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(メカギャル文庫)パペット・ドリーム 冒頭立ち読み版


桜の花が散り始めた頃だった。
新入生がその話で盛り上がるのは、既にこの大学の風物詩になっている感がある。噂の助教授はどこにいるんだろう。最初は自分たちもそんな話で盛り上がっていた。入学当時のことを思い出しながら、伊沢舞佳は通り過ぎた数人の学生を見送って思わず苦笑した。
この学校に入学して二年が過ぎた。舞佳は落ち着いて学ぶために、静かな環境にあるこの学校を選んで入学した。小高い丘の上に建つ学校には遠方から来る学生のために寮も完備されている。有能な教授達、整った設備。まさに舞佳の求めていた理想の学校がここだった。
舞佳にとって最良の環境が完璧に整えられたこの学校には、以前から一つの噂があった。入学前に舞佳もその噂を人づてに聞いた。ほんの数年ほど前まで神童と騒がれていた天才がいるというのだ。
工学系の天才として名を馳せたその人物は秋山秀司という。秀司の話を舞佳が初めて聞いたのは中学生の頃だった。スキップを重ねた秀司は当時の舞佳と同年代で大学を卒業したという。学生時代に多くの研究を発表し、高い評価を受けたという話もニュースで何度も見た。だが当時の秀司が若すぎたためだろうか。秀司の写真や映像はニュースに出たことがない。それでも秋山秀司、という名前だけは舞佳の心に深く刻まれた。
そしてある時期を境に秀司の噂はぷつりと途絶えた。その最後の噂となったのが、秀司がこの学校に助教授として招かれたというものだったのだ。
騒ぎが終われば関心のない人々はあっという間に忘れ去ってしまう。その拘りのなさはまるで砂糖にたかる蟻のようだ。砂糖がなくなってしまえば蟻はそこに何もなかったかのように移動してしまう。秀司のニュースも人々にとってはその程度のことだったのだろう。
だがこの学校を目指す者は違う。工学系の勉強をしようとここに集って来た者にとって、秀司の存在は特別なものだ。入学当時、むきになって秀司の居所を探ろうとした舞佳は、その時のことを思い出して微かに笑った。
きっとどこかにいるに違いない。現に学校に所属する教授達の名簿の中には秀司の名前も確かに記載されていた。だから舞佳は講義の合間を見て、学校中を捜して回ったのだ。
だがどこにも秀司らしい人物はいなかった。秀司の受け持つ講義やゼミもなく、話を聞く機会もない。そして舞佳も他の学生と同様に、秀司の噂を気にすることはなくなった。
懐かしいなあ、と呟いて舞佳は食堂に赴いた。カフェテリア形式の学生食堂は昼時とあって賑わっている。パスタとドリンクをトレイに乗せ、舞佳は食堂の端に移動した。日の光がたっぷりと入る窓際の席に腰掛ける。
周囲の学生達はそれぞれが友達と談笑しながら食事をしている。だが舞佳の座る席には他に誰もいない。近頃は仲の良い友達とも時間が合わないため、舞佳は食事を一人で摂ることが多い。最初はそのことを寂しいと感じていた舞佳だったが、次第に一人で居ることに慣れてしまった。
そういえば今日は帰りに買い物をして帰らなきゃ。
ふと、気が付いて舞佳は心の中で呟いた。冷蔵庫の中身は昨日でほぼ空になってしまっている。本当は学生寮でも良かったのだが、両親の勧めで舞佳は近くのマンションを借りているのだ。
トマトとほうれん草のパスタを食べながら、舞佳は少し暗い気持ちになってため息を吐いた。
「ここ、いいですか?」
不意に間近から知らない声が聞こえる。ぼんやりと考え事をしていた舞佳は慌てて顔を上げた。いつの間にかテーブルの傍に一人の男子学生が立っている。
「え、ええ。構いませんけど」
咄嗟のことに周囲の様子を見ることも出来ず、舞佳は何となく頷いた。微かに笑ってありがとうと礼を言った男が目の前の席に腰掛ける。
年は自分より下だろうか。静かに腰を下ろし、手にしていたトレイをテーブルに乗せた男を舞佳はまじまじと見た。この学校に通うようになってすぐの頃は、舞佳にこうして話しかけてくる学生も多かった。
「井沢舞佳さん、ですよね?」
それだけで足りるのか、という少ない量のリゾットにスプーンを向けたところで男が言う。舞佳はじっとその手元を見てから男の顔に目を戻した。
これまで話しかけてきた連中よりは、目の前の男の容姿は整っていた。若干、顔立ちが幼い気がするが作りそのものは悪くない。素早くそれだけのことを見て取ってから舞佳は微かに笑ってみせた。
「ナンパかしら?」
今ではこんな風に学内で声を掛けられることはなくなった。その原因は舞佳の男性に対する理想が高いことと、舞佳の成績が優秀なために相手の男性が引いてしまうことにある。そして舞佳はそのことを自覚していた。
「ああ、すみません。僕から名乗るべきでしたね」
舞佳の言ったことを否定も肯定もせず、男が苦笑のようなものを浮かべて言う。それから男はジャケットの内側から小さな紙片を取り出した。名刺らしい。てっきり男が名乗るものだと考えていた舞佳は怪訝に思いつつも、テーブルの上に置かれた名刺を見た。
秋山秀司
名刺にはそう書かれていた。舞佳は絶句して慌てて顔を上げた。スプーンの先にリゾットをすくって口に運んでいた男が、目を細める。
「まさか、本当に?」
「はい。今年は研究に助手が欲しいと思っていましてね。ですから、あなたをスカウトに来ました」
秀司の名を騙ったナンパだろうか。だがそれにしては下手な方法のような気がする。こんな風に学校名や肩書きの入ったものを騙すために出すだろうか。もしこれを証拠として押さえて出すところに出せば、この男もただでは済まないだろう。
だとするとこれは本物と考えた方がいいようだ。そこまで素早く考えを巡らせてから舞佳はテーブルの名刺を取り上げた。
「何故、この時期に? わたしの所属ゼミは決まっているし、今さら移籍だなんて教授が認めないわ」
少し声を抑え、周囲を気にしつつ舞佳は言った。スプーンにすくったリゾットに息を吹きかけていた秀司が目だけを上げる。
「心配ありません。僕は彼には貸しがあるんですよ」
そう言って微かに笑ってみせた秀司をちょっと呆れた顔で見つめたところで気づく。年齢が近く思えるからだろうか。舞佳は無意識に砕けた調子で話していた。そのことに遅れて気が付いた舞佳は、相手は助教授、と自分に言い聞かせて言葉を継いだ。
「貸し、ですか」
確かめるように言葉を吐き出した舞佳を見つめて秀司が頷いてみせる。
「ええ、そうです。ですから移籍は簡単に出来ると思いますよ」
「わたしが断ったら?」
「その時は別の方を探しますが」
そこで言葉を切ってから秀司が意味ありげに笑う。
「たぶん、井沢さんは断らないでしょう」
やけに自信のありそうな秀司の態度を見て舞佳は眉をひそめた。白い皿に残ったパスタをフォークに巻いて口に運ぶ。どう切り返そうかと考えながら舞佳はしばらく黙って食事をした。そうしつつも時々秀司を観察する。秀司は皿の縁から真ん中に向かってスプーンを動かし、先に少しずつリゾットを乗せては口に入れている。極端な猫舌なのか、それとも癖なのかは判らないが、一度に口に入れる量は舞佳のそれより少なく見えた。
「どうしてわたしが断らないと思うの?」
食べる手を止めて舞佳は慎重に訊ねた。スプーンをリゾットの器に乗せた秀司が微かに笑う。その表情に舞佳はどきりとした。
「まずあなたは僕をすぐに追い払わなかった。学生だと思っていたら、実は違ったことに驚いた。でもそこで僕の正体を疑った」
指折り数えながら、秀司が確かめるように言う。舞佳は唇を引き結んで秀司を見つめた。確かに秀司の言う通り、もしも追い払うつもりなら最初にしている。見抜かれていたことに対するちょっとした不快感と、きちんと見ているんだな、という感心する気持ちが舞佳の胸に同時にわき起こった。
「名刺を出したから、偽物ではないと踏んだ。スカウトの件に対する返事を避けたのは、僕の出方を確かめるため。それはつまり」
すらすらとそこまで言ってから秀司がにっこりと笑う。
「僕に興味がある、と言っているのと同じですから」
「大した自信家ね」
呟くように言ってから舞佳は思わず苦笑した。秀司の言ったことは大体当たっている。
「そうですか? 僕にはあなたの方が自信家に見えますが」
笑い混じりに言って秀司が再びスプーンを取る。舞佳はつられたようにフォークを取り上げ、残ったパスタを食べ始めた。
「何故?」
「あなたはどうして自分を誘ったのかと訊かなかったでしょう?」
指摘を受けて舞佳はなるほど、と頷いた。秀司はこちらのことをよく観察しているようだ。
「そうね。訊かなかったわ」
理由は訊ねなくても判っている。だから訊く必要もないと考えた。そのことを舞佳は簡潔に伝えた。なるほど、と呟いた秀司が頷いてみせる。納得したような顔はしているが、こちらがどう答えるか予想はしていたのだろう。秀司に驚いた様子はなかった。
食事を終えた舞佳は口許を丁寧にナプキンで拭い、少し温くなってしまったコーヒーを飲んでほっと息を吐いた。秀司は全部食べる気はないのか、リゾットを半分以上残したままスプーンを置いてしまっている。
このまま腹の探り合いをしても時間が経つだけだ。そう判断して舞佳は自分の方から切り出した。
「それで、研究の内容は?」
秀司から視線を逸らさないよう注意しつつ返答を待つ。もしも興味が持てる研究内容ならゼミの移籍も考える。その意味を込めて見据えた舞佳から目を逸らさず、秀司が困ったように笑う。
「ちょっとここでは」
言いにくそうに返事してから秀司が舞佳から目を離し、周囲を見る真似をする。確かにここには多くの学生がいる。隣のテーブルにも昼食を摂っている学生の姿があるが、彼らは二人の会話からはここにいるのがあの噂の助教授だと気付いていないらしい。さりげなく周辺の様子を見てから舞佳は頷いた。
「随分と慎重ね」
「ええ、まあ」
舞佳を見つめて秀司が微かに笑ってみせる。どうやら周囲に人がいる状況では口にしたくないようだ。少し考えてから舞佳は頷いた。
ゼミを動くかどうかは話を聞いてから検討しても遅くない。
「判ったわ。じゃあ……ええと、研究室は」
「はい。ではご案内します」
軽く頷いた秀司が先に席を立つ。空になった食器を乗せたトレイを手に立ち上がったところで舞佳はふと眉を寄せた。秀司は先に食器を片付けにカウンターに向かっている。
秀司は助教授の肩書きを持ってはいるが、この学校のどこに研究室があるというのだろう。入学してしばらく学校内を探し回った経験のある舞佳は考え込んでしまった。あの時には学校のどこにも研究室はなかったような気がする。この学校の教授達の所有する研究室には必ず名前の付いたプレートが付けられている。一室ずつ確認したのだから間違いはない。
「何か考え事ですか?」
食堂を出て、秀司について歩いていた舞佳はその問い掛けにぎくりと肩を竦めた。いけない。ついつい考えるのに夢中になっていて、秀司の様子を観察するのを忘れていた。
何事もなかった顔をして舞佳は隣を歩く秀司に笑みかけた。
「秋山先生は噂の的だもの。どんな方なのかと思って」
毎年、この学校に来る学生は噂をしている。舞佳はそのことを説明した。すると秀司が少し間を置いてからなるほどと頷く。
「どんな噂ですか?」
興味を覚えたのか、秀司が逆に訊ねてくる。舞佳は当たり障りのないことを答えつつ、隣の秀司に時折目をやった。秀司は前を向いて歩きながら舞佳の言葉に感心したように頷いている。さりげない相槌でこちらの足りなかった言葉を足してもくれる。
理想的な男性に見えた。秀司はこれまで声を掛けて来たタイプとは全く違う。無駄なお世辞も口にしないし、こちらが一つ言えば二つ三つ先を読んで返事をする。喋る声も口調も穏やかで、不思議と耳に心地良い。
やっぱり一緒に歩くならこのくらいのレベルでないと。
平然とした面持ちを崩さぬまま、そんなことを考えていた舞佳は大きな学舎を抜けたところで訝りに眉を寄せた。
「研究室は外にあるの?」
「考え事をしている時に人の声がするのが苦手でしてね」
学校の建つ丘にはちょっとした林がある。その一部は学校の敷地内だ。困ったように笑った秀司が向かったのは学舎の裏手にある木立の中だった。どうやら秀司は人に自分の思考を邪魔されるのが嫌らしい。その気持ちは判るわ、と舞佳は心の中で同意した。秀司は自分と似た気質を持っているようだ。
「……まさか、ここなの?」
木立の中に立ち尽くし、舞佳は呆然とした面持ちで訊ねた。目の前にあるのは古びた倉庫のような建物だ。しかも周囲には雑草が好き勝手に生えている。
「ええ、ここです」
そう言いながら秀司がポケットから鍵を出す。眉を寄せて周辺に生えた雑草を見てから舞佳は秀司に目を戻した。
「カモフラージュですよ」
「え?」
「先ほどの井沢さんのお話では、僕を捜す人も多いのでしょう?」
そんなことを言いながら秀司がドアを開く。舞佳は怪訝に思いつつも秀司について倉庫らしいところに入った。中を見ても掃除用具等が入っているだけで、やっぱり倉庫としか思えない。
奥に進んだ秀司の背中を睨むように見てから舞佳は早足で近付いた。もしかして冗談か何かのつもりだろうか。だがもしも秀司が何か企んでいたとしても、ドアは開けてあるから逃げられる。振り返ってそのことを確認してから、舞佳は秀司から少し離れたところで立ち止まった。
「何の冗談かしら? こんな場所にわたしを連れてくるなんて」
尖った声で詰問した舞佳を秀司が振り返る。その瞬間、何もないように見えた壁の一部が音を立てて開いた。
「ですからここが僕の研究室です」
微かに笑った秀司が壁に空いた口に入る。舞佳は驚きに目を見張り、慌てて後を付いて歩いた。壁の穴の中は明るく、地下に続く階段がある。舞佳は時折肩越しに振り向きながら慎重に階段を下りた。
階段を下りると細い廊下が続いている。その先には金属製の扉があった。秀司がドアの横についた小さな箱に手を突っ込む。するとドアは空気の抜けるような音を立てて開いた。
「地下にこんな場所があるなんて」
「秘密基地のようでしょう?」
楽しそうに笑って秀司がドアをくぐる。舞佳は先に中を覗き込んで目を見張った。
そこには広々とした部屋があった。舞佳の履いたハイヒールの靴音が響く。舞佳は恐る恐る部屋に入ってから周囲を見回した。硬質な床、白い壁、並んだスチール棚、実験台、そして壁際にはパソコンが並んでいる。スクリーンモニタが設えられた壁の端には小さな台があり、そこにはコーヒーメーカーが置かれていた。
「ここだけ場違いね」
コーヒーメーカーの傍には小さな冷蔵庫もあった。限られたそのスペースにだけ生活感がある。舞佳は先にそこに向かった秀司の後を追った。
「コーヒーでいいですか?」
「え、ええ」
慣れた手つきで秀司がコーヒーを淹れるのを舞佳はぼんやりと見つめた。手際よくコーヒーを淹れた秀司がコーヒーカップをトレイに乗せ、サーバーからコーヒーを注ぎ分ける。
「そんなに見つめられると先に応接室にどうぞ、と言えなくなってしまうじゃないですか」
困ったように笑った秀司がトレイを手に歩き出す。はっと我に返った舞佳は慌ててその後を追った。
「別に見つめていた訳じゃないわ」
「そうですか。では僕の勘違いですね」
思わず口をついて出た舞佳の言い訳を秀司が軽く受け流す。舞佳が困惑している間に秀司は入ってきたのとは別のドアを開けた。
秀司の案内してくれた研究室は、入り口から入ってすぐのところに実験室、その奥にある廊下の両サイドに応接室や資材室、それに秀司の私室があるらしい。そう説明しながら秀司が応接室のドアを開ける。促されるままに応接室に入った舞佳は、ソファを勧められて腰掛けた。
「研究開発しようと考えているのは、自律して稼働する機械です」
二つのコーヒーカップをテーブルに置いて、秀司が舞佳の向かいの席に腰を下ろす。舞佳はコーヒーにミルクを入れながら首を傾げてみせた。
「随分、大雑把な説明ね」
「そうですか?」
自動の機械と一口に言っても種類は色々ある。そう切り返して舞佳は熱いコーヒーを啜った。少し考えるような顔をしてから、秀司が言葉を継ぐ。
「具体的に言うと、人の形をした機械です」
「人の形……」
秀司の言ったことを口の中で呟きながら舞佳は考えを巡らせた。人の形をした機械と言っても種類は様々だ。動きそのものが人に似せてあるモノ、外観が似せてあるモノ、その両方というケースもある。からくりで動く人形の中にも、広い意味で言えば人の形を模してあるモノがある。
用途によっても種類は分けられる。舞佳は思いつく限りの可能性を口にした。
「もう少し具体的な話をしてくれないと判らないわ」
モノによっては面白いと思うけれど。そう付け足した舞佳は何度か目を閉じて瞼を擦った。やけに座り心地のいいソファだからだろうか。眠気に襲われる。
「あなたにモデルをお願いしようと思いましてね」
微かに笑った秀司の顔がぼやけて見える。舞佳はしきりに目元を擦り、眠気を耐えようとした。だが眠気は強くなる一方でおさまりそうにない。
わたしをモデルに?
眠さのために次第に頭が回らなくなってくる。舞佳は眠ってしまわないように懸命に瞼を上げようとした。だが徐々に瞼が下がり、舞佳の持っていたコーヒーカップが床に転がり落ちる。
「ええ。モデルケースです」
遠のく意識の向こうから秀司のそんな声が聞こえたような気がした。

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