趣味と病の関係性
「……空 だな」
「どうわっ!?」
ぼそり、と背後から声をかけられ、釣り糸を垂れていたクリスは、危うく眼前の湖面にダイブするところだった。
「……レント! いきなり後ろから話しかけるな!?」
何とか踏みとどまって、肩ほどまでの金の髪を翻す勢いで振り返る。驚愕と怒りから、白磁の頬がやや紅潮していた。
クリス=ファーディナント。その名も、その端整な顔立ちも中性的。背もそれほど高くはなく、やや長身な女性とも、平均的な男性とも取れる。しかしその声は確かに、少年から青年に移り変わる、若い男のものだった。
細い体躯に不釣合いなほど重々しい鎧兜姿。足元には大きな盾が置かれている。そのいずれも、聖別が施されたもの。腰の剣も何らかの魔力がこめられた品のようだった。まさに聖騎士、といった姿だ。
しかし、物理的にも魔力的にも硬いこの防具達はひたすら重い。常人が纏えば重みでまず動けなくなるし、平時の活動に支障がないレベルのクリスにしたって、この格好で湖に落ちたらまず確実に溺れる。
そんな彼を接触に寄らず水面に突き落としかけた相手は、怪訝そうな表情で問うた。
「……何をしている? バランス感覚の鍛錬か?」
自身が不意打ちで声をかけたせいとは露にも思っていなそうな調子で言ったのは、二十代前半に見える、怜悧な面立ちの青年だった。
見える、というのは比喩でも何でもない。事実、彼――レント=セプターの外見は、実年齢と一致しないからだ。
レントは自称・世界掌握を目的とする悪の組織――実際にはどこかアットホームな活動を続ける反神殿勢力組織、ダイナストカバルの技術によって生み出された人工生命。二十歳過ぎに見える彼の実年齢は、満二歳にすら届いていなかったりする。
しかし、実際には二歳児だろうと、彼は並みの成人を軽く上回る知性と知識を持つ、優秀な魔術師だ。こと戦術的判断において彼の能力はギルドメンバー随一である。クリスも、彼の機転に救われたことは多い。
しかし、だからといって、危うく重い鎧姿のまま飛び込みさせられそうになったことを、許容できる訳ではない。
「お前のせいだろが、お前の!?」
「……わたしが背後から声をかけたから驚いた、と? それならば、気配察知能力の鍛錬を推奨するぞ、クリス=ファーディナント。
別段気配を殺して近づいたわけでもないわたしに気づけなかったというのは、敵からの不意打ちを察知するにあたり、致命的な能力欠如だ」
いきり立ってクリスが怒鳴るのに、レントは淡々とそう述べる。無表情を飾る乳白色の髪に紫紺の瞳、青を基調としたローブという、どこか冷え冷えとした色合いのせいで、余計に冷たく聞こえた。
聞きようによってはかなりの皮肉、嫌味の類に取れるが、生憎と彼にその自覚はない。驚かせてしまったことに対する言い訳ですらない。本気でこう思っているのである。
知性や知識の面では成人以上でも、感受性の面では幼児並み――つまり、思ったことを遠慮容赦なくそのまま口にする。その上で、なまじ知識や判断力がある分、無邪気さがない。結果、どうにも皮肉げとも嫌味とも言えるような言動になってしまうのである。
しかしこれでも、本当に生まれたばかりの頃――彼らが出会ったばかりの頃に比べれば、マシになったといえるのだ。当初の彼なら、クリスの不明を一刀両断するのみで、『鍛錬を推奨する』などといったアドバイス的な発言はなかっただろう。
そう考えて、角の立つ物言いに関しては目をつぶることにして、ついでに、驚かされたことへの謝罪を要求するのも諦めて――八割がた自身の油断のせいである、要求したところで言い負かされるのがオチだ――、クリスは溜息混じりに言った。
「で、何しに来たんだ、お前は」
「エイプリルが鹿を仕留めた。運ぶのを手伝え」
端的に告げるレントに、クリスはもう一つ溜息をこぼした。
「見ての通り、こっちは何も収穫なしだ。今日の晩餐は鹿尽くしだな」
「わたしとノエルで山菜や木の実なども集めておいた。栄養価的には、最良とは言えないが、大きな問題があるほどではない」
手際よく釣り道具を片付けながら、バケツを目で示してクリスが告げれば、レントは淡々とそう答え、
「しかし、エイプリルより先に自信満々で出て行って、結局収穫なしとは情けないな」
口調はそのままだが、これは間違いなく、そうと意図して吐かれた嫌味だ。
「うるさいっ! 今日はどうも調子が悪かったんだ。この前もその前も、バケツいっぱい釣って戻っただろうが!」
気まずいのもあって、思わず怒鳴るクリスに、レントはやれやれと言った調子で、
「過去の栄光を持ち出して言い訳とは、情けない。これだから神殿は」
「たまの失敗をねちねち言うほうが陰険だろう! この悪の手先が!?」
互いに言い合って、睨み合い――どちらともなく、その視線を緩めた。
「……馬鹿馬鹿しい。さっさと行かんとエイプリルがうるさいだろうしな」
「そうだな。ノエルが空腹を覚えている様子だった。彼女を待たせてはいけない」
口々にいい、さっさと夕食の準備に参加するため、分担して手際よく釣り道具の片付けに入るのだった。
「どうわっ!?」
ぼそり、と背後から声をかけられ、釣り糸を垂れていたクリスは、危うく眼前の湖面にダイブするところだった。
「……レント! いきなり後ろから話しかけるな!?」
何とか踏みとどまって、肩ほどまでの金の髪を翻す勢いで振り返る。驚愕と怒りから、白磁の頬がやや紅潮していた。
クリス=ファーディナント。その名も、その端整な顔立ちも中性的。背もそれほど高くはなく、やや長身な女性とも、平均的な男性とも取れる。しかしその声は確かに、少年から青年に移り変わる、若い男のものだった。
細い体躯に不釣合いなほど重々しい鎧兜姿。足元には大きな盾が置かれている。そのいずれも、聖別が施されたもの。腰の剣も何らかの魔力がこめられた品のようだった。まさに聖騎士、といった姿だ。
しかし、物理的にも魔力的にも硬いこの防具達はひたすら重い。常人が纏えば重みでまず動けなくなるし、平時の活動に支障がないレベルのクリスにしたって、この格好で湖に落ちたらまず確実に溺れる。
そんな彼を接触に寄らず水面に突き落としかけた相手は、怪訝そうな表情で問うた。
「……何をしている? バランス感覚の鍛錬か?」
自身が不意打ちで声をかけたせいとは露にも思っていなそうな調子で言ったのは、二十代前半に見える、怜悧な面立ちの青年だった。
見える、というのは比喩でも何でもない。事実、彼――レント=セプターの外見は、実年齢と一致しないからだ。
レントは自称・世界掌握を目的とする悪の組織――実際にはどこかアットホームな活動を続ける反神殿勢力組織、ダイナストカバルの技術によって生み出された人工生命。二十歳過ぎに見える彼の実年齢は、満二歳にすら届いていなかったりする。
しかし、実際には二歳児だろうと、彼は並みの成人を軽く上回る知性と知識を持つ、優秀な魔術師だ。こと戦術的判断において彼の能力はギルドメンバー随一である。クリスも、彼の機転に救われたことは多い。
しかし、だからといって、危うく重い鎧姿のまま飛び込みさせられそうになったことを、許容できる訳ではない。
「お前のせいだろが、お前の!?」
「……わたしが背後から声をかけたから驚いた、と? それならば、気配察知能力の鍛錬を推奨するぞ、クリス=ファーディナント。
別段気配を殺して近づいたわけでもないわたしに気づけなかったというのは、敵からの不意打ちを察知するにあたり、致命的な能力欠如だ」
いきり立ってクリスが怒鳴るのに、レントは淡々とそう述べる。無表情を飾る乳白色の髪に紫紺の瞳、青を基調としたローブという、どこか冷え冷えとした色合いのせいで、余計に冷たく聞こえた。
聞きようによってはかなりの皮肉、嫌味の類に取れるが、生憎と彼にその自覚はない。驚かせてしまったことに対する言い訳ですらない。本気でこう思っているのである。
知性や知識の面では成人以上でも、感受性の面では幼児並み――つまり、思ったことを遠慮容赦なくそのまま口にする。その上で、なまじ知識や判断力がある分、無邪気さがない。結果、どうにも皮肉げとも嫌味とも言えるような言動になってしまうのである。
しかしこれでも、本当に生まれたばかりの頃――彼らが出会ったばかりの頃に比べれば、マシになったといえるのだ。当初の彼なら、クリスの不明を一刀両断するのみで、『鍛錬を推奨する』などといったアドバイス的な発言はなかっただろう。
そう考えて、角の立つ物言いに関しては目をつぶることにして、ついでに、驚かされたことへの謝罪を要求するのも諦めて――八割がた自身の油断のせいである、要求したところで言い負かされるのがオチだ――、クリスは溜息混じりに言った。
「で、何しに来たんだ、お前は」
「エイプリルが鹿を仕留めた。運ぶのを手伝え」
端的に告げるレントに、クリスはもう一つ溜息をこぼした。
「見ての通り、こっちは何も収穫なしだ。今日の晩餐は鹿尽くしだな」
「わたしとノエルで山菜や木の実なども集めておいた。栄養価的には、最良とは言えないが、大きな問題があるほどではない」
手際よく釣り道具を片付けながら、バケツを目で示してクリスが告げれば、レントは淡々とそう答え、
「しかし、エイプリルより先に自信満々で出て行って、結局収穫なしとは情けないな」
口調はそのままだが、これは間違いなく、そうと意図して吐かれた嫌味だ。
「うるさいっ! 今日はどうも調子が悪かったんだ。この前もその前も、バケツいっぱい釣って戻っただろうが!」
気まずいのもあって、思わず怒鳴るクリスに、レントはやれやれと言った調子で、
「過去の栄光を持ち出して言い訳とは、情けない。これだから神殿は」
「たまの失敗をねちねち言うほうが陰険だろう! この悪の手先が!?」
互いに言い合って、睨み合い――どちらともなく、その視線を緩めた。
「……馬鹿馬鹿しい。さっさと行かんとエイプリルがうるさいだろうしな」
「そうだな。ノエルが空腹を覚えている様子だった。彼女を待たせてはいけない」
口々にいい、さっさと夕食の準備に参加するため、分担して手際よく釣り道具の片付けに入るのだった。
◇ ◆ ◇
今晩は、山道で見つけた地元猟師が使っているらしい山小屋を使わせて貰うことにした、フォア・ローゼスの一同は、各々分担して手際よく夕餉の支度を整えていた。
一年半前、この四人で旅をしていた際は追われる身だったが、今は追っ手を警戒する必要もない。野生動物などの襲撃はあるかもしれないが、それほど気を張る必要もなく、一同はそれぞれの仕事をこなしていた。
「……不可解だ」
「何がですか?」
捌いた鹿の肉を見事なもみじ鍋へと調理しながら呟いたレントに、側で器を用意していたノエルが首を傾げた。
ノエル=グリーンフィールド。レントを造ったダイナストカバルの大首領、そして長らく反逆者として扱われていた薔薇の巫女・ノイエを両親に持ちながら、複雑な事情で実の両親と離れ、16まで貴族の娘として育ってきた少女。
グリーンフィールド家の養父母達に大事に育てられてきたゆえか、それとも生まれついての気性か、どうにもお人好しで疑うという概念が薄い。邪気のない大きな碧い瞳に、肩ほどまでの栗色の髪がよく似合う、溌溂とした表情が愛らしい少女だ。
小柄な体躯でちょこまかと夕餉の準備に動き回るさまは、まるで小動物だった。まあ、二年近くの冒険で鍛えたその剣の腕は、小動物どころか百獣の王も真っ青なフィニッシャーっぷりなのだが。
「クリスです。得意分野の釣りで失敗したというのに、落ち込んだ様子がない」
と、残った鹿の肉を干し肉にする作業中のクリスを目でさして、レントは答えた。
「あ~、そういえばそうですね。でも、クリスさんは釣りが好きだから、釣れる釣れないは関係ないんじゃないでしょうか?」
「……よく、わからないのですが……」
ノエルの返答に、湖畔でクリスと話していた時とは異なる、丁寧な口調でレントは問い返す。
レントにとって、偉大なる大首領の息女にして、自身の所属するギルドのマスターでもある彼女は、最大級の敬意と誠意を持って接するべき相手なのだ。
まあ、そんな“肩書き”を差っ引いても、彼女はどこか放っておけないというか、大切にしなければいけないような感覚を、レントに抱かせたりするのだが。
「う~ん……うまく説明できないんですけど、趣味とかって、うまくいったとか失敗したとか関係なく楽しむものというか~……やってることそのものを楽しむというか~」
「まあ、結果に関わらず、その過程を楽しむもの、ってとこだな。趣味ってのは」
自身の分担――鹿の毛皮や角など手入れと片付けを終えたエイプリルが、鍋の脇に腰を下ろしながら、ノエルの言葉をそうまとめた。
エイプリル=スプリングス。ノエルよりは大人びて見える少女。腰ほどまでもある、緩く波立った金の髪。絶妙な均整の面立ちの上の、宝石のような蒼い瞳。すらりとした肢体に深紅の衣装を纏ったその様は、人の目を引かずに入られない艶姿。
しかし――
「……エイプリル。つまみ食いをするな」
「いいじゃねぇか、ちょっとぐらい。獲ってきたのは俺だぜ」
ひょい、と素手で鍋の端で煮えていた肉をつまんで口に放り込み、レントの抗議をぞんざいな口調であしらう様は、オヤジ以外の何者でもなかった。
「レントさんは、何かそういう趣味はないんですか?」
ノエルが、二人のやり取りに割り込むように、ややズレたタイミングで訊いた。レントは鍋の灰汁を取りながら、少し考えてみる。
結果に関わらず、過程を楽しむ。戦術に関しては、失敗しては楽しむどころか命が危うい。失敗しても大事無い事柄――料理、裁縫、清掃、洗濯……様々な分野を思い浮かべてみるが、“失敗しても楽しめる”ことは何も思い浮かばなかった。
一年半前、この四人で旅をしていた際は追われる身だったが、今は追っ手を警戒する必要もない。野生動物などの襲撃はあるかもしれないが、それほど気を張る必要もなく、一同はそれぞれの仕事をこなしていた。
「……不可解だ」
「何がですか?」
捌いた鹿の肉を見事なもみじ鍋へと調理しながら呟いたレントに、側で器を用意していたノエルが首を傾げた。
ノエル=グリーンフィールド。レントを造ったダイナストカバルの大首領、そして長らく反逆者として扱われていた薔薇の巫女・ノイエを両親に持ちながら、複雑な事情で実の両親と離れ、16まで貴族の娘として育ってきた少女。
グリーンフィールド家の養父母達に大事に育てられてきたゆえか、それとも生まれついての気性か、どうにもお人好しで疑うという概念が薄い。邪気のない大きな碧い瞳に、肩ほどまでの栗色の髪がよく似合う、溌溂とした表情が愛らしい少女だ。
小柄な体躯でちょこまかと夕餉の準備に動き回るさまは、まるで小動物だった。まあ、二年近くの冒険で鍛えたその剣の腕は、小動物どころか百獣の王も真っ青なフィニッシャーっぷりなのだが。
「クリスです。得意分野の釣りで失敗したというのに、落ち込んだ様子がない」
と、残った鹿の肉を干し肉にする作業中のクリスを目でさして、レントは答えた。
「あ~、そういえばそうですね。でも、クリスさんは釣りが好きだから、釣れる釣れないは関係ないんじゃないでしょうか?」
「……よく、わからないのですが……」
ノエルの返答に、湖畔でクリスと話していた時とは異なる、丁寧な口調でレントは問い返す。
レントにとって、偉大なる大首領の息女にして、自身の所属するギルドのマスターでもある彼女は、最大級の敬意と誠意を持って接するべき相手なのだ。
まあ、そんな“肩書き”を差っ引いても、彼女はどこか放っておけないというか、大切にしなければいけないような感覚を、レントに抱かせたりするのだが。
「う~ん……うまく説明できないんですけど、趣味とかって、うまくいったとか失敗したとか関係なく楽しむものというか~……やってることそのものを楽しむというか~」
「まあ、結果に関わらず、その過程を楽しむもの、ってとこだな。趣味ってのは」
自身の分担――鹿の毛皮や角など手入れと片付けを終えたエイプリルが、鍋の脇に腰を下ろしながら、ノエルの言葉をそうまとめた。
エイプリル=スプリングス。ノエルよりは大人びて見える少女。腰ほどまでもある、緩く波立った金の髪。絶妙な均整の面立ちの上の、宝石のような蒼い瞳。すらりとした肢体に深紅の衣装を纏ったその様は、人の目を引かずに入られない艶姿。
しかし――
「……エイプリル。つまみ食いをするな」
「いいじゃねぇか、ちょっとぐらい。獲ってきたのは俺だぜ」
ひょい、と素手で鍋の端で煮えていた肉をつまんで口に放り込み、レントの抗議をぞんざいな口調であしらう様は、オヤジ以外の何者でもなかった。
「レントさんは、何かそういう趣味はないんですか?」
ノエルが、二人のやり取りに割り込むように、ややズレたタイミングで訊いた。レントは鍋の灰汁を取りながら、少し考えてみる。
結果に関わらず、過程を楽しむ。戦術に関しては、失敗しては楽しむどころか命が危うい。失敗しても大事無い事柄――料理、裁縫、清掃、洗濯……様々な分野を思い浮かべてみるが、“失敗しても楽しめる”ことは何も思い浮かばなかった。
というか、そもそも何でもそつなくこなしてしまうので、“失敗しても”という仮定に当て嵌めて考えられる事柄がない。ならば、やっているときに“楽しい”と思うことは――そう考えても、どれも必要だからこなしていることであって、何の感慨もなかった。
「……思いつきません……」
何故だか無性に情けないような気分でそう答え、そのまま沈黙するのが何となく辛くて、問いを口にする。
「エイプリルは?」
「俺か? 俺は食べ歩きだな。あと、賭け事か。どっちも当たりを引くのに越したことはないが、失敗するリスクがあるからこそ、やりがいがあるってもんだ。まあ、スリルを楽しむ、ってヤツだな」
エイプリルはあっさりとよどみなく答える。
「……ノエルは?」
「あたしですか? う~ん、グリーンフィールドのお家にいた頃は、よくお父様とチェスをしたり、お母様とお料理をしたり……どっちも下手なんですけど、楽しいんですよ!
あとお母さんとの手紙も楽しみだし、レントさんの携帯大首領でお父さんとお話しするのも……」
問われたノエルは、指折り数えながら次々と上げていく。
「エイプリルさんとお買い物や食べ歩きに行くのも楽しいし、クリスさんと剣の練習をするのも楽しいし……」
それに、とレントに満面の笑みを向けて、彼女は言った。
「レントさんと、こうやっていっぱいお話しするのも楽しいです!」
その瞬間、何故かレントの人工頭脳は、全身に対する指示を放棄して、凍結(フリーズ)した。
そのくせ、循環器系は暴走したように活性化し、頭部――というか顔面に、オイルが集中する。
「……レントさん、どうかしました?」
「い、いえ……その……ノエルが楽しい、と思えることに、わたしが役に立っているなら……光栄です」
ノエルの言葉に、何とか全身の制御権を取り戻して凍結から脱すると、しどろもどろでよくわからない返答を口にしてしまった。言語中枢と思考回路が、やや混乱しているようだった。
原因不明の自身の不調に、近いうちにドクトル・セプターに診てもらうべきかも知れない、とレントは思った。その横で、にやにやと面白がるような笑みを浮かべているエイプリルに、気づかないままで。
「……思いつきません……」
何故だか無性に情けないような気分でそう答え、そのまま沈黙するのが何となく辛くて、問いを口にする。
「エイプリルは?」
「俺か? 俺は食べ歩きだな。あと、賭け事か。どっちも当たりを引くのに越したことはないが、失敗するリスクがあるからこそ、やりがいがあるってもんだ。まあ、スリルを楽しむ、ってヤツだな」
エイプリルはあっさりとよどみなく答える。
「……ノエルは?」
「あたしですか? う~ん、グリーンフィールドのお家にいた頃は、よくお父様とチェスをしたり、お母様とお料理をしたり……どっちも下手なんですけど、楽しいんですよ!
あとお母さんとの手紙も楽しみだし、レントさんの携帯大首領でお父さんとお話しするのも……」
問われたノエルは、指折り数えながら次々と上げていく。
「エイプリルさんとお買い物や食べ歩きに行くのも楽しいし、クリスさんと剣の練習をするのも楽しいし……」
それに、とレントに満面の笑みを向けて、彼女は言った。
「レントさんと、こうやっていっぱいお話しするのも楽しいです!」
その瞬間、何故かレントの人工頭脳は、全身に対する指示を放棄して、凍結(フリーズ)した。
そのくせ、循環器系は暴走したように活性化し、頭部――というか顔面に、オイルが集中する。
「……レントさん、どうかしました?」
「い、いえ……その……ノエルが楽しい、と思えることに、わたしが役に立っているなら……光栄です」
ノエルの言葉に、何とか全身の制御権を取り戻して凍結から脱すると、しどろもどろでよくわからない返答を口にしてしまった。言語中枢と思考回路が、やや混乱しているようだった。
原因不明の自身の不調に、近いうちにドクトル・セプターに診てもらうべきかも知れない、とレントは思った。その横で、にやにやと面白がるような笑みを浮かべているエイプリルに、気づかないままで。
◇ ◆ ◇
レントは夕餉の後、片づけを終えると、見回りと称して小屋を出て、携帯大首領で本部に連絡を取った。自身の不調で、仲間達に――特にノエルに不安を与えたくなかったためである。
まず、偉大な大首領に近況報告――主に彼の愛娘であるノエルに関すること――を済ませてから、少々不調があることを告げて、自身の製作者であるドクトル・セプターに替わってもらった。
最初は案じる調子で聞いていたドクトルだったが、レントが経緯と症状の説明を終えた途端、何故か爆笑した。
『ぎぃ――――ひっひっひッ! くくっ……いやいや、レントや、それは心配するようなもんではない。安心せい』
「……そうなのですか?」
レントは思わず眉を寄せた。突如、言動が凍結することが心配するような問題ではないとは、どういうことなのだろう。
『それはな、人なら誰しも罹る病だ』
「……病……ですか?」
放置していて平気なのだろうか、と不安げに呟くレントに、ドクトルはあっけらかんと笑い飛ばすような調子で言った。
『まあ、こじらせると厄介なものだが、お前の場合は大丈夫だろう。それに、その病に罹ったということは、お前がより人間らしくなったということだ』
父は寧ろそれが嬉しいぞ、と笑みを含んだ声で言われて、レントも我知らず口許を緩めた。
自身の作った人工生命を我が子と想うこの博士が、大丈夫だと言い切るのだ。ならば、大事にならぬうちに自然治癒する類の病なのだろう。
『しかし、レントや。結局、お前の趣味は見つからずじまいか?』
問われて、レントは少し考える。ノエルの答えを聞いてから、自分の中で、うっすらと浮かび上がったものがあった。
「……結果の予測はつかないものの、やっている最中に、どことなく心が弾むことなら、見つけました」
『ほう、なんじゃ?』
興味津々、といった調子で問う父にレントは答える。
「ノエルに何かしてあげること、です」
『………………』
何故か、博士が沈黙した。
やはり的外れな回答だったのだろうか、と、レントは不安になった。
しかし、ノエルにお菓子やぬいぐるみを作ったり、彼女への土産などを店で見ている時など、確かに“楽しい”と思うのだ。喜んでくれるだろうか、驚くだろうか――その結果(リアクション)は、必ずしも予測通りにならないが、それでも楽しい。
結果に関わらず経緯を楽しむ、というのには、合致していると思うのだが――
『まあ……それも、ありかもしれんのぅ』
「そうですか」
沈黙の後に告げられた博士の言葉に、レントは静かに安堵した。
『しかし、その“趣味”はあまり他言せん方がいい。――特に、大首領とノエル嬢当人には』
「は……? 何故――」
『いいから。父の言う通りにせい、息子よ』
こうまで言い切られてしまっては、問うに問えない。最も敬愛すべき二人に秘め事をせよ、というのは不可解だったが、まあ、この父が言うのだから、それなりの理由があるのだろう。
「わかりました」
『うむ、それでいい。……では、またな。大首領に替わる』
「はい、ではまた、ドクトル」
替わって通話に出た大首領に、いつものように合言葉のような挨拶を告げて通話を終えると、レントは、憂いの消えた軽い足取りでノエル達の待つ小屋へと戻っていった。
まず、偉大な大首領に近況報告――主に彼の愛娘であるノエルに関すること――を済ませてから、少々不調があることを告げて、自身の製作者であるドクトル・セプターに替わってもらった。
最初は案じる調子で聞いていたドクトルだったが、レントが経緯と症状の説明を終えた途端、何故か爆笑した。
『ぎぃ――――ひっひっひッ! くくっ……いやいや、レントや、それは心配するようなもんではない。安心せい』
「……そうなのですか?」
レントは思わず眉を寄せた。突如、言動が凍結することが心配するような問題ではないとは、どういうことなのだろう。
『それはな、人なら誰しも罹る病だ』
「……病……ですか?」
放置していて平気なのだろうか、と不安げに呟くレントに、ドクトルはあっけらかんと笑い飛ばすような調子で言った。
『まあ、こじらせると厄介なものだが、お前の場合は大丈夫だろう。それに、その病に罹ったということは、お前がより人間らしくなったということだ』
父は寧ろそれが嬉しいぞ、と笑みを含んだ声で言われて、レントも我知らず口許を緩めた。
自身の作った人工生命を我が子と想うこの博士が、大丈夫だと言い切るのだ。ならば、大事にならぬうちに自然治癒する類の病なのだろう。
『しかし、レントや。結局、お前の趣味は見つからずじまいか?』
問われて、レントは少し考える。ノエルの答えを聞いてから、自分の中で、うっすらと浮かび上がったものがあった。
「……結果の予測はつかないものの、やっている最中に、どことなく心が弾むことなら、見つけました」
『ほう、なんじゃ?』
興味津々、といった調子で問う父にレントは答える。
「ノエルに何かしてあげること、です」
『………………』
何故か、博士が沈黙した。
やはり的外れな回答だったのだろうか、と、レントは不安になった。
しかし、ノエルにお菓子やぬいぐるみを作ったり、彼女への土産などを店で見ている時など、確かに“楽しい”と思うのだ。喜んでくれるだろうか、驚くだろうか――その結果(リアクション)は、必ずしも予測通りにならないが、それでも楽しい。
結果に関わらず経緯を楽しむ、というのには、合致していると思うのだが――
『まあ……それも、ありかもしれんのぅ』
「そうですか」
沈黙の後に告げられた博士の言葉に、レントは静かに安堵した。
『しかし、その“趣味”はあまり他言せん方がいい。――特に、大首領とノエル嬢当人には』
「は……? 何故――」
『いいから。父の言う通りにせい、息子よ』
こうまで言い切られてしまっては、問うに問えない。最も敬愛すべき二人に秘め事をせよ、というのは不可解だったが、まあ、この父が言うのだから、それなりの理由があるのだろう。
「わかりました」
『うむ、それでいい。……では、またな。大首領に替わる』
「はい、ではまた、ドクトル」
替わって通話に出た大首領に、いつものように合言葉のような挨拶を告げて通話を終えると、レントは、憂いの消えた軽い足取りでノエル達の待つ小屋へと戻っていった。
ちなみに、
「……我が息子の恋の病は、些か重症かもしれんのぅ……」
本部でドクトルが大首領に聞こえないようにボソリとそんなことを呟いていたが――それは、レントには知りようもないことである。
「……我が息子の恋の病は、些か重症かもしれんのぅ……」
本部でドクトルが大首領に聞こえないようにボソリとそんなことを呟いていたが――それは、レントには知りようもないことである。
(終わり)