【神子に生まれつきし娘、巫女となりし娘(前)】
娘とその供は、ただ呆然とその光景を見つめる。
道の先、森の木々がやや開けた一角。そこにいる一組の男女。
つい先刻まで娘の社の集いに参加し、しとやかな振る舞いを見せていた“星の巫女”。
見知った“七星の剣士”の装いながら、見覚えのない顔の武人の青年。
“七星の剣士”は“星の巫女”を守護するが使命、故に、共に居るのはごく自然なことなのだが―――守られるべき巫女が、守る側の剣士を追い掛け回しているのは如何なる事か。
「……と、いうか……あれは、本当に……楓さん……?」
「……あの衣、ご容貌、まさしく“星の巫女”殿のものですが……」
娘とその供は、呆然と言葉を交わす。それでも、目の前の人物と自身達が知る“星の巫女”が同一人物として認識できない。
しとやかに笑み、深い思慮と慈愛を感じさせる振る舞いを見せていた彼女が、“七星の剣士”を従え、彼らに埋もれることなく、威徳を身に纏っていた彼女が、
「くぉら、逃げるなぁーっ! 今日という今日は勘弁してやるもんかー!」
口汚く叫びながら、重厚な衣の裾をたくし上げて青年を追い掛け回しているなど、この目で見ても信じられない。というか、信じたくない。
そんな二人の心境など知る由もなく、そも、やや離れて佇む二人の存在に気づいた様子もなく、追いかけっこは終わる気配を見せない。
寧ろ、より激化していき―――ついには、追う側が武器を手に取った。
虚空から忽然と現れた漆黒の弓が、巫女の左手の甲から肘にかけて篭手のように装着される。
―――月衣。限度を越えぬ限り、人知れず武器や荷をしまうこともできる個人結界。常の世の法則を断ち、纏うものに超常の力を許すもの。
巫女は、そこから武器を取り出したのだ。―――矢の代わりに呪符を番え、呪の力を増幅する魔道具を。
青年が顔色を変える。制止するように両手を巫女へと突き出した。
「待て待て楓、それは本気で死ぬ! つーか、殺す気かっ!?」
「莫迦は死ななきゃ直らない! いっぺん死んで矯正しなさい飛竜!」
無茶なことを叫んで、弓を構える巫女。と、その聞き覚えのある名に、娘は自失から覚めて叫んだ。
「飛竜―――って、“流星の飛竜”!?」
「―――へ?」
間の抜けた声を上げて、巫女に向けて両手を掲げた姿勢のまま、青年が娘を振り返る。ついで、弓を構えたままの巫女も。
「―――み……神子、様……?」
そう呟くなり、ざぁっ、と音がしそうな勢いで、巫女の面から血の気が引いた。
その言葉に、青年もぎょっとしたように目を見開いた。
「みこ―――って、まさか伊耶冠命!?」
「―――神子様の御名を呼び捨てにするとは何事か!」
反射で叫んだらしい青年の言葉に、やはり反射のように怒鳴りつける時雨。
「うわすんません!」
「謝って済むか無礼者が!」
「―――飛竜!」
身を竦ませて叫ぶように謝罪する青年に、時雨は月衣から引き抜いた己の武器たる杖を向ける。先程まで彼に武器を向けていたはずの巫女が、悲鳴のような声を上げた。
まさに一触即発の空気が辺りに満ち―――
「―――やめなさい、時雨!」
当の神子に制止され、時雨は主を振り返る。
「神子様―――」
「構いません。彼に他意があったわけではないでしょう」
言われて、時雨はしぶしぶといった様子で武器を収める。青年は気が抜けたようにその場に腰を落とした。巫女もその場にへたり込み、自身の左手につけたままだったものを、慌てた様子で月衣に収める。
一触即発の空気が消えると、ついで何ともいえない気まずい空気が辺りを支配した。いたたまれない沈黙が一同の間に流れる。
ややあって―――その沈黙を破り、神子が口を開く。先ほどの問いを再び繰り返す。
「―――それで……あなたが、“流星の飛竜”ですか?」
「お、おう―――じゃなくて、はい」
反射のように返してから、慌てて言葉遣いを改める。
その返事を受けて、神子はまじまじと彼を見つめた。
道の先、森の木々がやや開けた一角。そこにいる一組の男女。
つい先刻まで娘の社の集いに参加し、しとやかな振る舞いを見せていた“星の巫女”。
見知った“七星の剣士”の装いながら、見覚えのない顔の武人の青年。
“七星の剣士”は“星の巫女”を守護するが使命、故に、共に居るのはごく自然なことなのだが―――守られるべき巫女が、守る側の剣士を追い掛け回しているのは如何なる事か。
「……と、いうか……あれは、本当に……楓さん……?」
「……あの衣、ご容貌、まさしく“星の巫女”殿のものですが……」
娘とその供は、呆然と言葉を交わす。それでも、目の前の人物と自身達が知る“星の巫女”が同一人物として認識できない。
しとやかに笑み、深い思慮と慈愛を感じさせる振る舞いを見せていた彼女が、“七星の剣士”を従え、彼らに埋もれることなく、威徳を身に纏っていた彼女が、
「くぉら、逃げるなぁーっ! 今日という今日は勘弁してやるもんかー!」
口汚く叫びながら、重厚な衣の裾をたくし上げて青年を追い掛け回しているなど、この目で見ても信じられない。というか、信じたくない。
そんな二人の心境など知る由もなく、そも、やや離れて佇む二人の存在に気づいた様子もなく、追いかけっこは終わる気配を見せない。
寧ろ、より激化していき―――ついには、追う側が武器を手に取った。
虚空から忽然と現れた漆黒の弓が、巫女の左手の甲から肘にかけて篭手のように装着される。
―――月衣。限度を越えぬ限り、人知れず武器や荷をしまうこともできる個人結界。常の世の法則を断ち、纏うものに超常の力を許すもの。
巫女は、そこから武器を取り出したのだ。―――矢の代わりに呪符を番え、呪の力を増幅する魔道具を。
青年が顔色を変える。制止するように両手を巫女へと突き出した。
「待て待て楓、それは本気で死ぬ! つーか、殺す気かっ!?」
「莫迦は死ななきゃ直らない! いっぺん死んで矯正しなさい飛竜!」
無茶なことを叫んで、弓を構える巫女。と、その聞き覚えのある名に、娘は自失から覚めて叫んだ。
「飛竜―――って、“流星の飛竜”!?」
「―――へ?」
間の抜けた声を上げて、巫女に向けて両手を掲げた姿勢のまま、青年が娘を振り返る。ついで、弓を構えたままの巫女も。
「―――み……神子、様……?」
そう呟くなり、ざぁっ、と音がしそうな勢いで、巫女の面から血の気が引いた。
その言葉に、青年もぎょっとしたように目を見開いた。
「みこ―――って、まさか伊耶冠命!?」
「―――神子様の御名を呼び捨てにするとは何事か!」
反射で叫んだらしい青年の言葉に、やはり反射のように怒鳴りつける時雨。
「うわすんません!」
「謝って済むか無礼者が!」
「―――飛竜!」
身を竦ませて叫ぶように謝罪する青年に、時雨は月衣から引き抜いた己の武器たる杖を向ける。先程まで彼に武器を向けていたはずの巫女が、悲鳴のような声を上げた。
まさに一触即発の空気が辺りに満ち―――
「―――やめなさい、時雨!」
当の神子に制止され、時雨は主を振り返る。
「神子様―――」
「構いません。彼に他意があったわけではないでしょう」
言われて、時雨はしぶしぶといった様子で武器を収める。青年は気が抜けたようにその場に腰を落とした。巫女もその場にへたり込み、自身の左手につけたままだったものを、慌てた様子で月衣に収める。
一触即発の空気が消えると、ついで何ともいえない気まずい空気が辺りを支配した。いたたまれない沈黙が一同の間に流れる。
ややあって―――その沈黙を破り、神子が口を開く。先ほどの問いを再び繰り返す。
「―――それで……あなたが、“流星の飛竜”ですか?」
「お、おう―――じゃなくて、はい」
反射のように返してから、慌てて言葉遣いを改める。
その返事を受けて、神子はまじまじと彼を見つめた。
―――“流星の飛竜”。
幼少の頃より“星の巫女”と共にあるという“七星の剣士”が一人。“七星”最強と謳われ、世界でも屈指の技倆を持つ、稀代の剣豪。
その名の通り、剛なること竜の如く、身のこなしは飛ぶが如し。その刃の軌跡は流星の如き煌きと速さを誇るという。よって、ついた異名が“流星の飛竜”。
しかし、彼は稀代の剣豪とは別の、些か困った一面も持っていた。
とにかく公の席に顔を出さない。周りの人間が何とか彼を引っ張り出そうと奮闘しても、いつの間にやら姿を消しているのだという。
“天に飛んで雲に隠れ、流星の如く瞬く間に姿を消す”―――こちらが彼の異名の真の由来では、と囁かれるほどなのだ。
故に、前線に出て戦うことのない彼女は、彼の顔を見るのも初めてだった。そして、それは常に彼女と共にある時雨も同様である。疑わしげに呟いた。
「―――こんな男が、“七星”最強……?」
「時雨、失礼ですよ」
窘めつつも、実のところ、神子も同じ感想を抱いていた。
見目だけみるなら、やや鋭い眼差しの偉丈夫で、確かに凄腕の剣豪というに相応しいかもしれない。しかし、自身より頭一つ小さい娘にいいように追い掛け回されていた姿を見た後では、いやでも情けない印象がつこうというものだ。
と、そこまで考えて、新たな疑問に行き着く。というか、無意識に目を逸らしていた疑問に意識が戻った。
「―――というか……楓さん? ……は、何をなさっていたんですか?」
微妙に呼びかけが疑問系になる。やはり自身の知る彼女との差異に、無意識が同一人物と認めかねているらしい。
彼女はいたたまれない様子で目をそらし、えーと、そのぅ、などと意味のない口の中で繰り返す。
代わりに、飛竜が溜息混じりに口を開く。
「俺が今日、神子様んとこでの集まりふけたんで、切れて暴れてただけっすよ。
慣れてるとはいえ、今回ほど暴走するのは珍しいんで、ちょい助かりました」
「―――は?」
いつものこと、というように告げる飛竜の言葉に、神子とその供は声を揃えた。
飛竜は苦笑気味に肩をすくめて、
「楓が普段、神子様たちの前でどんだけ猫被ってるかしらねぇっすけど、さっきまでの言動の方が地ですよ」
「―――うううううるさぁいっ! 片っ端から公の席ふける不良剣士が言うなぁ!」
楓が顔を真っ赤にして叫ぶ。ついで、はっとしたように神子達の方を見て、更にいたたまれない様子で身を縮めた。
半眼で傍らの剣士を睨み、低く呻く。
「……覚えてなさいよ、飛竜」
「何でだよ。俺は最初っから言ってただろうが、どうせボロ出るんだからやめとけって。
俺もお前も三年前までただの田舎者だったんだ。いきなり威厳だ品格だって言われたって、身につけられるようなもんじゃない」
言われて娘は、だって、と呟く。
「みんなが“そういう”あたしを期待してるんだもの。
“そういう”あたしを信じて戦ってくれてるんだもの。
みんなが戦って、守ってくれてるのよ。ととさまや、かかさまや、若葉を。飛竜のとこの都姉だって……
信じて戦ってくれるみんなの期待、裏切りたくなかった……」
言って項垂れる幼馴染の頭を、剣士はごく自然なしぐさで慰めるように撫でた。
「もういい、無理すんな。三年、よく頑張ったよ、お前は」
途端、娘は幼馴染に抱きつくようにして、堰切ったように泣き出した。
その名の通り、剛なること竜の如く、身のこなしは飛ぶが如し。その刃の軌跡は流星の如き煌きと速さを誇るという。よって、ついた異名が“流星の飛竜”。
しかし、彼は稀代の剣豪とは別の、些か困った一面も持っていた。
とにかく公の席に顔を出さない。周りの人間が何とか彼を引っ張り出そうと奮闘しても、いつの間にやら姿を消しているのだという。
“天に飛んで雲に隠れ、流星の如く瞬く間に姿を消す”―――こちらが彼の異名の真の由来では、と囁かれるほどなのだ。
故に、前線に出て戦うことのない彼女は、彼の顔を見るのも初めてだった。そして、それは常に彼女と共にある時雨も同様である。疑わしげに呟いた。
「―――こんな男が、“七星”最強……?」
「時雨、失礼ですよ」
窘めつつも、実のところ、神子も同じ感想を抱いていた。
見目だけみるなら、やや鋭い眼差しの偉丈夫で、確かに凄腕の剣豪というに相応しいかもしれない。しかし、自身より頭一つ小さい娘にいいように追い掛け回されていた姿を見た後では、いやでも情けない印象がつこうというものだ。
と、そこまで考えて、新たな疑問に行き着く。というか、無意識に目を逸らしていた疑問に意識が戻った。
「―――というか……楓さん? ……は、何をなさっていたんですか?」
微妙に呼びかけが疑問系になる。やはり自身の知る彼女との差異に、無意識が同一人物と認めかねているらしい。
彼女はいたたまれない様子で目をそらし、えーと、そのぅ、などと意味のない口の中で繰り返す。
代わりに、飛竜が溜息混じりに口を開く。
「俺が今日、神子様んとこでの集まりふけたんで、切れて暴れてただけっすよ。
慣れてるとはいえ、今回ほど暴走するのは珍しいんで、ちょい助かりました」
「―――は?」
いつものこと、というように告げる飛竜の言葉に、神子とその供は声を揃えた。
飛竜は苦笑気味に肩をすくめて、
「楓が普段、神子様たちの前でどんだけ猫被ってるかしらねぇっすけど、さっきまでの言動の方が地ですよ」
「―――うううううるさぁいっ! 片っ端から公の席ふける不良剣士が言うなぁ!」
楓が顔を真っ赤にして叫ぶ。ついで、はっとしたように神子達の方を見て、更にいたたまれない様子で身を縮めた。
半眼で傍らの剣士を睨み、低く呻く。
「……覚えてなさいよ、飛竜」
「何でだよ。俺は最初っから言ってただろうが、どうせボロ出るんだからやめとけって。
俺もお前も三年前までただの田舎者だったんだ。いきなり威厳だ品格だって言われたって、身につけられるようなもんじゃない」
言われて娘は、だって、と呟く。
「みんなが“そういう”あたしを期待してるんだもの。
“そういう”あたしを信じて戦ってくれてるんだもの。
みんなが戦って、守ってくれてるのよ。ととさまや、かかさまや、若葉を。飛竜のとこの都姉だって……
信じて戦ってくれるみんなの期待、裏切りたくなかった……」
言って項垂れる幼馴染の頭を、剣士はごく自然なしぐさで慰めるように撫でた。
「もういい、無理すんな。三年、よく頑張ったよ、お前は」
途端、娘は幼馴染に抱きつくようにして、堰切ったように泣き出した。
楓と飛竜は、元々ごく当たり前の農村に生まれた、ごく普通の子供だった。
家族や友人に囲まれ、平凡だが優しい日々の中で育った。
それが、三年前に楓に“星の巫女”としての才が見出され、飛竜が“七星の剣”に選ばれ、その日常は一変した。
家族と別れてこの隠れ里に迎え入れられ、“巫女様”と敬われ、崇められる。
里で引き合わされた同士と共に戦いへ放り込まれ、ただ巫女と里のために剣を振るう。
不満はなかった。優しい日々をくれた人々を、それで守れるなら。
それでも、一抹の寂しさ、降って湧いた重責への不安は消えなかった。
家族や友人に囲まれ、平凡だが優しい日々の中で育った。
それが、三年前に楓に“星の巫女”としての才が見出され、飛竜が“七星の剣”に選ばれ、その日常は一変した。
家族と別れてこの隠れ里に迎え入れられ、“巫女様”と敬われ、崇められる。
里で引き合わされた同士と共に戦いへ放り込まれ、ただ巫女と里のために剣を振るう。
不満はなかった。優しい日々をくれた人々を、それで守れるなら。
それでも、一抹の寂しさ、降って湧いた重責への不安は消えなかった。
―――自身に対する期待を、失望に変えたくなかった。
―――未熟者といわれ、高みに祭り上げられた幼馴染から引き離されることを恐れた。
そうして、威徳を纏う“星の巫女”と、最強の“七星の剣士”が生まれた。
飛竜に抱えられて泣きじゃくる楓を、神子と呼ばれる娘はただ見ているだけしか出来なかった。
娘は生まれたときから神子として扱われ、この里で敬われ崇められ育ってきた。
娘は生まれたときから神子として扱われ、この里で敬われ崇められ育ってきた。
―――神子は神の力を宿せし大いなるもの。人々を導き、魔を退ける。
その扱いに不自由を覚えることはあっても、それすら当たり前だと思ってきた。
与えられるものも、代わりに与えられないものも、全て。
与えられるものも、代わりに与えられないものも、全て。
―――“星の巫女”は里の皆を束ねる柱。星を読んで時を見る。
けれど、目の前で泣きじゃくる彼女には、そんな力も、人々の畏敬も、要らなかった。
では、何が必要だったのか。ここでの生活しか知らない娘には、わからない。
ただわかるのは、彼女が欲してもいないものを押し付けられて、与えられるはずだったものを取り上げられたということ。
それでも、守るという思いと、ただ一人の存在を支えに耐えてきたこと。
では、何が必要だったのか。ここでの生活しか知らない娘には、わからない。
ただわかるのは、彼女が欲してもいないものを押し付けられて、与えられるはずだったものを取り上げられたということ。
それでも、守るという思いと、ただ一人の存在を支えに耐えてきたこと。
―――強い、と思った。
ただ世界に盲目で、本当の意味での自由も不自由も知らずに、ただ決められた役目をこなしていた自分より。
そして、気づく。
―――本当の意味で、自分は守ろうと思ったことがあるのだろうか。
守ることは、自身に課せられた義務だった。そこに―――自身の意志は、あったのか。
守ることは、自身に課せられた義務だった。そこに―――自身の意志は、あったのか。
不意に、自身が途方もなく空ろな存在に、思えた。