神なき世界 ◆LKgHrWJock


部屋に入ると、長椅子に身を横たえたハミルトンがこちらを見た。
傍らの補助椅子にはカトリの姿、彼女は調理用のナイフで林檎の皮を剥いている。
林檎はテーブルの上にもある。この民家の台所にあったものを持ってきたのだった。

ホームズ君、マグナ君の様子は?」
「……一人にしてほしいってよ」
「そうか。実は、マグナ君について聞きたいことがあるんだ。
 彼はどうして君と行動を共にすることになったんだい?」

ホームズはハミルトンに語った。城を発ったときのあらましを。
錯乱状態に陥った親友リュナンを自分の命と引き換えにしてでも止めなければならなかったことを。
第一回放送を受け茫然自失の体だったマグナが同行を申し出てきたことを。

「マグナ君は君を死なせたくなかったんだね」
「ああ、それは俺だって分かってる。あいつには感謝しているさ。だが……」
「一体何があったんだい?」
臨時放送の直後だな。マグナの奴、禁止エリアに入っていったんだ。
 慌てて連れ戻したが、あいつ、自分のしでかしたことの重大さをまったく分かっていなかった」
「後追い自殺、か……」
「だろうな。倒したはずの敵の声を臨時放送で聞いて、絶望したんだろう」
「彼の気持ちも分からなくはないな。私も若い頃に妻を亡くしてね、
 妻の後を追って死のうと考えたことだって、一度や二度ではなかったよ」

結局こうして生き長らえてしまったけどね、と力なく笑うハミルトン。
胸に不吉な影がよぎる。ホームズの目に映るハミルトンの姿、精彩を欠いたその顔はまるで
死に場所を欲している老人のように見えた。しかしそれもほんの一瞬のこと。
ハミルトンの表情に光が差し、ホームズの心から影が消えた。

「後に残ったのはオルゴールだけ。自分のせいで妻が死んだのだと思えてならなかった。
 でも、妻の死を自分の責任と考えたからこそ、死ねなかったのかも知れないね。
 マグナ君はきっと、喪失を乗り越える強さを持ち合わせているだろう。だから大丈夫だ。
 かつて私が信じていたものを、彼は純粋に信じているから……」

その言葉にホームズは違和感を覚える。
ハミルトンがかつて信じたもの、それが具体的に何なのか、まったく把握出来なかった。
それにハミルトンのこの表情、マグナの再生を保証しているはずなのに
何故これほどまでに翳りを帯びた苦しげな顔を見せるのだろう。
疑問に思ったが、言葉には出来ない。訊けばハミルトンを深く傷つけるような気がした。
とはいえ黙ってもいられない。沈鬱な空気を紛らわすべく、ホームズは別の疑問をぶつけた。

「だが、今のマグナは自分の命をあまりにも軽く考えてやがるんだ」
「君がそう思った理由を話してくれないか?」
「リュナンを探しに出かけるとき、俺はこんなことを言ったんだ、
 たとえ俺が死んだってあいつを止めなきゃならないんだ、って。
 リュナンは俺の親友だ。親友の凶行は命を賭けてでも止めなきゃならない。
 だが、マグナは俺の言葉と自分の行為の違いが分からずに不貞腐れてやがる。
 死ぬことと命を賭けることは違う。あいつにはそれが分からないんだ」
「でも、ホームズ君は分かっているんだね」

ハミルトンの表情は穏やかだった。
長旅の末にようやく故郷へ戻ったような、すり減った安堵がそこにあった。

「なら、君がその違いを教えてあげればいいんじゃないかな」
「ああ、そうか……、そうだな……そうだったな……」
「でも、少し心配だわ。ホームズって意地悪な言い方をするから……」
「カトリ、おまえなぁ……」

だが、言葉とは裏腹にホームズの心は温かかった。
カトリはたまにしれっときついことを言う。出会ったばかりの頃は随分と苛立ちを覚えたものだ。
しかし彼女に悪気はない。そして彼女のその視線は、物事の本質を捉えている。
本質に向かう視線は冷徹にならざるを得ない。そして本質もまた人にとって冷徹だ。
この世にあまねく存在する見えない方が良いものを、カトリは無自覚のうちに見てしまっている。
それでも不平不満をこぼすことなく、誰に対しても優しい心で接することの出来るカトリ、
罪を赦す心を持つ一方で、不条理や理不尽には決して屈することのないカトリ、
そんな彼女にホームズは惹かれ、そして愛したのだ。

ホームズを虜にし、そして彼が一目置いた独特の視点にハミルトンもまた興味を抱いたのか。
ハミルトンは真摯な面差しをカトリに向け、ゆっくりと口を開いた。

「君はタルタロスという男についてどう思う?」
「すごく強そうな人だと思います。ローディス教国の人は心強いでしょうね。だけど……」
「なんだい?」
「いいお友達にはなれないかも。きれいな花を眺めていたら怒られそうだし……」

いや、花とか、そういうのは俺もイラッとするぞ――ホームズは半ば呆れつつも笑っていた。
まさに失笑。そして苦笑。ハミルトンだってこんな答えは聞きたくなかっただろうに。
そう思いながら彼を見やると、沈みがちだったその顔が明るくほころんでいた。
ハミルトンは少し困ったように、それでいてどこか眩しそうに、カトリの表情を眺めている。
しかし困惑はやがて消え、得心したように口を開いた。

「……そうだね。彼には自然の中にあるものを美しいと思える心の余裕はないだろうし
 友と呼べる者だってもういないのかも知れないね」
「なんだか可哀相な人ね……」
「彼の生きる世界では、友の存在が枷になるんだ。友すらも犠牲にせざるを得ないんだよ」
「お友達まで犠牲にして、それでもしたいことって何なのかしら……」
「理想の実現、だね。彼は強者が全てを支配する世界こそ理想だと考えているから」

ハミルトンはタルタロスについて語る。強者による支配を理想とするその哲学について、
弱者を癌細胞呼ばわりしその排除を当然とする価値観について。
胸くそ悪い奴だな、と吐き捨てるホームズに、ハミルトンは哀しげな笑みを返す。
その傍らでカトリが静かに、しかし迷いのない口調でハミルトンに言った。

「タルタロスさんの考えはなんだかおかしいと思うの」
「どうしてそう思うんだい?」
「うん、だってね……
 強者が支配者になったとしても、いつまでも強いままでいられるとは限らないわ。
 たとえその人が最期まで強者のままだったとしても、次の代も、その次の代も、
 支配者が強者であり続ける保証なんてどこにもないのに、どうしてそんな理想を抱けるのかしら」
「それはきっと、彼自身がそのような強者でありたいからじゃないかな」
「でもね、人は弱さを知るからこそ強くなれるのだし、強さを過信すれば弱さを思い知らされるわ。
 強さと弱さは表裏一体なのに、どちらか片方しか認めることが出来ないなんて、
 偏った考えだと思うの。そんな考えで世の中を治めて、うまくいくのかしら……」
「いかない、だろうね……」
「だからやっぱりタルタロスさんの考えはおかしいと思うの」

そうだね。言いながら、ハミルトンは穏やかな笑みをカトリに向けた。

「……ホームズ君の選んだ人が君で本当に良かった。救われた気がするよ」
「ランスロットさん……?」
「カトリ、林檎とナイフを貸してくれるかな? あとは私がするから」
「でも、ランスロットさん、怪我をしているのに……」
「ははっ、そんな顔をしなくていいよ、何も腕を怪我したわけじゃないさ。
 それに、動かせる個所だけでもしっかり使っておかないと、身体が鈍ってしまうからね」

ハミルトンは人懐っこい笑顔でカトリに向き合い、彼女の手から林檎とナイフを受け取った。
だが、それっきり。ハミルトンの手は動かない。刃と果実は交わらず、しかし柄を握る指は固く、
関節から透けて見える骨の白さが彼の決意の強さのほどを窺わせる。
ハミルトンはその顔をホームズに向けた。そこにはもういかなる類いの笑みも浮かんでいない。

「ホームズ君、私が死んだらこの首輪を受け取って欲しい」
「おい、何を言い出すんだ……」
「君は剣か弓が欲しいと言っていたね。私の愛剣を君に託したいんだ」

やめろ! 自ら命を絶つなんざ、あいつらの思う壺じゃねえか!
憤怒が思考を赤く染める。しかし思いが言葉にならない、喉の奥に引っかかったまま
声となって出てこない。何故なら、その怒りは自分自身に対するものだったからだ。

「剣か弓が欲しい」と言ったのは誰か。
ルヴァイドの過去を悪気なく暴露したマグナの軽率さに憤ったのは誰か。

 ――おまえ、言っていいことと悪いことの区別もつかねえのか?
 ――おまえの発言はな、軽率すぎるんだよ。

しかしマグナにそう言いながら自分は何を言ったのか、
あの臨時放送の後で言うにはあまりにも不適切な、そう、言ってはならない類いのことを――
重い怪我を負った者の前で言うにはあまりにも軽率すぎる言葉を平然と口にしていたのだ。
受け取れないとは言えない。しかし、受け容れることも出来ない。

命を無駄にするなと言いたいがしかし、死ぬことと命を賭けることの違いを知っている彼、
そんな彼の出した結論をそのように断じるのは侮辱ではないかと思えてならない。
彼は死に場所を求めていた、そしてこの選択に納得している。
それは理解出来るのだが、何故この心優しい聖騎士がこんな馬鹿げた殺し合いの場で
自ら命を絶たねばならないのか、それがどうしても納得できず、ホームズは心を絞り出す。

「剣のために死ぬっていうのかよ……」
「私の愛剣はロンバルディアといってね、新生ゼノビア聖騎士団長の証なんだ」
「そんなに大切なものなら、俺が取り返してきてやる。あんたが自分で使ってくれ。
 首輪は要らない。カギ破りは得意なんでな。
 俺に聖騎士の剣なんざ似合わない。だからハミルトン、おまえは死ぬな」

ハッタリだった。カギ破りは得意、それは事実だが、この理不尽な舞台装置を
ピッキング一つでどうにか出来ると本気で信じ込めるほど思い上がってはいない。
ハミルトンは淡い笑みを浮かべた。そしてゆっくりとかぶりを振り、ホームズに答える。

「……自分のことは自分が一番よく分かっている。
 この世界に召喚される直前まで、私は地下牢で拷問を受けていた。
 囚われていたんだ、タルタロス率いる暗黒騎士団にね。
 あの男に言わせれば、私の身体は生きているのが不思議なくらいだったそうだ。
 身体の痛みには耐えられた、私には信じていることがあったからね。でも……」

「……信じられなくなったんだ。これまで信じていたはずのことを。
 私は理想を失った。己を強者たらしめていた信念を見失ったんだ。
 もう、耐えることは出来なかった。いや、耐える必要もなくなった。
 自分のことすら他人事、何も……そう、痛みすらも気にならなくなっていた」

「……この世界に召喚されたとき、私の傷は癒えていた。
 でも、心は変わったままだった。失われたものが元に戻ることはなかった。
 今の自分がどのような状態か、それは自分が一番よく分かっている。
 たとえこの怪我が完全に癒え、ロンバルディアをこの手に取り戻したとしても、
 私にはもう、君たちと共に、或いは君たちを守るために戦うことは出来ないだろう。
 信念を失うっていうのは、そういうことなんだ」

「……でも、君たちは違う。ホームズ君もカトリも、そしてマグナ君も、
 かつての私が信じていたものを見失うことなく生きている。
 だからロンバルディアを受け取ってほしい。
 そして元いた世界へ帰る道を切り開いてほしいんだ」

ホームズは歯噛みした。
奥歯など折れたとしてもどうでもいいと言わんばかりに強く、強く噛み締める。
ハミルトンに対する返事の代わりにホームズは恋人を見、そして命じる。

「カトリ、部屋を出ろ」

しかしカトリは椅子から立ち上がろうとしない。
優しげな、しかし揺らぎのない視線でホームズを見据え、静かに口を開いた。

「ううん、私も立ち合う。私にも、ランスロットさんの最期を看取らせてほしいの」
「おい、カトリ。こんなときに無茶を言うんじゃねえ」
「私、ホームズが背負うものを一緒に背負いたいの。これって無茶なのかな」
「カトリ、おまえ……」
「それにね、ホームズ。ここには神がいないわ。
 神に仕える者だって、私の他には誰もいない。だから私にお祈りさせてほしいの。
 ランスロットさんの魂が、彼の信じる神の御許まで辿り着けるように。
 私たちを信じてくれたランスロットさんの魂が安らぎを得られるように……」

……神の不在、それはカトリの夢想ではなかった。
信仰が力の源となるハミルトンの魔法の効果が落ちていることから導き出された仮説。
ここはあらゆる神の加護の及ばない場所、あらゆる世界から遮断された地、
ここで死んだ者の魂は神の御許にいくこともなければ新たな生命として転生することもない、
それが夕食後の情報交換によって得られた一同の見解だった。
カトリはハミルトンの手から林檎のみを両手で受け取った。

「ありがとうカトリ、そしてホームズ君。……私の魂は君たちと共にある」

それが、ランスロット・ハミルトンがこの世で口にした最期の言葉だった。

【C-3/村(民家)/初日・夜中】
【ホームズ@ティアリングサーガ】
[状態]:上半身に打撲(数箇所:軽度)、精神的疲労(重度)
[装備]:プリニー@魔界戦記ディスガイア
[道具]:支給品一式(ちょっと潰れている)、食料(一食分消費)
[思考]0:ゲームを破壊し、カトリと共に帰還する。
    1:ハミルトンの首輪を受け取る。
    2:リュナンをとっ捕まえて正気に戻す。
    3:プリニーに疑問。カマをかけて揺さぶってみるか?
    4:マグナの奴が心配。腹も立つが、どうにか助けてやりたい。
    5:タルタロスを警戒。内通者である可能性を疑っている。
[備考]:ハミルトンからブリュンヒルドとタルタロスに関する情報を得ました。
    :マグナとルヴァイドからレイム・メルギドス、キュラーガレアノ
     ビーニャに関する情報とサモン世界の基礎知識を得ました。
    :ネスティと合流したいという気持ちはありますが、リュナンの件が片付き、
     マグナが持ち直すまでは少数精鋭でいいと考えています。


【プリニー@魔界戦記ディスガイア】
[状態]:ボッコボコ(行動にはそれほど支障なし)
[装備]:なし
[道具]:リュックサック、PDA@現実
[思考]1:ヤバかったッス。やっぱ空気扱いが一番ッスね。
    2:あのおっさんから給料貰ってはいるけど黙ってるッス。
    3:この主人マジで怖いッス。でも…プッ。
    4:マグナの旦那とは面白い事になりそうッスね。
[備考]:PDAの機能ならびにインストール済みアプリの詳細、
     そしてプリニーの目的は後続書き手の方にお任せします。

【ランスロット・ハミルトン@タクティクスオウガ 死亡】
【残り34人】

111 夜に彷徨う 投下順 111 sister(前編)
111 夜に彷徨う 時系列順 111 sister(前編)
111 夜に彷徨う カトリ 111 sister(前編)
111 夜に彷徨う ハミルトン
111 夜に彷徨う ホームズ 119 arcana(前編)
最終更新:2011年01月28日 13:54