“敵”という概念は全て、自分という存在に対する“反射”だ

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“敵”という概念は全て、自分という存在に対する“反射”だ - (2018/02/19 (月) 21:02:28) のソース

発言者:[[桐原 零示]]

もはや零示のもう一つの能力とも言うべき、勝利への道筋を示す真理。その中核となる部分がこれに当たる。
正確には台詞ではなく、零示視点の地の文にある言葉である。
幼い零示は殺意すら感じる父親の暴力から逃げるため、夜中ゲームセンターなどで必死に時間を消費する日々を送っていたが、ある日唐突に気付いてしまう。
“敵”からやってくる攻撃とは最終的に自分の動きが生み出している因果であり、ならば攻防そのものを始まりから終わりまでコントロールすることもできるのではないかと。
それからは“自分と敵”という関係性が成立した上なら、敵キャラの攻撃を直前で全て読み、その上を行くことが可能になった。
同時にゲーム自体が持つ構造の穴(キャラ特性や全体のゲームバランスといったもの)を把握する眼も備えるようになる。

そこまでならただゲームで有利になる程度の範疇なのだが、実はこの真理はゲームのみならず現実の様々なことに通用することが判明する。
覚醒を果たした零示は、それからは親や街で遭遇する暴力にも容易に対処できるようになったが、同時にあらゆることがヌルゲーと化したことで日々刺激を求めて試行錯誤するようになった。

これを見つけた後の零示の順応力と勝負強さは常軌を逸しており、生身でも武器持ちの不良数人は一分も持たず、プロの格闘家が相手でも少ない情報から即座に弱点を見出して沈めてみせた。
果てには歴戦の兵士を相手に互角の銃撃戦を繰り広げるどころか、相手が次に撃ってくるタイミングと場所を読んで自分が撃った弾丸と相手の撃った弾丸をぶつけて防ぐという神業すら現実世界でやってのけている。
ただし万能な能力というわけではなく、地力差や情報不足で攻略法を確立する前に圧倒される、または確立した後にそれを上回られたこともあった。
それ以前に、構築した攻略法というのは現実的に考えて実現を疑うレベルの至難の業であり、最も驚異的なのはどのような理不尽なゲームバランスにも向き合い、爪を立て続ける零示のモチベーションにあるとも言える。


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