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~花の名前~

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takugess

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~花の名前~




     ※

 俺はときどき自問する。

 いったい、いつからこんなことになってしまったのだろう。
 ことの始まりはいったいいつのことだったのだろうか。
 どういう経緯で、自分はこんな風に瞳を囚われてしまったのか。
 心も身体も雁字搦めに絡め取られてしまったのだろうか。
 そして ―――
 はたしていかなるものの手が、こんなところへと自分を導いてしまったのだろうか ――― と。

     ※

 目の前でひたと自分を見つめる可憐な少女の真剣な眼差し。
 そのあまりの真摯さにたじろぎながら、アル・イーズデイルは背筋を伝う冷や汗の、じっとりとした湿気を確かに感じ取っていた。
 実は自分は女難の星の下に生まれたのではなかろうか ――― あまり考えたくもないことではあるが、そう思わずにはいられない自分の運命に、内心小さく悪態をつく。
 このとき、アルの頭に思い浮かんだのは母親や姉たち、はたまた腐れ縁とも言うべきグラスウェルズの女密偵の顔である。
 しかし、自分を取り巻く女性たちが一癖も二癖もある女傑や女怪ばかり(と本人たちの前で口に出しては到底言えないが)なのは、すでに諦めがついていた。

 だがしかし。
 それにしたって今回の“これ”はかなり強烈だ。

 アルの言うところの、一筋縄ではいかない女性たち。彼女たちの、よからぬことを企む顔や自分に無理難題を押し付けるときの冷血そうな無表情が、脳裏に浮かんでは消えていく。


 あの“おっかない”連中に比べれば、一見誰よりも無害で大人しく見えるくせに。
 世間知らずの甘ちゃんで、温室育ちのお姫様のくせに。

 ――― そのくせに―――

 実際、いままで自分を翻弄してきた女性たちの誰よりも、眼前にいるこの少女は、自分の心を惑わす術を無意識の内に心得ているかのようだった。

「アルさんが必要なんです。側にいて欲しいんですよぅ」

 初雪を思わせる白皙の頬をほんのりと紅に染め。
 華奢で小さな身体に相応しい小さな両の握り拳を、胸元で忙しなく上下にわさわさと振り動かしながら。
 哀願するように、甘えるように、線の細い可愛らしい声でアルにせがむ。
 つぶらな瞳を潤ませ、びくびくしながら自分の答えを待ち受けるさまが、なぜだかアルに仔リスを連想させた。
(だから……上目遣いはよせって……)
 ひた、と自分の顔に固定された視線が眩しいようだった。
 その視線から、気づかれぬほどかすかに目をそらす。
 これに真正面から相対してはひとたまりもない ――― なにがひとたまりもないのかは自分でも定かではなかったが ――― と、頭のどこかで危険信号が鳴り響いた。

 いつからこんなことになってしまったのだろう ――― 本気でアルはそう思う。

 仕草のひとつひとつが。
 呼びかける声のほのかな温かみと染み渡るような甘さが。
 投げかけられるひたむきな視線が ――― いちいち胸の奥をちりちりと焦がすようで。


 それでいて、こんな風に心惑わされることが、ちっとも不快に感じないのである。
 かすかな胸のざわめきをもたらす、危なっかしくて目の離せないプリンセス ――― いや、決して比喩なんかではなく、本物の王女 ――― ピアニィ・ルティナベール・レイウォール。
 この少女に振り回されっぱなしの自分を、不快どころか「案外こういうのも悪くないな」と思えてしまうのだから ―――

 ――― だから、女難。それも最大級の女難。

 彼女と居ると否応なしに巻き込まれるトラブルも。
 いまこうして自分に出されている無茶な要求も。
 アルは、心底から嫌がっているわけではない。このお姫様の唐突な提案もどことなく楽しく感じられ、むしろそれを嬉しく思ってしまえるのだから余計に性質が悪い。
 しかし今度ばかりはさすがのアルも返答に窮していた。
 なんといっても、いままでの自分の生き方や信念に軌道修正を加えざる得ないほどの決断を、彼は迫られているのである。
 レイウォール王国の圧制に喘ぐアヴェルシアの独立。
 新興王国として起つことを毅然と決意したピアニィがアルに望んだことは、彼を女王の第一の騎士として叙勲を与え、ともに国を支えて欲しい、というものだった。
 これには正直、アルも閉口せざるを得なかった。
 流れ者の傭兵稼業続きで、宮廷でのしきたりや華美なしつらえなどにはとんと疎い自分。
 ましてや貴族だの王族だのという連中がどうしても好きになれない自分が『女王の騎士』だ、などと笑い話にもなりはしない。
 軍師や犬娘になだめられ揶揄されながら、それでもアルが返答を逡巡していると ―――


「今日から、あ、あたしの騎士になりなさいっ!」

 懇願口調から一転しての命令口調。
 そのくせ頭ごなしに押さえつける風では一切なく、アルをなんとか引きとめよう、本心からの自分の願いをアルに分かってもらおうと、思わず口をついて出た言葉であった。
 もっとも、必死の思いが空回りしすぎた挙句のこの体たらく。
 たぶん、アルをその気にさせるための気の利いた台詞を言おうと、さんざん頭を振り絞る努力はしたのだろう、とは思う。
 しかし言うに事欠いて「あたしの騎士になりなさい」では、ただ自分の欲求を簡潔すぎるほど簡潔な形で叫んだに過ぎない。
 子供が駄々をこねるときの「おもちゃ買って」と、さほど程度は変わらないのである。
 もっとも ――― 逆を返せば ――― ピアニィの欲求が子供じみていればいるほど、その願いは純真無垢で強烈なものだと言うことができようか。
 自分の欲しいものを欲しいと叫ぶ子供の無垢を、誰も疑うことなどできないのと同様に ―――

 とはいえ、バーランド宮のホール一杯に、一瞬にして生温かい沈黙が満ちたのは無理からぬことである。
 旧アヴェルシアの領民たちの多くも固唾を呑んで見守るなか。
 国を興して起つと宣言した可憐なる女王が、自らの危急を救い続けてくれた剣士に対し、誉れある騎士の叙勲を行うという、ある意味、新王国最初の一大イベント。
 そのドラマティックな展開が場を盛り上げ、頼まれなくても皆のテンションが高まること請け合いのこの場面での ――― この発言である。
「あちゃあ……でやんす」
 小声で呟いたのは言うまでもなくベネットであった。
 当のピアニィは、アルに叫んだときのままの姿 ――― つぶらな瞳をぎゅっと固く瞑り、唇を噛み締め、両手を力一杯握り締めたままで、ぷるぷると震えている。

 ああ。この姫さんは。

 アルはぼんやりと、そんなことを思ってみる。

 きっと自分が女王であるということも、いまは綺麗さっぱり忘れているんだろう。
 いまは、まだどこの誰ともわからぬ新女王を、神輿として担ぎ上げるのに相応しい器であるということを、領民の皆に知らしめなければいけないときでもあるというのに。
 それなのに。
 こんな必死で。
 ただの少女の顔をして。
 自分に側にいて欲しいなどと頼むのだ。
(ああ……やっぱり性質が悪りぃ)
 君主の失言を溜息混じりになだめるナヴァールと、自分の発言のどこが拙かったのか本気で分からずにうろたえるピアニィの姿を見ながら、アルは苦笑する。
 その苦笑が、大きな笑い声へと変わっていくのに、そう長い時間は必要としなかった。
「アル、さん……?」
 腹を抱えて笑うアルを訝しげに見つめ、ピアニィが呼びかける。
 ナヴァールの言葉通り。
 アヴェルシアの独立を裏付ける力 ――― すなわち武力としての騎士の力 ――― が、これから他国と渡り合う上で外交上の必要性を持つだろう、という言い分はもっともである。
 しかし、いまのアルにとってはそんな小賢しい理屈など、どうでもよいことのように思えた。
 なぜならピアニィは ―――

 アルを自分の側に置きたいという理由に、この国を強くするためなどという言葉は一言として発しなかったからだ。

 護ってくれるって ―――
 アルさんに、側にいて欲しい ―――
 約束しましたよね ――― ?

 と。
 これのどこが君主の ――― 女王としての言葉であろうか。
 どこまでも自分にとって都合のいい解釈をするならば、それはピアニィという少女の、彼女個人の願いである。

 それとも ――― こんな考えは、アルの空想の産物に過ぎないのだろうか?
 いや。
 それすらもいまのアルにとっては瑣末事と言えるかもしれない。
 いまはただ、ピアニィが自分を必要だと言っているそのこと自体が、大きな意味を持っているのだとアルは思う。

 最大級の女難だ、などと内心では斜に構えながら。
 同じ心で、ピアニィの側に居てやれることへの喜びを感じている自分がいる。
 だから性質が悪い。本当に性質が悪い。
 そしてある種の安堵とともに、こうも思う。
 騎士叙勲への拒絶も。
 いままですべて自分ひとりで責任を負ってきた、どこか気ままな生き方も。
 そんなすべてをひっくるめて放り出してでも行動を起こしたかったのに。
 いまのいままでそれができなかった自分に。
 一歩進む理由を、この姫さんは俺にくれたんだな、と。
 「約束」なんて言葉で言い訳をしなくても、ただ一緒に居たいから居るんだ、というシンプルな理由を ――― このときのアルはまだ、気づいていない。

 だからときどき自問する。

 いったい、いつから姫さんのことが、こんなに気になるようになってしまったのだろう。
 ことの始まりはいったいいつのことだったのだろうか、と。
 だけどいまは ―――

「 ――― 俺も手伝ってやる」
 ちょっと恩着せがましいような、だけどそれは本心からアルが望んだこと。
 そしてアルの言葉の意味を聡く理解したピアニィの、その笑顔がどれほど眩く、生気に満ちていたことか。

 可憐な花の蕾はそれだけで愛らしい。
 ただそこにあるだけで笑みが零れるような風情がある。
 しかし蕾がその花弁をふわりと開き、静かな躍動に満ちたときの美しさや芳しさは、閉じていたころの比ではない。
 喩えるなら花だ。ピアニィとは、そんな花の名前だ。
「ほっとけないってことなのかね、これは」
 花の喩えではないが、この言葉こそがアルの心からの自然の発露でもあった。
 花ならば護ろう。
 この花が根を張った大地はいまだ覚束ない、不毛の大地かもしれない。
 謀略という名の風が吹き、戦乱という名の灼熱の陽射しがこの花を枯らそうとするのなら、自分は日除けにも傘にもなってやろう。
 花を愛で、花を愛す ――― 自分には不似合いな趣味かもしれないが、“この花”だったら俺は護りたい。護り続けたい。アルは、心からそう思う。

(ああ ――― 第一の騎士っていうのはガラじゃあないが ――― )

 戦乱のアルディオンに咲いた花。

(新興のフェリタニアにそよぐこの花の、花守りっていうなら悪くない ――― )

 アルの口元にあるかなしかの笑みが浮かぶ。
 この戦乱の時代、すぐ後に巻き起こるのは大きな嵐であるには違いない。
 しかし、いまこのときだけは、バーランド宮の大ホールに春の温かい陽射しが降り注いでいる、と ―――

 ピアニィの柔らかな笑顔を見つめながら、アルはそう信じることができたのだった ――― 。

(了)

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