1919年
1月
11日、イギリスのモニカ・ヴァイスヴィント将軍が徴税官ススム・ヒノモトをバトゥミの知事に任命。
12日、イギリス軍からツムギ・シライシ・ナンヤイネにナンヤイネの統治権が移譲。
12日、イギリス軍からツムギ・シライシ・ナンヤイネにナンヤイネの統治権が移譲。
2月
グルジア民主共和国で議会選挙が行われ、定員130人の内―メンシェヴィキが109人当選し、メンシェヴィキ政権が成立した。(史実通り)
赤軍が白軍の重要地域であるドン軍管州を占領。
赤軍が白軍の重要地域であるドン軍管州を占領。
3月
ナンヤイネと白軍間でアカリ・ススム協定(バトゥミ協定)が締結。
ドン管区で赤軍に対しヴョーシェンスカヤの蜂起が発生。
アナトリア半島黒海沿岸部の数都市がフランスにより占領。
オスマン帝国南東部がイギリスにより占領。
カルス共和国がグルジアに侵攻しグルジア軍に撃退される。
ドン管区で赤軍に対しヴョーシェンスカヤの蜂起が発生。
アナトリア半島黒海沿岸部の数都市がフランスにより占領。
オスマン帝国南東部がイギリスにより占領。
カルス共和国がグルジアに侵攻しグルジア軍に撃退される。
4月
白軍がウクライナ東部を占領。
イズミルがギリシャにより占領。
カルス共和国がナンヤイネに侵攻しグルジア軍に撃退される。カルス共和国滅亡。
新貨幣ヤイネ発行。
ナンヤイネ・メンシェヴィキ第1回党大会開催。
イズミルがギリシャにより占領。
カルス共和国がナンヤイネに侵攻しグルジア軍に撃退される。カルス共和国滅亡。
新貨幣ヤイネ発行。
ナンヤイネ・メンシェヴィキ第1回党大会開催。
5月
19日、トルコ革命勃発。
白軍によりクルスクが陥落。
赤軍によりベルミが陥落。
ナンヤイネで農地改革が発令。
カルス共和国分割を巡りカルス会談が開催
白軍によりクルスクが陥落。
赤軍によりベルミが陥落。
ナンヤイネで農地改革が発令。
カルス共和国分割を巡りカルス会談が開催
6月
ヴォロネジが陥落。多数の赤軍将校が白軍に投降する。
ロシア北西軍フィンランドに退却。
アルメニア第一共和国によりアラス共和国滅亡。(史実)
ロシア北西軍フィンランドに退却。
アルメニア第一共和国によりアラス共和国滅亡。(史実)
7月
赤軍によりウファが陥落。
白軍によりオリョール、トゥーラが陥落。白軍がモスクワ目前までに迫る。
アメリカからカフカース調査団が派遣。
ナンヤイネ徴兵令発令。
白軍によりオリョール、トゥーラが陥落。白軍がモスクワ目前までに迫る。
アメリカからカフカース調査団が派遣。
ナンヤイネ徴兵令発令。
8月
モスクワ攻防戦開始。
ナンヤイネにガージャール朝から知識人が亡命。
赤軍によりエカテリンブルクが陥落
ナンヤイネにガージャール朝から知識人が亡命。
赤軍によりエカテリンブルクが陥落
9月
ネネカ・パシャがアンカラから撤退。
ナンヤイネ・メンシェヴィキの入党審査が厳格化。
フランス大使館がバトゥミに設立。
ガージャール・ナンヤイネ軍事協定締結。
ナンヤイネ・メンシェヴィキの入党審査が厳格化。
フランス大使館がバトゥミに設立。
ガージャール・ナンヤイネ軍事協定締結。
10月
赤軍により臨時全ロシア政府の首都オムスク陥落。
ツムギ親衛隊成立。
アゼルバイジャンがカスピ海艦隊の一部を購入。
ナンヤイネ共和国憲法公布。
アナトリア半島南東部が英軍から仏軍へ移管。
ツムギ親衛隊成立。
アゼルバイジャンがカスピ海艦隊の一部を購入。
ナンヤイネ共和国憲法公布。
アナトリア半島南東部が英軍から仏軍へ移管。
11月
白軍によりモスクワが奪還されロマノフ朝復興宣言がなされる。
ギリシャ国王が一般女性と結婚しローマへ駆け落ちする。
ナンヤイネで初のラジオ放送がなされる。
グルジアでカフカス3カ国間会議開催
ギリシャ国王が一般女性と結婚しローマへ駆け落ちする。
ナンヤイネで初のラジオ放送がなされる。
グルジアでカフカス3カ国間会議開催
12月
フォーク将軍イルクーツクにて処刑。残存兵は少ない犠牲で撤退に成功。
ネネカ派がマラティヤで勝利。アルメニアが戦線に部分動員をかける。
アメリカの石油メジャーがアゼルバイジャンと契約。
バクー-トビリシ-バトゥミ鉄道開通。
ナンヤイネ各地で診療所が再建。
ネネカ派がマラティヤで勝利。アルメニアが戦線に部分動員をかける。
アメリカの石油メジャーがアゼルバイジャンと契約。
バクー-トビリシ-バトゥミ鉄道開通。
ナンヤイネ各地で診療所が再建。
1920年
1月
フランス軍、アナトリア半島南東部から撤退。
ナンヤイネで戴冠式が挙行、王政へと移行する。
ナンヤイネで戴冠式が挙行、王政へと移行する。
2月
オスマン帝国でクルド人の民族自決を認める布告が出される。
ナンヤイネでロシア語使用の拡充がなされる。
ナンヤイネでロシア語使用の拡充がなされる。
3月
シリア国民会議がヒジャーズ王国王族を国王としてフランス委任統治領シリアで独立国家を作り始める。
ナゴルノ・カラバフ紛争が再発しアゼルバイジャンがカラバフの半分を占領する。
ボリシェヴィキがバトゥミで活動を開始する。
ナゴルノ・カラバフ紛争が再発しアゼルバイジャンがカラバフの半分を占領する。
ボリシェヴィキがバトゥミで活動を開始する。
4月
ポントス蜂起がトルコ北部沿岸部全体に瞬く間に広まる。
尼港事件をきっかけに日本が東部戦線への出兵を強化する。
尼港事件をきっかけに日本が東部戦線への出兵を強化する。
5月
アダナが陥落しフランス軍が撤退する。
ガージャール朝のシャーがナンヤイネに訪問する。
ザカスピ暫定政権がほぼ赤軍に攻略される。
ガージャール朝のシャーがナンヤイネに訪問する。
ザカスピ暫定政権がほぼ赤軍に攻略される。
6月
ロシア東部軍がカザフ草原へ東進。
グルジアがナンヤイネに対して最後通牒を通告。
グルジアがナンヤイネに対して最後通牒を通告。
7月
ブハラ=ハン国とヒヴァ=ハン国が滅亡し赤軍の支援の下で、ブハラ人民ソビエト共和国とホラズム人民ソビエト共和国が成立。
シライシ石油会社設立。
ナンヤイネ王国第1回選挙実施。
シライシ石油会社設立。
ナンヤイネ王国第1回選挙実施。
8月
フランス、セーヴルにて講和会議が行われる。
イスラーム連盟成立本部はメッカとメディナに置かれる。
イスラーム連盟成立本部はメッカとメディナに置かれる。
10月
グルジア・ナンヤイネ戦争の開戦
女王ツムギのロンドン演説 アイルランド問題についてと引き換えを約束する
女王ツムギのロンドン演説 アイルランド問題についてと引き換えを約束する
11月
バトゥミ陥落。グルジア軍バトゥミに入場
アブハジアのジハード宣言で、大反乱。ロシアとの陸路国境が封鎖される
アルメニアがグルジア国境に兵士を集めて牽制
アゼルバイジャンがグルジアに対してジハード宣戦布告。貿易停止、国境兵派遣などを実行し さらに総動員開始
イスラーム連盟会議。ヒジャーズ王国の決議案によりジハード宣言。経済制裁。オスマン帝国はボスポラス海峡の閉鎖を明言
キリュウがアーサー評議員への拷問を指示
オスマン帝国カリフペコリーヌ。イスタンブル~アルトヴィン~ナンヤイネ地域へ4000のカリフ軍と共に移動
女王ツムギ、アイルランドにてアーサー・グリフィス会談。ジョージ5世会談。モニモニ母と会談。リンクと会談。ローマ会談を準備
ナンヤイネ北部沿岸地域の住民反乱。グルジア軍によって鎮圧され虐殺ジェノサイド。死者の一部は凱旋門として飾られる
アゼルバイジャンが総動員完了。アゼルバイジャン・グルジア戦争勃発
英愛のローマ会談に女王ツムギ立ち合い
アブハジアのジハード宣言で、大反乱。ロシアとの陸路国境が封鎖される
アルメニアがグルジア国境に兵士を集めて牽制
アゼルバイジャンがグルジアに対してジハード宣戦布告。貿易停止、国境兵派遣などを実行し さらに総動員開始
イスラーム連盟会議。ヒジャーズ王国の決議案によりジハード宣言。経済制裁。オスマン帝国はボスポラス海峡の閉鎖を明言
キリュウがアーサー評議員への拷問を指示
オスマン帝国カリフペコリーヌ。イスタンブル~アルトヴィン~ナンヤイネ地域へ4000のカリフ軍と共に移動
女王ツムギ、アイルランドにてアーサー・グリフィス会談。ジョージ5世会談。モニモニ母と会談。リンクと会談。ローマ会談を準備
ナンヤイネ北部沿岸地域の住民反乱。グルジア軍によって鎮圧され虐殺ジェノサイド。死者の一部は凱旋門として飾られる
アゼルバイジャンが総動員完了。アゼルバイジャン・グルジア戦争勃発
英愛のローマ会談に女王ツムギ立ち合い
12月
女王の親衛隊、カリフ軍の共同作戦「深きチョロヒ作戦始動」 大勝利でバトゥミ奪還
国防軍の逆襲作戦クーロケダの戦い(冬の眠り作戦)始動。大勝利。グルジア軍の組織的勢力消滅。国防軍と評議員たちもバトゥミ帰還
ナンヤイネが北部沿岸地域を奪還。グルジアに占領された国土の全てを解放する
南ロシア軍がグルジアと断交を宣言。貿易を中止し、ドルジ将軍にカフカース方面軍を任せる。アカリ大佐がカフカース全権大使に任命される
グルジアでクーデター。バーン・ラインハルトがキリュウを排除。即時講和・領土保全・経済制裁解除のために政権を率いる
アゼルバイジャンがグルジアと停戦。3日後にアルメニア参戦の影響で停戦破棄。再度侵攻開始
アルメニアがグルジアに宣戦布告
国連総会で女王ツムギとユニの演説により、理事会で調査団派遣が決議される(1921年1月以降に出発予定)
アルメニアがグルジアのトビリシ南の山岳地帯を奪取し、アルメニア系住民を扇動しつつトビリシに侵攻
国防軍の逆襲作戦クーロケダの戦い(冬の眠り作戦)始動。大勝利。グルジア軍の組織的勢力消滅。国防軍と評議員たちもバトゥミ帰還
ナンヤイネが北部沿岸地域を奪還。グルジアに占領された国土の全てを解放する
南ロシア軍がグルジアと断交を宣言。貿易を中止し、ドルジ将軍にカフカース方面軍を任せる。アカリ大佐がカフカース全権大使に任命される
グルジアでクーデター。バーン・ラインハルトがキリュウを排除。即時講和・領土保全・経済制裁解除のために政権を率いる
アゼルバイジャンがグルジアと停戦。3日後にアルメニア参戦の影響で停戦破棄。再度侵攻開始
アルメニアがグルジアに宣戦布告
国連総会で女王ツムギとユニの演説により、理事会で調査団派遣が決議される(1921年1月以降に出発予定)
アルメニアがグルジアのトビリシ南の山岳地帯を奪取し、アルメニア系住民を扇動しつつトビリシに侵攻
1921年
1月
ナンヤイネの臨時評議会でアルメニアとの不可侵条約を更新しないまま、アゼルバイジャン寄りの中立を保つことに
トビリシ攻防戦によりアルメニア軍がトビリシ破壊。バーンが自殺し、多数の議員と市民が死亡。グルジア民主共和国滅亡
アルメニア軍によってキリュウ傀儡政権樹立(首都:ヴァジアニ)
アルメニアがアハルツィヘ郡の一部を占領。トルコ系など8000人の虐殺。激怒したカリフが軍をアルメニアに向ける
アゼルバイジャンが第二次サルティチャラの戦いで、グルジアの残存戦力を殲滅。トビリシまで到達
アルメニア軍とアゼルバイジャン軍による第二次トビリシの戦い。アゼルバイジャン勝利で、トビリシ大破壊が起きる
グルジア軍4000とランスロットがナンヤイネに亡命
ナンヤイネがアハルツィヘ西3村(アディゲ、ウデェ、アバストゥマニ)を占領し、ポティ港に進撃。ポティはランスロットの説得で降伏
キリュウが監禁場所から脱出。ヴァジアニ村で蜂起。アゼルバイジャン軍に囚われ、ナンヤイネに護送される
グルジア西部でラインハルトの要請でコウメイ政府樹立。ナンヤイネを国家と認め、講和を前提に休戦協定を求める
アゼルバイジャンがグルジアのルスタヴィ占領後に、列強の仲介を受け入れてアルメニアと停戦受諾
英愛仲介成立
女王ツムギ、ナンヤイネに帰還。カリフと面談。アルメニアとの戦争を止めるため、ヴァチカンの仲介取り付け
トビリシ攻防戦によりアルメニア軍がトビリシ破壊。バーンが自殺し、多数の議員と市民が死亡。グルジア民主共和国滅亡
アルメニア軍によってキリュウ傀儡政権樹立(首都:ヴァジアニ)
アルメニアがアハルツィヘ郡の一部を占領。トルコ系など8000人の虐殺。激怒したカリフが軍をアルメニアに向ける
アゼルバイジャンが第二次サルティチャラの戦いで、グルジアの残存戦力を殲滅。トビリシまで到達
アルメニア軍とアゼルバイジャン軍による第二次トビリシの戦い。アゼルバイジャン勝利で、トビリシ大破壊が起きる
グルジア軍4000とランスロットがナンヤイネに亡命
ナンヤイネがアハルツィヘ西3村(アディゲ、ウデェ、アバストゥマニ)を占領し、ポティ港に進撃。ポティはランスロットの説得で降伏
キリュウが監禁場所から脱出。ヴァジアニ村で蜂起。アゼルバイジャン軍に囚われ、ナンヤイネに護送される
グルジア西部でラインハルトの要請でコウメイ政府樹立。ナンヤイネを国家と認め、講和を前提に休戦協定を求める
アゼルバイジャンがグルジアのルスタヴィ占領後に、列強の仲介を受け入れてアルメニアと停戦受諾
英愛仲介成立
女王ツムギ、ナンヤイネに帰還。カリフと面談。アルメニアとの戦争を止めるため、ヴァチカンの仲介取り付け
2月
ナンヤイネがグルジア戦争の休戦条約(アルトヴィン協定)成立。ナンヤイネ・グルジア戦争終結
アゼルバイジャン・アルメニア休戦条約(ルスタヴィ協定)成立。英仏羅波による監視成立
カリフ・アルメニア協定成立。これを受けてカリフ軍が進撃を止めて解散。アハルツィヘで教皇とカリフの歴史的会談が行なわれる
アゼルバイジャン・アルメニア休戦条約(ルスタヴィ協定)成立。英仏羅波による監視成立
カリフ・アルメニア協定成立。これを受けてカリフ軍が進撃を止めて解散。アハルツィヘで教皇とカリフの歴史的会談が行なわれる
3月
アーサーとツムギがユニエイト教会を立ち上げ、正教からカトリックに改宗する
オスマン帝国の反乱が完全に終結。ネネカ・パシャが自害する
クロンシュタットで水兵たちが反乱とストを開始。フランスが支援する
オスマン帝国の反乱が完全に終結。ネネカ・パシャが自害する
クロンシュタットで水兵たちが反乱とストを開始。フランスが支援する
4月
赤軍がクロンシュタットの反乱が広がるの抑え込む。その際にペトログラードで9万人の市民が犠牲に。水兵たちは島に退却
白軍がノブゴロドを奪取する。赤軍はペトログラードを放棄して東部へ撤退する
エンヴェルがネネカ派の残党を率いて亡命希望。ナンヤイネ政府は約束通り残党を受け入れるがエンヴェルは受け入れず。彼は赤軍へ
イスタンブル協定が結ばれ、オスマン帝国の領土が更に削られる
対白軍安全保障の一環でアルメニアとの協力を取り付け、アゼルバイジャン・アルメニア・ナンヤイネの小協商が成立
ナンヤイネ―グルジアの講和交渉が決裂する。コウメイ政権が白軍に土下座する方針に
ランスロットが亡命将兵らを率いて進撃し、コウメイ政権がクタイシに撤退する
赤軍とカフカースの指導者間で10年間の不可侵協定を締結(SM(ススムミコ)=RS(モロトフスターリン)協定)
ウクライナの独立派やクロンシュタットの反乱勢力と協力関係に
白軍がノブゴロドを奪取する。赤軍はペトログラードを放棄して東部へ撤退する
エンヴェルがネネカ派の残党を率いて亡命希望。ナンヤイネ政府は約束通り残党を受け入れるがエンヴェルは受け入れず。彼は赤軍へ
イスタンブル協定が結ばれ、オスマン帝国の領土が更に削られる
対白軍安全保障の一環でアルメニアとの協力を取り付け、アゼルバイジャン・アルメニア・ナンヤイネの小協商が成立
ナンヤイネ―グルジアの講和交渉が決裂する。コウメイ政権が白軍に土下座する方針に
ランスロットが亡命将兵らを率いて進撃し、コウメイ政権がクタイシに撤退する
赤軍とカフカースの指導者間で10年間の不可侵協定を締結(SM(ススムミコ)=RS(モロトフスターリン)協定)
ウクライナの独立派やクロンシュタットの反乱勢力と協力関係に
5月
ランスロット軍がクタイシを攻略。コウメイ政権が壊滅。ミカ王女が救出され、ナンヤイネに送られる
ダーダネルス・ボスポラス海峡が事故の名目で封鎖され、ロシアの海上輸送ルートが途切れる
カリフの呼びかけでロシア内のイスラム教徒が動揺する
キャルとマクギリスのカフカースの独立をかけた交渉が決裂し、英国が反白軍に動く。セヴァストポリ港が破壊される
ロシア帝国とカフカース連合軍が開戦。グルジア軍がオセチアを攻略。アブハジアと山岳共和国が連合軍に降伏
マハチカラ戦線で、アゼルバイジャン軍が北カフカースのドルジ軍に完勝する
ダーダネルス・ボスポラス海峡が事故の名目で封鎖され、ロシアの海上輸送ルートが途切れる
カリフの呼びかけでロシア内のイスラム教徒が動揺する
キャルとマクギリスのカフカースの独立をかけた交渉が決裂し、英国が反白軍に動く。セヴァストポリ港が破壊される
ロシア帝国とカフカース連合軍が開戦。グルジア軍がオセチアを攻略。アブハジアと山岳共和国が連合軍に降伏
マハチカラ戦線で、アゼルバイジャン軍が北カフカースのドルジ軍に完勝する
6月
タカネ=フョードロヴナ皇太后の仲介で講和会議が開催。ロシア・オスマンおよびカフカース3ヵ国で黒海条約が結ばれる
カフカース諸国の独立が認められ、グルジアの占領地の整理や存続が決まる
女王ツムギがナンヤイネ本土に加え、グルジア諸邦(旧ズグディディ、オズルゲティ、セナキ郡)、アハルツィヘ自由都市の統治者となる
赤軍はこの結果に激怒するものの、不可侵協定は軍事的メリットを鑑みて維持する
ルドラサウムとキリュウの戦犯裁判が行われ、虐殺の責任で死刑判決が下る。多くのグルジア軍捕虜が重罪となる
カフカース諸国の独立が認められ、グルジアの占領地の整理や存続が決まる
女王ツムギがナンヤイネ本土に加え、グルジア諸邦(旧ズグディディ、オズルゲティ、セナキ郡)、アハルツィヘ自由都市の統治者となる
赤軍はこの結果に激怒するものの、不可侵協定は軍事的メリットを鑑みて維持する
ルドラサウムとキリュウの戦犯裁判が行われ、虐殺の責任で死刑判決が下る。多くのグルジア軍捕虜が重罪となる
7月
国連調査団とカフカス問題を調査。ナンヤイネ内でのグルジアによる虐殺が認定される
アーサーがスパイであることを告白。評議会を辞任する。後任にハメドリが推薦したデルウハが就任
アルトヴィン・オルティンスキー郡が住民投票を経てナンヤイネに編入される
ナンヤイネ・グルジア戦争(ナンヤイネ独立戦争)の死者23000人を弔う国立墓地が決まり、追悼式が行われる
評議会がアハルツィヘの都市計画「ミル・ミール」を承認する
アーサーがスパイであることを告白。評議会を辞任する。後任にハメドリが推薦したデルウハが就任
アルトヴィン・オルティンスキー郡が住民投票を経てナンヤイネに編入される
ナンヤイネ・グルジア戦争(ナンヤイネ独立戦争)の死者23000人を弔う国立墓地が決まり、追悼式が行われる
評議会がアハルツィヘの都市計画「ミル・ミール」を承認する
10月
赤軍の大反攻で白軍が潰走。マクギリス将軍は亡命に追い込まれる
イレイナがイルクーツク以東まで撤退し、日本を後ろ盾に緩衝地帯となる国の建国を目指す
イレイナがイルクーツク以東まで撤退し、日本を後ろ盾に緩衝地帯となる国の建国を目指す
12月
ボリシェヴィキ政権の通達により、カフカース諸国は独立こそ維持されるものの半ばソ連の保護国・衛星国と化す
1922年以降
1922~31年 ナンヤイネの黄金期 栄光と矛盾 欲望と格差の拡大
ツムギ女王とマコト王子の結婚。エジプトとは準同盟国に
ナンヤイネは急速な経済成長を遂げるが、戦争の爪痕の色濃い北部は人口流出でとり残される
独立派(王党派)と社会主義派が政権を担う。ミコとアリス(初代)が政治の中枢に
ナンヤイネは急速な経済成長を遂げるが、戦争の爪痕の色濃い北部は人口流出でとり残される
独立派(王党派)と社会主義派が政権を担う。ミコとアリス(初代)が政治の中枢に
1932~39年 アゼルバイジャンの野望 再び始まるカフカースの分断
1929年に始まった世界恐慌の影響がカフカースでも本格化。ナンヤイネの工業生産は最盛期の1/5まで落ちた時期も
新グルジア王国に対して、アゼルバイジャンはクタイシ以東を要求し、アルメニアは治外法権などを要求。アルメニアの要求が通る
ナンヤイネは、選挙に圧勝した独立派(王党派)が社会主義派を追い出し、事実上の独裁政権に。チノが議長に就任してチノーアリス体制に
独立派はハンガリーを見習った政治体制の構築を図り、権威体制を確立。日米の政権を見習うなどして、不況から脱出
インドで独立運動。女王ツムギの仲介により5-10年の独立を前提として、イギリス連邦に加盟。イギリスはこの影響で弱体化
新グルジア王国に対して、アゼルバイジャンはクタイシ以東を要求し、アルメニアは治外法権などを要求。アルメニアの要求が通る
ナンヤイネは、選挙に圧勝した独立派(王党派)が社会主義派を追い出し、事実上の独裁政権に。チノが議長に就任してチノーアリス体制に
独立派はハンガリーを見習った政治体制の構築を図り、権威体制を確立。日米の政権を見習うなどして、不況から脱出
インドで独立運動。女王ツムギの仲介により5-10年の独立を前提として、イギリス連邦に加盟。イギリスはこの影響で弱体化
1939~45年 第二次カフカース大戦の地獄 ソ連の侵攻
新グルジア王国が周辺国と組んでアゼルバイジャンに宣戦布告。ナンヤイネも出兵し、イスラーム連盟との仲が悪化する。誠とも離婚寸前に
1943年に第二次カフカース大戦終了。アゼルバイジャンが第一次カフカース大戦で得た領土を全て喪失。この戦争で数十万の死者が出る
ナンヤイネは協力の見返りでクタイシを割譲
1939年にインドで、大戦参加を拒否する大規模ストライキ。英国が屈服して独立が確定する
独ソ戦で日本は動かず。大戦にあまり関与しないまま極東利権を守って体制を維持する
ウラジオストックを首都にした極東ロシア帝国(イレイナが建国に関与。人口1500万人)が、日本を後ろ盾にして極東を支配する
ドイツに勝利したソ連がカフカース諸国を保護国化。世界大戦と第二次カフカース大戦で疲弊した欧州やカフカース諸国になす術なし
1943年に第二次カフカース大戦終了。アゼルバイジャンが第一次カフカース大戦で得た領土を全て喪失。この戦争で数十万の死者が出る
ナンヤイネは協力の見返りでクタイシを割譲
1939年にインドで、大戦参加を拒否する大規模ストライキ。英国が屈服して独立が確定する
独ソ戦で日本は動かず。大戦にあまり関与しないまま極東利権を守って体制を維持する
ウラジオストックを首都にした極東ロシア帝国(イレイナが建国に関与。人口1500万人)が、日本を後ろ盾にして極東を支配する
ドイツに勝利したソ連がカフカース諸国を保護国化。世界大戦と第二次カフカース大戦で疲弊した欧州やカフカース諸国になす術なし
1945~59年 カフカース分割 クタイシ動乱の悲劇
1945年、ススム副議長が引退。女王から公爵位を贈られる
独立派が単独過半数を獲得。アリス2世が主導権を握り、チノが副議長として評議会入り
アリス2世と一部関係者により、対ソのために原爆作成を目指す「テトラグラマトン計画」が極秘に始まる
北部沿岸地域が核開発の実験場に選ばれ、ミコが悲憤慷慨。彼女が共産主義に転向する一因になる
戦後復興と経済は安定するものの、検閲を強めて集会・表現の自由が抑圧される
平等・自由・友愛を求めて、10万人以上が集まるクタイシ動乱が起きる。改革要求が通り、集会の自由や検閲緩和など漸進的な改革が実施される
1947年、ハメドリ評議員が引退
1954年、宰相キャルが死去
1959年、ペコリーヌがカリフを辞任
独立派が単独過半数を獲得。アリス2世が主導権を握り、チノが副議長として評議会入り
アリス2世と一部関係者により、対ソのために原爆作成を目指す「テトラグラマトン計画」が極秘に始まる
北部沿岸地域が核開発の実験場に選ばれ、ミコが悲憤慷慨。彼女が共産主義に転向する一因になる
戦後復興と経済は安定するものの、検閲を強めて集会・表現の自由が抑圧される
平等・自由・友愛を求めて、10万人以上が集まるクタイシ動乱が起きる。改革要求が通り、集会の自由や検閲緩和など漸進的な改革が実施される
1947年、ハメドリ評議員が引退
1954年、宰相キャルが死去
1959年、ペコリーヌがカリフを辞任
1960~72年 バトゥミの春と左右テロ
表現の自由の促進により過激な意見の抑圧が緩み、左右の過激派が跋扈する時代に
選挙制度の改革を成し遂げたアサミが、陸軍大将を辞めて評議員となる
独立派が第1回以来勝ち続けた選挙に惨敗。トルコ派に議長を譲りつつ、連立与党を形成。共産主義派が第一党に
民主化の推進や自由と文化は拡大するが、経済は停滞、治安は悪化、軍事力は低下する
1965年、リーボック評議員が引退
1968年、バトゥミの春。強い請願を受けて女王ツムギは、ナンヤイネ文化の大事な1要素としてイスラームを積極的に公認。同化的スタァ政策が後退
選挙制度の改革を成し遂げたアサミが、陸軍大将を辞めて評議員となる
独立派が第1回以来勝ち続けた選挙に惨敗。トルコ派に議長を譲りつつ、連立与党を形成。共産主義派が第一党に
民主化の推進や自由と文化は拡大するが、経済は停滞、治安は悪化、軍事力は低下する
1965年、リーボック評議員が引退
1968年、バトゥミの春。強い請願を受けて女王ツムギは、ナンヤイネ文化の大事な1要素としてイスラームを積極的に公認。同化的スタァ政策が後退
1972~89年 ソ連のアフガニスタン侵攻 ソ連の揺らぎとナンヤイネのイスラームへの回帰
分極化で連立工作も上手くいかず、国王大権でエルドアンと三代目ヒノモト侯爵が議長に選出される
1975年、30年渡って評議会の副議長を務めたチノが電撃解任される
1976年、外交陳情周りを行っていた女王ミカがオスマン帝国の地震に巻き込まれて死亡
1979年、アリス2世がイランおよびグラマン社から秘密裏に15機のF-14を導入する
ソ連がアフガニスタンに侵攻。女王ツムギは30年ぶりにイスラーム連盟会議に出席して演説。カリフはアフガニスタン支援をウンマとして行うと宣言
ナンヤイネ政権もアフガンに義勇兵・秘密の物資支援を行う
1980年、ユニ評議員が引退。数年後に死去する
1985年、ゴルバチョフがソ連でペレストロイカの開始
1988年、ミコ評議員が死去
ソ連の衰退でナンヤイネの各勢力が動揺。グルジア系の民族意識が強まり、グルジア諸邦の今後の展望(独立か残留かなど)が議論される
女王ツムギの1人息子が死去。ツムギの孫(ペコリーヌの姪が母)が皇太子となる
1975年、30年渡って評議会の副議長を務めたチノが電撃解任される
1976年、外交陳情周りを行っていた女王ミカがオスマン帝国の地震に巻き込まれて死亡
1979年、アリス2世がイランおよびグラマン社から秘密裏に15機のF-14を導入する
ソ連がアフガニスタンに侵攻。女王ツムギは30年ぶりにイスラーム連盟会議に出席して演説。カリフはアフガニスタン支援をウンマとして行うと宣言
ナンヤイネ政権もアフガンに義勇兵・秘密の物資支援を行う
1980年、ユニ評議員が引退。数年後に死去する
1985年、ゴルバチョフがソ連でペレストロイカの開始
1988年、ミコ評議員が死去
ソ連の衰退でナンヤイネの各勢力が動揺。グルジア系の民族意識が強まり、グルジア諸邦の今後の展望(独立か残留かなど)が議論される
女王ツムギの1人息子が死去。ツムギの孫(ペコリーヌの姪が母)が皇太子となる
1989年以降 冷戦の終了 ナンヤイネの新たなる出発
ソ連崩壊で、1つの連邦は12の共和国へと生まれ変わる。東欧、モンゴル、カフカースから駐留軍が去り、諸国が自由を手に入れた
ナンヤイネで国民投票。王政の維持とグルジア諸邦の残留が決まる。女王ツムギの退位
国権の最高機関は評議会から王国議会に移り、国王大権も大部分が廃止され、実質的にも立憲君主制に移行
ナンヤイネで国民投票。王政の維持とグルジア諸邦の残留が決まる。女王ツムギの退位
国権の最高機関は評議会から王国議会に移り、国王大権も大部分が廃止され、実質的にも立憲君主制に移行
史実
1919年以前
15世紀後半
バトゥミがオスマン帝国に占領される。バトゥミの名称が定着したのもこの時期。
1863年
オスマン帝国がラズィスタン県の中核都市にバトゥミを指定。バトゥミの街が拡張され、領事館などが設置される
1877年
露土戦争開始、バトゥミを巡る争いも発生する。
1878年
ロシア、オスマン帝国間でベルリン条約が締結。バトゥミ、カルス、アルダハン、ドゥバヤジトはロシア帝国のものとなる。
1883年
ドミトリー・メンデレーエフの提案によるバクー-バトゥミ間のパイプラインが完成、以降バトゥミは急速な発展を遂げる。
1901年
バトゥミが社会民主主義運動の中心地となり、スターリンがバトゥミを拠点として活動を開始する。
1902年
1月にロスチャイルド製油所で大規模なストライキが行われた。その後もカフカス地域ではバクーやオデッサでのゼネストのようなストライキが頻繁に発生する
1905年
バトゥミでゼネスト発生。
1912年
武器密輸の監視の為にバトゥミに砲艦が常設される。
1914年
第一次世界大戦が勃発。ロシア帝国が中東戦線に進出。カフカス地方が前線となる。
1917年
2月、ロシア帝国で二月革命が勃発。
3月、カフカス特別委員会(オザコム)が設立。
11月、ロシア帝国で十月革命が勃発。
12月、エルジンジャン休戦によりロシア軍がカフカス地方から撤退。
3月、カフカス特別委員会(オザコム)が設立。
11月、ロシア帝国で十月革命が勃発。
12月、エルジンジャン休戦によりロシア軍がカフカス地方から撤退。
1918年
1月
2月
3月
ブレスト=リトフスク条約が締結。ロシア帝国がトルコとの国境付近のアルダハン、カルス、バトゥミに対するすべての権利を放棄。
オスマン帝国とロシア帝国とザカフカース委員会(セイム)の間でトレビゾンド平和会議が開始する。ザカフカース委員会はバトゥミ、カルス地域の独立を主張するが却下される。
3日赤軍は、バトゥミ、カルス、アルダハンのイスラム教徒にオスマントルコの支配下での自決権を容認。
30日、ナゴルノ・カラバフを巡り、アルメニア・アゼルバイジャン戦争が開始。
オスマン帝国とロシア帝国とザカフカース委員会(セイム)の間でトレビゾンド平和会議が開始する。ザカフカース委員会はバトゥミ、カルス地域の独立を主張するが却下される。
3日赤軍は、バトゥミ、カルス、アルダハンのイスラム教徒にオスマントルコの支配下での自決権を容認。
30日、ナゴルノ・カラバフを巡り、アルメニア・アゼルバイジャン戦争が開始。
4月
14日、オスマン帝国軍がバトゥミを併合。
22日、ザカフカース民主連邦共和国が成立。
22日、ザカフカース民主連邦共和国が成立。
5月
11日、山岳民主共和国がバトゥミでトルコの支援の元、独立宣言。
26日、ザカフカース民主連邦共和国が解体。グルジア民主共和国が独立宣言。
28日アルメニア第一共和国が独立宣言。アゼルバイジャン民主共和国が独立宣言。ポティ条約が締結されドイツとグルジアが結び付きを強める。
26日、ザカフカース民主連邦共和国が解体。グルジア民主共和国が独立宣言。
28日アルメニア第一共和国が独立宣言。アゼルバイジャン民主共和国が独立宣言。ポティ条約が締結されドイツとグルジアが結び付きを強める。
6月
4日、バトゥミ条約が締結され、オスマン帝国はグルジア民主共和国に対して、バトゥミ、アルダハン、アカルチケ、アカルカラキの所有権の放棄を強要。バトゥミのオスマン帝国による実質的な統治が開始
7月
8月
9月
10月
30日ムドロス休戦協定が締結され連合国とオスマン帝国の戦争が終結する。
11月
28日、アルメニア・アゼルバイジャン戦争が終結。
12月
7日~18日にかけグルジア・アルメニア戦争が行われるが両者共に目的を達成出来なかった。イギリスの仲裁により終結
1919年
1月21日、イギリスがオスマン帝国から統治を引き継ぎ、ジェームズ・クック・コリス将軍をバトゥミの知事に任命した。そして、ロシアの士官候補生プリリディアン・マスロフが議長を務めるバトゥミ評議会を設立した。
4月、イギリス軍による軍政が開始され知事は評議会を解散する。
4月、イギリス軍による軍政が開始され知事は評議会を解散する。
1920年
1月、ロンドン会議により協商国からザカフカース諸国に事実上の独立承認が与えられる。
3月、南ロシア軍は敗退を繰り返しこの月までに北カフカ―スより撤退。クリミア半島まで追い詰められる。
4月、アントーン・デニーキンが南ロシア軍総司令を辞任。イギリスへ亡命する。南ロシア軍の指揮権はピョートル・ヴラーンゲリに引き継がれる。
4月、イギリスがバトゥミを自由港とすることを宣言。国際連盟の保護領としてイギリス、フランス、イタリアによる共同統治が行われる事が決定される。
4月27日、北カフカースで南ロシア軍を打ち破った赤軍がアゼルバイジャンへ侵攻開始。翌28日にバクーが占領されアゼルバイジャン民主共和国は滅亡。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国が成立。
5月7日、モスクワ条約(1920)が締結。白軍勢力のグルジアへの亡命を阻止する事を条件にソビエトがグルジア民主共和国の独立を承認。
7月、イギリスが地域全体をグルジア民主共和国に割譲し撤退する。
9月、ザカフカース地方からイギリス軍の撤退がほぼ完了する。
11月7日~11月17日、赤軍がクリミア半島に対し攻勢作戦を決行。この作戦によりヴラーンゲリは、南ロシア軍残存戦力をクリミア半島より撤退させ黒海沿岸より白軍勢力が駆逐される。
3月、南ロシア軍は敗退を繰り返しこの月までに北カフカ―スより撤退。クリミア半島まで追い詰められる。
4月、アントーン・デニーキンが南ロシア軍総司令を辞任。イギリスへ亡命する。南ロシア軍の指揮権はピョートル・ヴラーンゲリに引き継がれる。
4月、イギリスがバトゥミを自由港とすることを宣言。国際連盟の保護領としてイギリス、フランス、イタリアによる共同統治が行われる事が決定される。
4月27日、北カフカースで南ロシア軍を打ち破った赤軍がアゼルバイジャンへ侵攻開始。翌28日にバクーが占領されアゼルバイジャン民主共和国は滅亡。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国が成立。
5月7日、モスクワ条約(1920)が締結。白軍勢力のグルジアへの亡命を阻止する事を条件にソビエトがグルジア民主共和国の独立を承認。
7月、イギリスが地域全体をグルジア民主共和国に割譲し撤退する。
9月、ザカフカース地方からイギリス軍の撤退がほぼ完了する。
11月7日~11月17日、赤軍がクリミア半島に対し攻勢作戦を決行。この作戦によりヴラーンゲリは、南ロシア軍残存戦力をクリミア半島より撤退させ黒海沿岸より白軍勢力が駆逐される。
1921年
2月16日~3月17日、赤軍がグルジア民主共和国へ侵攻開始。17日にグルジア・ソビエト社会主義共和国が成立。
2月23日~3月16日、トルコ軍がグルジア民主共和国へ便乗侵攻。アルダハン、アルドヴィンが2月中、バトゥミが3月中に占領される。
3月18日、赤軍に指揮されたグルジア・ソビエト社会主義共和国の軍隊によってバトゥミが再占領される。
10月13日、カルス条約により、トルコ共和国がバトゥミ港を自由に使用する権利とグルジア・ムスリム人に自治権を付与するという条件で赤軍にバトゥミを割譲。バトゥミはアジャリア自治ソビエト社会主義共和国の首都になる。
2月23日~3月16日、トルコ軍がグルジア民主共和国へ便乗侵攻。アルダハン、アルドヴィンが2月中、バトゥミが3月中に占領される。
3月18日、赤軍に指揮されたグルジア・ソビエト社会主義共和国の軍隊によってバトゥミが再占領される。
10月13日、カルス条約により、トルコ共和国がバトゥミ港を自由に使用する権利とグルジア・ムスリム人に自治権を付与するという条件で赤軍にバトゥミを割譲。バトゥミはアジャリア自治ソビエト社会主義共和国の首都になる。