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くれは小編~彼女の最近の日常

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takugess

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くれは小編~彼女の最近の日常



 人間がこの世で最も書き慣れた文字。
 それはおそらく、『自分の名前』ではないだろうか。
 葉書の差出人欄やテスト用紙の氏名欄、はたまた宅配便の受け取りのサインまで。人が生涯で最も多く書く文字は、もしかしたら自分の名前なのかもしれない。
 芸能人やタレントであれば、平凡な人生を送る普通人よりも『サイン』という形でより多くの名前を書き散らすことになるだろう。
 しかし、芸能人でなくとも、自分で自分の名前が嫌いになってしまうのではないだろうかと要らぬ心配をしてしまうくらい、サインを書かなければならない立場の人間というのは確かにいるものである。
 そう。
 それはたとえば、『世界の守護者代行』という役職に就かされた、とあるひとりの少女のように。




「はわ~………はわ~………もーサインするのやだよ~………右手が痛いよ~………」
 時空の狭間に浮かぶ豪奢なる宮殿の執務室。
 主人不在のアンゼロット宮殿の一角に位置するその部屋に、世にも情けない泣き声が響き渡る。
「左手ももう動かないよ~………判子押すのも疲れたよ~………もう飽きたよ~………」
 泣き言に混じって時々聞こえてくるのは、ぺたん、ぺたん、という弱々しい音だった。
 見れば、書類の束とスタンプインキの間を行ったり来たりしている左手が、疲労のあまり痙攣しながらも、慢性的に紙の上へと判を押し続けている。
 利き手で書類の確認欄、承認欄に自分の名前を書き、そのつど左手で同じ書類に判子を押す。
 これは、彼女がいまの地位に就いてからはほとんど日課となった定例業務のひとつであったが、今日の書類の量たるや、普段とは比べ物にならないほどなのであった。
「うう………あと、ちょっと~………」
 黒檀製の豪勢な机に突っ伏すようにして、両手を紙の上でわさわさと動かすその姿は、ほとんど生ける屍である。口は半開きで、目も死んでいた。

 椅子に腰掛けた彼女の目の高さまで積み上げられていたはずの書類の山は、いつしか十数枚を残すのみとなっている。なんだかんだ言いながらも、きちんと与えられた仕事を果たすのは性分だ。
 彼女の名前は赤羽くれは。
 ウィザードで巫女で、でもいまはなんの因果か世界の守護者(の代行)である。
 ぺたん。かりかり。ぺたん。かりかり。
 赤いインクと重なるように走り書きされた文字は、ちょっとミミズがのたくったように崩れてはいたが、確かに『赤羽くれは』と読めないこともない。
 自らの過去の清算をしに行くなどと嘯きながら、世界の守護者という大任をくれはに任せて異世界へと旅立った銀髪の少女のことを思う。
 いまさらではあるが、やはりくれはは彼女の存在の大きさというものに感嘆を禁じえなかった。
 これほどの激務をあんな涼しい顔でこなしていたのだから、やっぱり彼女は凄い人だったのだ。
 いつも優雅に紅茶を飲み、その合間に、おちょくると面白い魔剣使いをいたぶっているだけの性悪少女ではなかったのである。
「あと三枚………二枚………はわ~………お、終わったよ~………」
 フルマラソンを完走したランナーのような面持ちで、ごちん、と机の上にオデコを乗せる。
 ようやく人心地がついた。そう、彼女が思ったのも ――― 無理のないことだった。

 どさり。

「はわ………?」
 机に突っ伏した耳のすぐ横で、なにか不吉な音がした。
 そう。それはまるで、両手で抱えなければ持てないほどの大量の紙の束を、よっこらしょ、っと置くような音だった。
 昔、聞いたことのある、怖い、そして悲しい話をくれははなぜか思い出す。

 賽の河原で石を積む子供たち。
 せっかく積んだ石を、鬼風が吹いては崩し、また子供らは石を積む。
 一じゃうつんでは、ちちのため、二じゃうつんでは、ははのため。

 おそるおそる、目を開く。
 そこには、せっかく片付けたのにまた新しく追加で置かれた書類の束。
 賽の河原の子供たちは石を積み、くれはは積まれた書類を処理するという正反対の行動ではあったが、鬼が余計なことをしに来て、悲しい目に遭わされるのは同様の立場であろう。
 そこには鬼 ――― 仮面を着けたくれは付きのロンギヌス・メンバーがしれっとした顔をして直立しており、
「赤羽代行。本日中に処理いただかなければならない案件書類、“第二弾”でございます」
 小憎らしいほどに冷静な顔をして、そんな絶望的な台詞を吐いた。

「は………はわーーーーーーーーーっ!?」

 本当に泣き出したい気分になって、くれははこのフロア中に響き渡るような、大音声の「はわ」を叫んだ ―――




 それからきっかり六時間後。
 ロンギヌス言うところの「本日中に処理が必要な書類“第五弾”」までを片付け終えたくれはは、真っ白に燃え尽きていた。かつてない激務。かつてない物量の書類という名の悪魔。
 これほどまでに仕事が溜まってしまった理由は、実はくれはもよく理解している。
 日頃の仕事を淡々と片付けているわけにはいかなくなるような大事件が二つ、立て続けに彼女の身の回りで起きたからだ。その事件の詳細はあえて割愛するが、
「ぐす………冥刻王め~………」
 とか、
「柱なんて落としてくれちゃって………余計なことを~………」
 とか、半泣きで恨み節をぶつぶつと呟く彼女の様子から、くれはがどのような「事件」に関わっていたのかは、事情に明るいものならばおおよそ理解できるであろう。

 彼女がそれらの事件の処理に、仲間たちと共に東奔西走しているうちに ――― 見る見るうちに仕事は溜まっていったのである。
 というよりも、それらの事件にしたところで、ただでさえ仕事量の多さに音を上げていたところをわざわざ抜け出して処理したものなのだ。
 その結果として、このような末路が自分を待っていたということは、当然のことながらくれはにとっても予測の範疇であった。だが、甘かった。認識が甘すぎた。
 世界の守護者の多忙さが、たかが代行 ――― いやさ見習いのくれはにとって、数日空けたブランクを容易く埋められるほど生易しいものではないのだということを、今さらながらに思い知る。
「お疲れ様でした、赤羽代行。本日の業務はこれでつつがなく、すべて終了です。お茶など、お持ちいたしましょうか?」
 事務的な調子でロンギヌスが言う。本日の激務がよほどこたえたものか、
「いい………いらない………たぶん、吐く………なにか口に入れたら、絶対そのまま、吐く………」
 真っ青を通り越して紫色に近い顔色で、くれはは虚ろに呟いた。仕事の後の煎餅と緑茶をくれはが断るなど余程のことである。彼女の疲労が極限に達していることが、容易に見て取れた。
 左様でございますか、では ――― と、簡潔に述べて一礼し、ロンギヌスが執務室を退去する。
 ぱたり、と扉が閉まり、自分ただひとりとなった執務室で、くれははしばらくの間、
「はわ………はわわ………」
 と、うわごとのように繰り返していた。
 ほっぺたをべったりと机の上に押し付けているので、顔がすっかりへちゃむくれている。
 とても誰かに見せられたものではない。自分ひとりのときにしかできない荒業である。
 そんなとき、この執務室を訪れた来訪者たちが、部屋の扉をノックするというごく当たり前のマナーを知っていたということは、くれはにとっては僥倖であった。
 こん、こん、と二つ。
 なんとか疲労しきった肉体に鞭打って、せめて顔だけはきちんと起こそうと、首をもたげるくれは。

「………はわ~………どうぞ~………」
 本当は居留守のひとつも使いたいぐらいである。
 こんなときに訪ねてくる間の悪い来客に、タンブリングダウンでもお見舞いしてやりたい気分なのである。
 だがそういうわけにはいかない。
 いまこのときにも、どこかで世界が滅亡の危機にさらされているかもしれない。
 これはその予兆を告げる報告なのかもしれない。
 はたまた、世界の守護者代行という立場の自分を頼って来た誰かであるかもしれない。
 それを無碍に追い返したり、自分の気分ひとつで居留守を使うのは、どうにもくれはは気が引ける。これも、結局のところは彼女の性分なのである。
「お疲れ様です、くれはさん。いま、お時間大丈夫ですか?」
「………お疲れ様、くれは」
 同時に入室してきた二人の姿を見て、くれはも思わずほっと息をついた。
 最初の挨拶は真行寺命。つい先日まで長い昏睡状態にあったが、ごく最近目を覚まし、いまではくれはのお抱えウィザードのような立場で働いてくれている。
 そして命に続けて言葉を継いだのは、緋室灯。
 命同様に、最近ではちょくちょくくれはの呼び出しを受け、彼女の元で任務に就くことが多い。
 くれはとは、かつてこの世界の命運をかける大きな戦いを共に切り抜けてきた仲間でもあり、気心も知れている。
 さすがにいまは、くれはの立場もあるからであろう。
 変なところでTPOをわきまえたところのある灯は、人前では「赤羽代行」と呼ぶこともままあるが、こうして仲間内だけのときは、「くれは」、「あかりん」と呼び合う間柄である。
「二人とも~………いらっしゃ~い………」
 地の底から這いずり出すような低い声で歓迎の挨拶をされて、命と灯が思わず仰け反った。
「うわ………いつにもまして………」
「………」
 これはいつもよりひどい。
 瞬時にそう察知して、二人ともなんと次に声をかけたらいいものか分からずに絶句する。

「あ~、お茶とお茶菓子用意するから待ってて~………」
 そう言いつつ、のろのろと身体を起こすくれはに、
「あ、いいです、いいです! そんなに気を使わなくても!」
 命が慌てて制止した。実は二人とも、こうしてくれはをちょくちょく訪ねてきてくれるのだ。
 それには、慣れない守護者業務に勤しむくれはをねぎらう意味がある。
 気分転換の話し相手だったり、ときには手土産を持って参上したり。
 実際、彼らのおかげでストレスを溜め込むこともさほどなく、なんとかくれはがやっていけるのは、命たちの働きに負うところも少なくない。
「………ちょっと様子を見に来ただけ。すぐに帰るから」
「今日はとにかく、早めに休んだほうがいいですよ」
 気遣う言葉も、その気持ちも。不思議と二人の息がぴったりと合っている。
 一目でいまのくれはの状態を見抜いたのもそうだが、ほぼ異口同音にそういう台詞が出てくるというのも、二人がいかにくれはを案じているかの良い証拠であろう。
「ううん、平気だよ~………って言いたいけど………ごめんね………ほんと、今日はもうだめみたい~………」
 目をうるうるさせながら命たちに謝るくれは。
「そんな。僕らのことは気にしないで、今日はたっぷり休息を取ってください」
「また、今度はもう少し大丈夫そうなときに………来るから」
 そう言い残してきびすを返す二人に、ごめんね、と机にへばりついたままで、くれはがもう一度声をかける。
 揃って首を振り、振り返って歩み去る二人の背中を、くれははしばし見つめ続けていた。

 ぱたん。

 ゆっくり、静かに、執務室の扉が閉まる音。
 急に静まり返った室内に、くれはの長い、長い溜息が落ちた。

「はあっ………やっぱり、ちょっと変わったなあ、あかりん ――― 」
 唐突に。あまりにも唐突にそんなことを言ってみる。
 やっぱり、命くんが目を覚ましてからだよね ――― 記憶を探るように、そんなことをつらつらと思い浮かべるくれはであった。
 どこが変わったといって ――― やっぱり、瞳 ――― かなあ。
 くれははそう、思う。
 鋭く ――― そして、大きな紅い瞳。
 以前は感情の変化に乏しく、付き合いの長いものでなければ読み取りづらかった灯の心情の動きであったが、いまのくれははほぼ彼女がどんな想いでいるのかを理解することが出来る。
 理解できるからこそ、
「ああ、いまのあかりんは満ち足りているんだなあ」
 そう考えることが出来るのだ。
 かつては冷静すぎた瞳に、いまは随分と穏やかなものが漂っている。
 彼女と任務を共にしたり、ときには任務を与えたりするくれはは、灯の戦い方にも以前と比べて大きな変化が起きていることを見抜いていた。
 機械のように正確で、緻密。
 それがいまは、もっと思い切った戦い方ができるようになっている ――― そんな気がするのである。以前はもう少し、機械的な戦い方のなかに、ある種刹那的なものが漂っていたようだった。
 それは、任務を遂行する上で、自分の身体や生命をもひとつの『作戦の駒』のように見るきらいがあった ――― とでも言えばいいだろうか。
 それがいまは、違う。
 任務を遂行するにあたっての正確さや緻密さはそのままに、なにより『生きよう、生かそう』という強い意志がより如実に表れている。
 それにはやはり、眠りから覚醒した命の存在が大きいのだろう。
 灯の横で寄り添うようにヒルコを振るう少年の存在は、静かに、しかし確かに灯に変化を及ぼしていた。
 灯は前よりも強く、大きく、そして眩しくなった ――― そんな風にも思えるのだった。

 だから、くれはは溜息をつく。いや、だから ――― という表現は正しくない。
 “なぜか”、くれはは溜息をついてしまう。
 背伸びをする猫のように、机に前のめりにへばりついたままで。
 疲れきった心身を持て余したように、くれはは冷たい机の上でもぞもぞと意味もなく身体をよじらせた。
 そして、命と灯の去った後、誰もいなくなったはずの空間に向かって、これもけっして他人の前では言わない ――― いや、言えない言葉を呟いた。
「羨ましくなんか、ないもんねー………」
 机の端っこ、伏せたままの写真立てに手を伸ばす。
 かたり、と乾いた音を立てながら、一葉の写真が収まった写真立てを引き寄せた。

 そこに写っているのは ―――

 げんなりした顔で、『卒業証書』と書かれた一枚の紙を提げ持ち、突っ立っている幼馴染みの魔剣使いと。
 そこに割り込むように身を乗り出し、満面の笑みを咲かせながらピースサインをする自分。

 二人の ――― 二人だけの写った、記念写真であった。
 輝明学園卒業を記念して二人で撮った写真は、くれはがこの大任を引き受けるに当たって、まず一番初めにアンゼロット宮殿に持ち込んだ品である。
 命たちが居た空間を、どこかふてくされたように眺めていたくれはの顔が、写真に写った自分たちの姿を見ているうちにだんだんとほころんできた。
「………まったく………ほんと、ひとつの場所に落ち着かないやつだよねー………」
 いまはこの世界とは別の場所で、きっと戦い続けているに違いない幼馴染みを、どこか優しいからかいの言葉で揶揄するくれは。
 げっそり、げんなりしていた表情が、段々と快活な、普段通りのくれはの笑顔を取り戻す。
 どこかで戦っているんだよね。どこかで、頑張っているんだよね。
 ぼろぼろになって。ちょっぴり笑える、不幸な目に遭いながら。
 それでも、誰かのために、世界のために走り回ってるんだよね。

「相変わらず、なんだから ――― 」
 でも、だからこそ。
 異郷の地で幼馴染みが奮闘しているさまを思い浮かべると、不思議と心に浮かぶ気持ちがある。
「よし。私も、がんばろ」
 打って変わって生気を取り戻したくれはが、勢いよく席を立ち、両の拳を握り締めてガッツポーズを取っていた。
 明日、頑張るために。今日は、もう休もう。
 でもその前に、お茶を一、二杯と、お煎餅を何枚か。
 今日頑張った自分へのご褒美に、それくらいはあげてもいいだろう ――― くれははそう思う。

 席を立ち、扉のほうへ向かって歩きかけて。
 はた、となにかに気づいたように、慌てて机へと引き返す。

 表になったままの写真立て。
 誰にも見えないよう、見られないよう。
 ぱたんと、優しくひっくり返して、机の所定の位置にまた置いて。
 備え付けの内線電話でロンギヌスの控え室へとコール一回。
「やっぱり、熱いお茶。それとおせんべ。これからテラスに行くから、用意お願い~」
 受話器の向こうから、かしこまりました、という声がするのを満足げに聞きながら、くれはは執務室の扉へと、再び歩き出した。
 最後に一度。机の上で裏返った写真立てを振り返り。

「おーい………早く、帰ってこーい」

 自分の耳にさえ聞き取りにくいほどの小声で、そう呟くと ―――

 どんな激務も、世界の危機も乗り越えられるよう。
 世界の守護者(代行)の名前に恥じない、明日の自分であるように。

 くれはは心機一転、意気揚々と執務室を歩み出たのだった。


(了)

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