471 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:47:49 ID:???
■SEQUENCE 03
やさしい雨音が『部室』を包んでいる。
五月の雨はどこまでも柔らかく、午後の明かりをけぶらせて街を抱きしめ
る。
繁華街から流れる古めの洋楽ヒットナンバーが、余計に静かさを際立たせ
ているようだった。
『部室』の中の四人は思い思いの場所でくつろいでいる。梨銘とヤヌスは
ソファーに。聖騎士は引き寄せたオフィスチェアに。ダガーは誰が持ってき
たかは判らないスツールに。
漂うかぐわしい香りはダージリン。ヤヌスがファーストフラッシュの説明
をしたが他の三人の男にはさっぱりだった。つまりはなにか高級なものらし
い。
しばらく前に彼女が購入して『部室』に持ち込んだ物なのだが、他に飲む
人もなく、彼女だけが少しづつ消費をしていく状態だったそうだ。ご馳走し
てもらうのは三人が始めて、ということらしい。
「美味いね」
梨銘は云った。果物のように芳しい香りとでも云うのか。上手に説明は出
来ないが、粋な味だと思った。
「悪くないね。ヤヌス、紅茶の趣味があったんだ」
ダガーもゆるゆるとカップを回す。
「うまー。煎餅が欲しくなるな」
聖騎士は愛用の座布団をひいた椅子の上で胡坐をかいている。彼だけはカ
ップが足りなかったせいで湯飲みだ。寿司屋で使うようなごついデザインの
それは彼の私物で、墨痕鮮やかに「すまいといけめん」と相撲体で書かれて
いる。
472 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:48:46 ID:???
「まぁ、ファーストフラッシュは旬のものというか、味、落ちますし」
ヤヌスは先ほど三人から呼ばれた呼称が気に入らないらしく、まだちょっ
と拗ねたような表情をしている。
「私一人だと、使い切らない気がしたものですから。――これは特別なんで
すからね」
念を押す仕草。そんな仕草が可愛らしいと云われているのになぁ。ダガー
はそう思う。この娘の場合、本人は真面目にやってるわけで、その様子を観
察するのが楽しいから忠告はしない。
「うん、さんきゅ」
梨銘はにかっと笑う。無防備な笑顔。とはいえ、この笑顔に騙されてはい
けない。黒さでは澪に匹敵すると噂されているルーキーなのだ。
「でも、誰か飲んだのかもですね」
ヤヌスは小首をかしげる。
「なんで?」
「いえ、蓋が。――瓶の蓋がですね」ヤヌスは、右手の人差し指と親指でわ
ずかに隙間を作ってみせる。
「これくらい、斜めに閉まっていまして。……違いますよ? 私はそんなに
不器用じゃありません」
「ふぅん。……でもここに紅茶入れるような人っていたかね」
聖騎士が呟く。もともと、キッチンを使う人が少ないのだ。たまにこの場
所で宴会をする時などは大活躍だが、それ以外の日常ではみんな洗い物が面
倒なのか、使いたがらない。
殆んどの『部員』はコンビニで飲料などを買って済ましている。ちなみに、
ペットボトルのごみなどは、帰り道にコンビニで個々人が捨ているというの
が、『部室』の暗黙のルールだ。
473 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:49:50 ID:???
「コーヒーはマルクさん、たまーに淹れますね。俺、一回ご馳走になったよ」
梨銘は紅茶を呑みながら云う。
「アレも美味しかったなぁ」
「梨銘は食い物の話をしてるときだけは本当に幸せそうな」
ダガーの突っ込みに笑い声が起きる。
「失敬な。ゲームだって女の子だって大好きさ」
胸を張る梨銘に聖騎士が頭を左右に振る。
「まだ実在を信じているのか。<知識:宗教>か<知識:次元界>とれ」
瞑目して茶を飲む古武士然とした聖騎士は、その雰囲気を台無しにするよ
うなことを云う。その言葉にダガーがむせる。
「リアルでもそんな事云ってるのかよ。じゃぁ、そこの生き物は何だ」
「生き物とは何事ですかっ」
指差されたヤヌスは慌てたように声を上げる。その声も無視するかのよう
に落ち着いた声で聖騎士は答える。
「ゲーマーだろ」
「……」
「じゃなければ、身内」
呆れたようなダガーと梨銘の視線を受け流して聖騎士は、大きな湯飲みに
紅茶のお代わりを注ぐ。天然ボケなのか器量の大きい大人物なのか、さっぱ
り判らない存在がそこには存在した。
「感動しましたっ。そうですよね!! ごく普通の慎みあるただのゲーマー
であるわたしを、ただのゲーマーと認めてくれる人がこんな場所にいるとはっ」
あんまりに嬉しかったのかヤヌスはお代わりをしたばかりの聖騎士に紅茶
を勧めている。その喧騒を横目に見ながらため息をついたダガーは梨銘に話
を向けた。
474 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:51:51 ID:???
「で、梨銘はどうなの? ゲーマー扱いなの?」
梨銘は思案するようにくるんと視線をコンクリートの天井に向ける。
「ゲーマーで身内の存在が、委員長でらぶりぃでツンデレと両立しちゃいけ
ない理由って何かありましたっけ?」
けろりと言い放った。
「まぁ、本文では禁止されてないね」
相変わらず私は嬉しいと聖騎士に感謝をしているヤヌスには聞こえていな
いようだ。ダガーはそれを感じながら、梨銘の言葉を肯定する。
「で、その延長線上で、同時におもちゃでもあるっての、そんな感じがいい
かな」
「それはさすがに、FAQで禁止されるんじゃないかなぁ」
コイツはコイツで始末に負えないな。ダガーはそう思う。もっとも、始末
に負えるような常識人が少ないのも『部室』の特徴のひとつなのだが。
「何の話を、しているんですかー?」
気がつけば、聖騎士から離れたヤヌスが二人を見ている。笑顔だ。
その笑顔の異様な迫力に、梨銘はじりっと、あとずさる。
「あはーっ」
「笑っても誤魔化せません」
ヤヌスは笑ったままで断固たる抗議の波動を吹き上げる。こればかりは余
人には真似の出来ない名人芸の域だ。
「いや、う。何ですか。最近のR&Rの動向についてダガーさんと対話を交わ
していたというか。――ね、ダガーさん?」
梨銘はその体勢のままダガーに話を振る。
475 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:53:37 ID:???
「聖騎士、いくぞー」
「えーっ!?」
しかし、驚いたことに、ダガーはいつの間にか服装を整えてバッグを背負
い、スチールドアの前に立っていた。
「しばし待たれい」
どうやら二人は食事にでも出るらしい。約束でもあったのだろうか。しか
し、梨銘を置いて逃げ出すことには代わりがない。
「どうやら公正で厳粛なる天は、このさい梨銘君にきっちりきっぱりとした
反省を求めているようですね」
迫力を増すヤヌス。前かがみの姿勢でソファの端にまで追い詰められた梨
銘に迫る。
「で、どのような会話をかわしていたのか、お姉さんに告白しましょうか。
もちろんごく普通の慎みあるただのゲーマーであるわたしにはなんら係わり
合いの無い話ではあると信じてはいるんですが」
わたわたと逃げようとする梨銘。しかしソファはそこで無常にも終わりを
告げ、転げ落ちるぐらいしか道は残されていない。
「うわっ。あまりにも冷酷ですっ。ダガーさんっ!?」
「いや、それは身から出た錆。待ったなしの状況だね、どうにかしなって」
「まじでーっ!?」
ばたばたと手を振る梨銘。ダガーと聖騎士は、イエサブに行くとか、松屋
によってとか話をしている。いつもの買い物コースだろう。
「ダガーさん、助けてっ。ヘルプミー! そんなに通ったってストブリ出て
ないすからっ。あれ、出るわけないすからっ」
にこにこと迫るヤヌス。恐怖に震える梨銘。その梨銘が放った言葉にダガ
ーが反応する。
476 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:55:59 ID:???
「あー。ヤヌスさん」
「はい?」
「梨銘のこと、いわしちゃって」
「委細引き受けました」
くいっと眼鏡のリムを指先で押し上げながら返答するヤヌスは、有る意味
世界で一番格好よい存在だった。
「うわぁっ。痛い、痛いでふぅ」
梨銘はまるでいたずらを見つかった子供のように、ヤヌスに耳を引っ張ら
れている。痛い、痛すぎる。握力がさほど強いとはいえないが、人体の急所
を心得た攻撃は、ダメージよりも痛みを与えてくる。
「うう、なんで俺だけにー。うー」
「泣き落としにかかったって、ダメです。さ、何を話していたか、告白しち
ゃいましょう」
ヤヌスは余裕のある笑顔で、梨銘の耳を捻るように引く。指がほっそりと
しているために、かえって力が集中するのだろう。気がつけば、梨銘の瞳に
はうっすらと涙がにじんでいるようだ。
「さ、告白♪ 告白♪」
いつものストレスからなのか、上機嫌になるヤヌス。ダガーから制裁のお
墨付きをもらって意気揚々と攻撃を加え続ける。
「カネコイサオ好きのくせに」
痛みに耐えかねたのか梨銘がぼそりとつぶやく。その瞬間、ヤヌスがまる
で石化したように動きを止める。
「な、なっー!?」
480 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 23:50:55 ID:???
「ん? どうかしたのかー? ヤヌスー?」
ヤヌスの素っ頓狂な声に、出て行く寸前だったダガーが声をかける。聖騎
士もすっかり帰り支度を整えて戸口で振り返った。
「いえ、何でもありませんっ。梨銘君がどうしても白状しないだけですっ」
ヤヌスはことさらに声を張り上げる。
「そうか。デーモンソードでなます切りにしてもいいぞ」
「お任せくださいっ」
ヤヌスの声に『部室』を出て行く二人。秋葉原のTRPG専門店にむかい、ど
こかで夕食でもとるのだろう。重いスチールドアの音が響くと、『部室』に
はヤヌスと梨銘の二人だけが取り残された。
「…………ぁぅ」
出て行ったダガーからは見えなかったが、ヤヌスの顔は絶望的なほど青ざ
めていた。夜道で自分の幽霊に出会った人間の顔色とはこれを言うのかもし
れない。無意識なのだろうか。スカートの膝の部分を握り締める手がせわし
なく動いて、しわを作ってしまいそうだ。
一方、爆弾発言をしたほうの梨銘も思いがけない激しい効果に居心地の悪
そうな表情をしている。自分の一言がここまで壊滅的な打撃をもたらすとは
予想していなかったらしい。
「……何を云ってるのですか。梨銘君。そ、そんな戯言でごまかしをっ」
自分を無理やり立て直したのは、ヤヌスのほうが早かった。まだ青い顔色
のまま、いつものように言葉をつむごうとする。しかし、その攻撃力は普段
とは比べ物にならない。
いつもの舌鋒がさわやかな切れ味の+3カタナ、キーン能力付だとすれば、
今は所詮メイス+1にも満たないほどだ。
481 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 23:51:51 ID:???
「いや、そんなこと言われても。水曜日、ほら。代官山で。でれっとした顔
で眺めてたでしょう」
ようやくこれが弱点だと納得されてきたのか、梨銘が続ける。さすがに女
性の嫌がる秘密をあげつらうのは良心がとがめるのか、のろのろと云った。
カネコイサオは一部で有名な服飾デザイナーだ。一言で言えば浪漫主義、
少女趣味と云うべきか。贅沢にフリルやレースをあしらったカントリー風の
デザインで一部のファンの熱狂的な支持を得ている。
もちろんカネコイサオと一口に言っても人気デザイナー、街で着られるよ
うな比較的大人しいデザインのブランドも持っているのだが、ヤヌスがうっ
とりしていたのはその中でも最も過激と目されるモノだったのだ。
「な、な、なっ。何を云ってるのですか!? それは真っ赤な他人の空似と
いうものですっ。卓ゲ板の良識派を自認する私がそんなふしだらなっ」
両手を振り回して否定するヤヌスはまるで子供のようにも見える。そのヤ
ヌスの様子が可愛らしすぎて、梨銘はつい一歩踏み込んでしまう。
「だって、携帯で撮ったし」
「……なんですって?」
高潮した顔をうつむかせて、小さく上目遣いににらみつけてくるヤヌスの
表情に梨銘の動悸が激しくなりかける。
「撮ったし」
どうにもならないです。と云ったときのダガーに似たあっけない簡素さで
梨銘は追い討ちをかける。その言葉にヤヌスは挙動不審なほどにうろたえる。
482 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 23:52:51 ID:???
「どういう種類の冗談だか判りかねますが、わ、私は清廉で尋常で平凡な地
味コテですっ。琥珀のレースやたっぷりと布地を取ったドレープやパニエで
膨らませたボトムなどに興味はないのですっ」
あうあうと眼を白黒させるヤヌス。
「小さなワイルドベリーを散らしたプリントが可愛らしい布地にも?」
「小さなワイルドベリーを散らしたプリントが可愛らしい布地にもですっ!」
パニック症状を起こしたようなヤヌスに、梨銘も次第に落ち着きを取り戻
す。真っ赤な顔になって否定するヤヌス。些細な言葉の一つ一つに反応して、
おろおろするヤヌス。
意地をはって否定をしているくせに、しゃべる端からぼろを出している彼
女は、とても可愛らしかった。
「んじゃ、画像見る?」
びきり、とまたヤヌスが石化する。
「……ぅぅぅ」
ソファーの上に正座したまま、がくり両手をつく。やはり普段の言動から
して、こんな少女趣味の服を好むのは恥ずかしいのだろうか。梨銘はそのあ
とヤヌスが店員に拉致されて店内に入り、そこでサマードレスを試着したと
ころまで見ていたりするわけで、それも何とはなしに撮影してしまったのだ
が、さすがにこのヤヌスの様子を見ていると言い出せない。
「神様。Janus, a health and clean ordinary.なのです。普通のごくまっ
とうなコテなのです。なのになんでこんな辱めに合わなければならないので
すか。ううう。これも全て……」
「全て?」
「梨銘君が悪いのですね」
ヤヌスがゆらりと立ち上がる。
■SEQUENCE 03
やさしい雨音が『部室』を包んでいる。
五月の雨はどこまでも柔らかく、午後の明かりをけぶらせて街を抱きしめ
る。
繁華街から流れる古めの洋楽ヒットナンバーが、余計に静かさを際立たせ
ているようだった。
『部室』の中の四人は思い思いの場所でくつろいでいる。梨銘とヤヌスは
ソファーに。聖騎士は引き寄せたオフィスチェアに。ダガーは誰が持ってき
たかは判らないスツールに。
漂うかぐわしい香りはダージリン。ヤヌスがファーストフラッシュの説明
をしたが他の三人の男にはさっぱりだった。つまりはなにか高級なものらし
い。
しばらく前に彼女が購入して『部室』に持ち込んだ物なのだが、他に飲む
人もなく、彼女だけが少しづつ消費をしていく状態だったそうだ。ご馳走し
てもらうのは三人が始めて、ということらしい。
「美味いね」
梨銘は云った。果物のように芳しい香りとでも云うのか。上手に説明は出
来ないが、粋な味だと思った。
「悪くないね。ヤヌス、紅茶の趣味があったんだ」
ダガーもゆるゆるとカップを回す。
「うまー。煎餅が欲しくなるな」
聖騎士は愛用の座布団をひいた椅子の上で胡坐をかいている。彼だけはカ
ップが足りなかったせいで湯飲みだ。寿司屋で使うようなごついデザインの
それは彼の私物で、墨痕鮮やかに「すまいといけめん」と相撲体で書かれて
いる。
472 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:48:46 ID:???
「まぁ、ファーストフラッシュは旬のものというか、味、落ちますし」
ヤヌスは先ほど三人から呼ばれた呼称が気に入らないらしく、まだちょっ
と拗ねたような表情をしている。
「私一人だと、使い切らない気がしたものですから。――これは特別なんで
すからね」
念を押す仕草。そんな仕草が可愛らしいと云われているのになぁ。ダガー
はそう思う。この娘の場合、本人は真面目にやってるわけで、その様子を観
察するのが楽しいから忠告はしない。
「うん、さんきゅ」
梨銘はにかっと笑う。無防備な笑顔。とはいえ、この笑顔に騙されてはい
けない。黒さでは澪に匹敵すると噂されているルーキーなのだ。
「でも、誰か飲んだのかもですね」
ヤヌスは小首をかしげる。
「なんで?」
「いえ、蓋が。――瓶の蓋がですね」ヤヌスは、右手の人差し指と親指でわ
ずかに隙間を作ってみせる。
「これくらい、斜めに閉まっていまして。……違いますよ? 私はそんなに
不器用じゃありません」
「ふぅん。……でもここに紅茶入れるような人っていたかね」
聖騎士が呟く。もともと、キッチンを使う人が少ないのだ。たまにこの場
所で宴会をする時などは大活躍だが、それ以外の日常ではみんな洗い物が面
倒なのか、使いたがらない。
殆んどの『部員』はコンビニで飲料などを買って済ましている。ちなみに、
ペットボトルのごみなどは、帰り道にコンビニで個々人が捨ているというの
が、『部室』の暗黙のルールだ。
473 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:49:50 ID:???
「コーヒーはマルクさん、たまーに淹れますね。俺、一回ご馳走になったよ」
梨銘は紅茶を呑みながら云う。
「アレも美味しかったなぁ」
「梨銘は食い物の話をしてるときだけは本当に幸せそうな」
ダガーの突っ込みに笑い声が起きる。
「失敬な。ゲームだって女の子だって大好きさ」
胸を張る梨銘に聖騎士が頭を左右に振る。
「まだ実在を信じているのか。<知識:宗教>か<知識:次元界>とれ」
瞑目して茶を飲む古武士然とした聖騎士は、その雰囲気を台無しにするよ
うなことを云う。その言葉にダガーがむせる。
「リアルでもそんな事云ってるのかよ。じゃぁ、そこの生き物は何だ」
「生き物とは何事ですかっ」
指差されたヤヌスは慌てたように声を上げる。その声も無視するかのよう
に落ち着いた声で聖騎士は答える。
「ゲーマーだろ」
「……」
「じゃなければ、身内」
呆れたようなダガーと梨銘の視線を受け流して聖騎士は、大きな湯飲みに
紅茶のお代わりを注ぐ。天然ボケなのか器量の大きい大人物なのか、さっぱ
り判らない存在がそこには存在した。
「感動しましたっ。そうですよね!! ごく普通の慎みあるただのゲーマー
であるわたしを、ただのゲーマーと認めてくれる人がこんな場所にいるとはっ」
あんまりに嬉しかったのかヤヌスはお代わりをしたばかりの聖騎士に紅茶
を勧めている。その喧騒を横目に見ながらため息をついたダガーは梨銘に話
を向けた。
474 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:51:51 ID:???
「で、梨銘はどうなの? ゲーマー扱いなの?」
梨銘は思案するようにくるんと視線をコンクリートの天井に向ける。
「ゲーマーで身内の存在が、委員長でらぶりぃでツンデレと両立しちゃいけ
ない理由って何かありましたっけ?」
けろりと言い放った。
「まぁ、本文では禁止されてないね」
相変わらず私は嬉しいと聖騎士に感謝をしているヤヌスには聞こえていな
いようだ。ダガーはそれを感じながら、梨銘の言葉を肯定する。
「で、その延長線上で、同時におもちゃでもあるっての、そんな感じがいい
かな」
「それはさすがに、FAQで禁止されるんじゃないかなぁ」
コイツはコイツで始末に負えないな。ダガーはそう思う。もっとも、始末
に負えるような常識人が少ないのも『部室』の特徴のひとつなのだが。
「何の話を、しているんですかー?」
気がつけば、聖騎士から離れたヤヌスが二人を見ている。笑顔だ。
その笑顔の異様な迫力に、梨銘はじりっと、あとずさる。
「あはーっ」
「笑っても誤魔化せません」
ヤヌスは笑ったままで断固たる抗議の波動を吹き上げる。こればかりは余
人には真似の出来ない名人芸の域だ。
「いや、う。何ですか。最近のR&Rの動向についてダガーさんと対話を交わ
していたというか。――ね、ダガーさん?」
梨銘はその体勢のままダガーに話を振る。
475 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:53:37 ID:???
「聖騎士、いくぞー」
「えーっ!?」
しかし、驚いたことに、ダガーはいつの間にか服装を整えてバッグを背負
い、スチールドアの前に立っていた。
「しばし待たれい」
どうやら二人は食事にでも出るらしい。約束でもあったのだろうか。しか
し、梨銘を置いて逃げ出すことには代わりがない。
「どうやら公正で厳粛なる天は、このさい梨銘君にきっちりきっぱりとした
反省を求めているようですね」
迫力を増すヤヌス。前かがみの姿勢でソファの端にまで追い詰められた梨
銘に迫る。
「で、どのような会話をかわしていたのか、お姉さんに告白しましょうか。
もちろんごく普通の慎みあるただのゲーマーであるわたしにはなんら係わり
合いの無い話ではあると信じてはいるんですが」
わたわたと逃げようとする梨銘。しかしソファはそこで無常にも終わりを
告げ、転げ落ちるぐらいしか道は残されていない。
「うわっ。あまりにも冷酷ですっ。ダガーさんっ!?」
「いや、それは身から出た錆。待ったなしの状況だね、どうにかしなって」
「まじでーっ!?」
ばたばたと手を振る梨銘。ダガーと聖騎士は、イエサブに行くとか、松屋
によってとか話をしている。いつもの買い物コースだろう。
「ダガーさん、助けてっ。ヘルプミー! そんなに通ったってストブリ出て
ないすからっ。あれ、出るわけないすからっ」
にこにこと迫るヤヌス。恐怖に震える梨銘。その梨銘が放った言葉にダガ
ーが反応する。
476 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 20:55:59 ID:???
「あー。ヤヌスさん」
「はい?」
「梨銘のこと、いわしちゃって」
「委細引き受けました」
くいっと眼鏡のリムを指先で押し上げながら返答するヤヌスは、有る意味
世界で一番格好よい存在だった。
「うわぁっ。痛い、痛いでふぅ」
梨銘はまるでいたずらを見つかった子供のように、ヤヌスに耳を引っ張ら
れている。痛い、痛すぎる。握力がさほど強いとはいえないが、人体の急所
を心得た攻撃は、ダメージよりも痛みを与えてくる。
「うう、なんで俺だけにー。うー」
「泣き落としにかかったって、ダメです。さ、何を話していたか、告白しち
ゃいましょう」
ヤヌスは余裕のある笑顔で、梨銘の耳を捻るように引く。指がほっそりと
しているために、かえって力が集中するのだろう。気がつけば、梨銘の瞳に
はうっすらと涙がにじんでいるようだ。
「さ、告白♪ 告白♪」
いつものストレスからなのか、上機嫌になるヤヌス。ダガーから制裁のお
墨付きをもらって意気揚々と攻撃を加え続ける。
「カネコイサオ好きのくせに」
痛みに耐えかねたのか梨銘がぼそりとつぶやく。その瞬間、ヤヌスがまる
で石化したように動きを止める。
「な、なっー!?」
480 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 23:50:55 ID:???
「ん? どうかしたのかー? ヤヌスー?」
ヤヌスの素っ頓狂な声に、出て行く寸前だったダガーが声をかける。聖騎
士もすっかり帰り支度を整えて戸口で振り返った。
「いえ、何でもありませんっ。梨銘君がどうしても白状しないだけですっ」
ヤヌスはことさらに声を張り上げる。
「そうか。デーモンソードでなます切りにしてもいいぞ」
「お任せくださいっ」
ヤヌスの声に『部室』を出て行く二人。秋葉原のTRPG専門店にむかい、ど
こかで夕食でもとるのだろう。重いスチールドアの音が響くと、『部室』に
はヤヌスと梨銘の二人だけが取り残された。
「…………ぁぅ」
出て行ったダガーからは見えなかったが、ヤヌスの顔は絶望的なほど青ざ
めていた。夜道で自分の幽霊に出会った人間の顔色とはこれを言うのかもし
れない。無意識なのだろうか。スカートの膝の部分を握り締める手がせわし
なく動いて、しわを作ってしまいそうだ。
一方、爆弾発言をしたほうの梨銘も思いがけない激しい効果に居心地の悪
そうな表情をしている。自分の一言がここまで壊滅的な打撃をもたらすとは
予想していなかったらしい。
「……何を云ってるのですか。梨銘君。そ、そんな戯言でごまかしをっ」
自分を無理やり立て直したのは、ヤヌスのほうが早かった。まだ青い顔色
のまま、いつものように言葉をつむごうとする。しかし、その攻撃力は普段
とは比べ物にならない。
いつもの舌鋒がさわやかな切れ味の+3カタナ、キーン能力付だとすれば、
今は所詮メイス+1にも満たないほどだ。
481 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 23:51:51 ID:???
「いや、そんなこと言われても。水曜日、ほら。代官山で。でれっとした顔
で眺めてたでしょう」
ようやくこれが弱点だと納得されてきたのか、梨銘が続ける。さすがに女
性の嫌がる秘密をあげつらうのは良心がとがめるのか、のろのろと云った。
カネコイサオは一部で有名な服飾デザイナーだ。一言で言えば浪漫主義、
少女趣味と云うべきか。贅沢にフリルやレースをあしらったカントリー風の
デザインで一部のファンの熱狂的な支持を得ている。
もちろんカネコイサオと一口に言っても人気デザイナー、街で着られるよ
うな比較的大人しいデザインのブランドも持っているのだが、ヤヌスがうっ
とりしていたのはその中でも最も過激と目されるモノだったのだ。
「な、な、なっ。何を云ってるのですか!? それは真っ赤な他人の空似と
いうものですっ。卓ゲ板の良識派を自認する私がそんなふしだらなっ」
両手を振り回して否定するヤヌスはまるで子供のようにも見える。そのヤ
ヌスの様子が可愛らしすぎて、梨銘はつい一歩踏み込んでしまう。
「だって、携帯で撮ったし」
「……なんですって?」
高潮した顔をうつむかせて、小さく上目遣いににらみつけてくるヤヌスの
表情に梨銘の動悸が激しくなりかける。
「撮ったし」
どうにもならないです。と云ったときのダガーに似たあっけない簡素さで
梨銘は追い討ちをかける。その言葉にヤヌスは挙動不審なほどにうろたえる。
482 名前:NPCさん 投稿日:2006/05/16(火) 23:52:51 ID:???
「どういう種類の冗談だか判りかねますが、わ、私は清廉で尋常で平凡な地
味コテですっ。琥珀のレースやたっぷりと布地を取ったドレープやパニエで
膨らませたボトムなどに興味はないのですっ」
あうあうと眼を白黒させるヤヌス。
「小さなワイルドベリーを散らしたプリントが可愛らしい布地にも?」
「小さなワイルドベリーを散らしたプリントが可愛らしい布地にもですっ!」
パニック症状を起こしたようなヤヌスに、梨銘も次第に落ち着きを取り戻
す。真っ赤な顔になって否定するヤヌス。些細な言葉の一つ一つに反応して、
おろおろするヤヌス。
意地をはって否定をしているくせに、しゃべる端からぼろを出している彼
女は、とても可愛らしかった。
「んじゃ、画像見る?」
びきり、とまたヤヌスが石化する。
「……ぅぅぅ」
ソファーの上に正座したまま、がくり両手をつく。やはり普段の言動から
して、こんな少女趣味の服を好むのは恥ずかしいのだろうか。梨銘はそのあ
とヤヌスが店員に拉致されて店内に入り、そこでサマードレスを試着したと
ころまで見ていたりするわけで、それも何とはなしに撮影してしまったのだ
が、さすがにこのヤヌスの様子を見ていると言い出せない。
「神様。Janus, a health and clean ordinary.なのです。普通のごくまっ
とうなコテなのです。なのになんでこんな辱めに合わなければならないので
すか。ううう。これも全て……」
「全て?」
「梨銘君が悪いのですね」
ヤヌスがゆらりと立ち上がる。