、どうか私たちを――」
何故ならば、元の世界ではこんな経験をしたことがなかったからだ。
愛する姉と共に笑いあう至福の一時。朝食とは、雪人にとってそういうものであったはずなのだが。
「……」
「……」
「……」
カチャカチャと、食器と皿がぶつかり合う音だけが虚しく響く。
誰も喋ろうとはしない。ちらりとミナを見てみるが、彼女の動きは止まり、ぽけーっと宙を見ているだけであった。
対するマナは、ミナから何かを聞いて怒っているのか何なのか、乱暴な手つきで雪人謹製の料理を平らげていく。
その姿は、まったくと言って良いほどお嬢様には見えない。
「……あのー、マナ?」
「何よ」
「もう少し丁寧に食べてはいかがでしょうか……」
「考えておくわ。変態」
「はぁ……。って変態ってなんだよ変態って!」
マナの失礼すぎる言葉に、雪人が反論する。今日の自分は何もしていないはずだ。
「ミナの夢の中であんなことやこんなことした癖に」
「それは俺が変態なのではなくて夢を見たミナが変態なんだろ」
「ひどいです、ユキト……。あんなことまでしたのに……」
「いやまて! これ以上はまずい、色々まずい」
何か危機感を覚えたのか、雪人が全員を制する。
皆が落ち着いたのを確認し、雪人は改めて口を開いた。
「あのさ、俺、まだこの世界のことについて何もわかってないんだけど、いい加減教えてくれないか」
「あら、説明してなかったかしら」
「してねえよ」
「そういえばそうかも。じゃあ、説明してあげるわ」
その豊満な胸を張り、マナが偉そうに答えた。
勝手に呼んどいてその態度は何なんだと言いたくなった雪人だが、口には出さなかった。代わりに胸を凝視しておこう。
「この世界はミッドガードと呼ばれている世界よ。巨大な大陸が一つだけ存在していて、そのには大小様々な国が並んでいる」
「……なるほどね」
「そしてその大陸の中でも最大の規模を誇るのが、帝国。続いて、我らがブルグント王国と、隣のフランツァ王国。今私たちは、フランツァと戦争のまっただ中なの」
マナが、声を落として言った。
「どっちの王国も、大陸を統一しようと考えている。帝国が目下最大の敵だけど、その前に隣の王国を支配すれば、帝国にも太刀打ちできるから」
「……協力すりゃいいのに」
「それが出来たら苦労しないのよ。誰だって、益は自分一人の物にしたいでしょう?」
自嘲するかのように、マナが乾いた笑みを見せる。
「そんなわけで、泥沼の状態なのよ。ここは国境にほど近いから、これから先も狙われるんじゃないかしら」
「おいおいおい……」
「でも、ここを落としても意味はないわ。……私たちエウリューデ家はもはや没落貴族。ブルグントにとって何の価値もない」
「……お父様もお母様もお亡くなりになって、領土のほとんどを失いましたから」
マナとミナが、共に沈んだ顔で言葉を紡ぐ。
「ご先祖様が必死に治めた地も、もはや手元にはないわ。王族やまわりの貴族が根こそぎ奪っていったから」
「私たちに残されたのは、この屋敷とまわりの平野を少しだけ」
「……マナ……、ミナも……」
雪人はどんな言葉を掛けて良いのか迷ってしまった。
何を言っても、結局は自分には何も関係のないことだし、どうしようも出来ないことなのだ。
「でもね、私たちにはまだ希望があるから。……それがアンタなの、ユキト」
「へ、俺?」
「……機甲聖騎士、白銀の聖騎士を駆れるのは、真に勇ましき者だけ。あなたは選ばれた人なの……、ユキト」
「どういう……」
「私たちはもう一度、エウリューデ家の栄光を取り戻す。そのためには、この戦争に勝たなくちゃいけない。それも、大きな戦功を挙げて」
「そのための、ザイフリード……、そして、そのためのあなたです。ユキト」
初めて告げられた事実に、雪人は開いた口が塞がらなかった。
自分が呼び出されたのは、戦争を終わらせ、エウリューデ家を復興させるためだというのか。
「そんな、勝手に言われてもだな……」
「……当然の反応ね。……でも、私たちにはこうするしかないから」
「私たちは弱いのです。現状に太刀打ちできる力――ザイフリードを手にしていたとしても、それを駆るほどの力は持たない」
「けど、アンタならやれる。だから私は、アンタにやってもらう」
そんな無茶苦茶な論理があって良いものか。雪人がマナに反論しようと思った瞬間、腰を下ろしていた彼女が急に起ち上がった。
「……そして私は、アンタにやってもらうための理由を作る」
「はい?」
一歩一歩、マナがこちらへと近づいてくる。妙な威圧感に、雪人は少し後ずさった。
「あの、マナさん?」
「……ユキト、動かないで。静かに目を瞑りなさい」
「あの、何するつもりですか……」
「理由を作るだけ。アンタが、私たちのためにザイフリードを駆るための」
ごくり、と渇いた喉が鳴った。これは色々と、何かが起こる気がする。
自分たちの関係を一気に変えてしまうほどの破壊力を持った何かが起こる。確実に。
「……目、閉じたわね……?」
「え、いや、はい……閉じましたけど……」
「……なら良いわ。ユキト、どうか私たちを――」
唇に触れる、柔らかい感触。
予想通りの結果、だが意味のわからない展開に、雪人の頭はついていかない。
何秒、いや、何分か。長い長い時間、そうしていた気がする。
ゆっくりと顔を離したマナは、上気した頬のまま、静かな笑みを見せた。
予想通りの結果、だが意味のわからない展開に、雪人の頭はついていかない。
何秒、いや、何分か。長い長い時間、そうしていた気がする。
ゆっくりと顔を離したマナは、上気した頬のまま、静かな笑みを見せた。
「――私の、はじめてよ」
◆
「……え? 私をですか?」
食事を終えた後、オドレイからファルバウトの伝言を伝えられた由希音は、首を傾げた。
その内容というのも、自分を王都に連れて行きたいというものであったからだ。
確かに、この一月屋敷の中に籠もりっぱなしだったために、外に出たいという欲求は溜まっていたが。
「ファルバウト様は、ユキネ様にも騎士をお与えになると」
「え、私が……あのロボ――じゃなくて、機甲騎士を操縦するんですか?」
「はい。折角だし、良いんじゃないかなとのことですが」
「はぁ……」
やっぱり全然、あの将軍の考えていることはわからない。
「でも……、折角のご厚意ですし……、やらせて頂きます」
「きっとファルバウト様もお喜びになりますよ。整備は既に終わっていますので、こちらへどうぞ」
濃紺のスカートを翻し、オドレイが進んでいく。由希音はそんな彼女の後について、まだ足を踏み入れたことのない棟へと向かった。
そちらの棟へ向かうにつれ、内壁が無機質なものへと変貌していく。
同時に機械油の臭いや金属同士がぶつかり合うような音、低く唸る何かの駆動音などが耳に入ってきた。
きょろきょろと辺りを見回す由希音に、オドレイが「整備棟です」と伝えてくれる。なるほど、機甲騎士の整備をここで行なうわけだ。
整備棟は外観こそ普通の屋敷の一部だが、その中身はくり抜かれており、そこには三体の機甲騎士が立っている。
天井からは様々なパーツや武器、騎士の顔部分などが吊り下がっていた。妙に生々しくて、由希音はどこかいやな気分になる。
「整備は上々ですね」
「オドレイさん?」
普段冷静なメイドの中のメイド、とは思えないほどウキウキとした声を出すオドレイに、由希音はぎょっとした顔を向けた。
「私の本業は、これですので」
「……え?」
「機械油にまみれ、鉄の塊を愛撫する。なんて素晴らしいのでしょう。低く唸りを上げるエンジン音はさながら子守歌のようですし……あぁ……」
恍惚とした表情で、オドレイは語る。
「……」
「私は整備班と同じように、汗水垂らして騎士達の整備をしたいのですが、他の整備員達がもったいないだの、メイドになれだの五月蠅くて……」
それはまあ正論だろうな、と由希音は思った。オドレイは機械の整備をするよりも、メイドをしている方が似合うだろう。
「結局、仕方なくメイドになりましたが、今回は無理を言ってユキネ様の騎士はわたくしが整備させて頂くことになりましたので!」
「あ、そうなんですか……」
「精一杯、真心込めて整備します。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくです……」
ダメだ、ファルバウトだけでなくオドレイもわからなくなりそうである。
由希音が人知れずため息を吐いていると、背後から今朝聞いたばかりの爽やかな声が聞こえた。
「やあ、ユキネ。来てくれたんだね」
「あ、ファルバウト……将軍」
振り向いた先では、ファルバウトが爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
服はちゃんと着ているようだ。銀色のロングコートの下に、黒い軍服を着込んでいる。
「ははは、正確には騎士団長だが……、まあいい。早速君の騎士を紹介しようじゃないか」
「ありがとうございます」
「オドレイ、頼めるかな」
「わかりました」
オドレイが頷き、嬉々とした表情で騎士の足下へと駆けていく。
数分して、並んでいた機甲騎士の内一体がその体を屈めた。
フランツァ王国の量産型機甲騎士、キルデベルタ。
通常ならば鈍色の機体であるが、由希音専用となるからか、この機体は赤いペイントが施されている。
「オドレイが操縦しているんだ」
ファルバウトの説明を受けつつ、由希音は騎士が動くことに感動を覚えた。
こんな巨大なロボットが、動くなんて。そしてそれを、自分が操縦できるなんて。
「……嬉しそうだね、ユキネ君」
「あ、あの、これは……」
「いや、君には立派な騎士の素質がありそうだ。どうか心ゆくまで騎士を駆ってくれ」
「は……はい」
由希音は少し恥ずかしそうに、頷いた。
食事を終えた後、オドレイからファルバウトの伝言を伝えられた由希音は、首を傾げた。
その内容というのも、自分を王都に連れて行きたいというものであったからだ。
確かに、この一月屋敷の中に籠もりっぱなしだったために、外に出たいという欲求は溜まっていたが。
「ファルバウト様は、ユキネ様にも騎士をお与えになると」
「え、私が……あのロボ――じゃなくて、機甲騎士を操縦するんですか?」
「はい。折角だし、良いんじゃないかなとのことですが」
「はぁ……」
やっぱり全然、あの将軍の考えていることはわからない。
「でも……、折角のご厚意ですし……、やらせて頂きます」
「きっとファルバウト様もお喜びになりますよ。整備は既に終わっていますので、こちらへどうぞ」
濃紺のスカートを翻し、オドレイが進んでいく。由希音はそんな彼女の後について、まだ足を踏み入れたことのない棟へと向かった。
そちらの棟へ向かうにつれ、内壁が無機質なものへと変貌していく。
同時に機械油の臭いや金属同士がぶつかり合うような音、低く唸る何かの駆動音などが耳に入ってきた。
きょろきょろと辺りを見回す由希音に、オドレイが「整備棟です」と伝えてくれる。なるほど、機甲騎士の整備をここで行なうわけだ。
整備棟は外観こそ普通の屋敷の一部だが、その中身はくり抜かれており、そこには三体の機甲騎士が立っている。
天井からは様々なパーツや武器、騎士の顔部分などが吊り下がっていた。妙に生々しくて、由希音はどこかいやな気分になる。
「整備は上々ですね」
「オドレイさん?」
普段冷静なメイドの中のメイド、とは思えないほどウキウキとした声を出すオドレイに、由希音はぎょっとした顔を向けた。
「私の本業は、これですので」
「……え?」
「機械油にまみれ、鉄の塊を愛撫する。なんて素晴らしいのでしょう。低く唸りを上げるエンジン音はさながら子守歌のようですし……あぁ……」
恍惚とした表情で、オドレイは語る。
「……」
「私は整備班と同じように、汗水垂らして騎士達の整備をしたいのですが、他の整備員達がもったいないだの、メイドになれだの五月蠅くて……」
それはまあ正論だろうな、と由希音は思った。オドレイは機械の整備をするよりも、メイドをしている方が似合うだろう。
「結局、仕方なくメイドになりましたが、今回は無理を言ってユキネ様の騎士はわたくしが整備させて頂くことになりましたので!」
「あ、そうなんですか……」
「精一杯、真心込めて整備します。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくです……」
ダメだ、ファルバウトだけでなくオドレイもわからなくなりそうである。
由希音が人知れずため息を吐いていると、背後から今朝聞いたばかりの爽やかな声が聞こえた。
「やあ、ユキネ。来てくれたんだね」
「あ、ファルバウト……将軍」
振り向いた先では、ファルバウトが爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
服はちゃんと着ているようだ。銀色のロングコートの下に、黒い軍服を着込んでいる。
「ははは、正確には騎士団長だが……、まあいい。早速君の騎士を紹介しようじゃないか」
「ありがとうございます」
「オドレイ、頼めるかな」
「わかりました」
オドレイが頷き、嬉々とした表情で騎士の足下へと駆けていく。
数分して、並んでいた機甲騎士の内一体がその体を屈めた。
フランツァ王国の量産型機甲騎士、キルデベルタ。
通常ならば鈍色の機体であるが、由希音専用となるからか、この機体は赤いペイントが施されている。
「オドレイが操縦しているんだ」
ファルバウトの説明を受けつつ、由希音は騎士が動くことに感動を覚えた。
こんな巨大なロボットが、動くなんて。そしてそれを、自分が操縦できるなんて。
「……嬉しそうだね、ユキネ君」
「あ、あの、これは……」
「いや、君には立派な騎士の素質がありそうだ。どうか心ゆくまで騎士を駆ってくれ」
「は……はい」
由希音は少し恥ずかしそうに、頷いた。
つづく!
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