sister(前編) ◆LKgHrWJock


あの女の妹が姉の死を嘆き悲しんでいるのかと思った。
異形の竜に守られた民家の脇ですすり泣く少女、私と同じ年頃の彼女の
月明かりに照らされた癖のない髪、黒味がかった長い髪が、私にそう錯覚させた。
あの女、私が殺した二人目の女がいまわの際に呟いた忌まわしい言葉が甦る。
血反吐に呑まれかけた震える声がまた、空ろな脳裏にこだまする。

 ――………だれか…の……ため…に…だ…れかを……ころ……す…な……て
 かな………し……い…こ…………と…を……し……な…い………で………

嫌な言葉。あまりにも不愉快だったから、腹いせに顔を叩き割ってあげたわ。
勘違いしないでね、自分の行為を否定されたから怒ったわけじゃないの。
私自身が非難されるのは構わない。相応のことをしているのだから。
でもね。ラムザ兄さんを愚弄することだけは許さない。当然でしょ?

だって、ラムザ兄さんは私を救うために何人もの人を殺したの。
優しい人なのに。他人を犠牲にすることを憎む人、
他人のため、弱者を守るために戦うことを誇りとし、安易に剣を振わない人、
誰かと敵対しても最後まで諦めず、妥協点を見出すべく対話を試みる人なのに。
それでも、私を助け出すためには殺さざるを得なかった。
人前では胸を張って明るく振舞っていたラムザ兄さんだけど、きっと陰ではそうじゃなかった。
けれどもそれを人前では出さない、それもまたラムザ兄さんの優しさなんだ。
だから私は仲間の前で笑っているラムザ兄さんを見てこう思った。

ラムザ兄さんは、私を救うために、自分の心を犠牲にしたんだ。

なのに、あの女の忌まわしい言葉。
誰かのために誰かを殺すという行為を当然のような顔で、憐れむような目で否定した。
ラムザ兄さんが私のためにしてくれたことなのに。
ラムザ兄さんだって好き好んで殺したわけじゃないのに。
なのにあんなことを言うなんて、ラムザ兄さんを愚弄してるわ。だから怒ったの。
二度とあんな目で私を――ううん、ラムザ兄さんを見ないように、
そしてあんな言葉を吐けないように、顔を叩き割ってあげたわ。当然よね。
あの目を、あの口を、あの顔をそのままにしておいたら、
私の大切なラムザ兄さんが、ラムザ兄さんの優しい心が汚れちゃうもの。

そう、私は当然のことをしただけ。
そして、あの女は二度とラムザ兄さんを愚弄できなくなった。
ラムザ兄さんの優しい心はもう汚れたりなんかしない。私はラムザ兄さんを守ったんだ。
だから大丈夫。何も問題なんてない。もう解決したから。そう、解決した、はずなのに――

どうしてあの女の言葉を思い出すとこんなに苛々するんだろう。

          ◇ ◆ ◇

泣き声なんて聞かれたくなかった。
アメルを失って落ち込んでいるマグナの前で別のことに対する涙を流すわけにはいかなかったし、
誰よりも大切なホームズの心をこれ以上乱したくなかったのだ。
かといって、こみ上げる嗚咽を抑えることも出来ず、カトリは民家の外に出た。

殺人者に対する恐れはなかった。
戸外には、自身の召喚したドラゴンゾンビがうずくまっているし、
手の中には、自身の姿を強力な竜に変える<火竜石>がある。
いや、来るなら来い、などと思っているわけではない。彼女に戦うつもりはない。
たとえ相手が殺し合いに乗った者であったとしても、無用な殺人は避けたいところだ。
ただ、今のカトリにとっては胸を圧迫する悲しみや、ホームズやマグナを慮る気持ちが、
殺人者に対する警戒心を遥かに大きく上回ってしまった――ただそれだけのことだった。

「どうして、こんなことになったのかな……みんな優しい人だったのに……」

いくら涙を流しても、痛いほどの感情は消えてくれない。
今頃ホームズはハミルトンの最期の願いを聞き届けるべく、その首を切り落としているのだろう。
色々言いつつもカトリには甘いホームズだが、流石に今回ばかりは彼女の同席を許さなかった。
かつてホームズが口にした言葉がふと脳裏に甦り、カトリに痛切な悲しみをもたらす。

 ――奴らは別に悪人じゃねえ。一人一人は結構いいやつなのに、
 戦争というコップの中でグルグルとかき回されてる。ムナクソ悪くて反吐が出そうだ。

今回は何も国家や宗教や大きな集団が関与しているわけではなかったのに、
ヴォルマルフやディエルゴたちを含めてもせいぜい60人程度しかいないはずなのに、
まして自分たちのグループには5人しかいなかったというのに、翻弄されることしか出来ない、
手の届く場所にいるはずの優しい人たちを救えない、通じ合うことすら出来ない。
部屋を後にするカトリに対し、ホームズは何も言わなかった。
何も思わない人ではないのに。むしろ人一倍色々なことを感じ取る人なのに。
それでも何も言わなかった。言葉に出来ない様々な気持ちを一人で抱えているのだ。
大好きな、大切なホームズの苦しみを軽減するすべが見つからない。
そのことが途方もなく哀しくて、カトリはただ泣きじゃくった。


「どうしたの?」

すぐ近くで声が聞こえた。鈴の音を思わせる少女の声だった。
涙を拭いながら顔を上げると、自分と同じ年頃の少女が暗闇に浮かぶように立っていた。
闇の中にあっても尚明るい金の髪を頭の後ろで一つに束ねた、優しげな少女だった。
既にこちらを見ていた少女、彼女はにこりと笑顔を見せ、親しげに話し掛けてきた。

「私、アルマっていうの。あなたは?」
「カトリ……私はカトリ……」
「ねえカトリ、そこにいる竜みたいな生き物はなあに?」
「ドラゴンゾンビ……。私の、お友達……なのかな……」
「変わったお友達ね。他にはいないの? お友達とか、仲間とか……」

仲間――その一言で、嘆きの発作が再発する。
仲間ならばいる。少なくとも自分は、彼らのことを仲間だと思っている。
でも、実際はどうなのだろう。ルヴァイドは戦いに身を投じるべく一人で去っていき、
マグナは深い悲しみに沈んだまま、そしてハミルトンは自ら命を絶った。
誰一人として癒せない、守れない、救えない、傍にいることすら出来ない。
仲間はいる、そう思っているはずなのに言おうとすると嗚咽が漏れる、言葉にならない。
アルマがこちらに歩み寄り、むせび泣くカトリを抱き締めた。
気のせいだろうか。アルマの身体からは、うっすらと血の匂いがした。

「カトリ、こんな場所に一人でいたら危ないわ」
「ううん……、ドラゴンゾンビがいてくれるから……私は大丈夫……」
「そういう問題じゃないわ。どうして家に入らないの?」
「悲しい……から……」

それ以上は何も言えない。また涙が溢れ出て、カトリは再び泣きじゃくる。
頭を撫でるアルマの指、その動きは優しく柔らかいが、やはり血の匂いがする。
それともこの村に漂う死の匂いと混同しているだけだろうか――

「ねえカトリ、星を見に行かない? とても綺麗に見える場所があるの。
 お友達のドラゴンゾンビについて来てもらえば安心でしょ?」

違和感がカトリの胸をかすめた。それはアルマに対するもの。
表情、声、言葉、動作、そしてその身に纏う空気。それらがどこか噛み合わない。
得体の知れないものを感じる。しかしそれでもカトリはアルマの誘いに応じた。
もしかすると、その違和感ゆえに、アルマを放っておけなかったのかも知れない。

          ◇ ◆ ◇

当初の予定では、G-5の街で物資を調達し、人の中に紛れ込むつもりだった。
けれどもそこで遭遇したのは、あの黒髪の男の子。
長い髪を頭の後ろで一つに束ねた中性的な少年で、あの女を殺す現場に居合わせた一人だった。
しかも彼には同行者がおり、その立ち居振舞いから戦場に慣れている者だと分かる。
ガストラフェテスの扱い辛さと矢の残り本数、そして仕留め損ねたときのリスクを考えると、
襲撃は断念せざるを得なかった。たとえ物陰からの狙撃であっても今の私には分が悪い。

あの女を殺す現場に居合わせた者がいた、その事実を少し軽く考えすぎていたみたい。
あの場にいたのは三人、いずれも若い男の人。残りの二人は今ごろ何処にいるんだろう。
生きていれば、あの黒髪の子のように、誰かとつるんでいるかも知れない。
そしたら――まずは情報交換を行なうだろう。
自分自身について、そして自分が見聞きしたことについて仲間に伝える。
その際には、“ゲーム”に乗った危険人物として私のことを話すに違いない。
所有武器や言動は勿論のこと、人相や背格好についても言及するだろう。
そしてその情報は、出会った人すべてに伝播してゆく。
そうなると、仲間を装って接近することはおろか、顔を見せることすら難しくなる。

……本当に忌々しい女ね。死んでも尚、私の足を引っ張るなんて。

とはいえ、このまま何もせずあの女に、己の失策に引きずられるつもりなんてない。
私が殺し合いに乗ったという事実が広まれば、そう、ラムザ兄さんの心が汚れちゃうもの。
そうなる前に、ラムザ兄さんを優勝させなきゃ。
もし既にそうなっているのなら、出回ってしまった情報を潰さなきゃ。
事実を虚構で覆い隠し、真実を嘘に書き換えて、虚像を皆に信じ込ませる。
私になら出来るわ。だって私はあの聖アジョラの生まれ変わりなんだもの。

でも、流石にそれは私一人の力では無理。
聖アジョラだって、一人で伝説になったわけじゃないものね。
私に必要なのは、強力な仲間。仲間っていうよりも、下僕かしら。
情報戦に長けた狡猾な人か、他人に好かれる善良な人間性の持ち主がいいわ。
要するに、その人の言うことの方があの三人の言葉よりもより多くの人にとって――ううん、
ラムザ兄さんにとって受け容れたいと思えるものであるなら、それで問題ないってこと。

大体、あのネスティって人、ネイスなんて偽名を使ったりして随分と用心深いけれど、
そういう人って誰に対しても壁を作っていたりするから、孤立しやすいのよね。
いくら彼が本当のことを言ったとしても、誰にも信じてもらえなければ、
それはもう“本当のこと”なんかじゃない。あとの二人だってそう、
彼らがどれほど人の信頼を得られる人間だというのかしら。
殺害現場を見られたからって、悪い噂を流されたからって、どうってことはないわ。
狡猾な人殺しを伝説の聖人に仕立て上げる、それって私に縁のないことじゃないもの。

……そうして私は仲間を、手駒を、下僕を求め、C-3エリアの村に向かった。

村付近の平原を歩いていると、涼やかな夜風に乗って血の匂いが漂ってきた。
既に殺し合いが行なわれたのだろう。しかも多分、死傷者は一人どころではない。
私にとっては好都合だった。こんな時間だ、安全な寝床を求め、ここには人が集まるだろう。
でも、たとえゲームに抗う者ばかりであったとしても、彼らは決して一枚岩ではいられない。
血の匂いとない交ぜになって漂う死臭が、私にそれを確信させる。

民家の横に、家屋よりも大きな生き物がうずくまっているのを見つけた。
ドラゴンのように見えるけれど、御伽噺の挿絵ですら見たことのない姿をしていた。
でも、もしも竜の一種なら――私は鞄に手を入れて<竜玉石>にそっと触れる。
三番目に殺した女の子、赤い服を着た子供の支給品。その説明書にはこう記されていた。

 ――古代高等竜人族が作りだした魔法のオーブ。ドラゴンとの交信に用いる。
 周囲の竜族をパワーアップさせる「操竜効果」を得られる。

交信に用いる、とのことだけれど、相手の意思は伝わってこない。
では、この生き物はドラゴンではなかったのか、といえば、そういうわけでもなく。
何らかの意思を感じ取ることは出来ないものの、そこに空洞があるということは理解できる。
試しに軽く念じると、その竜のような生き物は私の意図したとおりに身じろぎした。
自分が微笑んでいるのが分かる。嬉しかった。この変種のドラゴンを操れば
沢山の人を殺せるだろう。ラムザ兄さんをまた一歩、優勝に近づけることが出来る。
しかもこのドラゴンが人を襲ったところで、一体誰が私の仕業だと気付くだろうか。
実際に手を下すのは人ではなく魔物、これならラムザ兄さんの優しい心は汚れない。

「どうして、こんなことになったのかな……みんな優しい人だったのに……」

声が聞こえた。少女の泣き声。私はゆっくりと歩を進める。
人がいる。ドラゴンの傍らに少女がうずくまり、むせび泣いているのが見える。

最初に疑ったのは、罠である可能性。
弱者を装って油断させ、近寄ったところを竜に襲わせるつもりではないかと警戒した。
でも、とすぐに考え直す。そういうつもりなら、返り討ちにすればいいんだわ。
私には<竜玉石>があるんだから。でも、このコはそれを知らない。

そう、罠ならば。このコが殺し合いに乗っているならば、何の問題も生じない。
問題があるとすれば、彼女に大勢の仲間がおり、私に関する情報が知れ渡っている場合。
でも、こんな場所で一人で泣いてるってことは、仲間内で何かが起きたってことよね。
うまく話を聞き出して問題点を把握すれば、私の入り込む隙が見つかるかも知れない。
たとえ私の顔や名前が危険人物として知られていても、ね。
自分の微笑みが楽しげな笑顔に変わるのを感じながら、私は少女に声をかけた。

「どうしたの?」

          ◇ ◆ ◇


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120 奴隷剣士の反乱(前編) アルマ 111 sister(後編)
最終更新:2011年01月28日 13:53