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第01話

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柊蓮司攻略作戦・エリスの場合 第01話



 仲間以上恋人未満。

 そんな言葉が、ふと浮かぶ。
 恋人、という単語が思わず自然に出てきてしまったことに驚いて、かつ大いに慌てて赤面して。
 志宝エリスは、ぶんぶんと首を振る。
 恋人未満―――未満っていうことは恋人に等しい………ってことだから。
 うーん、訂正。
(仲間以上、恋人候補―――だったら、いいな………)
 なんて、そんなことを思ってみたりして。
 頼りになる先輩。自分を大事にしてくれる男の人。こうと決めたら一直線の真っ直ぐな人で、でもちょっと鈍感。
 それで。だけど。だから。私は。
 憧れ。信頼。そして―――大好き。
 私、志宝エリスは柊先輩のことが、大好き、です。
 ずっと日課にしている日記書き。開いた頁の空白部分に、ただ「大好き」とだけ走り書き。
 そこには柊先輩の名前も、自分の名前も書きません―――まだ、いまは。
 だけど、いつか書けたらいいな。
 柊先輩のこと、もっともっと、私の日記に書ける日がくるといいな。
 毎日。毎日。日記の中身が柊先輩のことで書きつくせるくらい、一緒の時間を過せたらいいな、なんて。
 私、志宝エリスはそんなことを考えています。
 両手の拳を握り締め、天井をぐっと見つめ。
「うんっ。頑張るっ」
 なにを頑張るのかは、まだ全然わからないけど。
 就寝前の自室でひとしきり、顔を赤くしてみたり微笑んでみたりしながら。
 眠る前だというのに、たくさんたくさん夢を見てしまう乙女になって。
 私は、とくんとくんと高鳴る胸の鼓動を心地良く感じながら、今夜も眠りにつくのでした。

「お休みなさい。柊先輩。また、明日、会えるといいな………」




 先の大戦の決着。そしてなによりも待ち望んだ「卒業」という大イベントを立て続けにクリアした後。
 柊蓮司は悠々自適のプライベートライフを満喫していた。
 下がるとか不幸とか言われ続けてきたけれど、その屈辱の日々だって、この成功の味を味わうためだったのだと思えば報われる想いである。幼馴染みに脅迫されたり、世界の守護者にこき使われたり、とにかく苦汁を舐め続けてきた柊が、いまはなんと平穏な日々を送り続けているのだろう。卒業式直後、あの性悪若作り守護者に拉致されて、どこのどいつとも知れないザコ魔王と戦わされたりしたけれど、それ以降は不思議とエミュレイターがらみの任務に駆り出されることはほとんどないに等しかった。
 だから、いまならば、笑って言える。
 くれはよ、俺の秘密なんていくらでもばらしてみろ!
 アンゼロットよ、マジックハンドでもヘリコプターでも構わないから、俺を理不尽に拉致してみるがいい!
「………いや、さすがにそれはねーだろ………」
 あまりの幸福感に気持ちが大きくなりすぎている。それに気づいて、自嘲と自戒のツッコミを自分自身にしてみせる柊であった。いくらなんでも、それはない。くれはに秘密をばらされた挙句、アンゼロットに無償でこき使われる。考えただけで全身が粟立つ思いではないか。くわばら、くわばら。余計なことは考えないほうがいい。
 マンションの居間で、せんべい布団を枕に寝転がりながら、柊は思う。
「平和が一番、ってことだよなー………」
 世界の危機に幾度となく立会い、それを救ってきた彼だからこその感慨。
 まだ記憶に新しい宝玉戦争など、それこそ世界の危機ドーム一杯分の、未曾有の大事件だったのだ。
 だから少しぐらいだらけてもばちは当たるまい。いずれ、自分の平穏は打ち破られるときがくるだろう。神社の娘にはわはわ笑われて、赤髪の強化人間に無礼なことを言われて、世界の守護者に選択肢のない選択を迫られた挙句に、この世界が好きなんだか壊したいんだかわからないポンコツ魔王に頭が悪い、と罵られる日々が戻ってくるのだろう。

 ………なんだか、悲しくないか、それ………?

 いやいや、つまらないことを考えるな柊蓮司。
 いまはただ、この天からの恵みである平穏な日々を、満喫すればいい。
 そうさ、いずれ訪れる不遇の日々に耐えるための、戦士の休息なんだから―――

 自分自身を納得させる。
 テレビのリモコンをちゃぶ台の上から取り上げて、電源を入れた。
 ブラウン管の中の、下らないお昼のバラエティがこんなに愉しいものだったなんて、いままで知る由もなかった柊である。
 画面の向こう側でコメディアンが忙しなく動き回り、乾いた笑いが客席から上がるのを、柊は見るとでもなくぼんやりと眺めていた。
 これぞ、平和。これぞ、平穏。

 満足げに目を細めた柊蓮司の―――彼が言うところの「平穏」は。

 ――――――わずか三秒後に破られた。




 どか、どか、どか。
 床を踏み鳴らす音が近づいてきたのが三秒前。
 がちゃ、ぎい、ばたん。
 居間の扉が、ぶち壊さんばかりの勢いで開かれたのが二秒前。
 ぶわ、ひゅーん、どずっ!
 という、音がしたのが一秒前のこと。

 なんの音だかわからないと思うので解説するが。
 ぶわ、というのは扉を開いて居間に突入してきた闖入者が、入室時の勢いそのままに助走をつけて宙に飛んだ音。
 ひゅーん、というのは、宙に浮かんだその人影が、見事な放物線を描いて寝そべる柊めがけて飛来した音。
 どずっ! というのは言うまでもなく、柊に向けて飛んできたその人影が、角度をつけて折り曲げた肘を、容赦なく柊の無防備な鳩尾にたたきつけた音である。

「ぐぼえぇぇぇっ!」

 断末魔の濁った悲鳴を上げながら、柊は芋虫のようにころころと床を転げまわった。
 ウィザードである自分は月衣(かぐや)に護られ、科学や常識で作られた武器や攻撃を一切無効化するはずなのに。
 痛い。苦しい。内臓がよじれる。
 このダメージは―――
「で、でめェェェっ………なにずんだ、ばがあねぎィィィっ………」

 柊蓮司に極大のダメージを与えた張本人。
 咥え煙草からたゆたう紫煙が、ふわりとたなびいて。柊にフライングエルボーをかましたままの姿勢で横臥する姿は、どことなく侵しがたい威厳を持っている。切れ長の瞳。長い髪。鋭い印象の美女。
 だらしなく男物のシャツとジーンズを着こなした姿も、これだけの美人ならば“さま”になる。
 柊京子―――蓮司の実姉であり、彼が頭の上がらない「数多い」女性のうちのひとりである。

「こぉら。姉に向かって馬鹿ってのはどういう了見よ」

 のそり、と身を起こしながらのたまう京子。長い指で煙草をつまみ、形のよい唇をすぼめながらメンソールの香る煙を吐き出した。言動はやたらと男っぽい割りに、はだけたシャツからこぼれ落ちそうなほどのバストが妖艶である。
 相手が実弟とはいえ無防備に過ぎるその仕草は、並みの男なら理性のたがを瞬時に破壊しかねない。
 すらりと長身。脚もモデルのように長い。いま穿いているジーンズも、実は柊から強引に奪い取ったビンテージ物のお高いものなのだが、京子は裾を折り返してすらもいない。
「い、いぎなりえるぼーがまじやがっで、ばがじゃなぎゃなんだっでんだ………」
「なに言ってんだかわかんないってのよ。はっきり喋りなさいよね」
 呼吸困難に陥りながらもようやくの思いで言葉を搾り出した柊に、傍若無人そのものの物言いをする京子。
 あぐらをかき、柊が回復するのを待ちもせず、「蓮司、灰皿」と煙草を持った指を突き出した。
 腹をさすりながら、四つんばいになった柊が憮然とした顔で飲みかけのコーヒー缶を差し出す。ここまでの酷い目に遭わされても姉の要求に答えてやるのは、単に頭が上がらないだけというより、柊自身の持つ無駄に素直な性格に因るところが大きい。コーヒー缶の飲み口に煙草の灰を落とし、ひとごこちつくと、
「ねえ、蓮司。あんたにすごく大事な話があるんだけど」
 と、京子が唐突にそう切り出した。ただ話をするというだけでなぜエルボーを叩き込まれたのかはわからないが、どうにも京子の眼差しは真剣である。なんとなく気圧されて、柊は躊躇いがちに居住まいを正した。あぐらをかきながら向かい合う、姉弟二人。なんというか、雰囲気が只事じゃない―――柊はそう直感する。
 十八年を共に過した姉である。様子が普段と違うことぐらいすぐにわかった。京子にしては珍しく、なんと口ごもっているのである。言いにくいことをどう切り出そうか、と迷っているようでもあり。正面きって弟と真面目な話をしようとしている自分に照れているようでもあり。また、“らしくない”自分自身の姿に煩悶しているようでもあり。
 だから、つい。
 京子につられて柊も黙り込んでしまう。
 むず痒いような、重たい沈黙が数秒、柊家の居間に沈殿した。
 いったいなんだよ、と柊が言いかけたところで、京子のほうが思い切ったように口火をきる。
「蓮司。いまさらだけど、卒業おめでとうね」
 意外と言えば意外すぎる京子の言葉に、完全に先制を喰らった形になる。肩透かしをくったというか、意表を突かれてたたらを踏んだ、というべきか。なにを言われるのかと待ち構えていたところへ、拍子抜けの益体もない言葉をぶつけられて、柊にしてみれば全身に込めた力やら気合やらが空回りした状態になってしまったといえる。
「お、おー………さ、さんきゅー………」
 ずいぶんとまた腑抜けた返答をしたものだ。
 しかし。もしもこの会話を剣士同士の戦いになぞらえたとしたら、この瞬間に柊の敗北は決定していたといえよう。
 充填させた気勢を削ぐ。腹腔に溜めた力を無駄に使わせる。合わせた拍子を外し、崩れた態勢に刃を打つ。
 剣士としての、戦士としての戦術の一つでもあるのだが、これはもちろん日常生活においても例外なく役立つ交渉術のひとつ。相手が自分の言葉に強い構えを取っているときは、なかなか隙をついて狼狽させることは難しい。
 だから、「なんだ、なにを言われるかと思ったぜ」と油断した柊が、続く京子の台詞に“一本を取られた”のは当然のことであった。

「卒業したならあんたも一人前の男であり、大人なんだから、いい加減ふらふらしてないで身を固めたらどうなのよ」

 びしり、と京子がなにかとんでもないことを言う。
 言葉の意味が分からずに硬直する柊。ふらふら? 身を固める? なにを言っているんだ、姉貴は?
「私としては、まああんたも一応柊家の長男なわけだし、ウチのことを考えればここに残って相手を迎える立場でいてもらいたい気持ちもあるけれど、向こうは向こうで由緒のある家柄だろうから、婿養子に来て欲しいっていうならそれもありかな、とは思うんだけど」
「ちょ、ちょっと待てっ! おい、姉貴、なんだか話が見えねーぞ!? 残るとか婿養子とかって、いったいなんの話してんだよっ!?」
 身を乗り出して叫ぶ柊。京子の台詞を聞いても、自分になにが要求されているのかがちっともわからない。
 目の前にいる姉が実は姉の名を語る別人か、それとも姉が自分のことをほかの誰かと間違えて話を進めているのではないかと、本気でそう思いかけていた。これこそ、姉が自分に対して常々抱いている思いというやつに、柊がここまで鈍感であったということの証明でもある。
「なんでわからないのよ。くれはちゃんとのことに決まってるじゃない」
「くれは?」
 これぞ、柊蓮司の真骨頂。
 幼馴染みの名前を鸚鵡返しに聞き返したかと思ったら、そのまま訝しげな表情のままで固まってしまったのである。
 きょとん。ぽかん。いや、もっと言うなら、ぼけらーっ、というより他のない間の抜けた顔をして。
 京子の言葉を完全に理解していないのがありありと見て取れる思案顔であった。
 婿養子。くれは。身を固める。
 この三つのお題から、気の利いた話のひとつもひねり出せずにいるところが、柊蓮司の恐ろしさである。
 ああ、柊蓮司よ。いままで君はこのようにして、実るはずだった絆や恋を、容赦なくへし折ってきたのであろう。
 いままで君はこのようにして、君の与り知らぬところで少女たちに涙を流させてきたのだろう。
 罪深きもの、柊蓮司。ああ、女の敵、柊蓮司。
「蓮司、あんた………幼馴染みで、あんなに良くしてもらって、あんたみたいなトウヘンボクには勿体ない、いい娘だっていうのに、くれはちゃんのなにが不満なの………」
 こめかみの辺りをひくつかせながら、京子が弟の顔を異星人でもみるかのような顔で凝視する。
 信じられない。理解できない。赤羽くれはという絶好の相手を逃したら、この弟は一生ものの大損をする。
 それなのに、こいつはわかっていない。いかに自分が幸せものなのか、なにもわかっていないのだ。
 逃した魚の大きさは、後で嘆いても遅いのだというのに。このおバカは、魚の大きさがわからないどころか、魚を釣ろうとすらしていないように思えて仕方がないのである。
「だから、くれはがどうかしたのかよ? 俺が平日の昼間からふらふらしてるのは褒められたことじゃねえかもしれねえけど、そのことはアイツに関係ねえだろ?」
 そう、不満げにぼやく柊である。

 これこそが、柊蓮司の得意技!
 空気を読まず、話の流れを読まず。相手の発言を文節ごとにぶった切り、自分に都合の悪い言葉はどこかに置き去りにした上で、甘ったるい桃色要素をきっぱり排除して会話を再構築するスキル。鈍感にして朴念仁たるこの男が、潰しに潰してきた数々のフラグは、このようにして葬り去られてきたのである。

「蓮司、あんたねぇ………」
 京子が天を仰いで嘆息する。
「これだけは言いたくなかったけど………あんた、ご近所の評判最悪なのよ?」
「なんでだよっ!? 俺、近所になにも迷惑かけてねえぞっ!?」
 姉貴の見当違い(と柊だけは思っている)に引き続いて、ご近所の皆さんまでもが俺の敵か!?
 確かに、どこの誰ともわからない通行人に面が割れてたりするほど有名な柊ではあるが、世間様に後ろ指差されるようなことは断じてしていない、と彼自身は頑なにそう信じている。
「―――柊さん家の蓮司くんは、女癖、最悪だって」
 じとーっ、という視線を冷たく向けて言う、姉・京子。
 絶句して口をぱくぱくさせている柊に、滔々と語って聞かせるように京子が言う。
 柊蓮司・女垂らし説。
 ここへいたってようやく、柊は自分が世間にどういう眼で見られているかを知ったといってよい。
「あっちこっちで、女の子連れて歩いてる姿を見られてるのよ、あんた。それも毎回、違う女の子。ふらふらするな、って私が言ってるのはそういうこと。たくさんの人から、私の耳に入ってきてるんだからね、そういう噂」
 巫女服姿の女の子と歩いてた(たぶんこれはくれはだ)、長い赤髪のすらりとした美人と立ち話をしていた(灯のことであろう)、エトセトラエトセトラ。京子がいちいちあげつらう言いがかりじみた目撃談に、柊も黙っていられなくなる。

「ちょっと待てよっ! 別にくれはと一緒に歩いてるのなんていつものことだろうがっ!? それに灯のヤツはちゃんと好きな男がいるんだし………」

 めこっ。

 反論の途中で、柊の頬桁に痛烈な左フックが炸裂した。
「くれはちゃんとイチャイチャするだけじゃ物足りず、彼氏持ちの女の子にまで手を出したってことーっ!?」
「ひ、人の話を聞け――――っ!?」

 柊家の居間に―――姉弟それぞれの絶叫が高らかに響き渡った。




 いつもだったら真っ直ぐ帰る下校の時間。土曜日で半日の授業もつつがなく終わり。
 学校を出た後、いまご厄介になっている赤羽のおばさまに電話を入れて、今日は夕御飯結構です、と連絡しておいたのは、今日の炊事当番が私じゃない日、だからなんです。さすがに、当番をサボってまでこんなことできませんから、こういう今日みたいな日を選んでの、寄り道なんです。
 輝明学園から、いつもなら赤羽神社へと帰宅する私なんですが(………“あの”戦いの後、秋葉原のマンションは引き払って、くれはさんのお宅にお邪魔しています)、今日はどうしても寄り道がしたくなっちゃって。
「柊先輩………今日、いるかなぁ………」
 授業中にぼんやりと、そんなことをついつい思いついてしまって。
 思いついたら、昨夜寝る前に日記を前にして考えていたことが思い出されてしまって。
 いるかな。会いに行こうかな。会えるといいな。会いたいな―――って。
 考えたら、止まらなくなっちゃったんです、私。
 あとの授業なんて、もう身に入らなくなっちゃいました。その日の授業がすべて終わって、ホームルームも終わって。
 ―――気がついたら、もう電話を手にしていました。
「おばさま、エリスです。すいません、今日はちょっと寄りたいところがあって。御飯、食べてきちゃいますからお二人で召し上がってくださいませんか」
 おばさまにお詫びをして、電話を切って。早足で校門をくぐると、はたとあることに気がついて、私は足を止めます。

「あ…ご、ごめんなさい、今日は部活お休みですっ」

 部室棟の天文部室がある方向を向いて、ぺこり、と頭を下げて。部長の私しかいない部活動なんですけど、でも、やっぱりサボっちゃうことにはちょっぴり罪悪感があって。
 だけど、やっぱり。

 先輩、会いたいです―――

 こんな、不意に湧き上がってきた衝動を、どうしても抑えることのできない、私なのでした………。




 先輩のマンション。先輩のお家。
 くれはさんの家にお世話になっているとき、先輩が訪ねてくれたことは何度もありますけど、こうやって私のほうからお邪魔させてもらうのは初めてのこと。なんていうか………すごく緊張しちゃいます。
 だって………男の人のお家なんですよ? なんだかとてもワクワクしちゃって、なんだかとてもドキドキしちゃって、それでいてちょっぴり………いけないことしちゃってるみたいな、そんな気持ち。
 思いつきと勢いで、先輩のマンションの扉の前に立ってしまって。
 いまさらですけど………胸が破裂しちゃいそうなくらい、鼓動が早まっています。
 チャイムを鳴らそうと指を伸ばすと―――

 ずどーん、ばだばたばた、どかーん、ばきっ、ごきっ。

 ………って。
 物凄い音がマンションの中から聞こえてきて、私は思わず身を引いてしまいました。
 二、三歩、後ずさりした私の目の前で、不意に勢いよくドアが開け放たれたかと思うと―――

「どわああああっっ!! 馬鹿、姉貴落ち着けっ、待てって言って………うおぉぉぉっ!? あ、あぶねえぇぇぇっ!?」

 なんだかとても切羽詰ったご様子で………私が眼を丸くしちゃうくらいの勢いで、柊先輩が家の中から駆け出してきたんです。飛び出してきた先輩と、目が合います。
「エ、エリスっ!? お、おい避けろっ、避けてく………うおおおおおっ!?」
「え、先輩っ………きゃっ!?」

 鈍い音と、鈍い痛みが同時に起きて。一瞬、火花が瞼にちらついて。
 自分が先輩の部屋の前で、派手に転んじゃったんだ―――と私が認識したのは、それから数秒後のこと。
 情けない姿で転んでしまって恥ずかしがる暇もなく、私がもっと恥ずかしい思いをすることになったのは。
 それからさらに数秒後のこと―――。

「こら蓮司ーっ! この外道、ロクデナシ………って、あらら?」
 柊先輩のタックルを避けきれずに、仰向けにひっくり返ってしまった私。
 その上に覆い被さるように倒れこんできた柊先輩。
 床に重なって倒れた私たちを見て、右手にすりこぎ棒をもった女の人(すっごく、綺麗な人!)が、
「ちょっと、大丈夫!?」
 私のことを心配してくれたんでしょうか、覗き込むようにして私に声をかけてくれました。
「は、はい、だいじょう………っつぅ………」
 ずきん、と鈍い痛みが背中を走り抜けます。倒れたとき、ぶつけたんでしょうか。思わず顔をしかめてしまいます。
「蓮司っ! いつまで倒れてるのよっ! いつまでも女の子下敷きにしてないで、さっさと起きな!」
「あ、あのなーっ!?」
 勢いよく顔を上げて後ろを振り返り、身体を起こす柊先輩。
 そのとき―――まさに、そのとき………。
 転んだときより恥ずかしい、私がする羽目になってしまった恥ずかしいこと………が、起きてしまったんです………。
 私の上に覆い被さっていた柊先輩―――
 どいてくれたんです! そこには、なにも他意なんてなかったはずなんです!
 きっと、余所見をしていて気づかなかっただけで、ただ、起き上がってくれただけのはずなんです!
 でも―――。

 むにゅう。

 手が。柊先輩の手が―――その………あの………私の………む………ねに………

「うぉわっ!? わ、わりぃ、エリスっ!? そういうつもりじゃ………!」
「蓮司―――――――っ、あんたってヤツは――――――――っ!?」
「き……………」

 思わず。

「きゃあああああ――――――っ!?」

 ぱしいぃぃぃぃんっ!!

 柊先輩の右頬で、私の左手が高らかに鳴り響きました。
 せっかく先輩に会いにきたのに。会えたっていうのに………。

 柊先輩の、初めてのお宅訪問―――
 前途多難の、予感です………。

 あうう………………。





(続く)

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