act3 <eve>
「ひーっすい」
翡翠は自分に呼びかけた人物の方を見て、微笑んだ。
「みやこ姉さま。ただいま戻りました」
名を呼んだ人物……義理の姉にあたるみやこは、いつも変わらぬ無愛想な表情の中で少しだけ楽しそうに笑った。
翡翠がはじめてこの家を訪れてから、10余年の時が過ぎた。
その間、様々なことがあった。
義理の兄やみやこと共に日々を過ごしながら、家に伝わる剣術を学んだこと。
家伝の二振りの宝剣の所持者の一人として翡翠が選ばれたこと。
この世界を侵す魔に対抗するための切り札の一つであるその宝剣を持って、翡翠が戦場に立つことになったこと。
義理の兄と共にその宝剣を持って、様々な仲間と出会ったこと。
守るべきであり、自身の生涯をもって仕えるべき人を見つけたこと。
そんな波乱に満ちた人生を送る翡翠の、よき理解者となってくれたのがみやこだった。
義理だとか血がつながっているだとか、そんなことは小さなことだと言って。
何度翡翠と一緒に笑ってくれたかわからない。
もっとも翡翠は、細かいことにこだわらないのは
多数の門下生を抱えて同じ屋根の下で暮らす者に対して寛容なこの道場そのものの家風のような気もするのだが。
「無事なようで何より。
お役目の方は大丈夫?仲間内でセクハラ働く奴がいたら言いなよ、山に埋めてきてやるから」
「大丈夫ですよ、皆真剣にお役目に取り組んでます。
―――みんな、早く青い空を取り戻したいですからね」
―――今現在。世界は未曾有の危機にさらされていた。
空に妖しく輝く紅い光の群れは、真昼でも燦然と輝き、空を赤く染め上げていて。
同じく、真昼の空に六つの星が突然に現れた。
かつて青かった空が青さを取り戻すことはなく。
世界の異変にいち早く気づいた一人の方士(風水術師のこと。NW的には陰陽師)が連なる山々を利用し、
巨大な結界を施すことで世界中に異常現象が伝播することを防いだ。
方士は自らの命をもって封印と成し、その強力な結界により侵魔達もこの周辺にしか巨大な力を振るうことができずにいる。
そして、侵魔による大規模な侵攻を終わらせるために立ち上がったのが青い髪の女神だった。
彼女はこの土地の守り神であったが、非常に情け深く、また人という存在を深く慈しんでいた。
ゆえに、この地に住まう人々を守ろうと立ち上がった。
この地に住まうウィザード達は、ある者は自分達の住む村を守るため、ある者は世界の危機を結界の内側だけで終わらせるため、
皆それぞれの理由でそれに合流していった。
そのウィザード達の軍勢は、それまであったしがらみや宗派別の対立など忘れ、ただ世界を守る為だけの軍勢に成り上がる。
今やその軍勢はもととなった青い髪の女神、彼女が危機に立った時に現れた吉兆の月よりあだ名をつけられた「蒼き月の神子」だけでなく、
神である女神とほぼ同じという強い光を放ち、祈りによって人々に活力を与える「紅き月の巫女」とその従者にして恋人のヒルコの担い手。
大きな神の力を下ろす依代とされる巫女の家系より輩出された最高の依坐、
「星の巫女」と彼女を守護する宿命を抱いた七本の魔剣を持つ守護剣士、そして「星の勇者」。
大戦団となったウィザード達は彼らを旗印として集い、世界の滅びに一歩も引くことなく立ち向かっていた。
真剣な表情になった翡翠の固さを取るためなのか、みやこは小さくため息をついて翡翠と共に「お役目」につく家族のことを切り出す。
「それで、あいつは今どこなわけ?一緒に帰ってくるはずでしょ?」
もしかして死んだとか?と軽く言うみやこ。
死線を日々くぐる生活である弟に対する発言であるとは到底思えないが、
長い付き合いの翡翠には、それが彼女なりの照れ隠しであることはわかっている。
くすりと笑って、答えた。
「えぇ、にいさまは出る前に少し蒼神子様に呼ばれて。なんでも大切なお話があったそうで」
「先に出てきちゃったってこと?」
「はい。蒼神子様もそう長い時間は取らせませんって言っていましたからね。すぐ帰ってくると思いますよ」
「ふぅん。昨日かえでちゃんがあいつのことたずねに来たから会いに行ってやれって言おうと思ったんだけど」
「―――そう、ですか。かえでさんが」
翡翠の顔が少し強張る。
かえで、というのは近所の神社の娘で翡翠と兄の幼馴染である。三人で家族同然に育ったため、姉のようにも思える相手だ。
幼い頃から翡翠や兄を引っ張りまわしては笑っていた少女で、翡翠の仕えるべき「星の巫女」の妹でもある。
うんうん、と頷きながらみやこは続ける。
「お姉さんのことも心配なんだろーね。
かえでちゃんも一緒に行きたいだろうけど、あんだけでっかい神社じゃ跡継ぎのことなんかもあって大変だろうし」
「そうですね。……ところでみやこ姉さま、私お腹すいちゃいました。何かありませんか?」
翡翠の言葉に、みやこが笑って二人は屋敷の奥に入っていった。
兄が帰ってきたのは、夕食の準備がちょうど終わった時だった。
翡翠は彼を笑顔で迎え、みやこは彼を運のいい奴、と睨んだ。
―――その光景が、翡翠が10余年過ごした中で『家族』としてあった最後の時となった。
―――翌日。
世界は一変する。
「ひーっすい」
翡翠は自分に呼びかけた人物の方を見て、微笑んだ。
「みやこ姉さま。ただいま戻りました」
名を呼んだ人物……義理の姉にあたるみやこは、いつも変わらぬ無愛想な表情の中で少しだけ楽しそうに笑った。
翡翠がはじめてこの家を訪れてから、10余年の時が過ぎた。
その間、様々なことがあった。
義理の兄やみやこと共に日々を過ごしながら、家に伝わる剣術を学んだこと。
家伝の二振りの宝剣の所持者の一人として翡翠が選ばれたこと。
この世界を侵す魔に対抗するための切り札の一つであるその宝剣を持って、翡翠が戦場に立つことになったこと。
義理の兄と共にその宝剣を持って、様々な仲間と出会ったこと。
守るべきであり、自身の生涯をもって仕えるべき人を見つけたこと。
そんな波乱に満ちた人生を送る翡翠の、よき理解者となってくれたのがみやこだった。
義理だとか血がつながっているだとか、そんなことは小さなことだと言って。
何度翡翠と一緒に笑ってくれたかわからない。
もっとも翡翠は、細かいことにこだわらないのは
多数の門下生を抱えて同じ屋根の下で暮らす者に対して寛容なこの道場そのものの家風のような気もするのだが。
「無事なようで何より。
お役目の方は大丈夫?仲間内でセクハラ働く奴がいたら言いなよ、山に埋めてきてやるから」
「大丈夫ですよ、皆真剣にお役目に取り組んでます。
―――みんな、早く青い空を取り戻したいですからね」
―――今現在。世界は未曾有の危機にさらされていた。
空に妖しく輝く紅い光の群れは、真昼でも燦然と輝き、空を赤く染め上げていて。
同じく、真昼の空に六つの星が突然に現れた。
かつて青かった空が青さを取り戻すことはなく。
世界の異変にいち早く気づいた一人の方士(風水術師のこと。NW的には陰陽師)が連なる山々を利用し、
巨大な結界を施すことで世界中に異常現象が伝播することを防いだ。
方士は自らの命をもって封印と成し、その強力な結界により侵魔達もこの周辺にしか巨大な力を振るうことができずにいる。
そして、侵魔による大規模な侵攻を終わらせるために立ち上がったのが青い髪の女神だった。
彼女はこの土地の守り神であったが、非常に情け深く、また人という存在を深く慈しんでいた。
ゆえに、この地に住まう人々を守ろうと立ち上がった。
この地に住まうウィザード達は、ある者は自分達の住む村を守るため、ある者は世界の危機を結界の内側だけで終わらせるため、
皆それぞれの理由でそれに合流していった。
そのウィザード達の軍勢は、それまであったしがらみや宗派別の対立など忘れ、ただ世界を守る為だけの軍勢に成り上がる。
今やその軍勢はもととなった青い髪の女神、彼女が危機に立った時に現れた吉兆の月よりあだ名をつけられた「蒼き月の神子」だけでなく、
神である女神とほぼ同じという強い光を放ち、祈りによって人々に活力を与える「紅き月の巫女」とその従者にして恋人のヒルコの担い手。
大きな神の力を下ろす依代とされる巫女の家系より輩出された最高の依坐、
「星の巫女」と彼女を守護する宿命を抱いた七本の魔剣を持つ守護剣士、そして「星の勇者」。
大戦団となったウィザード達は彼らを旗印として集い、世界の滅びに一歩も引くことなく立ち向かっていた。
真剣な表情になった翡翠の固さを取るためなのか、みやこは小さくため息をついて翡翠と共に「お役目」につく家族のことを切り出す。
「それで、あいつは今どこなわけ?一緒に帰ってくるはずでしょ?」
もしかして死んだとか?と軽く言うみやこ。
死線を日々くぐる生活である弟に対する発言であるとは到底思えないが、
長い付き合いの翡翠には、それが彼女なりの照れ隠しであることはわかっている。
くすりと笑って、答えた。
「えぇ、にいさまは出る前に少し蒼神子様に呼ばれて。なんでも大切なお話があったそうで」
「先に出てきちゃったってこと?」
「はい。蒼神子様もそう長い時間は取らせませんって言っていましたからね。すぐ帰ってくると思いますよ」
「ふぅん。昨日かえでちゃんがあいつのことたずねに来たから会いに行ってやれって言おうと思ったんだけど」
「―――そう、ですか。かえでさんが」
翡翠の顔が少し強張る。
かえで、というのは近所の神社の娘で翡翠と兄の幼馴染である。三人で家族同然に育ったため、姉のようにも思える相手だ。
幼い頃から翡翠や兄を引っ張りまわしては笑っていた少女で、翡翠の仕えるべき「星の巫女」の妹でもある。
うんうん、と頷きながらみやこは続ける。
「お姉さんのことも心配なんだろーね。
かえでちゃんも一緒に行きたいだろうけど、あんだけでっかい神社じゃ跡継ぎのことなんかもあって大変だろうし」
「そうですね。……ところでみやこ姉さま、私お腹すいちゃいました。何かありませんか?」
翡翠の言葉に、みやこが笑って二人は屋敷の奥に入っていった。
兄が帰ってきたのは、夕食の準備がちょうど終わった時だった。
翡翠は彼を笑顔で迎え、みやこは彼を運のいい奴、と睨んだ。
―――その光景が、翡翠が10余年過ごした中で『家族』としてあった最後の時となった。
―――翌日。
世界は一変する。