卓上ゲーム板作品スレ 保管庫

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<あめのひ -rainy day->


 ―――雨が、降り注いでいた。
 水気を吸い重くなった衣服。右手の先の鋼の塊は、手のひらからどんどんと熱を奪っていく。
 魔導銃(キャリバー)。そう呼ばれる、この世界ことエリンディルで作られる武器の一つ。そして、彼女の命を何度となく救ってきた相棒だった。
 は、と彼女は息を吐く。
 まったく、なんて逆境だろう。相手は自分を包囲する大量の皇帝近衛騎士。
 練度自体は彼女以下だが、集まられるとどうしようもない。彼女は多数の敵を相手にするのは苦手なのだ。それ以前にすでに弾丸は尽きている。
 絶対絶命の極地とはこのことを言うのだろうな、と彼女はやけに冷静な思考の中でそう思った。
 今はなんだかんだで牽制により騎士たちは攻めてこないが、見ればじわじわと数が増えている。
 おそらくは姉妹達の始末が終わり、あちこちから駆けつけているのだろう。まったく最悪だ。
 一体何が最悪なのだろう。弾丸がもうないことがか、自分が死ぬことがか、姉妹がおそらくは全滅してしまっただろうことがか。
 決まっている、全部だ。何から何まで最悪だ。ここまでツイてないと逆に笑えてくる。
 くく、と彼女が漏らした笑みが、騎士たちに戦慄を抱かせたのか。じり、とぬかるんだ地面を鉄の塊がすべる音がした。
 せいぜい勝手に恐れていろ。
 お前らがいつ俺を殺そうとも、残弾の無い女を恐れ、その輝かしい剣とやらを振り下ろすのを躊躇い、後退ったのを俺だけは知っている。
 お前らのそのマヌケぶりを、地獄の底から笑ってやろう。
 彼女が心底そう思った時だ。金属同士の不協和音がひびく。
 雨の中でもひたすらに響く豪奢で傲慢な鎧の足音だった。その音と共に彼女の目の前の騎士の壁が開く。
 騎士の包囲の中現れた男は、彼女も顔だけは知っている男だった。
 しかし、こんなところでは最も見ることはない顔でもあった。彼女の人生でも屈指でたまげた事態だったと言える。
 我ながら間の抜けた顔をしていることを自覚し―――彼女は大笑した。己の不運を。
「ははははは!
 こりゃあ、なんの冗談だ。アンタは反逆者を潰すのに顔見せるような奴だったか? なぁ―――皇帝様(ゼダンぼっちゃん)?」
 神聖ヴァンスター帝国現皇帝、ゼダン。
 あらぬ罪ではあるが、彼女が牙をむいたとされる相手がそこにいた。もともと彼女のいた組織の主がそこにいた。姉妹達を殺しつくした元凶がそこにいた。
 皇帝へのあまりの物言いに、皇帝近衛騎士は彼女に凄まじい殺気をこめた視線を向ける。
 しかし、その不敬を彼は片手を挙げることで許す。
「よい。
 答えてやろう、反逆者よ。余も暇を持て余しているわけではない。しかし、余直属の部隊が謀反とあっては旗印は動かぬわけにはいかぬのだ」
「そりゃご苦労なこった。こんな日に災難だな」
「まったくだ。話は終わりか? では余から問おう情報部13班最後の生き残りよ」
 彼は、問う。
 雨の中、その言葉は深く響く。
「貴様は、余に反逆の意思を持っているか?」
 そう、彼女の姉妹を奪った男は問うた。
 彼女の名は、エイプリル=スプリングス―――情報部13班、<四月>の名を冠するエージェントだった。



<春 -spring->


 『彼女』は、気づいたら一人だった。
 母親の顔も、父親の顔も知らない。気がついたら、ヴァンスターの貧民街で、他の子供たちと一緒に日々を食うや食わずの生活をしていた。
 ありつけるかわからない食事と、いつも腹をすかせている仲間、暗い路地裏、雨をしのぐだけの低い天井。それが彼女の世界の全てだった。
 ねずみやカラスと競って食料を手にいれ、盗みを働き、仲間たちとその日その日をただ生きている日々。
 しかし、終わりは唐突に訪れた。
 そんな中で必死に毎日を生きていた彼女達は、貴族達の「景観を損なう」との一言でヴァンスター神殿より遣わされた神殿騎士たちによってちりじりになった。
 『彼女』―――当時は他の名を持っていたような気もするが、今となってはその名は残っていない―――も一人になる。
 重い剣と武装の騎士から逃げ回り、子供の体力の限界につきあたり、路地裏でのたれ死ぬはずだった『彼女』。しかし目を閉じて、再び開けたそこは―――別世界だった。

 床ではないところに寝かされていた『彼女』は、その天井が暗くないことにまず驚いた。
 これまでの隠れ家であった雨漏りする掘っ立て小屋では、警邏兵に見つからないためにもほとんど明かりをつけていなかった。
 彼女は今まで暗くない天井があることは知っていたが、見たことはなかったのだ。
 驚いている彼女に、女の声がかかった。
「目が覚めたか」
 それは事務的な口調ではあったが、優しく柔らかな感情がこもっているように思えた。
 大人の声といえば、彼女達が盗みを働いたときの商人の怒声や、貴族達の蔑みの声くらいのもので。
 その声にあわてて離れようとして、シーツが体に絡まってベッドの上を転がった。
 ベッドというもので寝たことの無い彼女が何がおきたのか理解できないでいると、愉快そうで、しかしイヤミのない苦笑が聞こえた。先の女の声だ。
 シーツから顔を出して声の方に顔を向ける。
 そこにいたのは、黒いドレスを身に纏い、眼帯をひっかけ、黒い帽子を頭にのせた、奇妙な格好の女だった。
 少なくとも、『彼女』の知る限り真っ黒いドレスは人が死んだときに着るもので、それに帽子や眼帯は不似合いである。
 町娘はあんな豪華なドレスを着ないし、かといって貴族の女は黒などという色のドレスを喪服以外で着ることはない。
 頭が混乱しているのを見てとったのか、女は笑いを引っ込めて口元に小さく笑みを浮かべながら言った。
「あわてることはない。ここにお前を追うものはいないからな」
「……お前、だれだ」
 見た目は小さな女の子である『彼女』の口から出た言葉に、ほう、と頷いて黒いドレスの女は言った。
「見た目にそわず、なかなか元気がいい子供だな。
 私の名前はオーガスト。オーガスト=バケーションという」
「うそつけ」
「人の名前を即答で否定するな」
八月(オーガスト)なんていうのが人名であってたまるか。せめて旧語で十二月(ノエル)くらい名乗ってみろ」
 名前を全否定されたにも関わらず、オーガスト、と名乗った黒衣の女は笑みを崩さない。
「なかなか負けん気の強い子供だな。
 ―――残念ながら、これが今の私の偽らざる本名だ。私がここに入ってつけられた名だ。それ以外に私は自分で名乗る名を持たない」
「……まて。ここに入って、って言ったな? ここはどこだ」
 くすり、とその言葉に笑って。オーガストは言った。
「ここがどこか、は後で教えるとしよう。それより今の状況を説明した上で、選択肢をやる。好きな方を選べ」
「……ずいぶんと、俺の考えをむししてくれるじゃないか?」
「お前にとっても有益な話だ。きちんと聞け」
 そう言ってオーガストが説明したのは、簡単な世界(このくに)の仕組みだった。
 孤児達はあの路地裏から一掃された。
 行き場を失った孤児達の内、体の丈夫な男子は神殿に、見目麗しい女子は貴族のメイドにそれぞれ召抱えられる。
 そうでなかった者たちは、あの町を追い出されて外の世界へと追いやられ―――おそらくは、大半が魔物の餌になっているだろうとのこと。
 ゴミが出ない、なんてムダのない世界。
 くそくらえだ。
 それで、ここはド変態お貴族サマの屋敷の一室なのか、と『彼女』が問うと、そうではないと首を横に振ってオーガストは告げた。
「そこで選択肢だ。
 お前ほどの顔があれば貴族の召抱えになれるだろう。そうやって自分の人生を他人に切り渡して生きるか?
 もう一つは私に師事し―――他人の人生を押しのけてでも、自分の人生を切り開いて生きる術を身に着けて生きるか?」
 好きな方を選べ、と彼女は言った。
 前者を選べばうまくいけば仲間達と会えるかもしれない、そういう考えもあった。
 しかしそれでも『彼女』は、貴族達が自分たちに向ける目の冷たさを知っていた。そうされる痛みを知っていた。そういう目で見る貴族に嫌悪感すら抱いていた。
 その痛みを忘れて、同じことをするかもしれない自分がいることが気持ち悪かった。だから、そうしない強さがほしかった。
 結局、『彼女』にとって選択肢に意味はなかった。ほとんど悩むことなく、『彼女』は後者を選んだのだから。
 そう告げる『彼女』を見て、オーガストはそうか、と言って満足げに笑った。
「ならば、お前は今日から私の―――私たちの妹だ。『エイプリル=スプリングス』」
 『彼女』―――この日からエイプリルと呼ばれることになる―――は。その日、はじめて名前と姓と……なにより、姉妹という家族(きずな)を手に入れることになる。



<夏 -summer->


 銃声が三連。閃光も三つ。しかし、的の木の板に空いた穴はど真ん中に一つだけ。
 それを見れば、普通の人間は下手くそめ、と笑うだけだ。静止しているとはいえ的に当てるというのは初心者には難しいものではあるが。
 しかし、その場にはほう、と感嘆のため息が漏れた。
「ほんの数年でやるようになったな、エイプリル。静止した的を正確に打ち抜く魔導銃技術でいうのなら、すでに私を追い抜かしているのではないか?」
 黒衣の女―――オーガストの賞賛の声に、エイプリルはいつもの冷徹な瞳を少しだけ半眼に変えると、イヤミか、と呟いて答える。
「ぬかせ。静止した的なんていくら打ち抜いても、俺たちの仕事にゃ意味のないことだろう」
「しかし正確さは尊ばれてしかるべきだ。師がたまには誉めているのだ。素直なところの一つもないと可愛げがないと言われるぞ、妹よ(エイプリル)?」
 からかうような視線に、一つ舌打ち。
 オーガストに拾われ、魔導銃を与えられてガンスリンガーとしての訓練を彼女の下で積み重ねること数年。
 彼女の銃弾は、目標を撃ち抜くことにかけては師からすら賞賛されるほどのものとなっていた。
 それはまさに天が彼女を愛しているかのように。魔導銃を扱う才能を与えたのかと思うほどの天賦の才だった。
 しかし、これが仕事の話となると少しばかり話が変わってくる。
 彼女達の仕事である情報部13班の任務というのは半分以上が破壊工作や暗殺などの荒事であり、他には窃盗、護衛、諜報活動の援護などの仕事が少々あるくらい。
 情報部のサポート、アシスト、ついでに部内規律の公安と始末までをこなすのが13班の仕事。となれば俄然荒事も多くなる。
 が、しかし。荒事で精密すぎる射撃というのも実際少し困りものなのだ。
 精密だということは、狙いを外さないということ。それはつまり、対象がそれに反応しようとした場合の対処が容易になるということだ。
 初撃をはずせば、魔導銃の性質上敵に居場所を教えることになる。それがそう遠くない距離でのことだった場合は、次撃のチャンスは薄くなり、その上自身を危険にさらす。
 歴戦の勇士といった連中は、特に自身の命の危険に関して敏感だ。初撃が殺す気で放たれたものであればあるほど、その危険が高ければ高いほど反応する可能性がある。
 それへの対処法はもちろんいくつか存在する。
 まず、次弾の装填を考えることなく連続した攻撃を行えるようにすること―――二挺拳銃スタイルということ。
 これはオーガストがやっていることである。あまり猿マネはしたくないが、有効であることは確かだ。エイプリルも少しずつ自己流でそれを会得しようとしている。
 次に、殺意を気づかれないほど遠くからの狙撃技術を磨くことだ。
 しかしこれは有効打にならない。そもそも彼女は魔導銃使いとしての才能があるだけで、狙撃手としての才能や精神を持ち合わせているわけではない。よってボツ。
 そしてもう一つは―――至近距離に近づいての逃れようのない一撃。魔導銃使いの真髄とも言える、遠間武器による至近距離戦闘術の会得だった。
 これを覚えるには、動いている物体への狙撃訓練が必要になる。また、相手の攻撃を受けるかかわすかする技能も必須だ。
 オーガストによれば、いまだに彼女の戦闘術ははその域に達していないという。
 だからこそ、彼女は真っ向からの戦闘や破壊活動などに参加したことはない。
 これまでやったことといえばカンを養う、という名目でいくつかのダンジョンの奥からお宝を盗み出すことや、彼女の見目が麗しいことも手伝った潜入工作任務くらいだ。
 ついこの間は潜入任務で盗人として台無しのカバとかいう組織から来たエージェントを気まぐれで逃がし、
 窮地に陥りかけたところを近くを通った初心そうな神殿騎士見習いをちょちょいとだまくらかし、必要なものだけかっさらっておさらばしてきた。
 ついでにセクハラをかましかけた当主の弱みをいくつか掴み、情報部の他班に引き渡してある。あとは皇帝の胸先三寸でいくらでもあの家は潰せるだろう。
 それに不服な負けず嫌いのエイプリルの憮然とした表情をいつもどおり楽しげに眺めながら、オーガストは言った。
「そんなことよりも、夕食ができたから呼んで来いと言われたから呼びにきたんだ。早く終われ」
「わかった。今日の当番は誰だった?」
<十月>(オクトーバー)だ。
 あいつはやけに魚介を扱わせると生き生きするからな。今日は東方式の『アラジル』と、サフランたっぷりのパエリア、ボンゴレビアンコと香草焼きらしいが」
「……なんでパエリア(海鮮炊きあげご飯)とボンゴレ(貝類を使用したパスタ)を一緒に作るんだあいつは」
「オクトのボンゴレは私は好きだがな。今回はいい白ワインが手に入ったとかで、余りを姉妹達に配るそうだ。
 どうせマーチやメイは飲まんし、ノーヴェは消毒用にとっておこうなどと言い出すだろうからな。お前にとっては見過ごせんだろう?」
 それを早く言え、と言いながらエイプリルは魔導銃を片付けだす。
 美味い酒は何にも変えがたい喜びだ。それを価値を知らない子供などに与えられてはもったいない。
 師の評価を受け、日が暮れるまで鍛錬し、姉妹の呼び声で訓練を終える。それは、彼女の日常の一面だった。



<秋 -fall->


 任務を終えて帰ってくると、そこには存在するだけで威圧感を放つ翼を持つ青い鱗の竜が立っていた。
 竜自体は見た顔であり危害を加えることがないことはわかっているので無視。そのまま通り過ぎようとして―――
「エーイプリルぅぅぅ! 久しぶりに会ったってのによぉ、無視はねぇんじゃねえのかよ、あぁ?」
「……いたのか、ジュライ」
「いたのか、じゃねええええ! 俺様の、この俺様のことを無視しやがった挙句にその台詞かぁぁぁっ!?」
 竜がいたため存在感がまるでなかったので気づかなかった、というのはもちろん嘘である。
 単にこの女と会話をしたくなかっただけのことだ。
 エイプリルがジュライと呼んだ、彼女と同年代の娘はエイプリルと同じ情報部13班に所属するエージェント、『ジュライ=スターマイン』という。
 専門は相棒の竜を使った陽動……というか、それ以外にはできることはないわけなのだが。
 エイプリルと同じ時期に引き取られてきた彼女だが、銃を使わせれば味方に当て、剣を使わせればショートソードすら持ち上げられず、魔法を使わせようにも呪文を必ず間違って覚えるという使えなさだ。
 そんな彼女を拾ったオーガストが、ジュライをどうして13班に入れたかといわれれば、ひとえに彼女の横にいるドラゴンのおかげである。
 モンスターの中でも屈指の能力を持つ竜種、その幼体とはいえ完全に言うことを聞かせられるという力。
 サモナーも動物と心通わす術を持ってはいるが、あくまで動物、できて獣まで。ドラゴンは神の使いの形でもある、そんなものを従えられるという時点で異常な異能だ。
 ジュライとなる前の彼女は小さな村に住んでいたが、彼女の従えるドラゴンと彼女曰く『友人』になり、それが村に発覚すると同時に彼女は村を追われることになる。
 後は簡単。あちこちをドラゴンと浮浪している子供がいる、という噂を聞きつけた13班がオーガストを派遣、彼女が独断で13班に迎えた、というわけだ。
 ……もっとも、ジュライにそれ以外の才能がまったくなかったということは流石に想像していなかっただろうが。
 そのジュライ。エイプリルにはやけにつっかかってくる。
 ただでさえ三下口調で、ドラゴンと心通わせられる能力があるだけのただの無力な娘は、同じオーガストに拾われ、自身がお姉さまと呼ぶオーガストじきじきの訓練を受け、その能力でもって彼女から認められてもいるエイプリルがうらやましくて、つんけんした態度をとるのだが―――
 彼女のそんな葛藤など、エイプリルにとっては知ったことじゃねぇのである。単につっかかってくる味方で、三下で、うざったい小娘。それくらいの認識だ。
 正直なところ、あまり積極的に関わりたくはない相手なのだ。視界に入っただけで難癖をつけようとしてくる相手になど、エイプリルにはかかずらう意味がない。
 もちろん、そんなことをジュライに言ってもあまり意味はないのだが。
 エイプリルは半眼になって言う。
「そんなことはどうでもいい。俺はさっさとノーヴェのところにこいつを届けなけりゃならないんだ、邪魔をするな」
 そう言って掲げてみせるのは布袋だ。今回の任務のついでに頼まれてとってきた木の実が入っている。
 13班の姉妹の一人。11月の名を冠する、<エリクサー>と呼ばれる銀糸の白服ヒーラーこと、ノーヴェンバー=メイプルの頼みの品である。
 そう言われたジュライはぴくりと動きを止め、小刻みに震えだす。
「の、ののののノーヴェの奴、が?」
「あぁそうだ。アレでノーヴェは一応人の話を聞くからな。頼まれた薬草が送れた理由がお前だと知れば、当然後で何かしらの行動をとってくるだろうな。
 いいのか? 俺は別に困らんが」
 エイプリルは面倒そうにそう言う。
 ……情報部13班<11月>のノーヴェンバー=メイプル。白いドレスに銀髪をポニーテールにしたつるぺったんなおねーさん。
 注釈。キレると怖い常識人ないい人。特に自分の専門である医療・魔法薬関係の品に対しての妨害行為には容赦がない。
 ジュライもエイプリルも彼女のキレた時の様子を知っている。
 ちなみにその時の犠牲者は13班の三強の一角、フェブルアリー。彼女はそれがトラウマで、以後ノーヴェに対しては苦手意識を持っているという。
 それを知っているエイプリルが出した札に、ジュライはすごすごとひきさがった。
 エイプリルはちょっとだけノーヴェに感謝した。



<四季 -four seasons->


 ジュライを退けたエイプリルはノーヴェの仕事場に行く。
 ……その途中、ノーヴェの部屋に近づくにつれてなんだか情けない悲鳴が聞こえてくる。
 途中でこの声が誰のものかわかったエイプリルは本気で帰ろうかと思うが、彼女自身も怒ったノーヴェは怖い。
 大きく盛大にため息をついて、彼女はノーヴェの仕事部屋のドアを開けた。
「あうぅぁっ! いだいいだいそこいだいぃ! ちょっ、ノーヴェ! も、もうちょっと優しくぅっ! ああん! ぎにゃぁうあぁっ……い、いたいって言ってるじゃんよーっ!?」
「まったく、こんな傷こさえてくるのでしたら痛みにくらい慣れてるでしょうに。わたくしの処置がそんなに下手だとおっしゃりたいの?
 それとも単に痛い目にあいたいと、そういうことでよろしいのですわねマーチ?」
「絶対違うじゃんよっ!? あぎゃうっ! あんっ、あァっ!? いたっ、いたいいたいそこはっ、そこはダメだってばもうやめてぇぇ……っ!」
 その先にいるのは、桜色ドレスを半分脱がされ上半身裸の涙目で苦痛を訴える状態の赤毛のフィルボルの娘―――<ライトニング・エッジ>マーチ=ブロッサムと、白いドレスの上に作業用エプロンをかけてところどころを紅く染めた、釣り目気味の銀髪のエルダナーンの女―――<エリクサー>ノーヴェンバー=メイプルだった。
 色気の欠片もない声で泣き叫ぶマーチ。それを冷静に観察しながらノーヴェは手を休めない。
 ……ちなみに、ノーヴェの名誉のため言っておくがマーチは別にいかがわしいことをされているわけではない。
 先の任務で負った傷を洗浄し、薬草をはり、ポーションを塗り込んだりしているのだ。
 単にマーチが回復魔法が肌に合わず、特別な治療をしなければならないゆえの医療行為である。
 まったく、とノーヴェが大きくため息をついてマーチの背中をぽん、と押す。それに猫のように毛を逆立たせて、マーチは涙目でノーヴェを見る。
「……おしまい、じゃんよー?」
「お終い、ですわ。まったく、貴女を相手にしていると野生動物の方がもう少し大人しいのではないかと思ってしまいますのよ。
 ―――あら、いらっしゃいエイプリル。例の物はとってきて下さいましたので?」
「あれ、エイプリルー? ひっさしぶりじゃんよー」
 エイプリルに気づいた二人は、一人は優雅に、一人は無邪気にぶんぶんと手を振りながら彼女を迎える。
 彼女は無造作にすたすたと歩いていくと、ノーヴェに向けて布袋を差し出す。ノーヴェはそれを受け取り、中身を覗いて子供のように嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます、エイプリル。最近はこの実は品薄で、火傷の薬が作れなくて困っていたのですわ」
「それは聞いた。俺たちの命を繋ぐかもしれないものなんだ、ないと俺も困る」
「ふふ、相変わらずですわね。
 それはともかくエイプリル―――この左手の火傷はなんですの?」
 内心、エイプリルはその声にぞくりっと背筋をなで上げられた気がした。
 必死に弁解タイムに移ろうとする彼女だが、弁解をすればするほどノーヴェが恐ろしくなるのは目に見えている。すぐにここは大人しくしたほうが得策だと判断した。
「……ノーヴェ、頼む」
「わかりました。じゃあ、さっそくこの貴女の取ってきてくださった実で薬を作らせていただきますわね。ここに座って少しお待ちなさい」
 折れたエイプリルを見て嬉しそうに大人の笑みを浮かべ、ノーヴェは机に置かれた薬研で木の実をすりつぶし始める。
 エイプリルが大人しく傷の治療をする、と言ったのが嬉しかったのだろう。ここで断ると彼女は魔族なんかよりもよほど恐ろしい、というのが13班の娘たちの共通見解だ。
 その隙にいつのまにか隣の椅子に座っていたはずのマーチが見当たらなくなっている。逃げ足の速い奴め、と内心ぐちっていると、背後から声がかけられた。
「相変わらず綺麗なブロンドじゃんよー、エイプリル。いーなぁいーなぁ」
「……おいマーチ。どさくさにまぎれて人の髪に触るなと何度言ったらわかるんだ、お前は」
「何度言われてもお断りじゃんよー。エイプリルってばこーんな綺麗な髪持ってんのにほとんど手入れしないのが悪いじゃん。ちゃんと手入れするじゃんよ」
 言いながら、どこからかその子供っぽいしゃべり方からは想像できないほど高価そうな、貴族が使うような櫛を取り出すと、エイプリルの髪を梳かしはじめる。
 マーチには自分の姉妹達の髪を触るクセがあった。
 本人曰く、『髪触るだけで結構元気かどうかとかわかるじゃんよ』とのことだが、種族の関係上一番身長の低い彼女の手の届く位置にいてくれる相手は少ない。
 だからこそ、相手が動かない時を狙ってくる。イタズラ好きのフィルボルの血がそれを推しているのだろう、と姉妹の間では噂されている。
 それに対する姉妹達の反応も様々だ。
 オーガストなどは「妹に髪をいじくられる、というのもなかなか面白い話だな」などと言って好きにさせている。
 普段はおっとりしているノーヴェやジューン、年齢的に幼いメイやセプもそれに近い。
 しかし、過剰な他人からの干渉を苦手とするエイプリル、捻くれ者のフェブ、基本的に他人に指図されるのが嫌いなジュライは少し嫌がっているというところだ。
 とはいえ、ここで暴れるとノーヴェがキレる。エイプリルは大きく嘆息して答える。
「……好きにしろ」
「やったじゃんよー! ノーヴェのとこ来てこんな役得があるんだったらいつでも来たくなるじゃんよ!」
「マーチ、それはわたくしのところには極力来たくない、という意思表示ととって構わないのですわよね?
 ×××(SE:ズキュゥゥン!)○○○○(SE:ピヨピヨ)を、××(SE:ピー)した後に▽×○♀?Δ(SE:あはーん)されるのが望みでしたら、すぐにしてさしあげますわよ?」
「ぎゃあああぁっ!? それトラウマ! トラウマじゃんよ! 心に深い深い傷を負ってしまうじゃんよっ!?」
「の、ノーヴェ。さすがにそれは俺でもこいつが哀れになってくるからやめてやってくれ……」
 珍しく顔を少し青ざめさせてマーチの弁護に立つエイプリル。
 あまりに過激な台詞のため、ちょいと加工させていただきました。あしからず。
 閑話休題。
 部屋の中に響くのは、すり鉢である程度潰した木の実を薬研でさらに細かくしながら薬草数種類と調合しながら薬研を動かす音と、櫛で髪を梳かす音。
 エイプリルはそのどちらも不機嫌に思いつつ、それでも大人しくしていた。別に暴れるほど嫌なわけではない。
 静かだった部屋の中で、ぽつりと彼女は呟いた。
「マーチ、ジュライの奴が外で寂しそうに相手を探してたぞ。お前はあいつと仲がいいだろう、構ってやれ」
「エイプリルー、あいつはあんたにかまってほしいんじゃんよー?
 あいつのストレス発散にここ最近ずっと付き合ってやってたけど、適任がいるんじゃあたしの出る幕はないじゃんよ」
「わからん奴だな。そんなに負けるのが楽しいのか?」
「……そこまで本気で理解できないって風に言われると逆にもう同情したくなってくるじゃんよー」
 ジュライにとってはエイプリルへのじゃれつきはお互いの無事を確認するための一つの手段なわけである。本人は自覚していないが。
 そうやって育ってきたので、そうやった接し方以外ができないのだ。
 不器用で難儀な性格だが、そこを理解しているマーチは困ったもんだと思いつつ、そんな姉妹を好ましくも思っている。彼女は不器用なりに一生懸命な人間が好きだからだ。
 だからこそ、姉妹のためを思った行動を取りながらも、言葉がどうしても少ないエイプリルのことも好ましく思っている。
 そんなマーチの能力は、東方から来た武家の三女だった母から受け継いだ剣技―――サムライの業だ。
 形見のカタナを握り、雑魚を蹴散らし、魔法使い達の盾になって、傷だらけになる前線要員。それが彼女だ。
 誰かを守り傷を負うことに彼女は誇りを抱いている。だからこそその考えはノーヴェに毎回毎回怒られるのだ。
 ノーヴェにとって、傷とは苦しみの象徴だ。エルーラン王国に生まれ、幼いころから薬師としてずっと師につきまとって直にその技術を見ながら行商をこなしていた。
 世界中を回る中、戦火で苦しむ人々を見た。貧困の中傷を負っても治せずいる子供達を見た。どの場所でも、苦しみにあえぐ人々を見てきた。
 その中で、彼女の薬によって救えた人も、救えなかった人もいた。世界の広さと、自分のちっぽけさを知った。
 それでも。苦しみの中にいる人を助けたいと彼女は思うのだ。絶対助けられるわけじゃない。それでも助けられるかもしれない命があるのだ。
 ―――誰かを笑顔にできるかもしれないのだ。
 だからこそ、13班の一員になった後も様々な組織への薬の開発・調合・調達は行っているし、怪我をしている姉妹は命に代えても助けたいと思ってしまうのだ。
 戦う力を持たない自分にできる助けを、戦う力を持っているがゆえに傷つく姉妹達が痛みに苦しまないようにと。
 マーチは、ノーヴェのその気持ちを知っているが、傷つかないことができるほど強いとは言えないと自分を評価している。
 だから、今度から怪我しないようにする、なんて安請け合いは絶対しないし、怪我をしたらどれだけ苦しい処置をされるか知っていても絶対にノーヴェのところに行く。
 それが姉妹に一番心配をかけないやり方だと知っているからだ。
 閑話休題。
 髪を綺麗に梳かれ終わった頃、ノーヴェの薬も完成した。
 灰褐色の出来立ての液体を綿の片面につけ、それを患部を覆うように貼り付ける。その上にガーゼを重ね、テープで仮固定し、その上を包帯でさらに固定した。
 巻き終えると、彼女は一度<ヒール>を唱えて彼女の手を軽く叩いた。
「とりあえず、今日はこれを外さないでほしいのですわ。明日の朝になったら外してもよろしいですが、明日のヒマな時に一度顔を出すのですわ。
 経過を見ないとなんとも言えないですからね」
「……了解した。ところで、そろそろ夕飯の時間だが。今日の担当は誰か知らないか?」
「えーと? 確かオクトじゃんよ、今日の当番。
 ブイヤベースと塩焼きとタイメシとイカ墨パスタ作るって張り切ってたじゃんよ。そのためにわざわざあたしにドナベ取り寄せさせるってどういう了見じゃん?」
「あら、わたくしはオクトのブイヤベース好きですわよ。こだわりの一品ですものね」
「なぁノーヴェ、舌は肥えてるのに作れるのが消し炭だけってのはなんでなんだ?」
「う、うるさいですわねエイプリルっ! 作れるのが切って焼くか煮るかしかない雑な料理しか作れない貴女の台詞じゃないですわよ!?」
「いやー、どう考えてもまだエイプリルの方がマシじゃんよ。作り方雑な割に結構美味いし。味単調だけど」
 そんなことを言いながら、彼らは食堂に向かう。騒がしくしゃべりながら。
 みんな人の死はイヤというほど体験してきている。
 けれどこの姉妹達だけは、いなくなることはないと思っていたのだ。なんの根拠もなく。
 人の死など一瞬だと、人の生など一瞬だと。知っているはずなのに、それでも『それ』にぶち当たる日まで気づかない。
 そしていつだって―――気づいた時には遅いのだ。

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